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2015/04/13

「君真物の来訪」

 「もの」はムン、スピリットの意。「真」は美称の接頭辞で、「「真物」にすると、神仏の義となり、王者もしくは偉人の義にも転ずる」。「君」は神女のだから、

君真物(または君手摩)も古くは女神と考えられていたと思うが、これに相当する大島のテルヘー(或はエルヘー)や山原の村芝居に出てくる「にらいの大ぬし」や八重山のニール人は、男神になっている。これは恐らく後に変化したものであろう。

 「君真物」は神女たちの演じるものであるなら、むしろ逆で、「にらいの大ぬし」や八重山のニール人は、男神になっている」のが古いということになる。男神か女神かは別にして、「「にらいの大ぬし」や八重山のニール人」が、という意味で。

 遠来神崇拝の、南島人の生活史の基調になっていることは、今までに縷々述べた事で、明らかになったと思う(中略)。由来南島人は、その同胞のいうことには、耳を傾けないのに、同じことでも外来者の口から出ると、すぐそれに共鳴する傾向をもっているが、これなども世代から世代に伝えられて、個々の成員を拘束する社会心理の露れではあるまいか。

 これはその通りと云うしかないけれど、それを指摘するより、ぼくは「人見知り」の由来を見たい気がする(cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』)。


『をなり神の島 2』

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