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2015/05/21

『南島文学発生論』再読、シニグ考

 ウンジャミをシュクの到来に対する予祝祭だと考えたのは、『南島文学発生論』の谷川健一だった。

 そして、同時に行われる猪取りの模倣については、谷川は後代のものだと位置づけている。

この安田のウンジャミ祭の猪取りは国頭でさかんな猪狩の光景を模倣した儀式である。それとても、もとをたどれば鼠や猪のような農民の外敵を海の彼方に送る行事の変容にほかならない。

 しかし、漁撈以前に重要だった「猪狩」を、農耕以後に意識化された「鼠」と同列には葬ることはできない。琉球弧の生業を考えれば、シニグはもともとそう呼ばれていたかどうかはともかく、猪猟の予祝祭として捉えるべきだろう。(cf.「「ウミアッチャー世」と「ハルサー世」」)。

 そして、伊是名島のシニグでは少年たちが男根を山中の大木の空洞にさしつける(p.29、『地下他界』)ように、そこでは男子結社による少年のイニシエーションを含む儀礼としてあったはずである。

 貝塚時代前3期、約5000年前に珊瑚礁の魚貝に頼るようになって、ウンジャミの成立根拠が生まれる。

 垣にはそれぞれ「ウガンジュ」(拝所)、あるいは願所という社が海岸近くにあって、霊石霊水を神体として祈願している。獲物の中から最もよい魚数匹を、その社に奉納謝礼して、その式が済んだら土中に魚類を埋めて、常に神の加護を祈りつつある(喜舎場永珣『八重山民俗誌』)。

 珊瑚礁に垣をつくり、魚たちの囲い込みをしたとき、海のカミに対して魚を埋め、魚たちの増殖の儀礼を行ったのだと思う。漁撈の開始は、定住を促したことはヨリアゲマキウの存在からもうかがえる。

 古代琉球の村落はスクの寄ってくるイノーを頼りにして営まれた。この推測を裏付けるのが十八世紀初頭に編纂された『琉球国由来記』に見られるヨリアゲマキウの名を持つ集落である。ヨリアゲというのは魚や貝や海藻や流木などが寄ってくるという意であり、マキウは血縁を中心とした小集落のことで、本土のマキにあたる。それが集落や御嶽の名のもとになったということは、南島の古代のくらしが海の彼方からもたらされるめぐみにすがっていたことを告げるものにほかならない。(谷川)

 与論の赤碕御願も垣の「ウガンジュ」(拝所)として生まれ、初期の集落が構成されたのだと思う。

 そして、スクの予祝祭としてのこれもそう呼ばれていたかどうかはともかく、ウンジャミが合体する根拠が生まれる。

 シニグとウンジャミの織り成す綾について、酒井卯作は、面白い視点を挿入している。

 もともとシヌグも海神祭も、その内容の大まかな点においては、どれがシヌグで、どれが海神祭か区別がつかないくらい類似している(p.24、「南島研究」1号)。

 これは、ほんとうは長期にわたるひとつの祭りだったのではないか。「シヌグに迎えた祖神を、ウンジャミに送るというのが本筋(p.29)」ではないか。

奄美の送迎祭の間隔が二ヵ月あるのも、当時の悠長な祭祀の仕方からすれば当然であり、むしろ、もっと長くても不自然ではなかったろう(p.29)。

 ぼくが誤解しているのでなければ、酒井は、たとえば七月を起点にすれば、シニグが行われ、何か月か後に、ウンジャミが行われる。つまり、祭儀としては二回、行われた。それが、ひとつの折り目のなかで年一回になり、隔年になった、ということだ。

 これは説得力のある観点だと思う。ぼくの考えを添えれば、もともと成人儀礼を含めた狩猟儀礼が山を中心に行われた。漁撈の開始とともに、海の予祝儀礼も生まれた。やがて、来訪神の観念が生まれ、山の儀礼と海の儀礼はひとつながりになった。そこには、女性の宗教力の増強とともに海の儀礼を女性が行うという役割もそこかで挿入されていた。農耕をはじめるとともに、鼠を祓う儀礼も含まれることになる。また、伊波普猷をして「正視しえられぬほどのきはどい事」(cf.「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」)と言わしめた男女の交わりは、性交による妊娠という認識を得た後に、この祭儀のなかに組み込まれた。

 シニグについての考察の更新はここまで。後は例によって『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』の気になる箇所を書き留めておく。

人間社会の始まりはノロとユタの区別はなく、ただ神に憑かれた人があっただけである(p.22、ページ数は旧版のもの。以下も同様)。

 はじまりに「ノロとユタの区別」がないのはその通りだが、谷川は「神に憑かれた人」に憑かれすぎである。はじめは、誰もが憑かれた人であった。それができなくなって、特異点である巫覡が誕生するのだ。
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 奄美大島では、暗くなるまで子供が返らないと「夜がとる」と言った(p.22、田畑英勝談)。
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 「夢ぬクチタブエ」

 昨夜見ちゃん夢や  昨夜見た夢は
 ゐい夢残てぃ  よい夢は残って
 悪さん夢や  悪い夢は
 はるばる草ぬ根に止れぃ  原々の草の根にとまれ(田畑英勝『奄美の民俗』)

 この歌を三回繰り返して、三回唾を吐く。「夢もまた、螢などのように実体をもっていることを告げている(p.50)」。タブエはオタカベに当たる。

 「炭火の踊る時のタブエ」(大島名瀬市)
 やまなんてぃ  山で
 しらつたんくとぅ  焼かれた苦しみを
 わしれぃてぃな  忘れたか

 「炭火が踊るというのは、炭火がはじけることの擬人化である(p.50)」。ここには、炭火もまたしゃべることが背景にあったのかもしれない。少なくとも、炭火とも話したのだ。
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オモイマツガネという機織る乙女が日光に感精して日の御子を生むという説話は奄美に普及しており、ユタはオモイマツガネを自分たちの祖先として崇拝する(p.149)。

 これを谷川は、「自分たちの出自を高貴なものとむすびつけたいというユタの願望にほかならない(p.166)」と書くが、これは矮小化であって、本質的に言うなら、共同幻想を対幻想の対象とする巫女の側面を、ユタも色濃く持っていることを示している。
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 宮古島の後生譚。谷川が、平良市のカンカカリヤから聞き取りしたもの。

 ある男は、妻恋しさのあまり、墓の中に入って後生の妻と会った。妻は彼を自分の白い下袴(かかん)のなかに入れて現世に送り出した。そして自分のことを話はならぬと固く戒めたが、その男は現世に帰って、あるとき酒を一杯のまされ、ついうっかり後生のことを洩らしたために、その場で死んだという(p.209)。

 この後生譚は、墓が他界の入り口になっているが、もっと祖形に当たるものが蘇刈にある。

 洞穴の話
 笠利のツチバマにグショガミチ(後生ヶ道)というムィ(穴)がある。用安か節田の村の人が、牛を逃がした。探して行くと、その牛のアシゲ(足跡)は、その穴のなかへと消えていた。その人が後をつけて行ってみるとそのグショガミチの奥へ、その牛は逃げこんでいた。そして驚いたことにその牛を囲んで多勢の人たちが珍しそうに見物していた。その人は、自分もその仲間に入れてくれとお願いした。すると、その中の一人が、「仲間に入ってもよいが、一つの条件がある。それは、この穴のことを島のシマ(村)に帰って話さないこと、そうすればここに来ることができるが、もしその話を村の人にすると、二度と来れなくなるよ」と言った。しかし、その男は、村へ帰ってから、約束を破ってその不思議な穴の話しをした。するとそのグショガミチは、とうとう塞がってしまったという(富源一郎談、登山修『蘇刈(奄美大島瀬戸内町)民俗誌』 )。

 他界への通行は可能だった。でも、もう生者はそのことを忘れている。偶然が作用すると行くことができた。こういう筋からは、これが他界の発生から遠く経っていることを示している。自由に行き交いする道はあるけれど、もう生者と死者は一緒に住んではいないのだ。だが、現世と他界をむすぶ洞窟の穴、くびれはまだ塞がっていいない。それは生と死が完全には分離されていないことを示す。しかし、その通路は、生者と死者が分かれて住むことを条件にかろうじて開かれているにすぎない。そこで、生者が知るということが塞がれる契機になってしまうのだ。死者は牛を珍しがるということは、この伝承は農耕社会の初期にできたものではないだろうか。

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 多良間島の「ヤーヌンマ(家の妻)のニーリ」(『村誌たらま島―孤島の民俗と歴史』

 大節ぬ  大節〈節祭〉が
 年ざかい  年境〈新年〉が
 わーちやりよ  来たから
 あばすでる  私は孵でて〈若返って〉
 羽生ゆる  羽がj生える
 しやくど思う  ように思う
 あんしかんし  ああしてこうして
 あばすでる  私は孵でて〈若返って〉
 羽生ゆる  羽がj生える
 しやくど思う  ように思う

 同名の別の詩句では、

 あささよ  蝉よ
 やーぬ妻が  家の妻が
 白かかん  白下裳を
 着ちからよ  着てからは 
 するまかーぎ  美しい姿に
 なりうんむよ  なっているよ(p.279)

 このニーリからは、「蝉」も脱皮の系列に入れられているのが分かる。蛇、ヤドカリ、蟹、蝉。

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 宮古島の創世記(谷川が、万古山の御嶽で会った老婆から聞き取りしたもの)。島づくり、人づくりの後。

この村は数年の間さかえたが、ある年の十五夜の日に、村民がブタを殺して神にささげたので、神は血だらけのものは非礼だと怒り、他の神々とも相談して、この村から追い立てた。数日間ヤドカリで攻めさせたので、村人はこの村を立ちのき、八重山に新しく平井村を建てた(p.409)。

 「この宮古の海岸の洞窟には大きな蟹のようなヤドカリがたくさんいる。そしてヤドカリは神の下等な使いと思われている(p.409)」

 もはやここでは、ヤドカリはトーテムではなく、「神の下等な使い」として零落しているが、神の対応は面白い。殺した豚を捧げる島人は、霊魂思考なのに、応える神は、霊力思考を持っているのだ。この伝承は、農耕社会の初期の変形を保持しているのかもしれない。


『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

『地下他界―蒼き神々の系譜』

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