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2015/04/30

他界への道を塞ぐ(生と死の分離の契機)

 他界への道行きで、ひときわぼくたちの関心を惹くマンガイア島の例(cf.「ニライ・カナイ、地の底から海上への転位」)について、棚瀬襄爾が『他界観念の原始形態』で紹介しているものには前段があった。棚瀬が引いていない箇所の内容は次のようなものだ。

 あの世への道は、かつては アレマウク(Aremauku)という西の海に張り出し崖の上からスタートした。この道のおかげで以前は、あの世と定期的なコミュニケーションが取れていた。たとえば、大昔、英雄マウイは、この道を通って火の神マウイケのいることろへ行き、人間が使えるように火を持ち帰った。けれど、死霊の地の住人は、しばらくすると、上に上がってきて生者を病気や死で苦しめて、とても面倒を起こすようになった。彼らは、食糧を盗んだり、妻を奪ったりもした。いつまでも続く厄介を終らせるために、ティキという勇敢で美しい女性が、あの世へと通じる暗い裂け目に転がっていった。彼女は口を大きく開いた深い穴を閉じ、それ以来、道は閉ざされてしまった。死霊はその道を通ってアヴァイキから上がってくることができなくなり、また、同様に死者の霊魂もその道を通って下界に降りることができなくなってしまった。彼らはいま、別のルートをたどらざるを得なくなっている。(「The belief in immortality and the worship of the dead 2; The belief among the Polynesians」)

 棚瀬の引かなかったこの箇所はとても重要だと思える。この場面は、イザナギが、追ってくるイザナミから逃げて、他界に通じる穴を塞ぐ行為を同じことを指しており、生と死の分離を象徴するものだからだ。そして『古事記』の場合も、マンガイアの神話の場合も死者が生者を苦しめることが、穴を塞ぐ理由になっている。これは、言い換えれば、地上の利害の矛盾を死者に転嫁したものだ。

 さまざまな種族の他界観のなかに他界への道行きが重視されているものがあり、それぞれにいくつもの島を渡ったり、番人の通り抜けなければならなかったり、死しても難事をこなすのが不思議だったが、マンガイアの神話はその背景に示唆を与えてくれる。他界が空間性を獲得するためには生者と死者の矛盾という契機があったと考えられるのだ。

 この箇所の存在は、萩原秀三郎の『地下他界』で知った。荻原は、松本信広の文章から引いたものとして、「トンガの東にある」「エルベー島」のこととしていた。ぼくは、マンガイアの例と似ているのに驚いて、原典を知りたくなり、松本信広の記事に当たってみたら(「柳田國男の『海南小記』と『海上の道』」「どるめん13号」)、

 その頃私は、ポリネシア群島の真ん中、トンガの東にあるクック・アイランドの、エルベー(ハーヴェー)島の島人たちが、死者の魂に対して考えているところが、フレーザーが "Belief in Immorality" (「不朽の信仰」)という有名な本の中に引用しているのですが、それを紹介したことがあります。

 とあった。そこで、フレーザーからの引用だったことを知り、原典を当たることができたのと一緒に、荻原の引用文から「トンガの東」に「エルベー島」が見当たらず「エウア島」のことだろうかと地図にプロットしたのは見当違いなのも分かった(cf.『地下他界―蒼き神々の系譜』)。まさにぼくが惹かれてきたマンガイアの例だったのだ。しかも、松本は「エルベー(ハーヴェー)島」と書いているのだから、それを見ていたら、エルベーが「ハーヴェー」を読んだものだと気づけたと思う。荻原は、実際の場所への関心はなしに引用したので、ぼくにとっては詳細が不足していたことになる。資料の引用とは恐ろしいものだと思う。

 ところで、松本がマンガイアの例を引いているのは、「根の国」と「地下他界」の関係を言うためで、荻原の問題意識と重なっている。

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