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2015/05/10

池田末利の「魂・魄考」

 池田末利の「魂・魄考-思想の起源と発展-」(『中国古代宗教史研究―制度と思想』)に依って、中国古代の霊魂観を見てみる。

 人死すればその精神(魂)は天に昇り、その形骸(魄)は地に帰するとの信念は上代中国人の間に一般的であったと考えられる(旧字体は新字体にした-引用者。以下同様)。

 中国では、古代から天界が存在している。

 一たい、霊魂観念が死霊観念に、後者は更に死者崇拝に起源することはアニミストの強調するところである。このことを社会的に換言すれば、祖神崇拝は後に祖霊崇拝の形態をとるに到ったが、祖霊崇拝の素朴な形は死霊崇拝であり、死霊崇拝は更に具体的な死者そのものの崇拝でなければならぬ。死者は即ち死んだその人、感覚的な肉体的な当人、もしくはその唯一の人格であり、死霊は少なくとも、その別体で第二存在であり、副人格ではなくともその複写 replica である。死霊は亡びゆく死屍や遺骨に代って、その人格の存続を永く保証するものとなる。

 池田の言うところを整理すると、下記になるだろうか。

 死者崇拝→死霊観念→霊魂観念
 祖神崇拝→(死者崇拝=死霊崇拝→祖霊崇拝)

 「霊魂観念」は、必ずしも「死霊観念」に発しないと思うが、全体像はうなずける。

 しかし、霊魂は必ずしも死霊のみに起源するとは限らぬ。リッパートの如きも、人間生命原理 Lebensprinzip から死霊観念が出て、これを大切にすることから、その祭祀即ち宗教が起り、それが自然物に宿ると見て呪物崇拝となると説き、ソーセイも人格的な霊魂とは別個に普遍的生命とか、非人格的霊魂とかを想定し、これを霊質 soul-substance と名づけて、これを霊魂観念と呼ぶよりは更に原始的なもの、少なくとも発生的には別系統と認め、この生霊を根源として凡てを生きものと見るアニマティスム、あるいは呪力観念を見出し得るプレアニミズムの立場を導いている。

 リッパートの考えはこうなるだろうか。

 人間生命原理→死霊観念→呪物崇拝

 ぼくは、死霊観念も霊魂思考の産物だと思う。

 今、これを上代中国の宗教事実に徴しても、その適用性を見出し得る。すなわち、祖先神としての鬼の最原始義は死者その人である。そこで、死霊崇拝としての鬼神崇拝は遡源的には死者崇拝に本づくといってさし支えないであろう。そして死霊観念ないし霊魂観念の具体的表現である「魂」「魄」の字が古くは嚴・異であり、嚴・翼であっても、何れも「鬼」字より孳乳(派生-引用者注)した、あるいは形・義・音ともに「鬼」と連関を有する文字であるのは、魂・魄思想が実に死者崇拝より進化した事実を立証するものと考えられよう。

 中国上代で生霊観がいつからあるのかは明瞭ではないが、陰陽説と相表裏して生じたものであることは承認されていい。

 これを要するに、中国上代においても、祖先崇拝はまず死者崇拝の形態を取り、ついで死霊崇拝・祖霊崇拝に転じ、陰陽説の発生と相俟って生霊観が起り、かくて死霊・生霊を統合する精霊観 Spiritism が成立したものとみるべき(後略)。

 ここでいう「精霊」とは霊魂思考のもとに見られた精霊の意味になると思える。

 古代中国の霊魂観が確認できて助かるが、旧字体で攻めてくる池田のこの論文の初出はいつだったのだろう。

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