食人と再生信仰における思考の差異
食人と再生信仰における霊力思考の差はなんだろう。食人は、身体に霊力を認めるのだから、霊力思考が支配的であることが分かる。
ところが、再生信仰では、霊魂思考の動きも認められる。オーストラリアのウンマトエラ、カイティッシュ、ワラムンガ、グナンジ、マラ族は再生信仰を持つ。これらの種族では、死霊は死体が樹上あるいは木の間をさまよい、また服喪が正しく行われているかを監視すると考えられ、切髪、石灰塗布、沈黙の掟が守られるが、骨葬が終わると、死霊は父祖の神話時代の地へ去り、遺族の服喪も終わる。
棚瀬はこれについて、「遊離霊」であることは間違いなく、それ自身の意思を持ち、「形像霊」的な把握も皆無ではないが、「人間形態視」は強くないとしている。つまり、再生信仰においては、霊魂思考も稼働しているのだ。
ということは、再葬にはいずれ「骨の信仰」があることは間違いないが、それは霊魂思考の関与だと見なすことができる。
「霊魂」観念の諸相には、
1.動く
2人間の形を持つ
この二つの軸がある。霊力思考が優位なところでも、身体を離れて「動く」霊魂は存在して、その場合、人は再生するという観念を生む。「人間の形を持つ」という段階まで来ると、霊魂は身体と二重化した「霊魂」として振る舞う。そこでは、霊力より霊魂思考が優位になっていく。
(cf.棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)
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