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2015/04/27

霊力思考からみた世界

 ハンス・フィッシャーは、コドリントンのマナ(Mana)、シュパイザーの生命力、ニューウェンハウスやクロイトの霊質が未開の思考にとって典型的だとするレヴィ・ブリュルを引用している。

この考え方にとっては、地上、空気中、そして水中の存在と物体がとある形態をまといつつも、永遠の循環においては同一であり、統一的であると同時に多様で、物質的であると同時に霊的であり、絶え間ない交流において一方から他方へと移る、現実に存在する何物かが存在する。この流動物は、未開の精神が特に説明を試みる限りにおいては、存在物の実在と活動、その継続とその変化、その生命と死を説明する(相沢里沙訳「Die Seele der Primitiven」)

 中沢新一は、こう書いていた。

スピリットの世界には高次の対称性が実現されていました。「対称性が高い」と言うのは、エネルギーの流動体であるスピリット世界の内部で、スピリットもグレートスピリットも自由な彷徨に運動することができ、自在なメタモルフォーシス(変容、変態)がおこっていくために、固定することができないという状態を示しています。じっさい、多種多様なスピリットたちは、変容を得意とするために、その世界では位置や性質がどんどん入れ替わっていく現象がおこっています(p.110、『神の発明』)。

 ここでレヴィ・ブリュルと中沢新一はほぼ同じことを言おうとしているのだと思う。強いて言えば、エルネギーの流動体が変態を繰り返す霊的な場は、スピリット(精霊)が登場する前から存在しているから、レヴィ・ブリュルの方が、その前段階の説明を試みているとみなすことができる。

 地上、空気中、そして水中の存在と物体がとある形態をまといつつも、永遠の循環においては同一であり、統一的であると同時に多様で、物質的であると同時に霊的であり、絶え間ない交流において一方から他方へと移る」ような立ち現われ方は、霊力思考から見られた世界だと言うことができる。ここにおいては、人間と自然の諸物、諸現象は、まったく同一の地平に立っている。

 ぼくたちと同じ知覚の世界を了解しながら、同時にエネルギーの流動する場を通しても見ることを、アボリジニはドリームタイムと呼んだ。

肉眼では捉えることのできない超自然的な原型を感じとる感性を養い続けること、つまりは、ドリームタイムの方法なのだ(p.78、『アボリジニの世界』)。
 睡眠は、夢見(ドリーミング)にいたるほんの入り口にすぎない。アボリジニの教育は、睡眠や催眠中にも意識を鍛錬することから始まる。睡眠中にも意識を覚醒させておくことこそ、アボリジニ各人が、イニシエーションの始めに実践する行為なのだ。アボリジニの伝統では、ドリームタイムとこの世界のあいだを、意識を覚醒したまま、素早く往来する能力は、一連の儀礼を通じて磨かれてゆく。参加者はその過程で、強烈なトランス状態に陥るが、それは催眠にも似た恍惚状態である。こうして参加者は、謎に満ちた「自然」の超感覚的世界を、日常生活へと招き入れる術を学び取ってゆくのだ(p.79)。

 霊力思考のもとでは夢は、霊的なエルギー場との交信であり、現実の先取りである。霊魂思考のもとでは、身体離脱や死者との交信の場になる。


『神の発明 カイエ・ソバージュ』

『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』


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