樹上葬・台上葬の思考、注
樹上葬、台上葬について、なぜ樹上なのか、なぜ台上なのかに答えた先住民の証言をぼくは知らない。けれど、マリノフスキーの『未開人の性生活』のなかで、「初妊娠の儀式」は、妊婦が台の上に置かれるのを知り、生誕と死が同型であるのを知った。そこには、トロブリアンド諸島に見られるように再生の信仰が流れている。そして、そこでは「完全に大地から離れていなければなら」ないとされている思考を見ることができる(cf.「樹上葬・台上葬の思考」)。
ぼくたちは先に、再生信仰のなかにも霊魂思考が宿っているのを確認した(cf.「食人と再生信仰における思考の差異」)。この場合の霊魂思考とは、大地は死にかかわり、地下は死者の領域であることが観念されいるのではないだろうか。
樹上葬、台上葬を行った種族が、霊魂思考を受け入れる過程で、死者に軽く土や枝をかけるような埋葬が行われる。棚瀬襄爾はこれを「埋めない埋葬」と呼んだ。ここから、死は生とひとつなぎではなく、移行の段階に入っていく。
考えてみれば、樹上葬、台上葬は相当に人為的だ。
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