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2015/04/29

「折口信夫の鎮魂説」(津城寛文)

 津城寛文は、折口信夫の鎮魂論について、分かりやすく説明している。長いが、理解が進むので引用する。

 他界である「とこよ」は「たま・たましひ」「霊魂」の常駐所であり、「まれびと」はその他界から「たま・たましひ」を現界にもたらすものである。そうした他界と現界の間を行き来自在な「霊魂」である「外来魂」をい増殖させたり(たま殖ゆ)、現界の物体に憑依させたり(はま触り)、運動を制して一箇所に固定させたり(たま鎮め)、結び留めたり(たま結び)する一連の操作過程を「鎮魂」という。これは職能者が携わる呪術・技術であり、芸能や儀礼の中核をなす。「あそび」とは文芸や芸能や儀礼的所作により、そうした「霊魂」を対象に「鎮魂」することにほかならない。手足を動かすことにより例霊魂が操られ、あるいは歌を歌うことによりそこに内在していた「言霊」としての「霊魂」が相手に移動してゆく。しかし実際に鎮魂を成就するのは人間の業ではなく、「ムスビの神」の業である。また「ライフ・インデキス」とは、それらの「霊魂」の行き来する経路に沿って配置された、他界への道筋を矢印で示す行き先案内の標識である。「霊魂」には貴賤があり、現界の職業の資格を保証するためのものもある。たとえば「稲魂」が憑依しないと稲の収穫を自由にできないし、「国魂」が憑依しないと国を領有できないので、為政者はそれらを附着させたち、あるいは代替りにそれを継承させるための「鎮魂」の儀礼が必要になる。代表的なものが天皇の資格を保証する霊魂である「天皇霊」を先帝から新帝に移動させるための「大嘗祭」であり、「日継ぎ」(=霊継ぎ)とはその「天皇霊」を継承するという意味である、と。(『折口信夫の鎮魂論―研究史的位相と歌人の身体感覚』

 フレイザー由来の「外来魂」は、万物の霊力が、霊魂化して精霊やカミの形態をとったものと理解しておく。「ライフ・インデキス」は、琉球弧でいえば、ビッチル、イビ、洞窟などがそれに該当するだろうか。

 津城はまた、鎮魂呪術について類型化を行っている。便宜のため図解しておく。

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 1.「魂触り1」
 ・施術者の操作により、被術者の身体に、両者とは独立した魂が入る。
 ・詞章、歌謡、舞踏、つまり芸能。

 ・呪詞を唱えることで、その呪詞に内在していた魂がその呪詞に乗って、唱えかえられた相手に入っていく。
 ・歌を歌うと、その人の魂が相手の体にくっつく。
 ・いったん遊離した魂を取り返して、身にくっつける魂しづめ。

 ・呪物(あるいは、神霊の憑り代、霊魂の移動・附着を媒介するもの)をもってするもの。
 ・袖や領巾を思ふ人に向かって振ると、その霊魂が招かれて寄りくる。そして完全に霊魂が捕われれば、その恋は成就する。

 2.「魂殖ゆ」
 ・施術者が自分の魂を分割してそれを被術者に与える。
 ・身分の上の者は下の者から魂の献上を受ける(自分の増殖魂を分割して被術者に与える)
 ・冬祭り

 3.「魂鎮め」
 ・施術者が魂の活動のみを直接に制肘する。

 ・「魂触り」からの分化。
 ・歌舞に内在するする魂か、あるいはそれに誘発される付近の外来魂か、場合によっては施術者自身の有する魂か、このいずれかが、芸能を行うことで施術者自身の身体内に入る。
 ・舞踊(あそび)をもって呼び出したものを、歌を誦することによって身体の奥所に入れる。

 ・外からよい魂を迎えて、人間の身体に鎮定させる。威力をもって精霊を抑えつけておく。
 ・田遊び。田を踏みつけ、その田を掻きならして田に適当な魂を落ち着ける。

 4.「魂触り2」
 ・被術者はいるが、施術者としての人間が存在しないかとか不明であるとか、ともかく施術者の比重の小さい鎮魂呪術。魂が被術者に入るという形を取る。
 ・物忌み
 ・「鳥の遊び」「魚の遊び」。禽獣や魚を捕えること、それを食すること、見たり飼ったりするだけで、その保有する魂がこちらへ入ってくる。

 ぼくたちの目には、ユタの病気治療は「魂触り1」、食人は「魂触り2」、添い寝は「魂殖ゆ」に見えてくる。

 津城は、奄美のシュバナについても、山下欣一の言葉を引いて考察している。

シュバナというのは、海岸で波の打ち寄せてくる白波の部分をススキで「七汐、七波、七花」と唱えてすくうようにして水をかぶる儀礼で、ミズバナは奄美本島の水神に当り、泉で水神を拝み、水をかぶる儀礼である。このシュバナ・ミズバナを取る場所の決定には、馬を使用する。奄美本島の遺品の探求とおなじく、馬を自由意思で歩くのに任せ、その意志で止った場所でシュバナ・ミズバナを取るのである(p.256、『奄美のシャーマニズム』

 津城は、呪術、儀礼とは別に「行法」という類型を設け、これを「呪術的行法的鎮魂」と位置づけている。

 この、水行の場が神意に委ねられてある一定の地に限られるというのは(中略)、おそらく穢れを祓い除くためではなく、霊威を身につけるためなのだろう(p.154)。

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