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2015/05/25

猪猟・性・シニグ

 琉球弧では、貝塚時代前2期(6000千年前)までは、イノシシが主体で出土する。千葉徳爾(『狩猟伝承研究(続)」1971年)によれば、琉球弧は離島にもかかわえらずイノシシは著しく繁殖している。1960年代の統計では、著しい捕獲地域は、西表島、国頭、奄美大島西部で、イノシシが棲息しにくいは、隆起珊瑚礁からなる宮古、沖縄島南部、喜界島等。なかでも、国頭は沖縄全域の約半数、奄美大島の約三分の二を捕獲する。イノシシ時代の琉球弧の中心地は、国頭だったのではないだろうか。

 もっとも古い猟の方法は、「犬を使用し槍で突留める方式であり、奄美大島ではイヌヤマ、国頭地方でインビチ(犬引)と称する」。「沖縄国頭地方では現在では突くときこれをシシに投げて突く者が多いが、老人にきくともとはかまえて突くものであった」。

奄美大島では山中で猪の群にあうとき、七匹いればその中に山の神が猪の姿でまじっているという考え方がある。或いは白猪を神の姿とし、これを捕ったら人に語らず山中に埋めておく。また、毛をとって内臓を出した後、腹を天に向けてねかせ、その両前肢を打ち合せて祈らせてから料理する方法もある。

 国頭では、捕った猪は家に持ち帰り、キモを出し、皿にのせ、山の方へ向いて山の神へ感謝する。狩人のつとめとしてはこれだけで、「本土の狩猟のようなきびしい物忌あるいは山の神に対する禁忌の習俗というものは特に語られていない」。

山の神という神格が狩猟者の尊崇する対象であること、この神の具体的な形が明確ではないことは本土と同じであるばかりでなく、その信仰形態が基本的に同一類型に属することは疑いない。

 これは、山の神が、山のカミと書くのがふさわしい精霊の段階にあるからだと思える。

 「奄美地方では山の神はあまり重視されていない」。「山では山の神よりもむしろケンムン(怪の物の訛?)を恐れ、山中では山羊・ケンムン・猫(マヤという)などの言葉を口にすることをつつしむ」。

 名瀬の山の神祭では、模擬狩猟をしてみせる。これを山祭という。「山や死不浄嫌い、生き不浄嫌わん」ということわざがある。「女が銃に手をふれ、またこれをまたぐことは獲物が多くなることを意味すると考えている」。国頭や八重山では、狩りに出る途中で「髪をふり乱した女性に遭った場合には、猪はとれないと考えられている」。


 さて、山祭の他に猪にまつわる祭儀といえば、シニグを思い出すが、千葉徳爾は別の場所でこう書いている。

国頭安田では男たちが裸で山上に登り、山を拝した後、径四、五尺の洞穴をめぐりながら三度ずつ持っている木の枝でつつき、山を降ってそこで待っている女たちの頭を扇であおぎ、また腰を打つまねをする。これは全国各地に見られる削りかけの様で女の腰を打ち、ハラメハラメと呼ぶ男の子の遊びに通ずるものであろう。削りかけは岩手県西部で山の神様がお好きだといって薪の棚に立てかけておく。この男たちの持つ木の枝が、もとは男根であたのではなかろうかと多和田真淳氏は考えている。その理由として氏があげるのは、伊是名島のシヌグは太平洋戦争前には、男子は山中の大木の根の空洞に向って、各自の前をひろげて男根をさしつける動作をするからである。これも大木を山の神の仮の姿にみたて、シヌグの含む農耕、捕獲、漁業など、えものの豊かに生み出されることを願う意義をもつ、そのための生殖行為を模擬的に行なってみせる儀礼だったものと私は判断してみたい。(「日本民俗学85号」1973年)。

 安田の男たちが洞穴をつつく木の枝は「もとは男根」というのはその通りなのだと思う。ただ、狩猟儀礼としての本体は奄美の山祭のように、そしてシヌグでも行なわれるように「模擬狩猟」である。この性的な行為は、山のカミと密接に絡むが、狩猟儀礼にも来訪新儀礼にも当てはまる両義性を持っている。しかも、洞穴をつつく、男根を洞穴に差し向けのるのは、山を降りて女たちの腰を叩くのとセットになっているので、来訪新儀礼のなかに包括されるように見える。ただ、千葉によれば「東北日本の山の神信仰では男根を供える場合が稀でな」いとしているので、両義性は失われない。

 浜比嘉のシヌグでは神人らが全裸となって踊ったという伝承がある(河村只雄『続南方文化の探究』)。また、本部のムックジャでは、こうだ。

 毎年旧六月十五日になると、祝女や神人が神アシャゲに集まって祈願をなし、それに引き続いて字内の青年男女各一人(十八歳)を選んで裸体にして、顔だけを被いで舞はしたのである。
 唄に和して舞い、遂には相抱擁して、全く交接の動作を演ずるのである。
 昔、若い男女(未婚者)がその真似を極度にしたために、その後は老人を選出して挙行せしめていたらしいが、現金では最早見る事が出来ないようになってしまった。(島袋源七『山原の土俗南島説話』

 ムックジャは、浜比嘉シヌグの全裸踊りと似ている。というより同じものだろう。これらは、伊波普猷が「正視しえられぬほどのきはどい事」と談じた内容を伝えるものだと思う。(cf.「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」

 このように、シニグには性のイメージが濃厚だ。ここでの性儀礼は少なくとも二層ある。

 来訪神儀礼
 1.女性性としての山とそれに対置される男根
 2.死者の領域である山に登ることで死に近づき、来訪神として再生し山をくだる

 農耕儀礼
 3.性行為と豊穣とを同一視する

 1については、狩猟段階にもあったかもしれない可能性を持つ。

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