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2015/05/31

化身・化生・転生・憑依

 霊力思考のもとでは、カミは人に変態するし、人もカミに変態することも、動物、植物に変態することも可能だった。蛇婿譚やエイ女房譚、化け猫等は、その思考の痕跡を示す民潭。物言う動物の系列も。

 霊魂思考の強まりとともに、そこに変化が生じてくる。

 1.トーテム

 人は、動物や植物、自然物の化身である。

 2.化生

 植物から人が生まれる。排泄物が宝物になる。人の死体から植物が生まれる(ハイヌウェレ神話)。

 3.転生

 人が死後、動物や植物に生まれ変わる。

 4.憑依

 人に動物が乗り移る(狐憑き)。人が人に乗り移る(六条御息所)。

 5.鎮魂

 人がカミ(神)になる(生き神、来訪神、祝女)

 6.感精

 カミが人(女性)に精を吹き入れる

 ラフだけれど、1~5とともに、霊魂思考の強度が高まると考えられる。この推移には、カミとしての動物や植物、自然物が、零落していく過程が対応する。言い換えれば、人間が自然から自身を区別し、神を至上のものとする一方で、自身を神として位置づける過程だ。

 6だけは別系列で、性認識を得た後に生まれたものとみなした。

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2015/05/30

「アースダイバー(古層Ⅰ-縄文系)」

 中沢新一は、「縄文と弥生の見分け方」について、書いている。

 縄文人は、自然エネルギーの全体量が、つねに一定に保たれているような世界を生きている。狩猟や採集中心の彼らは、動物や植物に姿を変えた自然エネルギーを、自然の霊力の主(モノヌシ)からの贈与としての贈与として受け取っている、そのとき、自然界から人間界へのエネルギーの移動がおこるだけで、全体としては、エネルギー総量の増減はおこらない。
(前略)水田による稲作をはじめた弥生式の社会では、自然にたいして投入された量よりも、ずっと量の大きい収穫がもたらされる。人間の開拓した領域でだけ増殖がおこり、自然循環からもたらされるものをはるかに超えた「利潤」がもたらされる。弥生社会でjは、そういう利潤の思想に合致するように、宗教や文化もその形を変えていった。
 そこでは、狩猟で殺した動物の霊を、もとの循環に送り戻すために、儀礼をおこなうのではなく、循環を超越した「神」に向かって、生け贄や供物の捧げ物をおこなう宗教が発達する。そういう儀礼で、豪勢な動物の供物などが捧げられているのを見て、「いかにも縄文的だ」と考えるのは、間違った「アルカイズム幻想」である。そこにあるのは、すでに弥生式のイデオロギーによって変形された、狩猟文化にほかならない。

 よく分かる、と言うべきだ。中沢が「縄文」と言っているのは、ぼくの言葉に置き換えれば、霊力思考の全面的な展開であり、「自然界から人間界へのエネルギーの移動がおこる」のは、霊力の転移だ。

 「生け贄や供物の捧げ物」は、霊力思考に対して霊魂思考が分離し、前面に立ったものに他ならない。

 ぼくがまだうまくつかめていないのは、「ふゆ」の祭儀を通した霊力の増殖が、琉球弧ではどうなっているのか、ということだ。年中、緑にあふれている琉球弧では、霊力は活動を止めない。「宇宙エネルギーの大いなる交換と循環」の「再開」である「はる」が、冬との明瞭な区別をつけていない。それでも儀礼的にあるのか、むしろ夏の盛りを衰弱の時期ととらえて儀礼を行なうのか、確かめなくてはならない。

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2015/05/29

「沖縄古代の生活-狩猟・漁撈・農耕-」(島袋源七)

 狩猟から農耕にいたる考察として島袋源七が「沖縄古代の生活-狩猟・漁撈・農耕-」(『村落共同体:叢書わが沖縄〈第4巻〉』)があった。さすが国頭出身の人だ。

 と思ったものの、狩猟については思いの他少なく、漁撈中心の論考だ。

 千葉徳爾が猪に照準しているのに対して、島袋は猪の前段の鹿(コウノシシ)について、慶良間に残存した狩猟方法を挙げている。

荒目の網を造り鹿の通路に張り廻し大勢の人々が太鼓や鉦(しょう)等を撃ちながら追い込んだものである。鹿は網目の中に角をかけたり、脚をかけたりして捕えられたもので追込式猟法である。

 漁撈は、漁場(ナバ)という言葉が示す通り、境界の観念を持つようになる。

 大宜味村に現存するものを参照すると、「部落境界線を基準とし海へ延長した線内がその部落所有の漁場となるごとく、以て昔の習も推定することができる」。この延長戦を「見透(ミトウシ)」という。

 平安座島では、「干潮時において大男が徒渉して漁猟できる範囲内が部落所有の漁場で、徒歩できない深い処、すなわち舟でなければ漁猟できない地域は、共同魚場で、各部落の共有となっている」。

 各漁場には、「部落の支配者や祝女」所有の漁垣(ナガキ)が造られてあった。小潮時に使用する垣は海岸近く、大潮時に使用するものは遠ざかったところにある。漁垣(ナガキ)私有は祝女一人に限られた。祝女垣は陸上における御嶽のように尊崇された。

 つまり、祝女の漁垣(ナガキ)私有が、琉球弧の土地所有の嚆矢ではないだろうか。

 漁場(ナバ)が荒らされないように見張るのも集落民の務めだったが、祝女は仲裁に入ったり、戦神霊(イクサセジ)を降ろして作戦にも加わった。

 ウンジャミなど、海に関する祭儀は、祝女垣で行われた。

 島袋は、歴史的推移を仮説している。

 1.漁(イサリ)時代
 ・素手で岩陰にこもった小魚をつかみ取る。夜の漁も同様。

 2.漁垣(ナガキ)時代
 ・祝女はこの時代に確立

 3.漁垣と漁網併用時代
 ・約500年前

 4.遠洋漁業時代
 ・現在

 この区分はあまりに海人を見くびっていると思う。はやい段階から3までは至っていただろう。初期に、漁垣(ナガキ)も存在したに違いない。

 蘇鉄が15世紀、甘藷が17世紀渡来だから、「これより以前の主食物が五穀」である、としている。島袋は、その時期に触れていないが、「稲作行事は農作物のすべてを代表して最も古くから行なわれていたと見てよい」としている。ここには何か不自然な遡及がある。古来からの稲作への言及は、日本化の強迫を伴っているようにみえる。

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2015/05/28

ヨリアゲマキウ

 貝塚時代前3期(5000年前)から定着期に入る。それは、猪猟から漁撈中心への転換だった。漁猟による定着をよく示しているヨリアゲマキウについて、稲村賢敷の『沖縄の古代部落マキョの研究』(1968年)を読んだ。(ヨリアゲ「魚着き浦」、谷川健一)。

 ぼくは、定住により平地に移ったと想像していたが、海岸に近い所ではあるが、「彼等の居住の場所としては、殆んど例外なしに山の頂か丘陵の上にマキョの居住地を営んだ」、とある。

 稲村はヨリアゲマキウだけではなく、その他の名称のマキョも調べたうえで、その31個所について整理している。

 1.山岳の頂上 8
 2.海岸に近い小丘の頂上 7
 3.丘陵上 9
 4.山岳の中腹 5
 5.平地 2(ただし、これは古代部落ではない)

 稲村の結論としては、「その総てが始めから平地にあるものは一つもなく、山や丘陵の上にあった事になっている」。稲村はその理由として外敵からの防御を挙げている。

 ぼくは、何千年も続けてきた遊動生活の場を離れるという発想がなかったのではないかと感じる。

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2015/05/27

『オール沖縄 VS. ヤマト ―政治指導者10人の証言』

 ちょっと挑発的なタイトルに見えるかもしれないが、沖縄の「政治指導者」10人にインタビューしたもので、そこから沖縄の民意のありかを探っていこうとするモチーフで書かれている。著者、山田文比古の見識をさしはさもうとしない誠実さが感じられる、とてもいい本だ。

 日本と沖縄の問題を、奄美の場合は、鹿児島と奄美の問題として捉えるとわかりやすいところがある。沖縄に対する日本の無関心と差別は、奄美に対する鹿児島の無関心と差別に似ているからだ。しかし、対比はここまでで、まったく違うのは、沖縄の場合は、基地という日米間の問題に直結しているところだ。ここで、問題の水準に格段の違いが出てくる。

 そこで感じるのは、沖縄の政治家の発言の厚みだ。この厚みは、敗戦以降の苦渋が培ってきたもので、本土の政治家よりはるかに現状把握が的確なのではないかと思わせる点もあった。

 インタビューの時期が絶妙で、知事選の前に行われているから、誰の把握がもっとも的確かが、白日のものとに晒されている。それをあげつらいたいわけではないから、もっとも的確だと感じた人物だけ挙げれば、それは稲嶺惠一元沖縄県知事だ。その的確さは、彼が政党や政治家の動きで情勢を語らずに、人やサイレント・マジョリティの動向によって語ることに由来しているように思えた。

 彼の状況認識でなるほどと思ったことを引用すると、

 私が知事としてラッキーだったのは、その世代が政治の表舞台に立っていたからだ。山中貞則先生をはじめ、橋本首相、梶山官房長官、小渕首相、野中官房長官など、みなさんが心情的に沖縄に思いを寄せてくれていた。そうした沖縄に同情的な世代が今やいなくなってしまったことが大きい。

 これは、日本政府の動きとぴたりと対応する。ことは、沖縄のことだけではない。沖縄に思いを寄せる人がいなくなったということは、沖縄のことに限らず、戦死者の重みに思いを寄せる人がいなくなったということだ。こういうところで、沖縄の問題と日本の問題は同期しているのだと思う。敷衍すると、日本人が日本政府の横暴に無関心でいるように見えることと、沖縄に無関心でいるように見えることはパラレルなのではないだろうか。

 語られることがなくなった敗戦、経験した人がいなくなった敗戦は、学ばなければならないものへと変わる。沖縄でいえば、奄美も同じく、固有の歴史が、学ぶべきものになるということだ。


『オール沖縄 VS. ヤマト ―政治指導者10人の証言』

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2015/05/26

『戦場ぬ止み』

 「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ)。戦場に止めを、という意味だ。現在の琉歌から採られているとはいえ、大和言葉を琉球語読みしているので、二重に分かりにくい。けれど、その分だけこの言葉が呪言(クチ)のように響いてくるし、それで当たっているのだと思う。

 ひときわ存在感を放っているのは、島袋文子さん(85才)。米軍の手榴弾、火炎放射器を洞穴で浴びてなお生き残った彼女は、人生の落とし前をつけるように、工事トラックの前に立ちはだかる。私をひき殺してからきなさない、と。ふと、「女や戦ぬさきがけ」(女は戦争のさきがけ)という言葉を思い出した。しかも率いているのは、沖縄という船ではない。彼女が実現したいのは、日本を優しい国にしたいということだ。本土の沖縄化。それは、本土にも基地を作れという意味ではない。本土もかつての沖縄のような優しい国にしたいということだ。これが「戦場ぬ止み」という呪言が実現したいことであり、彼女はまるで日本という船を率いているようだ。をなり神はすごい。

 辺野古基地建設阻止の運動を率いるリーダーの山城博治さんの動きには敬意を覚えた。彼は、怒ったかと思えば笑わせ、笑ったかと思えばな泣く、そして踊る。彼の人柄は、この運動をやわらかで自由で闊達なものにしていると思えた。大衆運動は、窮地にあるひとりの仲間を全員で助ける。自己責任なんて言ったら成り立たない、という言葉には、新しいコミュニティの萌芽すら感じた。

 三上智恵監督の意図なのかは分からないが、ここにはいわゆる活動家は出てこない。イデオロギーがあるわけではない。駆けつけているのはふつうの島人たちだ。その分、あまりにも柔らかく壊れやすいものが、あまりにも硬くて壊れないものと衝突していることが、手に取るように伝わってくる。しかし、三上監督は、建設を進める者も、容認する者も、反対する者も生身の人間であるという視点を手放さずに映し出していた。この映画はもちろんハードなテーマを扱っているのだけれど、伝わる印象がとてもソフトなのは、そういう監督の視線からやってくる。その分、過剰なハードさを装う政府の姿がその対極に浮かび上がってくるようだった。

 上映が終わると会場からは拍手が湧いた。ぼくは先行上映を観に行ったのだが、本上映は7月からとある。それは動かせないにしても、事態はいまも進んでいることを思えば、はやく上映してほしいと願わずにいられない。


 公式サイト:『戦場ぬ止み』

 cf.『戦場ぬ止み: 辺野古・高江からの祈り』

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2015/05/25

猪猟・性・シニグ

 琉球弧では、貝塚時代前2期(6000千年前)までは、イノシシが主体で出土する。千葉徳爾(『狩猟伝承研究(続)」1971年)によれば、琉球弧は離島にもかかわえらずイノシシは著しく繁殖している。1960年代の統計では、著しい捕獲地域は、西表島、国頭、奄美大島西部で、イノシシが棲息しにくいは、隆起珊瑚礁からなる宮古、沖縄島南部、喜界島等。なかでも、国頭は沖縄全域の約半数、奄美大島の約三分の二を捕獲する。イノシシ時代の琉球弧の中心地は、国頭だったのではないだろうか。

 もっとも古い猟の方法は、「犬を使用し槍で突留める方式であり、奄美大島ではイヌヤマ、国頭地方でインビチ(犬引)と称する」。「沖縄国頭地方では現在では突くときこれをシシに投げて突く者が多いが、老人にきくともとはかまえて突くものであった」。

奄美大島では山中で猪の群にあうとき、七匹いればその中に山の神が猪の姿でまじっているという考え方がある。或いは白猪を神の姿とし、これを捕ったら人に語らず山中に埋めておく。また、毛をとって内臓を出した後、腹を天に向けてねかせ、その両前肢を打ち合せて祈らせてから料理する方法もある。

 国頭では、捕った猪は家に持ち帰り、キモを出し、皿にのせ、山の方へ向いて山の神へ感謝する。狩人のつとめとしてはこれだけで、「本土の狩猟のようなきびしい物忌あるいは山の神に対する禁忌の習俗というものは特に語られていない」。

山の神という神格が狩猟者の尊崇する対象であること、この神の具体的な形が明確ではないことは本土と同じであるばかりでなく、その信仰形態が基本的に同一類型に属することは疑いない。

 これは、山の神が、山のカミと書くのがふさわしい精霊の段階にあるからだと思える。

 「奄美地方では山の神はあまり重視されていない」。「山では山の神よりもむしろケンムン(怪の物の訛?)を恐れ、山中では山羊・ケンムン・猫(マヤという)などの言葉を口にすることをつつしむ」。

 名瀬の山の神祭では、模擬狩猟をしてみせる。これを山祭という。「山や死不浄嫌い、生き不浄嫌わん」ということわざがある。「女が銃に手をふれ、またこれをまたぐことは獲物が多くなることを意味すると考えている」。国頭や八重山では、狩りに出る途中で「髪をふり乱した女性に遭った場合には、猪はとれないと考えられている」。


 さて、山祭の他に猪にまつわる祭儀といえば、シニグを思い出すが、千葉徳爾は別の場所でこう書いている。

国頭安田では男たちが裸で山上に登り、山を拝した後、径四、五尺の洞穴をめぐりながら三度ずつ持っている木の枝でつつき、山を降ってそこで待っている女たちの頭を扇であおぎ、また腰を打つまねをする。これは全国各地に見られる削りかけの様で女の腰を打ち、ハラメハラメと呼ぶ男の子の遊びに通ずるものであろう。削りかけは岩手県西部で山の神様がお好きだといって薪の棚に立てかけておく。この男たちの持つ木の枝が、もとは男根であたのではなかろうかと多和田真淳氏は考えている。その理由として氏があげるのは、伊是名島のシヌグは太平洋戦争前には、男子は山中の大木の根の空洞に向って、各自の前をひろげて男根をさしつける動作をするからである。これも大木を山の神の仮の姿にみたて、シヌグの含む農耕、捕獲、漁業など、えものの豊かに生み出されることを願う意義をもつ、そのための生殖行為を模擬的に行なってみせる儀礼だったものと私は判断してみたい。(「日本民俗学85号」1973年)。

 安田の男たちが洞穴をつつく木の枝は「もとは男根」というのはその通りなのだと思う。ただ、狩猟儀礼としての本体は奄美の山祭のように、そしてシヌグでも行なわれるように「模擬狩猟」である。この性的な行為は、山のカミと密接に絡むが、狩猟儀礼にも来訪新儀礼にも当てはまる両義性を持っている。しかも、洞穴をつつく、男根を洞穴に差し向けのるのは、山を降りて女たちの腰を叩くのとセットになっているので、来訪新儀礼のなかに包括されるように見える。ただ、千葉によれば「東北日本の山の神信仰では男根を供える場合が稀でな」いとしているので、両義性は失われない。

 浜比嘉のシヌグでは神人らが全裸となって踊ったという伝承がある(河村只雄『続南方文化の探究』)。また、本部のムックジャでは、こうだ。

 毎年旧六月十五日になると、祝女や神人が神アシャゲに集まって祈願をなし、それに引き続いて字内の青年男女各一人(十八歳)を選んで裸体にして、顔だけを被いで舞はしたのである。
 唄に和して舞い、遂には相抱擁して、全く交接の動作を演ずるのである。
 昔、若い男女(未婚者)がその真似を極度にしたために、その後は老人を選出して挙行せしめていたらしいが、現金では最早見る事が出来ないようになってしまった。(島袋源七『山原の土俗南島説話』

 ムックジャは、浜比嘉シヌグの全裸踊りと似ている。というより同じものだろう。これらは、伊波普猷が「正視しえられぬほどのきはどい事」と談じた内容を伝えるものだと思う。(cf.「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」

 このように、シニグには性のイメージが濃厚だ。ここでの性儀礼は少なくとも二層ある。

 来訪神儀礼
 1.女性性としての山とそれに対置される男根
 2.死者の領域である山に登ることで死に近づき、来訪神として再生し山をくだる

 農耕儀礼
 3.性行為と豊穣とを同一視する

 1については、狩猟段階にもあったかもしれない可能性を持つ。

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2015/05/24

『ハワイ・南太平洋の神話』

 後藤明の考察は、『「物言う魚」たち』で味わっているので、『ハワイ・南太平洋の神話』については、新たな気づきをメモしておきたい。

1.仮面

メンドンと瓜二つの仮面来訪神は、女護島の神話を持つ、メラネシアのニューブリテン島一帯でみられる。ここメラネシアは仮面来訪神と秘密結社の宝庫である(p.9)。

 ここで後藤は、バイニング族のガヴァットの写真を挿入しているので、仮面とはそのことを指していると思う。ぼくもメンドンを実際に、見たときに、真っ先にガヴァットを思い出した。ただし、メラネシアで豊富にみられる仮面は、死者や精霊を示したものが多く、来訪神以前の仮面なのだと思う。

2.沖縄のエイ女房譚。

 男が釣りをすると大きなエイを釣ってしまう。エイは美しい女に姿を変える。二人は夫婦になる。妻は美味しい酒が湧き出す壺を持っていた。男は毎日その酒を飲んでいたが、ある日、もうこんな酒は飲みあきた、と言った。すると女は白い鳥に姿を変えて飛んでいった(後略、p.15)。

 この伝承は羽衣神話と似ている。この神話は霊魂観念の存在を示唆している。また、脱皮による不死の人間観を持ったところでは、受容されやすい型なのだと思う。

3.近い島を目指すのに頼りになるのは島。遠い島を目指すには星。「南太平洋には独特の星座観があった。星座の名前には、鮫、魚、亀、海鳥、鼠などの動物が使われた(p.44)」。

 これは、エイを意味する言葉が、琉球弧ではハエ(南)を意味することになったという崎山理の考察を思い出させる。石垣島の群星御嶽など、宮古、八重山には星との関わりが深くなるのも遠い航海が背景にあるのだろう。

4.マンガイア島。世界は椰子の実のようなものとして認識されている。「その実には太陽と月が通る穴が開いてる(p.48)」。マンガイアといえば、生と死の分離と他界の遠隔化の伝承を持ち、惹かれてきた(cf.「他界への道を塞ぐ生と死の分離の契機」)。そこには、太陽(ティダ)の穴もあるなんて、ますます惹かれる。琉球弧の「太陽(ティダ)の穴」も同様の世界観を持つのかもしれない。

5.長い間、海を渡ってきた人々の世界観の特徴。人々は東からの向かい風に逆らって航海した。そのため、東、北へ向かうのを登る、西、南へは降りると表現する。

だからその航海は日の出ずる場所に向かう水平移動であると同時に、天に向かう垂直移動でもあった。水平線を見れば、空と海が交わっている。しかしそこに辿り着くとまたその先に空がある。人々は大海原に時おり架かる虹を見て、世界も虹のように層をなしていると考えた。今見えている水平線まで辿り着けば、天空界の第一に辿り着く。その先には第二、第三の層があると(p.49)。

 なるほど、天の階層化は星による移動を示しているということか。北方のシャーマニズムが盛んな地域ても天は階層化されているが、彼らも星を頼りに遊牧しているということだ。また、琉球弧の天は階層化されていないのは、島づたいで行ける範囲が多いからだ。逆に、宮古ではあってもおかしくない。狩俣には天と地の対置が見えるが、宮古島は、天を想定しやすい位置を持っているのは確かだ。

6.入墨

 入れ墨は基層文化であるラピタ文化がすでに持っていた風習であることはほぼ間違いない(p.79)。

 後藤は、入れ墨とそれが異界からもたらされたことの結びつきを強調している。ぼくは、それと同時に、入れ墨技術の入手のあと、異界へ行けるのは霊魂だけになったという箇所が重要だと思う。霊魂と入れ墨がつながり、生と死の分離の完成を意味すると示唆するように見える。cf.「入墨と霊魂」

 また、ラピタ文化が入れ墨を持っていたことは、縄文時代後期(4000年前)に仮面を表現した土偶、土製の仮面が出現することと矛盾していない。

7.死の発生

死を知った人間は日常生活においても死を恐れるようになる(p.148)。

 何気ないことばだけれど、はっとさせられた。死を恐れるようになれば、死者と縁を切り(エンガチョ)、死者を遠ざけるようになる。これは生と死の分離を意味すると思える。するとやはり、死の起源譚はそこを指し示しているだろうか。

8.死霊崇拝

 ソロモン諸島のマライタ島では、「生と死の境界線がわれわれとは違う所に引かれている(p.153)」。死者は、「生きているときよりも、もっと霊威の強い存在として、子孫の生活に影響を与えつづけるのである。そしてランガランガでは、村が移住したりすると、そこの聖域に祀られていた魂はいよいよ墓に入るのである(p.155)」。

 これが死霊崇拝ということだと思う。

9.「祖先祭祀とともに、メラネシア世界は神話的な形を失う」

 レーナルトによると死後の世界はメラネシアにおいては、祖先祭祀とともに神話的な形を失うという。なぜなら人々の生活する風土のそこここに祖先の魂が存在するからである。つまりこの世界は死者と生者がいる居住地を構成する一切のものを包含している。死者はこの全体のなかのどこかに位置を占めていて、神から区別されないと同時に世界からも区別されない(p.155)。

 「祖先祭祀とともに、メラネシア世界は神話的な形を失う」。これは、モーリス・レーナルトの『ド・カモ』のなかでも、もっとも重要な言葉のひとつだ。レーナルトは書いている。

 神々は地下の国で踊っているとされるが、夜に不毛の場所で岩や樹々と一緒に踊ってもいる。生者は、生者にふさわしい場所と死者にふさわしい場所を区別し、そういう「岩穴や樹のうろ」を選んで死体-神をおさめた。すると、そういう場所は、居住地や草原、山からなる全体と区別されなくなる。死体-神ということは、「人間が未だ自己を世界から分離することのできないほど世界に融即している段階に帰属するものである(p.105)」。

 レーナルトが言っているのは、他界が空間化の契機を持ち、また空間化された後でも、死者がそこで踊っていると観念されている間は、生者と死者はまだ共存している、ということだ。そこではまだ自己と世界は分離されていない。つまり、自己幻想も共同幻想も未分化なままだ。

 けれど、「「岩穴や樹のうろ」を選んで死体-神をおさめた」ときは、すでに生と死は分離の契機を得ている。ぼくの方からみれば、生と死が移行の段階に入った時、世界は神話的な形を失いはじめるのだ。死は、トーテム・センターや父祖の地への帰還であり、いずれ再生するという永遠の現在ではなくなり、死者がそこにいると思考されるようになったときだ。


『ハワイ・南太平洋の神話―海と太陽、そして虹のメッセージ』

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

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2015/05/23

琉球弧の作物起源神話の濃度

 丸山顕徳は、『沖縄民間説話の研究』のなかで津堅島の蛇退治の説話と祭儀を紹介している。後藤明が『「物言う魚」たち』で要約しているので、それを引用する。

 海に棲む大鰻が毎年一度、陸に上がり人間を食っていた。食わないと村中を暴れ回るので、あるとき、くじで当たった者を犠牲にしようということになった。ところが、十七、八歳の若い娘が当たってしまう。それで家族が困っていると、御蔵里之子という大名が通りかかり、それを阻止するために作戦を授ける、鰻が好きな酒を瓶に入れ、それを鰻の通り道に置いておく。そしてその上に櫓を建て、おとりの娘を立たせるというのだ。鰻が上陸して瓶に頭をつっこんで酒を飲んでいるときに、武士が太刀で斬りつけて鰻を殺してしまうのである(p.128)。

 この説話にちなんだマータンコーという祭儀もある。男性二人が長者として選ばれる。二人は上座に座るが、とても名誉なことだとされている。マータンコーは、蛇退治であるが、同時に長者の誕生を祝う意味もあった。儀礼の本質は、蛇を忌み嫌うのではなく、ニライカナイからやってくる豊穣神を迎える儀礼であると言える、と後藤は書いている。蛇の形をした来訪神だ。

 琉球弧では、死体化生型の作物起源神話は希薄だ(cf.「女の作った御馳走」)。かわりに上記に見るような、作物やその種がニライカナイからもたらされたとする神話が一般的である。

持ってくる方法は、人間ないし動物が盗んでくる、あるいは彼岸の神や動物が自主的に持ってきたとするのである。動物の場合、鳥であるケースが多い。鳥は運んでくる最中、まちがって種を地上に落としてしまって、そこから作物が生えるのである(p.218)。

 海と関係する場合、鯨がニライカナイから種子をもたらしたとするものがある。大林太良は奄美に見られるこのモチーフに対し、死体化生型と漂着型の結合をみるが、後藤は同時に、「人食い大蛇や鰻の腹に財宝が宿るという観念と通ずるものであろうと思う(p.218)」としている。後藤は南太平洋に広がるこのモチーフとの親近性からそう言っているわけだ。

 ぼくは、琉球弧において、作物の起源が来訪するものだという観念が強いのは、農耕の存在を知りつつそれを行わず、来訪神のような他者によってもたらされたという歴史を物語るのだと思う。と同時に、女性の殺害が有用植物をもたらしたという観念が希薄だということも気にかかる。オナリ女も犠牲にされるよりは、神の地位を得ていった。これは、女性(母)の殺害という原罪についても、琉球弧は希薄であることを示すのではないだろうか。

 大林太良は「南島稲作起源伝承の系譜」(『南島の稲作文化―与那国島を中心に』)のなかで、与那国島の例を挙げている。それは「稲盗みモチーフ」に属するが、起源については何も語っていない。

往時は、死後最初の壬癸の日にサガイ(幽明鏡を異にする境の意)と言う祭事が行われた。その日、死者に一番近い男女を選び出した。その数は必ず奇数で五人が多かった。この選び出された人々は、死人の家の門外西側に鍋を据えて、蟹と韮の葉を煮たてて、その汁を飲み、稲の穂を噛みつつ、墓と家の間を七回往復するのであった。その間に家の中では焼香を終るのであった。韮の葉と稲の穂は盗み物に限った。

 これは別の意味で驚く習俗だ。これは、食人の変形である。食べるのが「蟹」であることも、再生するものへの見立てが感じられる。食人は、「添い寝」以外に蟹汁を飲むことにも変形されたのだ。変形の思考はとても柔軟なものだと思う。

 宮古では、穀物の種子を盗むのは女であり、陰部や下着のなかに隠す。この隠し場所は、宮古の冥界訪問譚と同じだ(cf.「『南島文学発生論』再読、シニグ考」)。どれも生まれる場所という意味が込められている。


『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』

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2015/05/22

「琉球の宗教」、移行としての生と死

 折口信夫の「琉球の宗教」。

海岸或は、島の村々では、其村から離れた海上の小島をば、神の居る処として遥拝する。最有名なのは、島尻シマジリに於ける久高クダカ島、国頭クニガミに於ける今帰仁ナキジンのおとほしであるが、此類は、数へきれない程ある。私は此形が、おとほしの最古いものであらうと考へる(p.44)。

 こういう記述を見ると、ニライカナイが遠隔化される前は、久高島も他界の島だったかもしれないと思わせる。

古代に於ける遊離神霊の附著を信じた習慣が一転して、ある人格を透して神霊を拝すると言ふ考へを生んだ様である。近代に於て、巫女を拝する琉球の風習は、神々のものと考へたからでもなく、巫女に附著した神霊を拝むものでもなく、巫女を媒介として神を観じて居るものゝやうである(p.45)。

 これをぼくなりに咀嚼すれば、「憑依」に霊魂思考からの概念を与えた時、巫女はカミ化されたということだ。

此守護霊を、琉球の古語に、すぢ・せぢ・しぢなど言うたらしい。近代に於ては、すぢ或は、すぢゃあは、人間の意味である。其義を転じて、祖先の意にも用ゐてゐる。普通の論理から言へば、すぢゆん即、生れるの語根、すぢから生れるものゝ義で、すぢゃあが人間の意に用ゐられる様になつたのだ、と言ふことが出来よう。然しながら、更に違つた方面から考へれば、すぢが活動を始めるのは、人間の生れることになるのだから、すぢを語根として出来たすぢゆんが、誕生の動詞になつたとも見られよう。其点から見ると、すぢゆんは、生るの同義語であるに拘らず、多くは、若返る・蘇生するなどに近い気分を有つて居るのは、語根にさうした意味のあるものと思はれる。後に言ふ、聞得大君御殿チフイヂンオドンの神の一なる、おすぢの御前は、唯、神と言ふだけの意味で、精しくは、金のみおすぢ即、金の神、或は米の神、或は楽土(かない)の神と言ふ位の意味に過ぎない。而も其もとは、霊魂或は、精霊と言ふ位の処から出て居るのであらう。琉球国諸事由来記其他を見ても、すぢ・せぢ・ますぢなどを、接尾語とした神語がある。柳田国男先生は、此すぢをもつて、我国の古語、稜威イツと一つものとして、まな信仰の一様式と見て居られる(p.47)。

 「すぢが活動を始めるのは、人間の生れることになる」ということは、やはり霊力に該当するのはセヂだろうか。「すぢゆん」につながるのであれば、なおそういう気がする。

琉球神道の上に見える神々は、現にまだ万有神である。恐しいはぶは、山の神或は、山の口(蝮クチか)として、畏敬せられ、海亀・儒艮ジユゴン(ざん=人魚)も、尚神としての素質は、明らかに持つてゐる。地物・庶物に皆、霊があるとせられ、今も島々では、新しい神誕生が、時々にある(p.58)。

 「海亀・儒艮ジユゴン(ざん=人魚)」も「神としての素質」あり。

而も其中、最大切に考へられてゐるのは、井カアの神・家の神・五穀の神・太陽神・御嶽の神・骨霊コチマブイなどである。大体に於て、石を以て神々の象徴と見る風があつて、道の島では、霊石に、いびがなし〔神様〕といふ風な敬称を与へてゐる処もある。又一般に、霊石をびじゅるといふのも「いび」を語根にしてゐるので、琉球神道では、石に神性を感じる事が深く、生き物の石に化した神体が、沢山ある。井カアの神として、井の上に祀られてゐるものは、常に変つた形の鐘乳石である。此をもびじゅると言うてゐる。ある人の説に、びじゅるは海神だとあるが、疑はしい(p.58)。

 石に霊力を認める信仰は最古層と言ってもいい。

日本内地に於ける神道でも、古くは神と人間との間が、はつきりとしない事が多い。近世では、譬喩的に神人を認めるが、古代に於ては、真実に神と認めて居たのである。生き神とか現つ神とか言ふ語は、琉球の巫女の上でこそ、始めて言ふ事が出来る様に見える。即、神人は祭時に於て、神と同格である(p.78)。

 「古くは神と人間との間が、はつきりとしない」。区別がはっきりしないということは、モーリス・レーナルトがニューカレドニア人についても頻繁に使った言葉だった。

 メラネシアでは「人間」に当たる語はなく、「神」も明確ではない。「人間と神」は、「生者と神化された故人」と言い換えたほうが妥当になる。

 カモは「生きている者」。しかし、ここで「生きている者」に人間と動物や故人との差はない。(cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

こういう少年に物語を語らせてみると、話のなかにはカモ(生きている者-引用者注)が登場する。カモは飛び、泳ぎ、地下に姿を消したりする。しかしそのつどどれが鳥であり、魚であり、故人であるとわざわざ断ったりはしない。語り手は、さまざまのお話にしたがって主人公の人物がとる姿を追いかけていくが、その人物は目に見える相は変えてもカモとしての身分は変えない。ちょうどいろいろな衣裳を取り揃えてもっている舞台の登場人物のように、絶えず変装を変え、変身していくのである(p.49)。

 カモという言葉のおかげで、「カナク人は生者がありとあらゆる姿に変身するのについていける(p.49)」。これは「人間」という概念では不可能なものの見方だ。

私の友人のタビがした経験は、きっとそういうものである。彼はカヌーの上に一跳びで乗り上げてきた鮫を逃がしてやったことがある。というのは、斧で止めを刺そうとした瞬間、彼は鮫に人間的なまなざしを認め、「これは祖先だ」と思ったからなのである(p.50)」。

 ここでは、トーテム原理がまだ生き生きとしている。カモとは「人間らしい雰囲気をもった生きた「人物」のこと」。

 そこで、死者が生者のなかにまじることが起きる。このエピソードは以前も引用した。(cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

 神化された故人はバオと呼ばれる。だが、ここに神化のプロセスはない。「不可思議な力をもった人々とか見慣れない人々、そして老人たち」もバオであり、死体すらバオである。だが、故人は死者を指すとは限らず、狂人も故人とみなす。それは、社会的な配属を解かれたという意味を持つ。故人は、「岩山や樹の幹」に祭壇が建てられると、神化は完成し、新しい役割につく。

社会は生者と神とからなり、両者はつねに交渉している(p.65)。
メラネシアの言語には厳密な意味で「死ぬ」という動詞に翻訳できる語はひとつもない(p.66)。

 かくして、死という観念は存在しない。生のあり方は、可視と不可視という二つの相を持つ。

 モーリス・レーナルトの観察は、移行の段階としての生と死をよく捉えていると思う。そこでは、死はまだ存在していない。人は死なない。ということは、「死の起源神話」は生と死の分離の段階におけるものだということになるだろうか。後藤明は、『「物言う魚」たち』のなかで、脱皮型の死の起源神話は仮面習俗の分布と共通していると指摘していたが、それとも符合する。

 そして、折口信夫が言う「古くは神と人間との間が、はつきりとしない」ことは、この移行としての生と死の段階に発生の根拠を持つように思える。「生き神とか現つ神とか言ふ語は、琉球の巫女の上でこそ、始めて言ふ事が出来る様に見える。即、神人は祭時に於て、神と同格である」。至言だと思う。異族の神である天皇に、ある意味では本土以上に、かつイデオロギーなしに自然に入れ込む根拠はここにある。むしろ、異族の神である天皇を崇拝した琉球弧ではなく、崇拝を復古させた本土に対して驚くべきなのかもしれない。


『古代研究〈1〉祭りの発生』

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』


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2015/05/21

『南島文学発生論』再読、シニグ考

 ウンジャミをシュクの到来に対する予祝祭だと考えたのは、『南島文学発生論』の谷川健一だった。

 そして、同時に行われる猪取りの模倣については、谷川は後代のものだと位置づけている。

この安田のウンジャミ祭の猪取りは国頭でさかんな猪狩の光景を模倣した儀式である。それとても、もとをたどれば鼠や猪のような農民の外敵を海の彼方に送る行事の変容にほかならない。

 しかし、漁撈以前に重要だった「猪狩」を、農耕以後に意識化された「鼠」と同列には葬ることはできない。琉球弧の生業を考えれば、シニグはもともとそう呼ばれていたかどうかはともかく、猪猟の予祝祭として捉えるべきだろう。(cf.「「ウミアッチャー世」と「ハルサー世」」)。

 そして、伊是名島のシニグでは少年たちが男根を山中の大木の空洞にさしつける(p.29、『地下他界』)ように、そこでは男子結社による少年のイニシエーションを含む儀礼としてあったはずである。

 貝塚時代前3期、約5000年前に珊瑚礁の魚貝に頼るようになって、ウンジャミの成立根拠が生まれる。

 垣にはそれぞれ「ウガンジュ」(拝所)、あるいは願所という社が海岸近くにあって、霊石霊水を神体として祈願している。獲物の中から最もよい魚数匹を、その社に奉納謝礼して、その式が済んだら土中に魚類を埋めて、常に神の加護を祈りつつある(喜舎場永珣『八重山民俗誌』)。

 珊瑚礁に垣をつくり、魚たちの囲い込みをしたとき、海のカミに対して魚を埋め、魚たちの増殖の儀礼を行ったのだと思う。漁撈の開始は、定住を促したことはヨリアゲマキウの存在からもうかがえる。

 古代琉球の村落はスクの寄ってくるイノーを頼りにして営まれた。この推測を裏付けるのが十八世紀初頭に編纂された『琉球国由来記』に見られるヨリアゲマキウの名を持つ集落である。ヨリアゲというのは魚や貝や海藻や流木などが寄ってくるという意であり、マキウは血縁を中心とした小集落のことで、本土のマキにあたる。それが集落や御嶽の名のもとになったということは、南島の古代のくらしが海の彼方からもたらされるめぐみにすがっていたことを告げるものにほかならない。(谷川)

 与論の赤碕御願も垣の「ウガンジュ」(拝所)として生まれ、初期の集落が構成されたのだと思う。

 そして、スクの予祝祭としてのこれもそう呼ばれていたかどうかはともかく、ウンジャミが合体する根拠が生まれる。

 シニグとウンジャミの織り成す綾について、酒井卯作は、面白い視点を挿入している。

 もともとシヌグも海神祭も、その内容の大まかな点においては、どれがシヌグで、どれが海神祭か区別がつかないくらい類似している(p.24、「南島研究」1号)。

 これは、ほんとうは長期にわたるひとつの祭りだったのではないか。「シヌグに迎えた祖神を、ウンジャミに送るというのが本筋(p.29)」ではないか。

奄美の送迎祭の間隔が二ヵ月あるのも、当時の悠長な祭祀の仕方からすれば当然であり、むしろ、もっと長くても不自然ではなかったろう(p.29)。

 ぼくが誤解しているのでなければ、酒井は、たとえば七月を起点にすれば、シニグが行われ、何か月か後に、ウンジャミが行われる。つまり、祭儀としては二回、行われた。それが、ひとつの折り目のなかで年一回になり、隔年になった、ということだ。

 これは説得力のある観点だと思う。ぼくの考えを添えれば、もともと成人儀礼を含めた狩猟儀礼が山を中心に行われた。漁撈の開始とともに、海の予祝儀礼も生まれた。やがて、来訪神の観念が生まれ、山の儀礼と海の儀礼はひとつながりになった。そこには、女性の宗教力の増強とともに海の儀礼を女性が行うという役割もそこかで挿入されていた。農耕をはじめるとともに、鼠を祓う儀礼も含まれることになる。また、伊波普猷をして「正視しえられぬほどのきはどい事」(cf.「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」)と言わしめた男女の交わりは、性交による妊娠という認識を得た後に、この祭儀のなかに組み込まれた。

 シニグについての考察の更新はここまで。後は例によって『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』の気になる箇所を書き留めておく。

人間社会の始まりはノロとユタの区別はなく、ただ神に憑かれた人があっただけである(p.22、ページ数は旧版のもの。以下も同様)。

 はじまりに「ノロとユタの区別」がないのはその通りだが、谷川は「神に憑かれた人」に憑かれすぎである。はじめは、誰もが憑かれた人であった。それができなくなって、特異点である巫覡が誕生するのだ。
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 奄美大島では、暗くなるまで子供が返らないと「夜がとる」と言った(p.22、田畑英勝談)。
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 「夢ぬクチタブエ」

 昨夜見ちゃん夢や  昨夜見た夢は
 ゐい夢残てぃ  よい夢は残って
 悪さん夢や  悪い夢は
 はるばる草ぬ根に止れぃ  原々の草の根にとまれ(田畑英勝『奄美の民俗』)

 この歌を三回繰り返して、三回唾を吐く。「夢もまた、螢などのように実体をもっていることを告げている(p.50)」。タブエはオタカベに当たる。

 「炭火の踊る時のタブエ」(大島名瀬市)
 やまなんてぃ  山で
 しらつたんくとぅ  焼かれた苦しみを
 わしれぃてぃな  忘れたか

 「炭火が踊るというのは、炭火がはじけることの擬人化である(p.50)」。ここには、炭火もまたしゃべることが背景にあったのかもしれない。少なくとも、炭火とも話したのだ。
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オモイマツガネという機織る乙女が日光に感精して日の御子を生むという説話は奄美に普及しており、ユタはオモイマツガネを自分たちの祖先として崇拝する(p.149)。

 これを谷川は、「自分たちの出自を高貴なものとむすびつけたいというユタの願望にほかならない(p.166)」と書くが、これは矮小化であって、本質的に言うなら、共同幻想を対幻想の対象とする巫女の側面を、ユタも色濃く持っていることを示している。
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 宮古島の後生譚。谷川が、平良市のカンカカリヤから聞き取りしたもの。

 ある男は、妻恋しさのあまり、墓の中に入って後生の妻と会った。妻は彼を自分の白い下袴(かかん)のなかに入れて現世に送り出した。そして自分のことを話はならぬと固く戒めたが、その男は現世に帰って、あるとき酒を一杯のまされ、ついうっかり後生のことを洩らしたために、その場で死んだという(p.209)。

 この後生譚は、墓が他界の入り口になっているが、もっと祖形に当たるものが蘇刈にある。

 洞穴の話
 笠利のツチバマにグショガミチ(後生ヶ道)というムィ(穴)がある。用安か節田の村の人が、牛を逃がした。探して行くと、その牛のアシゲ(足跡)は、その穴のなかへと消えていた。その人が後をつけて行ってみるとそのグショガミチの奥へ、その牛は逃げこんでいた。そして驚いたことにその牛を囲んで多勢の人たちが珍しそうに見物していた。その人は、自分もその仲間に入れてくれとお願いした。すると、その中の一人が、「仲間に入ってもよいが、一つの条件がある。それは、この穴のことを島のシマ(村)に帰って話さないこと、そうすればここに来ることができるが、もしその話を村の人にすると、二度と来れなくなるよ」と言った。しかし、その男は、村へ帰ってから、約束を破ってその不思議な穴の話しをした。するとそのグショガミチは、とうとう塞がってしまったという(富源一郎談、登山修『蘇刈(奄美大島瀬戸内町)民俗誌』 )。

 他界への通行は可能だった。でも、もう生者はそのことを忘れている。偶然が作用すると行くことができた。こういう筋からは、これが他界の発生から遠く経っていることを示している。自由に行き交いする道はあるけれど、もう生者と死者は一緒に住んではいないのだ。だが、現世と他界をむすぶ洞窟の穴、くびれはまだ塞がっていいない。それは生と死が完全には分離されていないことを示す。しかし、その通路は、生者と死者が分かれて住むことを条件にかろうじて開かれているにすぎない。そこで、生者が知るということが塞がれる契機になってしまうのだ。死者は牛を珍しがるということは、この伝承は農耕社会の初期にできたものではないだろうか。

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 多良間島の「ヤーヌンマ(家の妻)のニーリ」(『村誌たらま島―孤島の民俗と歴史』

 大節ぬ  大節〈節祭〉が
 年ざかい  年境〈新年〉が
 わーちやりよ  来たから
 あばすでる  私は孵でて〈若返って〉
 羽生ゆる  羽がj生える
 しやくど思う  ように思う
 あんしかんし  ああしてこうして
 あばすでる  私は孵でて〈若返って〉
 羽生ゆる  羽がj生える
 しやくど思う  ように思う

 同名の別の詩句では、

 あささよ  蝉よ
 やーぬ妻が  家の妻が
 白かかん  白下裳を
 着ちからよ  着てからは 
 するまかーぎ  美しい姿に
 なりうんむよ  なっているよ(p.279)

 このニーリからは、「蝉」も脱皮の系列に入れられているのが分かる。蛇、ヤドカリ、蟹、蝉。

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 宮古島の創世記(谷川が、万古山の御嶽で会った老婆から聞き取りしたもの)。島づくり、人づくりの後。

この村は数年の間さかえたが、ある年の十五夜の日に、村民がブタを殺して神にささげたので、神は血だらけのものは非礼だと怒り、他の神々とも相談して、この村から追い立てた。数日間ヤドカリで攻めさせたので、村人はこの村を立ちのき、八重山に新しく平井村を建てた(p.409)。

 「この宮古の海岸の洞窟には大きな蟹のようなヤドカリがたくさんいる。そしてヤドカリは神の下等な使いと思われている(p.409)」

 もはやここでは、ヤドカリはトーテムではなく、「神の下等な使い」として零落しているが、神の対応は面白い。殺した豚を捧げる島人は、霊魂思考なのに、応える神は、霊力思考を持っているのだ。この伝承は、農耕社会の初期の変形を保持しているのかもしれない。


『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

『地下他界―蒼き神々の系譜』

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2015/05/20

殉死・食人・添い寝

 後藤明は、『南島の神話』のなかで、フィジーやニューヘブリデス諸島での殉死について触れている。

 ニューヘブリデス諸島では、添い寝をした男女の骨が十一対も一緒に発掘された。これは本当に殉死の風習があったことを示すものである(p.112)。

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』では、埋葬に際しての財物の滅却の記述はあったが、殉死については書かれていなかったように思う。

 ニューブリテン島やダントルカストーでは、死者との添い寝が行われ、ニューブリテン島では、「霊魂が、あの世へ供をするためである(p.206)」と説明されていた(cf.「葬法におけるメラネシア、ニューギニアとの類似点」)。ぼくたちは、これを霊魂思考優位のもとにおける添い寝の様式とみなし、琉球弧の場合は、霊力の転移の行為とみなして区別した。ぼくたちは、あの世へ供をする添い寝は、「殉死」の弱められた変形であるのかもしれない。

 「添い寝」の意味

 霊魂思考優位 殉死→添い寝(あの世への供)
 霊力思考優位 食人→添い寝(霊力の転移)

 一方、中山太郎はアイヌのウフイという儀礼について書いている。

大昔のアイヌは死人があると、刃物を以て死者の肛門を抉り、そこから臓腑を抜き出し、戸外に床を設けてその上に置き、毎日婦人をして水を濺そそぎ遺骸を洗わせ、こうすること約一年を経て四肢身体が少しも腐敗せぬときは、大いに婦人を賞し衣服煙草の類を与えるが、もしこれに反して腐敗することがあると、たちまち婦人を殺して先に葬り、その後に死人を埋めるが、これをウフイと称えている。

 ここには、台上葬の痕跡と殉死とを同時に見ることができる。やはり、アイヌは高い強度の霊魂思考のなかに、霊力思考を内包していると思える。(cf.「「アイヌの霊魂観」(山崎幸治)」「北海道アイヌの葬制 : 沙流アイヌを中心として」)。

 また、中山は琉球における食人も断言して書いている。

 屍体の一部を遺族の者が食う民俗は、昔から今に至るまで、多少その形式は異っているが、各地に行われているようである。琉球では大昔は死人の肉を遺族または親族が食ったものであるが、現今では人肉に代えるに豚肉を以てするようになった。

 
『南島の神話』

『タブーに挑む民俗学―中山太郎土俗学エッセイ集成』

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2015/05/19

ワイルア・注

 マーシャル・サーリンズは『石器時代の経済学』のなかで、エルスドン・ベストがワイルアについて説明した文章を引いている。エルスドン・ベストは、マルセル・モースが彼の贈与論の根拠においたハウについて、マオリの賢者から聞いたその人であり、ワイルアとはマオリ族の霊魂概念に当たっている。

 ワイルアというマオリ族の用語は、人類学者が霊魂となづけているもの、すなわち、人が死んでその肉体をはなれた霊、霊界におもむいたり、あるいは、この地上でかつての家のまわりをうろついたりしている霊をいみする(後略)。

 棚瀬襄爾は、ワイルアとハウの概念について、「人間の死後も霊魂は絶滅しないで、身体を離れて存続する霊魂が wairua であるか、 hau であるかをフレイザーは明らかにしていない」(p.401、『他界観念の原始形態』)と書いていたが、ワイルアであることが、ベストの記述から確認できる。(cf.「霊魂協奏曲」

 ただ、マーシャル・サーリンズのこの本からは、モースが根拠としたハウの説明について、マオリ語の研究者ブルース・ビッグズに改めて依頼した翻訳が載っているだが、それがとても重要だと思える。マルセル・モースの『贈与論』では、「値段」、「品物」、「売り買い」、「返済」と訳されていた言葉が、より自然な言い回しに置き換えられている。モースの解釈が西洋的な概念に傾いていることに感じるぼくたちの違和感が、先住民の言葉のなかからは払拭されていく気がした(cf.「マルセル・モースの『贈与論』」)。


『石器時代の経済学』

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2015/05/18

『琉球共和社会憲法の潜勢力』

 川満信一の「琉球共和社会憲法C私試案」は、ユートピア理念と近代的感性とアジア的道徳観のアマルガムだ。「国家の廃絶」がユートピア理念であり、散見する「自由」という言葉に近代的感性が見られ、「慈悲の戒律」というように、「戒」がアジア的道徳観を示している。なかでも、アジア的道徳観が全体を覆っている。

 この憲法下の島人を想像してみると、愉しそうな姿は浮かんでこない。「政府」の代わりに「センター」を置くのは、アイデアだけれど、結局は、センター職員が富と権力と権威を握ってしまうことになりそうに見えて仕方ない。

 第二十一条 居住地および住居は生産関係に応じて、個人、家族、集団の意志と、自治体の衆議における合意によって決められる。

 ここに「個人、家族」が入っているから救いだけれど、自治体の合意を要するのは、ちょっとぞっとする。

 第七条 貧困と災害を克服し、備荒の策を衆議して共生のため力を合わさなければならない。ただし貧しさを怖れず、不平等のつくりだすこころの貧賤のみを怖れ忌避しなければならない。

 「貧しさを怖れず」というのは、ふつうの人にできることではない。貧しさを怖れたからこそ、これだけ昔のことを忘れることにまい進してきたのであり、経済成長の原動力でもあっただろう。むしろ、「貧しさと豊かさ」の尺度が変わる必要があるのだろう。

 この試案に瀰漫するアジア的道徳観は、川満も「活かさなければならない」とする、「自然を崇拝した古代人の思想」にまで溶解して、ユートピア理念のなかに溶かし込み、近代的価値観の基盤に立って構想されるべきもののように思えた。

 しかし、急いで付け加えなければならないが、ぼくは川満の試案をくさしたいわけではない。彼がこう書くとき、ほとんど賛成なのだ。

 「琉球民族独立国」の主張は、戦略的プロセスとしては容認されるとしても、それが目的化されたら、結局、琉球民族を基本とする「近代国民国家」の後追いという思想の枠(ナショナリズム)から出られない。それでは私たちの未来構想は後ろ向きのつまらないものにしかならない。仮に「琉球民族独立国」が実現しても、その国家制度を資本主義体制の外部で、桃源郷のように成り立たせることはまず不可能である。世界の資本主義体制が持続するかぎり、琉球内部における階級的矛盾は同じ轍を踏むことにしかならない。

 川満からこの認識が出てくるのは、彼に「国家の廃絶」という理念があるからだ。

 第一条 われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のうえにたって、人類発祥史以来の権力集中機能による一切の悪業を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する。

 試案であれ、空想的であれ、こうした言葉を刻めるというところに、ぼくは沖縄の潜勢力を感じる。また、川満がこの試案を書いた八十年代、「方向を見失ってしまった沖縄の情況を前に、なんらかの打開策を見つけないと呼吸ができない」と書く、その「呼吸ができない」という言葉づかいは、自分の言葉のようにすら思えるほど共感する。

 ぼくはこの本を読んで、ほっとすることがあったのが収穫だった。大田静男の「疲れた口笛」にもほっとしたし、辺野古移設:反基地運動の先頭に立つ山城博治の「沖縄・再び戦場の島にさせないために」も、心底ほっとした。

 山城は書いている。

 しかし沖縄の団結を強調しすぎるのと誤解も受けそうだ。特に本土側には。しかしこの展望は日本本土の人々と袂を分かち孤立するというのではない。沖縄が総体となって日本政府に対峙していくということと、「日本人」全体と向き合うというのでは意味はまったく違う。私たちはなにより相互理解と連帯を強く求める。

 もっと引用したいが、長いので、ここまでに留める。ぼくも同じことを、「『琉球独立論』を読む」で書いたつもりだ。

 『琉球共和社会憲法の潜勢力』からは、沖縄、あるいは琉球が、歴史の先端に立つ「潜勢力」の萌芽を感じ取る気がする。発刊に感謝したい。
 

『琉球共和社会憲法の潜勢力: 群島・アジア・越境の思想』

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2015/05/17

『島嶼経済とコモンズ』

 松島泰勝の「島嶼経済とコモンズ-島嶼の平和と発展を目指して-」(『島嶼経済とコモンズ』)を理解するには、サブシステンス、レント、コモンズという三つのキーワードを理解すればいい。別言すると、この三つの言葉に躓かなければ、身近なことが語られているのが分かる。

 サブシステンス (subsistence) は、この本では「生存部門」と書かれている。イリイチは、この言葉が「辛うじて生存している」人々を指す意味に使われたことから、「私はこの用語を使うべきだろうか」と自問しているように、独自の意味を持たせたいことがわかる。イリイチは、「たとえ経済活動が支払われていようと支払われまいと、私は、形式的な通常の経済的活動の意のままになっている活動にサブシステンス志向の活動を対置させようと思う」(『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』)としている。これでもまだ分からないが、この本で「生存部門」とされていることからすると、家事や育児、イノーや農地から魚貝や作物を得て、献立に加える場面を思い浮かべればいいだろうか。

 松島は、サブシステンス経済は、島嶼経済の優位性だとしている。

 太平洋島嶼が他の第三世界とは異なり、深刻な飢餓等の問題に直面せずにすみ、政治的にも比較的安定しているのは、サブシステンス経済が強固に存在しているからである。

 そのためにも、「自然の維持は重要である」。サブシステンス経済を論じるフェアベーンは、

 島嶼の急激な近代化は社会的結束力を崩壊させ、文化的価値体系を衰退させ、その結果、島嶼の持続可能な発展は失敗に終わるのである。

 という。言い換えれば、「サブシステンス経済は、経済発展の動因を島嶼内部に据えるためのもの」である。

 大規模化しない、できない農地やイノーは、持続可能な発展には欠かせない、それを捉えたのが、サブシステンス経済だと捉えておこう。

 次は、レント(rent)収入。これは「援助金、補助金、入漁料、基金収入等」という説明で勘所はわかる。嘉数啓は、レント獲得活動は島嶼の依存性としてではなく、国際的な所得の再分配として認識する必要がある、としているが、それはその通りだと思える。

 松島は琉球とレント収入の関係について、「振興開発によって琉球経済は自立しなかった」としている。沖縄の場合、「基地と引き換えに」投じられた振興開発資金であり、奄美の場合は、奄振だといえばいい。両者の差は、重要で、奄美から沖縄へ出かけるとすぐに実感できるように、物質的にみた近代化、現代化の落差は歴然としている。この面だけでみれば、豊かな沖縄と貧しい奄美として見えてしまうだろう。しかし、沖縄のコンクリートの充実ぶりの背後には、押しつけられた米軍基地への忍従が横たわっている。

 レント収入の是非とは別に、こうした形でのレント収入は除去されるべきものだ。

 三つ目はコモンズ(commons)。これは、「共有地」、「入会権」、「共同の食事」という意味が込められているが、ぼくたちにはとっても分かりやすい象徴がある。イノーのことだ。多辺田政弘は、

商品化という形で私的所有や私的管理に分割されない、また同時に、国や都道府県といった広域行政の公的管理に包括されない、地域住民の「共」的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)と、コモンズとよぶことにしたい。

 と、している。

 ここで参考になるのは、松島が引いている太平洋島嶼国のコモンズだ。太平洋島嶼国は植民地時代に共有地制から私有地制への移行が強制的になされたが、独立後に共有地制を復活させ、私有地制との併存を決めたことだ。公共の益を妨げない範囲での私有化というのは、重要な視点ではないだろうか。

 また、松島が引いている、トンガの人類学者ハウオファの言葉がいい。

大陸の人である西欧人は「海の中の島」として島嶼を認識し、島嶼は中心から離れ、孤立していると考えた。そして、海に国境線を引き、島嶼を植民地化する過程で島嶼民を狭い空間に閉じ込めた。一方、島嶼民は「島の中の海」を唱え、島と海との緊密な関係を強調する。彼らは国境線のない海を自分の家となし、島嶼間を自由に行き来し、交易をおこない、親族関係を結び、または他の島の人と戦った。島が「小さく、貧しくそして孤立している」という状態が生じ始めたのは19世紀における大陸の人達による植民地化以降のことであり、歴史的につくられたものである。

 「孤島苦」、「離島苦」という言葉にも、大陸の眼差しが色濃く滲んでいるのではないだろうか。

 松島は、尖閣諸島のコモンズ化を提案している。「国境をこえた東アジアの人びとのコモンズにすることが必要である」、と。この本には、倪仁敏(にい じみん)による「釣魚島(尖閣諸島)「棚上げ合意」に関する史的考察」も載せられていて、日中間で、「棚上げ」にされた議論の経緯が辿られている。それによれば、1972年の国交正常化の際に、田中角栄と周恩来のあいだで交わされた。

 鄧小平も、「我々の世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、我々よりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と述べている。なんと大人なことか。言い換えれば、今の政治家には大人がいなくなったということだ。次の世代には、知恵は途絶えてしまった。これは、死者たちに申し訳ないことだ。

 


『島嶼経済とコモンズ』

『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』

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2015/05/16

入墨と霊魂

 後藤明は、『南島の神話』のなかで、マオリ族の入墨起源神話を紹介している。

 登場人物や文脈に分からないところがあるが、大事だと思える箇所を列記すると、

 ・マタオラの所に冥界の人が訪ねてくる
 ・マタオラは最初、戸惑うが、冥界では生の食料しか食べないので、それでもてなす
 ・一行は食べた後、踊りを披露
 ・マタオラは一行のなかの一人の女性が惚れて結婚
 ・マタオラの兄弟たちは美しい妻に嫉妬して、もめごとが起き、妻は冥界に逃げた
 ・マタオラは、妻の後を追う。冥界の番人は入り口を通してくれた
 ・地下界の主は、マタオラに入墨を施した
 ・マタオラは血まみれになったが、歌う声で妻は彼と分かり、手当をした
 ・マタオラは妻を説得し、帰途についた
 ・門番は、この門は永遠に閉じると告げる
 ・それ以降、冥界には人間は行けなくなり、魂だけが降りてゆける

 後藤はこの神話に対して解説している。

 マオタラはマオリ族の間では入れ墨を始めた人物とされる。そして神話では彼が最初にマウイに入れ墨を施すのである。南島世界の人々が持っていた伝統的な技術は、精霊や神々から教えられたものであると語られるのが普通だ。マオリの入れ墨は黄泉の国からもたらされた、つまり死と関連する技であると捉えられているのが特徴的である(p.123)。

 この神話でも、生者と死者は行きかっている。けれど、マタオラが最初、戸惑うように、交通は日常的ではなくなっている。現に、地下界は成立しているし門番もいる。そして入墨の入手と引き換えに、霊魂だけが行き来できることになり、門は塞がれる。

 この神話が示唆するのは、他界の空間化が生と死の分離の契機になることだ。分離は、両者の交通に障害をもたらす。だが、まだ交通は可能だ。そこに別の契機、ここでいえば入墨の技術があって、門は塞がれ、分離は確実にされる。分離の確定は、霊魂概念の成立として語られている。(cf.「他界への道を塞ぐ(生と死の分離の契機)」

 マンガイア島では、分離の確定は、生者が死者との交通に利害の矛盾を感じた時になされていた。だから、分離の完成は、いくつかの契機があったと見なせる。

 後藤は、入墨を「死と関連する技」として捉えているが、ここでの視点からいえば、霊魂概念の成立に伴っていることが重要だと思える。

 注。モーリス・レーナルトはニューカレドニアにおいて、「故人」とは、社会的な配属を解かれている状態のことだと言う。

「踊れ、岩山や樹の幹のなかにいる腐ったあの男たちのダンスを踊れ」と祭りの指揮者はいう。
 森のなかのそういう岩山や樹の幹は、空間の最初の分割を示している。つまり生者たちの居住地と故人たちの居住地とが区別されるのである。発達した社会では、この分割はずっと遠くまで推し進められ、もっともらしうく物語化された天国を生み出すにいたる。しかしメラネシアでは、それはごくささやかなものである。岩山や樹の幹は近くの藪のなかにあり、藪はそれらがあることによって聖化されている。だがこの場所で、故人は果たすべき役割を見出す(p.65)。

 琉球弧でいえば、洞窟やアダン林の陰、岩山などが分離の契機になった。この段階でも、死者との交通はありえた。

 死者との交通について、モーリス・レーナルトは書いている。

 ニューギニアのある地方では、骸骨は日中は地面に散らばっているが夜になるとひとつにまとまって、死んだ人々はみな生活をはじめる。他のところでは死者の生活は活気がなく、情熱をともなった生をもたずに地上の生活を惜しみ、生者たちを羨んでいる。だから冥界に下ることは危険な冒険である。死者たちに絶対怪しまれないための方策がいろいろあり、冥界にある食物は一切口にしてはならないとされる。なぜなら生者の食物が生の状態を授けるように、死者の食物は死の状態を与えるからである。そして冥界を訪れる者はとにかく用心深くなければならない。たとえば妻を亡くしたある男は、地下の国で首尾よく妻を見つけたのだが、肝心の用心を忘れていた。彼は妻を連れて出口の近くまで来た。ところが彼はあせっていた。彼は妻が生者の食物をまだ食べ地内こと、あおれゆえまだ死者の状態にあることを忘れ、彼女の腕をひっぱった。すると腕はもげて彼の手に残り、妻の体は崩折れてしまったのである(p.94)。

 後藤はこの例について、「一度死んだ者が現世の食物を食べれば再生することを示唆するであろう(p.125)」と書いている。ぼくには地下の他界を設けた後でも、死者との交通が存在していることが重要だ。後藤はこれをニューカレドニアの例として挙げているが、モーリス・レーナルトの文脈に沿うと、ニューギニアの「他のところ」か、メラネシアのどこかであり、ニューカレドニアを指示してないのではないだろうか。cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』


『南島の神話』

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

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2015/05/15

蛇の位相

 琉球弧における「蛇」の位相について、谷川健一の『蛇―不死と再生の民俗』をテキストに辿っていく。古代の思考を見たいので、龍にまつわるものは割愛する。

 谷川が書いているものを、系列ごとに再編集し、メモを加えることにする。

 1.トーテム

・奄美における蛇。

ハブはウナギが変化したものという伝承も南島にはある。というのも、ウナギは夜になると陸にあがって餌を求めるからだ。こうしたこともあって、奄美では鰻を食べないという風習が強いことを登山修は報告している。

 原典は確かめてみないといけないけれど、トーテムを示しものとしては分かりやすい例だ。

・.蛇=鰻=ウツボ=海蛇

ウツボ、ウナギ、ハモ、ウミヘビは呼称を共有し、交換しあっている。

 また、背景として、蛇=鰻という南太平洋と同じ変換も見られる。

・祖先としての鮫

 宮古島を統一した仲宗根豊見親玄雅。鮫に助けられる。「子孫は今もって鮫の肉を口にすることはいっさいない」。伊良部島の鮫退治の話。この鮫は実際は、ウツボのことで退治も「後世の府会」で縁起譚のひとつ。両者ともに鮫やウツボを先祖としたということ。

 鮫に助かられた説話はこのまま受け取っていい。谷川は、鮫退治の話を、実は鮫ではなくウツボで、しかも祖先と見なすという解釈をしているが、谷川の解釈を保留すれば、鮫退治と鮫に助けられることとはまるで違うので、この説話は退けておく。

 だから、『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』での類型でいえば、「鰐」類型でのトーテムになる。

・祖神としての蛇

 宮古島狩俣で行われる祖神(うやがん)祭。神女たちは、蔓草を八回巻き、カウスと呼ばれる被り物にする。これは、「蛇がトグロを巻いているさまをあわらわしたものと狩俣で言われている」。帯に巻く蔓草も「蛇のシンボル」と言われている。これらは、狩俣の祖神が「青スバの真王」、つまり蛇であるという伝承に由来する。

 神化された蛇。

・蛇の入墨(『魏志倭人伝』の記述から)

(漁夫たちは)鮫や海蛇に襲われないためのまじないに、その肌にはあざやかな入墨が入れてある。

 これは直接的に琉球弧を示したものではないが、可能性として入れておく。入墨の根拠として、「鮫や海蛇に襲われないため」としているが、アマムの入墨と同じだとみなせば、その子孫であることを示すための入墨だと見なせる。

・蛇婿のヴァリアント。

ある女が妙に腹の具合が悪いので古仁屋に出て医者の診療を受けたが、医者もしかと診断ができず、女は帰ったが、家に着くなり、ソーケ(笊)一杯もあるとおもわっるほど、たくさんの蛇の子をぞろぞろ生んだ(金久正)。

 「蛇」と結婚するということと、「蛇」を産むこととは位相が異なる。後者は共同幻想を産んでしまうことだからだ。これは、共同幻想と対幻想の対象とし、自らを共同幻想と同一視する祝女の観念と同位相にあるものではないだろうか。トーテムとしてはかなり弱まっている。


 2..依り代。憑依のための媒介物。

・勝坂式土器と一緒に出土した縄文中期の女性土偶。とぐろをまいたマムシを頭にいただいている。谷川は、この土偶と金久正の記述を同一視し、巫女の出現を見ている。

昔の呪女(のろ)神は、よく波布(ハブ-引用者)を制し、アヤナギを這わすといってアラボレ(十五、六才の娘らよりなる、呪女の従者)たちの頭髪に波布を巻きつけたという。(p.258『奄美に生きる日本古代文化』金久正)

 また、合わせて石垣島からの聞き取りを併記。

川平の群星御嶽(ゆぶしいおん)に各御嶽の神女(ツカサ)があつまって神遊びをした。ハブを手のひらにのせて次々に手渡しながら、心のよしあしをさだめる儀式である。心のわるいツカサのときはハブは首をもたげ、信仰を守るツカサの場合は、ハブは眠ったように、おとなしくなるといわれたという(p.12『蛇: 不死と再生の民俗』)

 頭上にマムシを巻いた縄文中期の女性土偶と頭髪にハブを巻きつけたアラボレを結びつけたことは、谷川が自分の手柄だとして本書でも強調していることだ。谷川はこれを「神観念の黎明を告げるもの」としているが、巫覡の誕生はそのまま神観念はつながらないと思える。

 3.精霊

・宮古島狩俣の大城御嶽にまつわる伝承。蛇婿。「山の精霊である大蛇が娘の父親である」。

 蛇婿の観念とは別に、「山の精霊」であると見なすのは古層に属する。

・.蛇=虹、蛇=雷

 奄美大島では蛇と雷の同一視がもっと端的に表現されている。雷のことを奄美大島の瀬戸内町では、ティングロジャ(天の大蛇)とか、単にグロジャ(大蛇)と呼んでいると、登山修は報告している。(『奄美民俗の研究』)。

・.蛇と虹の同一視。八重山では、虹をアミニヌミヤーという。「雨を呑むもの」の意、つまり、蛇を指す。

 同様に、蛇が虹や雷とも同一視された。これは古層に属すると思う。

 4.死の起源

 死の起源が、蛇との対比で語られる。

節祭(シツ)の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居ったから、人が若返り、蛇は若返らずに居った。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になったといふ(富盛寛卓)。
 むかしむかし節祭(シツ)の夕に天から水を下ろして下されたら「人から先に浴びろ」との事でしたが、人間がまけて蛇が先になって浴びたので、人間は仕方なしに手と足とを洗った。だから爪だけがいくらぬいても、つぎからつぎへと生えて来るのである。蛇は死んでもどんどん蘇生してゆけるのである(垣花春綱、『月と不死』)。

 cf.「脱皮論 メモ」

 死の起源が、蛇とともに語られるのは、「蛇」の古さをよく物語る。この場合の死の起源は、脱皮と人間のうっかりによるものだ。

 「脱皮+うっかり」は、台湾のタイヤル族にもみられる。他には、イリアン・ジャヤのモイ族、ニューヘブリデス諸島。

 その他を挙げてみれば、

 「うっかり」(インドネシアのトラジャ族)
 「脱皮+死体化生」(ボルネオのドゥスン族)
 「脱皮+近親相姦のタブー」(ビスマルク諸島のタンガ島、ニューヘブリデス諸島)
 「脱皮+近親相姦」(ポリネシアのニウエ島) 近親相姦が死の起源
 「性の喜びの発見」(パプア・ニューギニア高地、ミクロネシアのヤップ島)
 「正常な出産」(ソロモン諸島、ニュージーランドのマオリ族)
 「排便を覚える+作物起源」(ニューギニア高地)

 (cf.『「物言う魚」たち』『南島の神話』。ともに後藤明)

 これらの死の起源伝承には、人間の文化の発祥とセットで語られている。言い換えれば、自然との別れと背中合わせだ。なかでも、「うっかり」型には、自分たちは動物よりも劣っているという自覚があるように見える。それは死の起源譚の古さを物語るのではないだろうか。

 蛇の話に戻れば、蛇がトーテムであった痕跡は認められるが、それ以上に、アマム(ヤドカリ)に比べて、蛇は広く深い。


『蛇―不死と再生の民俗』

『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』

『南島の神話』


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2015/05/14

アマム(ヤドカリ)の位相

 ぼくはこれまで、琉球弧にヤドカリ(アマム)のトーテムを認め、その前段を蛇と考えてきた(cf.「脱皮論 メモ」)。では、「蛇」に対する「ヤドカリ」の位置づけをどう考えたらいいだろう。

 ぼくたちは後藤明の『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』から、「蛇」と「鰐」の違いについて見てきた。ひと口にいえば、「人に似ている鰐」と、鰐をそう位置づければ、「人に似ていない蛇」という対比があった。どちらもトーテムになっているが、「蛇は人間に化身する」のに対して、鰐は「人間が鰐に化身する」。人を助けることがあるのも鰐だ。

 この例を用いれば、ヤドカリは「蛇」類型だろうか、「鰐」類型だろうか。

 ぼくは「ヤドカリ」の前段に「蛇」を認め、そこに通底するものを脱皮だと見なした。この視点でいえば、ヤドカリも蛇タイプである。そしてそれは、蛇のいないポリネシアにおいては、脱皮による死の起源が、「蟹」や「貝」に変換されることからも確認できる。「ヤドカリ」は「蟹」と同位相にあると見なせるから、「蛇」は「ヤドカリ」に変換されうるのだ。そういえば、南方熊楠は、「金毘羅に詣る者蟹を食わず」と蟹トーテミズムの痕跡を見ようとしていた(cf.「南紀特有の人名」『動と不動のコスモロジー』)。

 けれどまたそこからは、ヤドカリに対して、蛇と同様なトーテムの観念を抱いていたかどうかは分からない。ぼくたちが見聞できる範囲では、「人間はヤドカリから生まれた」という伝承だが、証拠のひとつである入墨では、「後生に入るために必要」とも言われている。宮古島では、入墨がなければ、「死後、先祖が迎えて入れてくれないばかりか、その罰として牛の糞をつかまされる」。八重山では、「後生で竹の根を掘らされる」(高山純『縄文人の入墨―古代の習俗を探る』)とも言われている。この場合はすでに、他界が生まれた後の段階を指しているので、他界が発生していない「蛇」タイプに遡行できるかどうか分からない。

 また、国頭で「窪み岩」の足跡をつけたとするアマンチューの伝説(たとえば、伊藤清司「沖縄の兄妹婚説話について」にある佐喜真興英『南島説話』の引用『〈沖縄〉論集成 第5巻―叢書わが沖縄 沖縄学の課題』)や、アマン神(cf.「兄妹論 メモ」)などの神格化は、「蛇」タイプでも「鰐」タイプでもどちらの場合でも可能だろう。

 後藤明は前著のなかで、台湾やフィリピンでは蛇と蟹は同じ水棲動物でも明確に対比されているとして、「日本の南島でも蛇を退治してくれるのは蟹ないしヤドカリで、それは人間に恩を返す"報恩譚"として伝えられている(p.75、『「物言う魚」たち』)」と書いている。たしかに蟹が鋏で蛇を退治して人間を救う昔話(たとえば、(『本部町の民話』)は、蛇と蟹が対置されている。ぼくはまだヤドカリの報恩譚を知らないけれど、ヤドカリは蟹と鋏を持つ点で、蟹と同位相だから、蟹と並んでヤドカリも蛇と対置されることがあると見なせる。どうやら違いは潜んでいそうだ。

 蟹といえば、奄美では新生児に蟹をはわす行事が行われる。生まれて七日目に行う名づけ祝いの際だ。

椀に入っている子蟹を取って赤子の頭に這わす。二、三匹ずつ、つかまえては這わし、これを三回繰り返す。やがて子蟹は、這い散って、どこかに姿を隠すのである。いわば、子蟹の洗礼をほどこすわけである(金久正『奄美に生きる日本古代文化』

 たとえば、金久はこれを「脱皮の模倣呪術」として考察したのに対して、吉野裕子は、それに同意しながら、

 私見によれば、この蟹行事の基本にあるものこそ、じつは蛇である。時代がくだるにつれて、蛇を使用するためらいが、蟹を代用させることになったまでのことであろう(p.48、『日本人の死生観』

 と、蟹に対して蛇の代用と見ている。さすが、習俗のなかに可能な限り、「蛇」の信仰を見届けようとする視点ならではの徹底ぶりだが(cf.『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』)、蛇に夢中なあまり蟹に不憫な視線を送ることになってしまっている。ただの代用ではない、蟹ならではの位相があるはずで、それは蟹やヤドカリの報恩譚にも示唆されるものだ。

 では、「鰐」類型としてヤドカリを見るとどうだろう。言い換えれば、「人に似ている」面はあるだろうか。そういう意味では、先の報恩譚は、「鰐」と同じ側面だ。島にヤドカリを放ち、幾年かののち、そのヤドカリが繁殖しているのをみて島に住むことにしたという与那国島の伝承は、生き物として人間とヤドカリを似ているものと見なす視線がある(cf.「脱皮論 メモ」)。他に挙げるとすれば、

 1.人間もヤドカリもアダンの実を食べる
 2.人間もヤドカリも、殻(家)のなかに生きて、時折、殻(家)を変える
 3.人間はかつて洞窟で暮らしたが、ヤドカリは今も洞窟で暮らしている
 4.海岸近くの人間の住居には、ヤドカリも棲んでいる

 もちろん、これらは現在の眼から言うことで、当てにはならない。ただ、こうしてみると、蛇に比べて、人間に近しい存在であることは確かめられる。

 上の視点以外に、風葬跡地とヤドカリの関係を調べた記事があった。当山昌直は、沖縄で場所が確認できる風葬跡地11個所の位置を調べ、それがどれも「海岸から350m以内」であることを確かめている。一方、「オカヤドカリ類は海岸から約500m以内およびその範囲内の崖上までは生息地としてみることができ」る。「古風葬の場所とオカヤドカリ類の生息地はほぼ重なっていることが理解される」わけだ。

 ここから当山はオカヤドカリの「海の掃除屋」という面に注目している。オカヤドカリは、「海岸に打ち上げられた魚の死骸や海藻などの有機物を食べることが知られている」。また、当山は、首つり自殺者の下にたくさんのオカヤドカリが集まっていた話を聞いたことがある。そこで、こう書いている。

 石材等で隙間の無い密閉した空間をつくるより以前、古風葬の形態がより古ければ、人の遺骸はさらされることが多くなるので、よりオカヤドカリ類がとりつきやすくなったと考えられる。風葬の一つとして鳥葬が知られているが、意図的ではなかったとしても結果的には「オカヤドカリ葬」というのが成り立つのではないか、それが沖縄島の古風葬の形態として存在したのではないかと思われる(「沖縄島の古風葬とオカヤドカリ類の関連について(予報)」)。

 「オカヤドカリ葬」ってそりゃないよ、当山さん、と思わず突っ込みたくなるところだ。オカヤドカリの「掃除屋」の側面は、ぼくの家では「残飯の掃除屋」として活躍していたのでよく知っている。けれど、だからといって鳥葬と同位相にある「オカヤドカリ葬」はありえない。そう思って驚いたが、当山も「意図的ではなかったとしても結果的には」と注釈しているのを改めて見て落ち着いた。

 ただ、言われてみると確かに、風葬とオカヤドカリの結びつきは強かっただろうと思える。すると、当山の関心とは別のことに気づく。当山も引いているが、今井彰は、蝶が霊魂の化身になった理由を考察している。

古代、風葬に近い様式で安置(実情は放置か)された死体には、それが冬以外であれば、おそらく蠅を始めとする無数の昆虫が集まったであろうということである。そしてその中には、色と大きさで最も目立つ蝶(特にタテハ類、白蝶、黄蝶が主体)の姿が、ひときわ古代人の眼を射たのではなかろうか。殯にある死体は、近くに寄ってはいけないことになっており、遠くからその仮小屋(おそらく粗末な小屋で、死体は半ば野ざらしだったのかもしれない)を見た人々の眼に、乱舞する蝶の群れが写ったとすれば、これはまさに死者の霊が化身したものと見えたのではあるまいか。あるいは、土葬してからも、墓の周辺の花に飛来する蝶を見て、死者の霊を感じたのかもしれない。古代の自然には、群舞する蝶の数が事欠かなかったわけであるから、上記の様相は各地に見られ、その結果蝶イコール死霊の化身という考え方が定着したのではあるまいか。(『蝶の民俗学』

 死体に群がる蝶。それは、まさに死者が化身したように見えただろう。ニューギニアのタミ族には、蛆や蟻への転生信仰があるが、彼らは「死体から出てくる蛆が出なくなると、短い霊魂があの世に行ったと考える」(cf.「タミ族の葬法と他界観念」)のだ。家屋内に葬ることもあったタミ族の場合、浅く埋めた死体から蛆が湧いてくるのをつぶさに見届けただろう。彼らには、どこからともなく湧いてくる蛆を、死者の化身と見るのは自然なことだ。そこで、蛆が湧かなくなることを霊魂の旅立ちと見なし、蛆への転生信仰も生まれている。これと同じ視線が、日本や琉球弧では蝶にも注がれていた。

 琉球弧の自然環境の場合、風葬に際して、殯をしている時に、死体に群がるヤドカリも目撃するのは自然だと思える。そこでは、ヤドカリは死者の化身として見えただろう。骸骨が歩いているのでよく見たら中にヤドカリが入っていたという歩く骸骨の昔話があるのも、死体に群がっていたとまでは言わなくても、野ざらしの骸骨の存在や、骸骨がある場所にヤドカリが棲息していることで生まれる民潭には違いない(『本部町の民話』)。

 ここまで来ると、蟹行事について付け加えることが出てくる。赤子の頭に這わせた子蟹は、「這い散って、どこかに姿を隠す」。この過程はタミ族において、蛆が出なくなる過程とだぶって見える。殯をした段階は、死は生からの移行と捉えられるから、死の過程と生の過程は同型になる。タミ族において、死者が蛆になって他界に赴いた、つまり次の生の段階に入ったというなら、蟹行事は、蟹が脱皮を経て人間の生の過程に入ったことを示すのではないだろうか。琉球弧では、名づけ祝までは、子供の生誕は宙吊りにされる。名づけ祝いまで生きて初めて人間として認められる。金久は、蟹行事において最初に這わす子蟹が威勢よく這うなら、その子は幸先がいいと信じられていて、「子蟹を這わすのは、子蟹のように壮健に早く這い歩く子供になるようにとの意味を持っているものと解される」と書いているが、ここにある呪術の目線はもっと深く、子蟹の化身としての人間が考えられていたのではないだろうか。

 死者の化身としてのヤドカリ。このアナロジーが妥当なら、これは「人間が化身する」と同時に、「人間に化身する」となって、やはり蛇類型でもあれば鰐類型でもあることになる。

 アマム(ヤドカリ)は両義的だ。化身は両方にあるから消去すると、

 1.「蛇」類型 脱皮
 2.「鰐」類型 人間を助ける

 また、『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』で整理したように、「蛇」も「鰐」も当てはまるものとして、「卵生・土中誕生」があるが、これはまさにアマム(ヤドカリ)にまつわる民譚としてある。琉球弧のアマム(ヤドカリ)は蛇に対して「脱皮」がつながるが、「鰐」類型の側面も持っている。つまり、トーテム原理が弱まった段階のトーテムだと考えられる。


『南方熊楠コレクション〈第4巻〉動と不動のコスモロジー』

『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』

『復刻 奄美に生きる日本古代文化』

『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』


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2015/05/13

『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』(後藤明)

 柳田國男の「物言ふ魚」から採った後藤明の『「物言う魚」たち』。ゆっくり味わって読むべき内容だけれど、余裕がないので、著者には申し訳ないけれど、琉球弧の精神の考古学に引き寄せてメモしておく。

 まず、南太平洋の神話、民話から「蛇」と「鰐」に与えられている性格について、後藤の言うところを整理すると下記の図が得られる。

Photo_3

 「蛇」は先オーストロネシアと言われており、「鰐」は人間に近いとされるので、精神の考古学からみれば、「鰐」は「蛇」よりも新しいと捉えられる。各集合をそれに沿って時系列化すると、

 1.蛇   脱皮型の死の起源 
 2.蛇と鰐 卵生・土中誕生
 3.鰐   外皮の思想 

 この順位が得られる。それは別の観点からも言えると思う。

 「死の起源」は文化の始まりとしてこの中で最古に位置づけられる。また、「卵生・土中誕生」は、ぼくの考えでは他界の空間化に対応している。琉球弧でいえば、洞窟の奥、向こう側に他界の空間を思考したとき、「土中からの誕生」という神話が生まれる契機を得る。また、「卵生・土中誕生」は「竹中誕生」との分布と共通するという。「竹中誕生」は人間と植物の同一視の観点を含むが、これは「卵生・土中誕生」が、原始農耕の始まりを背景に持つと示唆するものだ。そして、「外皮の思想」は、ぼくの考えでは霊魂概念の成立を意味する。

 「蛇」と「鰐」の新旧は、後藤の記述を得ると、別の観点からも言える。

Photo_4

 後藤は、「祖霊観念が発達すると」と注釈して、蛇や鰐が「祖先の魂の化身」とみなされるとしている。そこでは、蛇と鰐は等価だが、しかし、人間に変身する話が多いのは蛇で、人間が変身する話は鰐に多い。セピック川流域には鰐男の伝説が多く、「鰐は人間と互換可能な存在として描かれている(p.171)」。違うもの同士に同じものを見出す霊力の思考は「蛇」に働き、違いを注視する霊魂思考の働きは「鰐」に向けられている。この点からも、蛇は鰐よりは古いと見なすことができる。

 また、メラネシアとポリネシアを典型例として出せば、蛇や鰐のいないポリネシアでは、蛇は、鰻や蟹、貝に、鰐は鮫へと変換される。

 以下、気になる箇所をメモしていく。

 1.イェンゼンによれば、ウェマーレ族では、「女神ハイヌウェレと鰻が同じ役割を果たす」。

女神ハイヌウェレと鰻は同義であるなら、死体化生型神話の原型には殺された蛇・鰻類の体から作物が発生するという形式があって、人格神が発達すると人間ないし神の体から発生するという形に変形してのではないかと私は考える(p.113)。

 「人格神が発達する」というより、自然からの疎隔化ではないだろうか。自然から離れてしまったところで、植物との同一視が働き、人間が殺害される。それは人格神を発達させる要因でもある。

 殺害されるのは、女性ばかりでなく、男性も多いことを後藤は強調している。「死んでココ椰子を発生させるのは男性としての鰻である。さらにポリネシアの特質として、死んでほかの作物を発生させるのはやはり男神である傾向が強い(p.114)」

 ひとつの視点として、鰻→男性としての鰻→男性→女性という系譜があるのではないだろうか。この場合、男性の過程があったのは、男根崇拝である。

 cf.「イェンゼンの「殺された女神」」「原ハイヌウェレ型神話」

 2.人間が食われる

 「セラム島のウェマーレ族では、少年がイニシエーションのとき、蛇ないし鰐をかたどった像に呑み込まれ、その腹の中で一度死に、また再生するという儀礼がある(p.167)」。

 南太平洋では、人間を食う役は「鰐」だった。

 3.ソールイガナシとスク

スクに関する儀礼は、稲作の行われない久高島では、ソールイガナシという神男によって仕切られる。ソールイガナシには五十代の男性が選ばれる。スクが寄ってくるか否かは、ソールイガナシに選ばれた人の徳によると考えられていた。そして島ではスクは海から"湧いてくる"と表現されている(p.217)。

 これは、男子結社と漁撈の関係を示唆するものだ。

 後藤は大切なことを書いている。

 神話学者はしばしば海と山、あるいは水と陸を対立する概念と考えてきた。たしかにそれは重要な視点ではあるが、人々の生活感覚の上では、その連続性が同時に重要である。とくにここ数年間、東南アジアや南太平洋の調査を通して、圧倒されるようなマングローブ林での生活を見てきた私にとってはそう思えるのだ。湿地は底知れぬパワーを感じさせる空間である。ベトナムの詩人は降竜湾に広がる干潟を見てこう語った。「降竜湾は潮の花園。そこには日々を甘く香らせる、とびきりの果実が限りない」と。この詩を聞いて、私は大潮の日に姿を現す、宮古群島の八重干瀬の情景を思い出した(p.254)。

 ぼくたちも共感できるところだ。


『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』


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2015/05/12

「セヂ(霊力)の信仰について」(仲原善忠)

 仲原善忠の「セヂ(霊力)の信仰について」(『仲原善忠選集』)。

 古代沖縄人の信仰の対象は何であったかということを、オモロ(神歌)を中心として調べてみると、これまで漠然と考えられていた社・嶽・神(巫女)・石・動物の類ではなく、セヂ(シヂと発音す)と言う非人格的な霊力が圧倒的で、テルカワ(日)、テルシノ(月)・テダ(太陽)崇拝がこれに次ぎ、社・嶽およびその神・火の神などは第二期の発達であったという、意外な結果が生まれた。

 このことは分かるし、「おもろ」なので、王などがセヂを授かる形を取るのも了解できるが、ぼくが知りたいのはふつうの島人に、もともと備わっているものとしてセヂがあったか、霊力はセヂと呼ばれていたか、だ。

 しかし、それに応答がありそうなのは、次の箇所だけだ。

 然らばセヂは王だけがこれを受ける特権を持つかと言えば、必ずしも然りと言う根拠はないがオモロではセヂ招請の専門家たる巫女を除けば、男性では多分王子と思えるセヂコ(セヂ持つ幼児)が一つ見えるだけである。
 しかし後述の如く地方の豪族、後には男女の貴族、領主等の通名となったアヂ(按司)の別名チヤラはセヂ持つ人の意があるようだから、上代にはセヂを持つと考えられた人が少なくなかったことと思う。

 これはもちろんそうで、誰しもがセヂを持ったのである。知りたいのは、これがマブイと並び、霊魂や霊力を示すものとして島人に使われていたかどうか、ということだ。

 宮城真治氏によると国頭地方ではお嶽の奥にイベがあり、その前がイベの前で、イベは神の坐す所だと後世的解釈をしてあるが、セヂ崇拝時代にはまだ神(後世の)はいないからここがまさしくセヂの降る聖なる場所であろう。

 セヂは「降る」のではなく、宿る、瀰漫している点を除けば、共感できる箇所だ。

 


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2015/05/11

「「霊性」の起源と折口信夫の霊魂観」(安藤礼二)

 安藤礼二によれば、鈴木大拙は、「霊性」とは「精神と物質の二元的な対立を止揚して、そこに一元的な領野を開く、直覚の力」である。「光に満ちあふれ、森羅万象がそこから生み出されてくる、時間と空間の根源」、その光景を見るための力が「霊性」である。

 主客という区別を廃棄し、現在・過去・未来という時間秩序を超え、さらには無限の空間にまで広がり出て、あらゆるものに変身の可能性を与える。

 この象徴が「光」である。

 これは、ぼくたちが「霊力思考からみた世界」として言葉を手繰り寄せようとしているものと近しいと思える。

 折口信夫は、「自他の区別、時空間の区別が消滅し、そこに霊的な象徴が溢れ出てくる「霊性」の地平を、憑依という現象が切り開く「霊魂」の領域として定位させていった」。

 安藤は、その折口学の核心は、次の一節に「余すところなく述べられている」としている。

一人稱式に發想する敍事詩は、神の獨り言である。神、人に憑《カヽ》つて、自身の來歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。皆、巫覡の恍惚時の空想には過ぎない。併し、種族の意向の上に立つての空想である。而も種族の記憶の下積みが、突然復活する事もあつた事は、勿論である。其等の「本縁」を語る文章は、勿論、巫覡の口を衝いて出る口語文である。さうして其口は十分な律文要素が加つて居た。全體、狂亂時・變態時の心理の表現は、左右相稱を保ちながら進む、生活の根本拍子が急迫するからの、律動なのである。神憑りの際の動作を、正氣で居ても繰り返す所から、舞踊は生れて來る。此際、神の物語る話は、日常の語とは、樣子の變つたものである。神自身から見た一元描寫であるから、不自然でも不完全でもあるが、とにかくに發想は一人稱に依る樣になる。(「国文学の発生」第一稿)。

 ぼくは、実感的にはまるで分からないものの、「霊性」の指すものの姿がなんとなく浮かぶ気がする。

 (安藤礼二「「霊性」の起源と折口信夫の霊魂観」「古代文学46号」)
 

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2015/05/10

池田末利の「魂・魄考」

 池田末利の「魂・魄考-思想の起源と発展-」(『中国古代宗教史研究―制度と思想』)に依って、中国古代の霊魂観を見てみる。

 人死すればその精神(魂)は天に昇り、その形骸(魄)は地に帰するとの信念は上代中国人の間に一般的であったと考えられる(旧字体は新字体にした-引用者。以下同様)。

 中国では、古代から天界が存在している。

 一たい、霊魂観念が死霊観念に、後者は更に死者崇拝に起源することはアニミストの強調するところである。このことを社会的に換言すれば、祖神崇拝は後に祖霊崇拝の形態をとるに到ったが、祖霊崇拝の素朴な形は死霊崇拝であり、死霊崇拝は更に具体的な死者そのものの崇拝でなければならぬ。死者は即ち死んだその人、感覚的な肉体的な当人、もしくはその唯一の人格であり、死霊は少なくとも、その別体で第二存在であり、副人格ではなくともその複写 replica である。死霊は亡びゆく死屍や遺骨に代って、その人格の存続を永く保証するものとなる。

 池田の言うところを整理すると、下記になるだろうか。

 死者崇拝→死霊観念→霊魂観念
 祖神崇拝→(死者崇拝=死霊崇拝→祖霊崇拝)

 「霊魂観念」は、必ずしも「死霊観念」に発しないと思うが、全体像はうなずける。

 しかし、霊魂は必ずしも死霊のみに起源するとは限らぬ。リッパートの如きも、人間生命原理 Lebensprinzip から死霊観念が出て、これを大切にすることから、その祭祀即ち宗教が起り、それが自然物に宿ると見て呪物崇拝となると説き、ソーセイも人格的な霊魂とは別個に普遍的生命とか、非人格的霊魂とかを想定し、これを霊質 soul-substance と名づけて、これを霊魂観念と呼ぶよりは更に原始的なもの、少なくとも発生的には別系統と認め、この生霊を根源として凡てを生きものと見るアニマティスム、あるいは呪力観念を見出し得るプレアニミズムの立場を導いている。

 リッパートの考えはこうなるだろうか。

 人間生命原理→死霊観念→呪物崇拝

 ぼくは、死霊観念も霊魂思考の産物だと思う。

 今、これを上代中国の宗教事実に徴しても、その適用性を見出し得る。すなわち、祖先神としての鬼の最原始義は死者その人である。そこで、死霊崇拝としての鬼神崇拝は遡源的には死者崇拝に本づくといってさし支えないであろう。そして死霊観念ないし霊魂観念の具体的表現である「魂」「魄」の字が古くは嚴・異であり、嚴・翼であっても、何れも「鬼」字より孳乳(派生-引用者注)した、あるいは形・義・音ともに「鬼」と連関を有する文字であるのは、魂・魄思想が実に死者崇拝より進化した事実を立証するものと考えられよう。

 中国上代で生霊観がいつからあるのかは明瞭ではないが、陰陽説と相表裏して生じたものであることは承認されていい。

 これを要するに、中国上代においても、祖先崇拝はまず死者崇拝の形態を取り、ついで死霊崇拝・祖霊崇拝に転じ、陰陽説の発生と相俟って生霊観が起り、かくて死霊・生霊を統合する精霊観 Spiritism が成立したものとみるべき(後略)。

 ここでいう「精霊」とは霊魂思考のもとに見られた精霊の意味になると思える。

 古代中国の霊魂観が確認できて助かるが、旧字体で攻めてくる池田のこの論文の初出はいつだったのだろう。

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2015/05/09

鰐と割れ目太鼓

 後藤明の「オセアニア海洋民の魂の器としてのカヌー」から、関心に引き寄せてメモしておく。

 セピック川のイアトゥムル族は、原初の海から鰐が島を作ったと考えている。セピック川に浮かぶ草のようなイメージの島について、「陸は創造神である鰐の背中に乗っていると信じられている」。「カヌーの舳先に象られた鰐の表象は、その背中に乗っている村や人間を象徴する」。

 かつて首狩りに使われたカヌーは男子のイニシエーションに欠かせない道具である。儀礼の行われる男小屋には柵が作られ、外からは見えないようにされる。内部には大きな大きな穴が掘られ、水が張られる。柵の外には割れ目太鼓の音とともに祖先の霊が登場する。霊は装飾された頭蓋骨で柵の内部から繋がれた棒によって操られ、あたかも祖先の霊が踊っているように見える。祖先の霊には供物がなされ、それが終わると柵が壊される。すると祖先の霊はカヌーの舳先の彫刻に憑依し、首狩りや交易に出る男たちを護るのである。

 ぼくたちは、「イメージの力」展(cf.「「イメージの力」展、見聞記」「「イメージの力」展、見聞記2」)や小林眞の『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』によって、創造神としての鰐や割れ目太鼓や「装飾された頭蓋骨」について、いくらか具体的なイメージを持つことができる。

ソロモン諸島のマライタ島ランガランガでは、死者は近隣の小島に埋葬されるが、一部の位の高い者の頭蓋骨はその後村の祭壇に戻される。祭壇に頭蓋骨が奉納された者も村が移動したりするときは、埋葬の島に戻され、死者の魂はさらに遠くの死者の島に旅立つとされる。

 死者の島として関心を惹かれるが、これは頭蓋崇拝が共同儀礼化されたことを示す例ではないだろうか。

 cf.「マオリ族のハワイキにおける東西の対照」「原ハイヌウェレ型神話」


『古代世界の霊魂観』

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2015/05/08

「アフリカの霊魂観」(坂井信三)

 オセアニアを注視しているので、坂井信三による「アフリカの霊魂観」は新鮮だ。

 西アフリカの伝統文化の代表例とみなされるドゴン族。

 ドゴンの人々はこの不毛な砂岩の台地と断崖で、狭い谷間にたまったわずかの土地を大切に集めて畑にし、トウジンビエやアフリカ稲などを栽培してきた。

 この地域は、「サバンナや氾濫原の広大無辺さとはちがう、まるで箱庭の世界に入りこんだような錯覚にとらわれる」。そんな場所に住むドゴン族の霊魂観。

 人間は体と魂と生命力との複合からなる。

 子供の魂は二つ。割礼と陰核切除によって、一つになるが、除去された魂は、男性の場合はトカゲ、女性はサソリにとどまる。人間にはある種の「影のようなもの」として体にとどまる。

 鎖骨は人格の要をなして、そこに四種類の主要作物の種子の穀物倉にたとえられる。体の魂は、父母系、トーテム、年齢集団、性によって細分化される。この細分化は、「固有のアイデンティティを与える認識体系の役割を担っている」。

 生命力ニャマは、水のような流動物として表象される。汗や息など身体から発散する水分だけでなく、泉や川の水、雨や嵐、さらには熱気、陽光などの気象現象も、その発現だとみなされる。

 こうしたニャマの活動を見ていくと、それが生理・心理・社会・気象などの次元で、次々にかたちを変えながら融合したり分離したり、合流して溢れ出したり衝突して激流となったりしてはやがて再び退いていく、普遍的であると同時に個別的な、変幻自在のエネルギーのようなものらしいことが分かる。

 死後の世界はあまり重要な意味を持っていない。

もちろんドゴンの人々も祖先祭祀を行い、仮面を用いた盛大な死者儀礼を行うが、それはあくまでも生きている非人間たちの活動との関連で意味があるものであって、死者自身がたどる死後の運命や、天国・地獄のような死後の世界はほとんど関心の対象にならないのである。

 水の精霊ノンモは、「ことば」とも同一視される。良いことばは耳から入って女性の性器に到達し、そこに湿気と熱を与えて妊娠を助ける。悪いことばは耳から入ってのどに行き、肝臓を通って子宮に達する。女の性器のいやな臭いは耳が聞いた悪いことば。他の例でも、ドゴンの人たちがよいことばを大事にしている。

 ドゴン族の霊魂観は、霊力思考が旺盛だ。生命力ニャマが霊力の原義に変形を蒙っていないというだけでなく、「魂」の規定も霊力的である。それが、他界観の浅さとつながっている。仮面も来訪神化していない。おそらく、生と死は移行の段階にあるのだ。


『古代世界の霊魂観』


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2015/05/07

『琉球史を問い直す―古琉球時代論』

 何の証拠を持ち出さなくても、島や島人や自分の身体性に問うかぎり、琉球弧に国家をつくる必然性はなかっただろうと、ぼくは思い込んでいる。それだから、吉成直樹が、『琉球史を問い直す―古琉球時代論』でも展開している、「内的発展」のみでは琉球王国の成立は説明できないとする論旨は、その通りと思えるもので、『琉球の成立』のときと同様、今後の展開が楽しみだ。

 ある意味では、中国の巨大な文明の圧迫に抗するように日本国がつくられたように、中国や日本の圧迫を前に琉球国がつくられたのは、似ているのだろう。

 ただ、「倭寇が樹立した」のが琉球国だとしたら、いまだに国家をつくった勢力が何者か分からない日本に比べて、すっきりするのは、琉球弧のメリットではないだろうか。

 『琉球史を問い直す―古琉球時代論』を読みながら、ふと、それは未来構想の立てやすさにつながるという感触を覚えた。


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2015/05/06

「アイヌの霊魂観」(山崎幸治)

 山崎幸治は、久保寺逸彦の「北海道アイヌの葬制 : 沙流アイヌを中心として」等の資料に基づきながら、「十九世紀前半頃の北海道アイヌ」に照準して霊魂観を概観している。

 霊魂の機能は三つに分けられる。

 1.個々の霊魂は、一人の人間、一匹の動物、一個の品物の形態や性別を決定するだけの能力しかない。ただ、この霊魂が体外に出ることは死を意味する。

 2.「憑き神」と呼ばれる、一人の人間に附着する霊魂。先天的なものと後天的なものがある。先天的な「憑き神」は一生を共にする。巫術の能力も先天的。後天的なものは、病気が完治するまで生命の安全についてもらう。因果関係をもとに加害する憑き神、因果関係がないのに加害する憑き神。

 3.集団につく霊魂。先天的なものは、「家系の祖である祖先神と過去に故人となった祖先霊」。祖先神は、「ヒグマ、キツネ、シャチ、サケ、ワシなどの動物神」、「火や雷などの自然現象や病」。後天的なものは、村全体を守護する神、集落内の一家を守護する神、病や天災などを回避する神。

 ここでいう「憑き神」は、大林太良の整理では「守護精霊」と書かれていたものに該当する(cf.「「アイヌの霊魂観」(大林太良)」)。

「カムイ」というアイヌ語は、自らの生活と切っても切れない関係にあり、かつ、人間が素手で立ち向かえないものに対して与えられた概念であり、「霊魂」とは次元をややことにする(後略)。

 カムイがアイヌモシㇼを訪れる際には、動植物や自然現象、道具などに姿を変えて人間の前に現れる。

 あの世が存在する場所は、「天上」にあるという地域と「地下」にあるという地域があるとされる。いずれも、あの世には複数の階層が存在し、この世の行いの善し悪しによってどの階層に住むかが決まってくる。
 あの世が「天上」にあると考える地域では、良い人間は天上にある国に住む一方で、この世で悪行を働いた人間は、地下にある不快な場所の住人となる。一方、あの世が「地下」にあると考える地域では、良い人間が住む「あの世」は、地下であってもアイヌモシㇼ同様に光明明媚な美しい場所とされる。そして悪行を働いた人間は、さらに地下深くにあるテイネモシㇼなどと呼ばれる暗くジメジメした土地に住むことになる。ジメジメした土地の住人は、上の階層に住む住人よりもこの世での再生が困難とされる。

 これは久保寺の報告からは得られなかった、もしくはぼくが読み間違った知見だ。これを見ると、他界は天上界と地下が対置される場合と、地下だけの場合があることになる。天上と地下の対置の場合、生前の行いによってどちらかが決まるので、この点が、社会階級によって決まるポリネシアと違っている。

 では、死者がどのようにして「あの世」へ行くのかといえば、その経路など充分に分かっていないことも多いが、洞窟のようなトンネル状のなかを歩いていくと考えられている。知里真志保・山田秀三「あの世の入り口-いわゆる地獄穴について-」によれば、アフンルパㇻ、オマンルパㇻなどと呼ばれる「あの世の入り口」は、洞窟や窪地などとして村落近くに実在し、その周辺への立ち入りは厳しく禁止されている。

 ここからは、アイヌの霊魂自体は、霊魂思考が強いが、霊力的な側面を、憑き神に預けているように見える。それは、カムイと霊力豊かに表象されている。


『古代世界の霊魂観』


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2015/05/05

マナ観念と霊魂観念

 デュルケムはマナ観念から霊魂が発生したと説明するのに苦心している。

 マナは非人格的であるのに、霊魂は「人格性の基底」だともされる。この矛盾をデュルケムは、霊魂のこの性格は「後期の哲学的洗練の産物である」としている。マナは霊魂から派生した。

 しかし、霊魂観念がマナ観念から派生するからといって、霊魂観念が比較的後期の起源であるとか、歴史のある時期には、人間は非人格的な形態の宗教力しか知らなかった、などということには、けっしてならない。プレアニミズム(preanimisme)の語によって、アニミズムがまったく知られなかった歴史的期間を指すと解するならば、それは独断的な臆説を作るものである。霊魂観念とマナ観念とが共存していない民族はないからである。したがって、双方が別々の二時点で形成されたと想定するのは根拠がない。そうではなく、すべてが双方が際立って同時代のものであることを証明している。個人のない社会が存在しないと同じように、集合体から脱する非人格力は、そこで自らが個別化する個人意識に化身せずには、構成されえない。実際、そこには異なった二過程があるのではなくて、同じ唯一の過程の異なった二形相があるのである。もちろん、それらは、重要さにおいて、等しくはない。すなわち、一方は他方よりいっそう本質的である。マナ観念は霊魂観念を前提としない。というのは、マナが個別化して特殊の霊魂に寸断されうるためには、まず、マナが存在していなければならないし、かつまた、霊魂観念は、それが個別化するときにとる諸形態に依存してはならない。これに反して、霊魂観念は、マナ観念に関連させてはじめて了解できる。この点で、霊魂観念は二次的形成の結果である、といっていい。しかし、それは語の論理的意味での二次的形成にかんするものであって、年代的意味においてではない。(p.60、『宗教生活の原初形態〈下〉』)。

 「マナ観念は霊魂観念を前提としない」というなら、「霊魂観念もマナ観念を前提としない」といってもいい。双方は、「同じ唯一の過程の異なった二形相」ではなく、それぞれが独立した思考によるものと見なせるからだ。マナ観念は非人格的で、霊魂は人格的と対照的に観察されたのも、それぞれの独立性を示すものであって、デュルケムのように、「後期の哲学的洗練の産物である」と解釈しなくてもいいものだ。

 霊魂観念が個別化を促す。霊魂は「個別化したマナである(p.56)」、「霊魂とは、一般に、各個人の内に化身したトーテム原理そのものである」とデュルケムが言う時、それは、霊魂が概念として成立する過程で、霊力も霊魂化されてみなされるようになった経緯を指していると言ったほうがよいのではないだろうか。霊魂思考の側から見た霊力が、「各個人の内に化身したトーテム原理そのもの」というように。

 思うに、霊魂概念の成立は、自己幻想の分離や内面の成立の淵源をなしているのではないだろうか。


『宗教生活の原初形態〈下〉』

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2015/05/04

死霊と精霊

 棚瀬襄爾が『他界観念の原始形態』のなかで、「かつて人たりしことのなかった精霊」という用語を時々、使うのだが、その意味が掴みにくい。死霊と精霊を区別する必要があるという文脈のなかで、この用語は出てくるのだが、棚瀬が引いているコドリントンの原著に当たってみると、「the supernatural beings that were never in a human body are here called spirits, men's spirits that have left the body are called ghossts(p.121,「The Melanesians; studies in their anthropology and folk-lore」R.H.Codrington)と出てくる。精霊は人間とは独立した存在で、死者の霊魂である死霊とは区別する必要があるということらしい。コドリントンは西洋人に対する注意としてこう書いているのだが、ここはぼくたちが誤解することはないと思う。

 棚瀬の整理によれば、動物が神聖視されるといっても、ソロモン諸島とニューヘブリデス諸島とでは意味を異にする。ソロモン諸島で神聖視されるのは、鮫、鰐、蛇、ボニト鳥、フリゲート鳥。墓であることが多い聖なる場所に出現する蛇は、それ自体聖なるもので、死霊の化現であるとされる。

 ニューヘブリデス諸島で神聖視されるのは、鮫、蛇、かわせみ、梟、蟹、とかげ、鰻などで、石の置いてある聖所に出没する動物だ。しかし、この動物たちは死霊の化現ではなく、精霊の住む動物である。ここで棚瀬は「かつて人たりしことのなかった精霊」と言うわけだ。

 ソロモン諸島は地上の他界であり、転生信仰がある。これに対してニューヘブリデス諸島は、地下の他界で再生、転生信仰は存在しない。再生、転生信仰のないところで、「精霊の住む動物」は出現している。

 ぼくたちはここに、トーテミズムが崩壊する過程で、再生信仰は転生信仰に弱められ、転生信仰のなかで、死霊は動物に化身し、神聖視される場合があり、この転生信仰も崩壊すると、死霊は動物に化身しないが、精霊が住むようになる、と理解することができる。

 まだ分からないことはあって、それならここでいう精霊と、たとえばオーストラリアのアボリジニの言う精霊とは同じ概念だろうか。

 グレートスピリットとも呼ばれる虹ヘビはこんな存在だ。

 その神話の主人公の虹ヘビは、地上の水場にすむ巨大なヘビで、女性であるとも男性だともいう。この虹ヘビは赤と白の模様で色どられていたり、空にかかる虹のようであるともいわれる。その一方でこのヘビは、口もとにするどいひげをもっていたり、背中にたくさんのトゲを突き立てていたりする。その力は偉大で、空を飛び地中にもぐり、変身し、人や動物をつくりだし、あるいはそれらを飲み込んだりと、自在に活動する。それゆえこの虹ヘビは、アボリジニのひとにとっておそろしい存在ではあるが、それが雨を司るところから、乾燥した地域の人びとにとっては豊かさの象徴でもあった。(松山利夫『精霊たちのメッセージ』

 虹ヘビは、「変身し、人や動物をつくりだし、あるいはそれらを飲み込んだりと、自在に活動する」という点できわめて霊力が豊かだ。それゆえ、「赤と白の模様で色どられていたり、空にかかる虹のようである」のように実在的な存在感もしたたかにある。

 一方で、ニューヘブリデス諸島では、「精霊の住む動物」という表現に象徴されるように、霊魂思考が強い。仮に、精霊という言葉で通すとしたら、霊魂思考が強い場所での精霊は、動物に入ることはできても、人や動物を作り出したり、変身したりはできないはずだ。

 ひとまず、精霊という言葉を共通の概念として貫徹できると仮定してのことだが、霊力思考のもとでの精霊と霊魂思考のもとでの精霊は態様が異なると考えておきたい。


『精霊たちのメッセージ―現代アボリジニの神話世界』


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2015/05/03

「アイヌの霊魂観」(大林太良)

 大林太良は、アイヌの霊魂観について書いている(『北の人 文化と宗教』)。

 藤村久和らの整理によれば、アイヌの霊魂"ramat"は4つの特性を持つ。

 1.霊魂は永久不滅
 2.霊魂はこの世と他界を行き来する
 3.霊魂はそれ自体見えないが、たとえば人間の形を取るなどして、目の前に現れることがある
 4.あらゆるものは霊魂を持っている。人間だけでなく、動植物、自然物、人口物にも認められる。人間くさい神には霊魂がある。

目に見えるカムイの姿はすべてカムイの衣裳と考えられており、霊魂としてのカムイは人間と同じ姿をしているとされる。ただしそれは』通常人間の目には見えない(中川裕)。

 霊魂の衣裳としての身体。

 "ramat"という語は、 「心」「心臓」の"ram"と「紐」 "at"の二つの部分からなる。

眠っている人の上を飛ぶ虫を殺してはならない。それはその人の霊魂の現象形態かもしれないからだ。眠っている人の身体から離脱した霊魂は、蜂、蝶、蠅、あるいは小鳥の形をとって飛ぶことができる。誰かが眠っているとき、その ramat は鼻孔か口を通って、身体から出、世の中を見物することができる。したがって、身体を動かしてうんうんと唸っていても、その人を急に起こしてはいけない。魂が出たきりになってしまえば、起こされた人は死んでしまうか、それとも白痴になってしまう。同様にして、眠りながら泣いている赤坊も起こしてはならない。

 久保寺の報告にはなかったが、やはり霊魂の永久離脱も死と捉えられているのが分かる。それにしても、いろんな種族の「起こさない作法」は優しい。

 他界への道行きの準備の場所は、「集落の近くにある洞穴」。他界における霊魂は、現世に再生する機会を待つ。

子供の誕生は、彼らにとっては、子供が男なら父系の、女なら母系の死んだ成員がこの世にもどって来たことを意味している。

 アイヌにも再生信仰がある。「死者は他界においては人間の形をとって生活している。しかし再生する者は、目に見えない霊魂に変容される。こうして霊魂は、守護精霊もろともに妊婦の子宮に入ることができる」。

 他界での局面、再生する局面での形態について仔細になるのは、アイヌらしいと思う。守護精霊は、誰でも持つのではない、と注釈されている。

 大林は、アイヌの霊魂が一つなのにことさらに驚いてみせている。霊魂二元論は「世界的に広く分布している観念なのである」、と。けれど、その数や態様が種族によりさまざまでありうるのは、「霊魂協奏曲」で見てきた通りだ。そもそも厳密には「霊魂」は一つを基本にしている。霊魂が概念として成立したとき、「霊力」も霊魂化されて捉えられたので、二つとして現象したのだ。あとは霊魂思考の強度により、語られる内実が異なってくる。アイヌの場合は、霊魂思考の度合いが強いのだ。

 大林は、アイヌの霊魂観が北方の種族との類似を見せることから、「霊魂は一つだという観念は、複数の霊魂が一つに融合した結果生じたらしい」と書いている。確かにアイヌの霊魂観や守護精霊の存在は、北方のシャーマニズムを思い出させる。しかし、北方のシャーマンの入巫における肉体の改造や再生しうるという観念に見られるように霊力思考は潜在化している。融合というより、霊力の度合いが低く潜在化しているのだ。

 アイヌは、土地への定着化とともに霊魂思考を駆動させていった。けれど、洞穴の伝承や、他界と現世を自由に行き来できるとしているので、死と生が移行にある段階の思考も多く残している。


『北の人 文化と宗教』


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2015/05/02

「北海道アイヌの葬制 : 沙流アイヌを中心として」

 もう60年以上前の論文だが、アイヌの葬法と他界観に疎いので、久保寺逸彦の「北海道アイヌの葬制 : 沙流アイヌを中心として」はありがたかった。

 死者の霊(ramachibi)は、この世を去って他界にいたり、先祖たちと一緒に暮らす。他界は地下だ。ところが、天界が6層あるように、地下界も6層ある。ただ、ふつうには、地下の国と、その最低底の国とをだけ言うことが多い。最低底の国は、善神との戦いに敗れた魔神の霊、悪業によって罰せられた人間、人間に危害を加えた悪熊などが追いやられる。

 地下界は、現世をそのまま写像したもので、死者の生活はこの世の延長。死霊は忌避追放すべきもの、不気味なもの。冥府を支配する神は存在しない。

 1.死者の国の生活は、永遠の生の享楽。
 2.他界では、出生、増殖は考えられない。人口の減少は現世への再生によるもののみ。
 3.死者の国の1日は、上方世界の6日。
 4.季節、昼夜は現世と逆。

 ぼくたちはポリネシアの例から、天と地下が対置されるのは、社会階級の違いによることを見てきたが(cf.「ポリネシアの他界と葬法」)、アイヌの場合はそういう区別はないので、ポリネシアとは異なる。また、天界が死者の行く他界とも記述されていない。

 昼夜、季節は逆だとされているので、棚瀬の考察を踏まえれば、地上の他界の観念が混入しているはずである。つまり、霊力思考の関与があることになる。

 現世と他界をつなぐ通路には、「北海道各地の海岸や川岸の洞窟に付されて、多く存在する」地名で言い表される。洞穴には多くの伝承が存在している。

 久保寺が採集した一例を引いておく。

 昔、佐瑠太(サルプト)近くの或る村に妻に死なれた男があって、毎日悲しんで臥てばかりいた。或日、気晴らしに、海岸に出て見ると、亡き妻が、昆布を拾っていたので、妻の名を呼びつつ、捉まえようとすると、妻は恐れて逃げていく。追掛けていくと、川岸の横穴 Oman-ru-paro に入っていく。男もすかさず穴に入って追っていく。初めの中は、穴が狭いので、四っ這いになって進んでいったが、次第に先が明るくなって来た。明るいところへ出ると、美しい小川が流れている。川沿いに、逃げる妻を追っていくと、或る一軒の家に入ろうとする。よく見ると、そこは自分の家であった。続いて、男も家の中へ入ろうとすると、犬 seta が出て吠えかかって、今にも噛みつきそうにする。犬はこわかったが、やっと、妻の着物の裾をつかまえたと思った途旦、妻はばったり転んでそのまま息絶えてしまった。すると、家の中から『巫女 tusu-menoko(占女)』を呼んで来て、息を吹きかえさせろ、外へ来たのは妖怪(おばけ)だから、wen hru(悪い食物の義で、魚の骨・鰭・尾。穂のままの稗 pushkur-amamなど、悪魔祓いに使うもの)を撒き散らして逐っ払え』という声がしたと思ったら、穢に食物をその男めがけて投げつけて来た。それが着物についていて、なかなか離れない。男は仕方がないので、妻が蘇生する様子を見ながら、逃げ出して、再び、先の洞穴から出て、家に帰って来たが、悲嘆して臥してばかりいた。(二谷国松氏伝承)。

 この世とあの世の逆という観念も入っているから、素の伝承とは言えないけれど、死が生の移行であり、生者と死者が共存する段階のことがちゃんと描かれている。その結節に洞穴が位置している。

 久保寺はこの系列の伝承について考察を加えている。

 1.現世の人々も、死者の国を訪れることができる。
 2.現世の人には、彼らが見えるが、彼らからはこちらは見えない。霊や悪魔、妖怪のように見える。
 3.現世の人はあの世では、放逐される。
 4.あの世で意思疎通を図るには、神がかり状態で口寄せしなくてはならない。
 5.他界の食べ物を食べるとこの世に戻れない。

 副葬品や供物についての扱いにも触れている。

Animisticなアイヌの考え方によれば、organicのものでも、inorganicのものでも、すべて霊が存在する訳で、その形態乃至肉体を破壊することによって、霊は他界に再生し得るのであるから、死者、祖霊、魔神等に供えたものは、破砕して、その精霊だけを家苞として持たせればよい訳である。死者の副葬品をすべて傷つけ、或は破壊して、埋める意味も、之に通じるものであろう。

 墓地は、「部落近い山の中腹、或は丘陵上等に設けられる」。墓地は死体を遺棄するところであり、詣でるところではないから、長い歳月のうりには墓標も朽ちる。墓地は家ごとにあるのではなく、漸次、既存の墓に距離を保って掘られる。

 死産児の場合は、女便所の前を掘って埋める。その際は、便所の神(Ru-kor kamui)に禱詞を述べる。

 「死者の家を焼く」習俗についても書いている。

 アイヌの宗教観に於いても、祖霊に親愛感を持ち、之を崇拝祭祀する段階は、かなり後の発達で、本来は、祖霊は恐るべきもの、墓地に屍を捨て去ったのを最後として、永遠に絶縁すべきもの、祭るべからざるものであったのである。従って、他界に於いての生活の為に、死者に家を持たせてやるという考方は、祖霊の崇拝乃至祭祀が起ってからの合理化でなければならない。

 これは、『琉球列島における死霊祭祀の構造』における酒井卯作の考え方に近い。けれど、「死者に家を持たせてやる」という言い方が、「祖霊に親愛感を持ち、之を崇拝祭祀する段階」の思考を反映させているはいえ、生と死が分離し、死穢が発生したところで、霊魂化することで他界に行く思考のもとでは、成り立つ言い方には違いない。ぼくには、死霊への恐怖にすべてを還元することにむしろ違和感がある。

 「家を焼く」習俗は、1871(明治4)年に、北海道開拓使庁の命で禁止された。与論で風葬が禁止されたのは、1902(明治35)年ともっと後だ。

 病気や不運は、一切、「悪神・魔神」のせいだと考える。ここでの神はカミと精霊化して受け取ったほうがいいと思える。ただ、悪霊が取り憑くとは表現されていない。

 明記されていないが、葬法は伸展位埋葬だと受け取れる。死穢、死霊への恐怖、地下他界等、霊魂思考が伸展している。ただ、洞穴の伝承に見られるように、死が生からの移行だと考えられた段階の思考もよく保存されている。この世とあの世は逆であるという地上の他界でよく言われる他界観も出ているが、他界は地下である。地上化は、天上界の存在によって示されているのだろうか。

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2015/05/01

『霊魂観の系譜』

 桜井徳太郎の『霊魂観の系譜』は、書名から期待したものは得られなかった。というのはぼくのわがままで、学問的方法論を説くモチーフがぼくには遠かった。

 日本ではタマシイのことをタマともいう。(中略)誕生し成長し、そして死滅する人間や動植物の変化、さらに雨風、洪水、火山の噴火、日月星辰などの気象や天象、これらの神秘的現象は、ことごとくそれを生起せしめる根源的霊力すなわちタマのはたらきによるものと判断していたのであろう。つまりアニミズムの世界で暮らしていたとみてよい。

 この記述からは、タマの五感には霊力が含まれているように見える。

 印象的だったのは、折口信夫の言葉だった。

現代の民俗を考察していても、すぐに古代の方から迎えに来てしまう。・・・・それほど古代が身近な世界であった(大藤時彦「先生の学問」)。

 「古代の方から迎え」に来る。いいですね。これは折口の資質を語ったものでもあるのだろう。


『霊魂観の系譜―歴史民俗学の視点』

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