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2015/04/11

「にらい底もい」(伊波普猷)

 伊波普猷は、「にらい」のニが土の義を持つとして、「にらい底」には「地の底」を意味するとしている。

 ついで、「にらい底」は、「黄土或は冥土」の意味を持つようになる。

南島の島々には、一世代まで所々に風葬の古俗が遺っていて、何年かの後には、これを一纏めにして、洞窟などに放ったものだが、こうして死後魂の行くと考えた所を、古琉球人たちは「にらい底」ともいって、「にらい底」に第二義が生じたに違いない(p.289)。

 さらに。

地下の闇の国という程の義に用いられていた「にらい底」も、更にそこを突き抜けていった海の彼方の仙郷に転用せられ、いつしか「底」が除かれて、常世の概念がニライだけに納められるようになったと思われる(p.290)。

 これを、地下が他界としての地下、他界としての海上という変遷と受け止めれば、ぼくたちの考えも伊波に近いことが分かる。

 面白いのは、「にらい底もい」は「地の底に住む君(尊者)」の意義であるが、それは鼠の異名であり、ネズミの語源を暗示しているとされていることだ(p.288)。

 鼠は「ある神の世界から穀物に付随して渡来したという伝承(p.283)」があるが、「日神の妾腹の初子なる馬鹿息子が、下界に降って鼠になり、狂暴な振舞をしたので、「そへふしきや」に載せて、ニライ・カナイに放逐」される(p.276)。

 鼠族がこうして、御嶽の入口の傾斜した土地の下に、大きな住宅を営み、食糧には茅の芋をあてがわれた上に、農作物を掠奪して、豪奢な生活をしているという伝承は、内地の各地に散布する鼠浄土のそれと似通ったもの(p.284)

 だという。ここでは、鼠が地上の利害と離反し、他界へと放逐される理由が語れているが、一方で、死者と鼠が同一視されてもいるのではないだろうか。死者とともに暮らすことが生者の地上の利害と矛盾している。これは逆にいえば、地上の利害の矛盾を、死者との暮らしのなかに求めたと言ってもおなじだ。そこで、地上と他界は隔てられなければならなくなった。

 これは、ポリネシアのエルベー島で、「地下の世界と現世の間を交通するため岩の間に割れ目があり、地下の世界から割れ目を通って死人が出てきていたずらをして困る、とあるときそれを塞いでしまった」(cf.「『地下他界―蒼き神々の系譜』」)と同位相にある事態を物語っているのではないだろうか。


 メモ。「祖先を見失うことは、人生最大の不幸で、あらゆる禍はそれから起るとさえ考えられている(p.74)」というのが、祖先崇拝の内容をよく言い表している。


『をなり神の島 2』


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