「霊魂観の研究史」(ハンス・フィッシャー)
ハンス・フィッシャーの「霊魂観の研究史」は、期間にして1860年から1960年までの一世紀、人数にして23人もの西洋人の霊魂観の研究を辿っている。
フィッシャーの整理では、ヴントを嚆矢として、23人のうち5人が、霊魂二元論に至っている。ぼくたちが捉える「霊力」と「霊魂」のうち、霊魂の根拠に注視しながら、5人の二元論を辿ってみる。
ヴントは、「縛られた霊魂」と「自由で肉体から分離する霊魂」を区別し、「縛られた霊魂」をより原初的なものとみなし、「身体魂」と名づけた。のちに、「気息魂」と「陰影魂」の概念に至る。ヴントの陰影魂は「夢」によって説明されている(『民族心理学』)。
ボアズは、「生命魂」と「記憶像の霊」。その名の通り、ボアズにあっては「記憶像の霊」は「記憶」が根拠になっている。
アンカーマンは、「生命魂」と「写像魂」という名称を提案している。アンカーマンは「写像魂」を、夢に現れることによって生きていると考えられた死者の記憶の像によるとしている(「アフリカの諸民族における死者祭祀と霊魂信仰」)。
ケルナーは、「生命力」と「影像存在」と呼んだ。「影像存在」は人間に伴う影で、人間の形の写し。ただし、「影像存在」が人間の死後も生き続けるという観念はもっと新しいと考えた(「東インドネシア諸民族における死者祭祀と生命信仰」)。
アルプマンは、肉体から離れた人間の存在形態として「プシュケ魂」、「写像魂」を規定し、人間に生命と意識を与えるものとして「身体魂」、「機能魂」を規定した。プシュケは記憶の像であり個から離れた人格性の観念。
各研究者は、「霊力」の捉えかたに大きな差はないが、「霊魂」発生の根拠については共通見解に辿りついていないように見える。根拠の系列には、夢、影、写像、記憶があり、研究者によって選択されるものが異なっているのだ。
オセアニアの先住民たちの「霊魂」に、「影」や「水に映った映像」を指す言葉がよく現れるように、「霊魂」の起点になったのは、「影」や「写像」だと思える。そこから始まり、身体像までイメージ化が進んだところで、「霊魂」が概念化される。フレーザーは、「動物の内部にいる動物、人間の内部にいる人間が、魂である」(p.178『初版 金枝篇〈上〉』)と、「霊魂」を定義しているが、霊魂が身体像を元にした身体と身体像の二重化であることがよく捉えられていると思える。
ここまでイメージ化がすすめば、「夢」が、霊魂の身体離脱と死者の霊魂の存在の根拠になっただろう。また、死者の霊は、霊魂として捉えられることになる。さらに、吉本隆明にならえば、「臨死体験」は他界の根拠になったと考えられる。夢で霊魂は身体を離脱しうるし、覚醒時にも離脱すると病気になり、離脱のまま戻らないことを死と捉えることには霊魂思考の特徴がよく現れている。生と死を、仕組み、仕掛けとして捉えようとする志向性が前面化しているからだ。そういう意味では、「影」や「水に映った映像」を霊魂とみなすのも、知覚を根拠にしている点で、霊魂思考のたまものだと言える。それにしても、霊魂の永久離脱を死とみなしことは、霊魂思考の最初の大きな発明だったのではないだろうか。
「記憶」は、弱められた再生の形として現れていた。死後、兄弟のなかに住み、兄弟が死ぬ頃、忘れられるというウォンガ・ムラ族や、子や孫の中に入り生長させ、1~2年して絶滅するというアルンタ族がそうだ。だから、これは死後の霊魂の存在の一形態で、そういう意味では「夢」と同じ機能を果たしていると思える。
ぼくたちもまた霊魂を二元的に捉えている。というより、「霊魂」概念が成立したとき、「霊力」も霊魂化して考えられるようになったのだ。
その二つについて、クロイトは、「霊質」と「霊魂」としているので、ぼくたちの「霊力」と「霊魂」にはとても近い(インドネシアにおけるアニミズムの研究)。ただし、クロイトは、「霊質が生きている体の中にのみあるのに対し、霊魂は体の死後生き続ける霊」として、時間軸のなかで考えているので、二元論だというわけではない。ファン・デル・レーウはクロイトを受けて「霊質」には力の概念を含んでいるから「霊力」とも呼べるとした。少なくともこの概念に関する限り、ぼくくたちはファン・デル・レーウの思考に接近していたようだ。
アルプマンは、「自然民族においては、一般的に「霊魂観の二元論」が優勢である。これは全く自然なことである。なぜならそれらは、起源と内容が全く異なる、二つの観念だからである」としている。ここで、ぼくたちの考えはアルプマンに重なっている。
この論考を読むきっかけは、棚瀬襄爾が『他界観念の原始形態』で挙げている「身体魂」の意味を知りたくて、その解説を探したことだった。ヴントが「縛られた霊魂」を指して、「身体魂」と呼んでいるのを元にすると、身体に限定して考えられた「霊力」のことだと分かる。
ただ、「身体魂」の把握だけにとどまらない長旅ができた。翻訳した相澤里沙に強く感謝したい。「霊魂観の研究史」は、フィッシャーの『オセアニアにおける霊魂観の研究』の第1章に当たるものだという。読んでみたい。翻訳されないだろうか。
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