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2015/05/16

入墨と霊魂

 後藤明は、『南島の神話』のなかで、マオリ族の入墨起源神話を紹介している。

 登場人物や文脈に分からないところがあるが、大事だと思える箇所を列記すると、

 ・マタオラの所に冥界の人が訪ねてくる
 ・マタオラは最初、戸惑うが、冥界では生の食料しか食べないので、それでもてなす
 ・一行は食べた後、踊りを披露
 ・マタオラは一行のなかの一人の女性が惚れて結婚
 ・マタオラの兄弟たちは美しい妻に嫉妬して、もめごとが起き、妻は冥界に逃げた
 ・マタオラは、妻の後を追う。冥界の番人は入り口を通してくれた
 ・地下界の主は、マタオラに入墨を施した
 ・マタオラは血まみれになったが、歌う声で妻は彼と分かり、手当をした
 ・マタオラは妻を説得し、帰途についた
 ・門番は、この門は永遠に閉じると告げる
 ・それ以降、冥界には人間は行けなくなり、魂だけが降りてゆける

 後藤はこの神話に対して解説している。

 マオタラはマオリ族の間では入れ墨を始めた人物とされる。そして神話では彼が最初にマウイに入れ墨を施すのである。南島世界の人々が持っていた伝統的な技術は、精霊や神々から教えられたものであると語られるのが普通だ。マオリの入れ墨は黄泉の国からもたらされた、つまり死と関連する技であると捉えられているのが特徴的である(p.123)。

 この神話でも、生者と死者は行きかっている。けれど、マタオラが最初、戸惑うように、交通は日常的ではなくなっている。現に、地下界は成立しているし門番もいる。そして入墨の入手と引き換えに、霊魂だけが行き来できることになり、門は塞がれる。

 この神話が示唆するのは、他界の空間化が生と死の分離の契機になることだ。分離は、両者の交通に障害をもたらす。だが、まだ交通は可能だ。そこに別の契機、ここでいえば入墨の技術があって、門は塞がれ、分離は確実にされる。分離の確定は、霊魂概念の成立として語られている。(cf.「他界への道を塞ぐ(生と死の分離の契機)」

 マンガイア島では、分離の確定は、生者が死者との交通に利害の矛盾を感じた時になされていた。だから、分離の完成は、いくつかの契機があったと見なせる。

 後藤は、入墨を「死と関連する技」として捉えているが、ここでの視点からいえば、霊魂概念の成立に伴っていることが重要だと思える。

 注。モーリス・レーナルトはニューカレドニアにおいて、「故人」とは、社会的な配属を解かれている状態のことだと言う。

「踊れ、岩山や樹の幹のなかにいる腐ったあの男たちのダンスを踊れ」と祭りの指揮者はいう。
 森のなかのそういう岩山や樹の幹は、空間の最初の分割を示している。つまり生者たちの居住地と故人たちの居住地とが区別されるのである。発達した社会では、この分割はずっと遠くまで推し進められ、もっともらしうく物語化された天国を生み出すにいたる。しかしメラネシアでは、それはごくささやかなものである。岩山や樹の幹は近くの藪のなかにあり、藪はそれらがあることによって聖化されている。だがこの場所で、故人は果たすべき役割を見出す(p.65)。

 琉球弧でいえば、洞窟やアダン林の陰、岩山などが分離の契機になった。この段階でも、死者との交通はありえた。

 死者との交通について、モーリス・レーナルトは書いている。

 ニューギニアのある地方では、骸骨は日中は地面に散らばっているが夜になるとひとつにまとまって、死んだ人々はみな生活をはじめる。他のところでは死者の生活は活気がなく、情熱をともなった生をもたずに地上の生活を惜しみ、生者たちを羨んでいる。だから冥界に下ることは危険な冒険である。死者たちに絶対怪しまれないための方策がいろいろあり、冥界にある食物は一切口にしてはならないとされる。なぜなら生者の食物が生の状態を授けるように、死者の食物は死の状態を与えるからである。そして冥界を訪れる者はとにかく用心深くなければならない。たとえば妻を亡くしたある男は、地下の国で首尾よく妻を見つけたのだが、肝心の用心を忘れていた。彼は妻を連れて出口の近くまで来た。ところが彼はあせっていた。彼は妻が生者の食物をまだ食べ地内こと、あおれゆえまだ死者の状態にあることを忘れ、彼女の腕をひっぱった。すると腕はもげて彼の手に残り、妻の体は崩折れてしまったのである(p.94)。

 後藤はこの例について、「一度死んだ者が現世の食物を食べれば再生することを示唆するであろう(p.125)」と書いている。ぼくには地下の他界を設けた後でも、死者との交通が存在していることが重要だ。後藤はこれをニューカレドニアの例として挙げているが、モーリス・レーナルトの文脈に沿うと、ニューギニアの「他のところ」か、メラネシアのどこかであり、ニューカレドニアを指示してないのではないだろうか。cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』


『南島の神話』

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

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