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2015/04/23

定着を促した漁法

 伊藤慎二によれば、貝塚時代前3期(5000年前)に、琉球弧は定着期に入る。樋泉岳二からは、貝塚時代前2期(6000年前)くいらいから脊椎動物の利用は、魚類がイノシイを上回りはじめ、貝塚時代前3期(5000年前)には魚類が大勢を占めるという報告がなされている。樋泉はこの時代を「ウミアッチャー世」と呼んでいる。

 屋我地島海岸の大堂原貝塚では、貝塚時代前3~4期にベラ科が圧倒的に優先するが、これは、その頃にヒシが形成され、イノーが拡大した可能性と「調和的」であるとされる。

 定着期への移行には、珊瑚礁環境が整った後に、島人が魚類獲得へ乗り出し、漁獲を得るために定着することを選択したと考えられる。西田正規は、携帯には不向きな「定置漁具」の利用が定住を促したのではないかと仮説していたが(cf.『人類史のなかの定住革命』)、琉球弧において定着を促した漁法とは何だったかを探ってみたい。

 喜舎場永均は、「八重山における旧来の漁業」(『八重山民俗誌上巻・民俗篇』)のなかで、漁法を紹介している。

 八重山の漁業とは、珊瑚礁の漁業のことだ。

 1.カキ(垣)

 珊瑚岩で積み重ねた石垣を、珊瑚礁に接地する半円状に敷き、干潮時に魚が逃げられなくなるようにする。「至って原始的な漁業法」。

 魚類が入り込んだらその入り口に網を張るのを口垣(フチィカキ)という。大浜という部落が行う。

昔から「ホウマイヅ」(大浜魚)といって、八重山名物の一つに数えられていた。大漁の時は、その部落全部に配っても、なお余分があったので、一里余の石垣町へ盛んに売りにきた位で、当時漁業者のおらなかった島では。、お裾分けをして薬用にした位であった。

 垣には、地名、人名、屋号がついて名づけられている。その後、糸満人が島へ入り込んで、やらなくなった。

 垣にはそれぞれ「ウガンジュ」(拝所)、あるいは願所という社が海岸近くにあって、霊石霊水を神体として祈願している。獲物の中から最もよい魚数匹を、その社に奉納謝礼して、その式が済んだら土中に魚類を埋めて、常に神の加護を祈りつつある。

 これは、与論でいえば、島のはじまりの地とされる赤碕御願とアマンジョー、赤碕海岸の説明にもなっていると思う。

 2.イズベーシィ(ササ入り)

 イズ(魚)、ベーシィ(酔わす)。有毒植物の葉、樹皮等の樹液を流し込んで毒殺する。干潮時に珊瑚礁のくぼんで水をたたえた所に注入すると、魚が浮き上がってくる。もっぱら小魚で、塩辛にする。「ササ入れ」のもっともよいシーズンは、秋の夜の冴えた月夜の晩。

 これが「雨乞い」と結びつく例が白保にある。

 轟川(トドロキガーラ)の生物を毒殺して、捕れるだけは村民がとるが、川底などに沈んでいるものは腐敗して悪臭を放つ。龍神はこの悪臭で立腹して、大雨を降らせて、川浚えを断行する。

 3.カイラーギィ

 イノーに隘路をつくり、そこに魚を追い込んで捕る。

 4.網を使った漁法。

 ピサン。外界に通じる珊瑚の割れ目の前(イノー側)に網を張っておく。満潮時に、割れ目から浅瀬の餌場へと入った魚群が、干潮時に外界へ戻れなくする方法。ニーバリィ、チヌバリィ、ボーダ、アーガヒ、シッチュー、ウムナー、タコン、イラブチ等。

 この変形に夜に行うユブサン(夜干網)がある。

 ウキアン(浮子網)。夜間の満潮時に浅瀬に入る魚を捕る。

 ユルカタガシィ。ユルは「寄る」。珊瑚礁の割れ目から円弧を描くように網をかけておく。切れ目から入ってくる魚群を捕える。その他、ミーマキィ、マチィビ、ウツチアンがある。どれも、潮の満ち干と珊瑚礁と魚の習性を利用したものだ。シュク(スク)の漁法はこれだろうか。

 5.イザリィ(魚火)

 6.タクトウイ(蛸捕り)

 7.ティーリィヌイズ(笊籠の魚)

 8.イズハウシィ(魚釣)

 カキは、場所との結びつきが強い。珊瑚の割れ目もそうだ。カキに人名、屋号がつきやすいのはそれが所有に関わってくるからだ。琉球弧の場合、土地所有の前に、イノー所有の方が切実になったに違いない。ここに網を使う漁法が加われば携帯の不自由が加わるので、定着化は促進されることになる。

 また、カキ(垣)と拝所の連結は琉球弧の初期集落のあり方を示しているように見える。

 久高島には、漁法を伝承する浜下り行事がある。

 このお浜下りの行事は、久高島の男性が、はじめて漁人として手ほどきをうけるイニシエーションの儀式だといえる。これは島の男性が現実の生活に従う方法を神からの守護と結びつけるもので、実生活の祭儀の側面が海の神の祭りを司るソーリイガナシ(大祝)のもとに主宰されて所属することをしめしている。この久高の浜下りの行事よりも単純で素朴な宗教的な行事をかんがえてみる。八重山諸島では海岸の近くに、霊石や霊木を神体にしたウガン(拝所)の社があって、獲物の魚を供えて拝み、そのあと魚を土中に埋めて漁の加護を願う形が、行われる。祭儀としての華麗さや整いかたにいくつかの段階があるとしても、これは海人-狩猟民系のヒコ-ヒコ制の神事の系列と見なすことができるようにおもわれる。(吉本隆明「イザイホーの象徴について」)

 男性による年齢階梯的な結社は、定着期初期集落では、漁撈にかかわる祭儀に携わったのではないだろうか。

 徳之島では、この拝所が農耕の拝所に接ぎ木される例を見ることができる(cf.「シニグの因数分解1」)。

 

 

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