祖先崇拝の条件
見落としがあるかもしれないが、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』のなかで、「祖先崇拝」とはっきり記述されている例は少ない。
ニューカレドニア島の北のベレプ諸島では浅い墓穴に頭を上にして坐位で埋葬する。頭だけ地上に出しておくこともある。後で頭蓋を取るためである。墓掘り人は穢であるとして、厳重に隔離される。死後一年すると、死体の肉が完全に腐り、頭蓋を取り去って住居近くの各家族墓地の地上に並べる。他界は島北東の海底。
ベレプ島の真の宗教は祖先崇拝で、彼らは祖先の功徳を信じ、この聖域は彼らの犯すべからざる財産であり、他人の聖域を犯すことはない。彼らは病者を治そうとすれば、まず家族の1人が甘藷の葉を携えて聖域に行き、これを頭蓋に供えて、その力を得、次いで同一のものを父、祖父の木に供えて力を得て、息をふきかけて病者を治そうとする。漁に成功せんとすれば、ある植物を焙って、これを頭蓋に供えて成功を祈る。甘藷の豊作を願う時にも、ヤム芋の取り入れ前に不作の心配のある時にも、頭蓋に祈るのである。絶えず祈るために彼らは祈祷柱を発明し、これを墓または頭蓋置場に立て、これをもって祈祷に代える習俗も持っている(p.231)。
ニューカレドニア島南々東部の島人。死体は埋葬するが首だけを出しておく。10日経つと、首を取り、頭蓋を保存する。病気や災害の時には頭蓋に食物を手向ける。彼らの神々は彼らの祖先であって、その遺品を保存し、偶像崇拝する。死者は白人に化現するという信仰もある。
漁撈、植樹、建築、祈雨などの重要時に際しては、彼らはその成功を神々に祈るし、死者の遺物を呪物として戦争に携える。死者の霊魂は森に行くと信じ、五か月ごとに『死霊の夜』を行う。
明確に記述されていないが、他界は地上である。
この『死霊の夜』は、琉球弧に照らしても面白い。
これは老人達が昼夜密かに洞穴の中に入りこみ、夕方になると、人々が洞穴の回りに集まって祭をするので、老人らの歌うこの世ならぬ歌声を死者の声として聞き、これに合わせて踊るもので、その夜儀には性的許容を伴う(p.233)。
タミ族については、散々、引用してきた(cf.「タミ族の葬法と他界観念」)。
まず、観察者によって祖先崇拝の基準があるから、報告もまちまちになるはずだ。その限定はあるものの、上の記述を見る限り、転生信仰や一種の再生信仰、仮面とも共存している。
ただ、その仮面の存在するタミ族において、「仮面舞踏をする秘密結社に関連する神もいるが、重要な意義は認めていない。タミ族が関心を示すのは、死者の霊魂であり、祖先崇拝をする」とされているのは興味をそそる。
死者儀礼としての仮面習俗に彼らが関心を示していれば、祖先崇拝には至っていない可能性を示唆するものだ。タミ族では、仮面儀礼は12年の長い周期を持つ。これが以前は、仮面周期が短く、祖先崇拝はなかったことを意味するのではないだろうか。
祖先崇拝が成り立つためにはいくつかの条件が必要だと思える。
・祖先が人間の系列で考えられている(言い換えれば、トーテム原理は崩壊している)
・対幻想が強化されている
・霊魂の不滅が信じられている
人間と自然がはっきりと区別され、しかも人間の優位性がすでに前提になっている。祖先崇拝は、その初源では、霊魂思考における再生信仰の変形(cf.「祖先崇拝の初源」)だったが、再生信仰の衰退とともに、継承へと変形されていった。
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