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2015/05/17

『島嶼経済とコモンズ』

 松島泰勝の「島嶼経済とコモンズ-島嶼の平和と発展を目指して-」(『島嶼経済とコモンズ』)を理解するには、サブシステンス、レント、コモンズという三つのキーワードを理解すればいい。別言すると、この三つの言葉に躓かなければ、身近なことが語られているのが分かる。

 サブシステンス (subsistence) は、この本では「生存部門」と書かれている。イリイチは、この言葉が「辛うじて生存している」人々を指す意味に使われたことから、「私はこの用語を使うべきだろうか」と自問しているように、独自の意味を持たせたいことがわかる。イリイチは、「たとえ経済活動が支払われていようと支払われまいと、私は、形式的な通常の経済的活動の意のままになっている活動にサブシステンス志向の活動を対置させようと思う」(『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』)としている。これでもまだ分からないが、この本で「生存部門」とされていることからすると、家事や育児、イノーや農地から魚貝や作物を得て、献立に加える場面を思い浮かべればいいだろうか。

 松島は、サブシステンス経済は、島嶼経済の優位性だとしている。

 太平洋島嶼が他の第三世界とは異なり、深刻な飢餓等の問題に直面せずにすみ、政治的にも比較的安定しているのは、サブシステンス経済が強固に存在しているからである。

 そのためにも、「自然の維持は重要である」。サブシステンス経済を論じるフェアベーンは、

 島嶼の急激な近代化は社会的結束力を崩壊させ、文化的価値体系を衰退させ、その結果、島嶼の持続可能な発展は失敗に終わるのである。

 という。言い換えれば、「サブシステンス経済は、経済発展の動因を島嶼内部に据えるためのもの」である。

 大規模化しない、できない農地やイノーは、持続可能な発展には欠かせない、それを捉えたのが、サブシステンス経済だと捉えておこう。

 次は、レント(rent)収入。これは「援助金、補助金、入漁料、基金収入等」という説明で勘所はわかる。嘉数啓は、レント獲得活動は島嶼の依存性としてではなく、国際的な所得の再分配として認識する必要がある、としているが、それはその通りだと思える。

 松島は琉球とレント収入の関係について、「振興開発によって琉球経済は自立しなかった」としている。沖縄の場合、「基地と引き換えに」投じられた振興開発資金であり、奄美の場合は、奄振だといえばいい。両者の差は、重要で、奄美から沖縄へ出かけるとすぐに実感できるように、物質的にみた近代化、現代化の落差は歴然としている。この面だけでみれば、豊かな沖縄と貧しい奄美として見えてしまうだろう。しかし、沖縄のコンクリートの充実ぶりの背後には、押しつけられた米軍基地への忍従が横たわっている。

 レント収入の是非とは別に、こうした形でのレント収入は除去されるべきものだ。

 三つ目はコモンズ(commons)。これは、「共有地」、「入会権」、「共同の食事」という意味が込められているが、ぼくたちにはとっても分かりやすい象徴がある。イノーのことだ。多辺田政弘は、

商品化という形で私的所有や私的管理に分割されない、また同時に、国や都道府県といった広域行政の公的管理に包括されない、地域住民の「共」的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)と、コモンズとよぶことにしたい。

 と、している。

 ここで参考になるのは、松島が引いている太平洋島嶼国のコモンズだ。太平洋島嶼国は植民地時代に共有地制から私有地制への移行が強制的になされたが、独立後に共有地制を復活させ、私有地制との併存を決めたことだ。公共の益を妨げない範囲での私有化というのは、重要な視点ではないだろうか。

 また、松島が引いている、トンガの人類学者ハウオファの言葉がいい。

大陸の人である西欧人は「海の中の島」として島嶼を認識し、島嶼は中心から離れ、孤立していると考えた。そして、海に国境線を引き、島嶼を植民地化する過程で島嶼民を狭い空間に閉じ込めた。一方、島嶼民は「島の中の海」を唱え、島と海との緊密な関係を強調する。彼らは国境線のない海を自分の家となし、島嶼間を自由に行き来し、交易をおこない、親族関係を結び、または他の島の人と戦った。島が「小さく、貧しくそして孤立している」という状態が生じ始めたのは19世紀における大陸の人達による植民地化以降のことであり、歴史的につくられたものである。

 「孤島苦」、「離島苦」という言葉にも、大陸の眼差しが色濃く滲んでいるのではないだろうか。

 松島は、尖閣諸島のコモンズ化を提案している。「国境をこえた東アジアの人びとのコモンズにすることが必要である」、と。この本には、倪仁敏(にい じみん)による「釣魚島(尖閣諸島)「棚上げ合意」に関する史的考察」も載せられていて、日中間で、「棚上げ」にされた議論の経緯が辿られている。それによれば、1972年の国交正常化の際に、田中角栄と周恩来のあいだで交わされた。

 鄧小平も、「我々の世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、我々よりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と述べている。なんと大人なことか。言い換えれば、今の政治家には大人がいなくなったということだ。次の世代には、知恵は途絶えてしまった。これは、死者たちに申し訳ないことだ。

 


『島嶼経済とコモンズ』

『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』

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