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2015/03/01

堀一郎の山中他界、人神、来訪神論

 堀一郎の記述に、霊力思考と霊魂思考の概念を添わせてみる。

 (山中他界の-引用者)観念の発生は、山そのものの持つ崇高さや神秘さ、怪異、変化、静寂などの特色が素朴な古代人の上に働きかけて、山が一個の人格体と見做されるようになり、やがてそこから山は一個の精霊を有するものと考えられ、ついでかかる精霊観念が成長すれば、山から分離されて山の神となって行く。山中の神秘がかかる精霊の現存を人々に示唆するのであるが、それは多くの場合、死者の亡霊が山中に出没するともせられ、他方山頂は空に近く、雲霧に閉されるところからは天空や雨の神とも関連し、その峯が神々や亡霊の住所と認められて来るようになる。

 「山中他界」は、他界を持たなかった霊力思考の種族に対して、地下他界を持つ霊魂思考の種族が流入したことによって生じた、地上の他界の一種だ。本土日本の場合、地上の他界は、低地在住者にとって負荷の大きい山に託された。

 海上に水葬し、海岸洞窟などに風葬し、沖の小島に奥津棄戸を求めて来た海浜住民にとって、死者の行き住むべき国は海の彼方であり。そこからは他界としてのトコヨ(常夜、常世)が、独自の信仰を芽生えさせて来たらしいのに対して、早く内陸部に土着していた農民たちにとっては、その葬法の上からも霊魂は高きに就くを必然としていたため、やがて死霊入山の信仰を生じ、それが進んでは山そのものの機能的神霊とも習合していったものと考えられる。かくして諸国の霊山は生まれてくる。

 地上の他界の変形として、琉球弧では、海の負荷が海上他界となり、本土日本では、山の負荷が山中他界となった。別に、「霊魂は高きに就くを必然としていたため」ではないと思える。

 「神に仕える者が神の子であり、神を顕わし得る」。「神の垂迹者」から「転倒した人神は、またそのごとくに内容も転倒していくる」。

ここには神の垂迹よりは人の神化に重点がおかれ、人間にして霊異性を獲得して神たるの地位を占めたものを意味する点で、われわれにとってははなはだ重要な在り方を示す。その神異ことに猛きはアラヒトガミとも称せられ、天皇の稜威を示す語に慣用せられた時代もある(後略)」

 生き神は、身体が聖なるものであるという霊力思考の関与は大きい。それが、霊魂思考が関与しはじめ、生と死がひとつながりではなく、移行の段階に移ったところで、死者がカミとなる同時に、老人や呪術的な力を持つ者とカミと見なされるようになる。そこに「生き神」の原型はあるだろう。

(フレイザーによれば-引用者)穀霊は一般には稚き男性神として表現せられ、それが往々永遠の生殖を示すと推測される大母神、または地母神をともなって現われることがあるとせられる。

 ぼくは以前、これをトゥブアンとドゥクドゥクの仮面仮装に当てはめて考えてみようとしたことがあるが、実際は分からない。

南方の結社儀礼にあっては、明らかに死者または死霊との交媒を主たる眼目としていることは、あのニューブリテン島のDuk-duk、ブーゲンビル島のRuk-ruk結社の名が duka すなわち死者またはghostの語からでてきたことや、モタ島その他のTamate結社の名がメラネシア語のnatmat, tamtegi, テンベル島の natmate などとともに死者の意味であることからも知られ、彼らによって未加入者や婦人たちに対してなされる来訪行事にあっても、多くの島々で死者の来訪、または亡霊の再現と伝えられかつ信じられている。
同じ未開社会においても、酋長または部落長老、あるいは呪毉、雨師その他特殊な霊力をもつ人々の死後継承者によって行なわれるカンイバリズム(啖肉儀礼)の風習や、死者集団(Ghost societies)における死者象徴の心性神秘な仮面に死者の頭蓋を利用する慣例や、その末期のシャイネストック呼気を吸入する実例や、死者の床に横たわって共寝する習わしは、等しく生前その肉体に内蔵せられた霊力、統治力その他の潜在力を継承する意義を有し、それが特定の死者崇拝の一つの要素をなしていることが知られる。

 ぼくたちも、琉球弧において、死者に添い寝するところに、霊力の転位を想定しているが(cf.「添寝論 メモ」)、堀によれば、この風習はアフリカにおいて顕著だとされている。

 

『堀一郎著作集〈第7巻〉民間信仰の形態と機能』


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