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2015/03/21

『人類史のなかの定住革命』

 「栽培は定住生活の結果ではあっても、その原因であったとは考えられない」として、「農耕」ではなく「定住」を時代の画期と主張しているのが『人類史のなかの定住革命』(西田正規)だ。

 面白いのは、琉球弧においても農耕の開始が11世紀とされているのに、定着は前Ⅲ期(5000年前)からと、その4000年も前に遡るのだ(cf.「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」)。

 西田は、人間-植物関係の高密度化と規模拡大の二段階を考えている。

 第一の場面は、定住生活に起因する薪や建築材用の樹木の集中的な伐採、人里植物の成立、集中的な観察の蓄積などによって、ほぼ自動的に進行する過程と考えてよい。しかし、規模が拡大するという第二の場面については、さらに説明が必要である。第一の場面で管理技術が発達してゆく過程を「栽培化」とし、さらに規模が拡大する場面を「農耕化」とするなら、それぞれは、異なった要因によって進行すると考えられるからである。

 琉球弧においては、その2000年間のいあいだの「栽培化」はまだ確認されていない。しかし、黒住耐一が「熱帯に広く分布する胎生の淡水産巻貝・ヌノメカワニナが前4・5期の遺跡から確認されており、この時期に南から水生タロイモについてこの貝が持ち込まれたと想定できることから、沖縄で根栽農耕の存在の可能性を考えている」(cf.「琉球弧の先史時代三篇」)と書くように、小さな規模ながら栽培化もあったのだと思える。

 しかし、「栽培化」は定住化の結果であって原因ではない。では、定住化の契機に何があったのか。西田が注目しているのは漁撈である。

 魚類は、人間が最も新しく開発した食料資源である。樹上で進化した霊長類にとって、水界は最も遠い世界であったのだ(p.58)。

 その漁撈のなかでも、「定置漁具」の利用を西田は挙げている。定置漁具の利用は収穫量を増大させるが、定置漁具を使うのであれば、移動するわけにいかなくなる、というわけだ。

 ここでも面白いのは、琉球弧も定着化以降、「内陸部での食物物資食料獲得を基盤に、沿岸漁撈など各種の生業を体系化した状況が推察できる(伊藤慎二)」(cf.「ヒトはいつどのようにして琉球列島に定着したのか?」)とされているのだ。

 ここはもう少しなだらかな経緯を示すことができて、

貝塚時代の脊椎動物利用は、前Ⅰ期にはリュウキュウイノシシが主であったが、前Ⅲ期にはハリセンボンなど内湾性の魚類へと変遷し、前Ⅳ期以降はサンゴ礁の魚類が主なタンパク源となったと解釈されている(cf.「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」)。

 つまり、定着期の前に内陸の動物利用から魚類利用へと移っている。この点も西田の主張に符号する。ただ、定置漁具は、琉球弧の場合、何だろう。石を積んで魚を採るカキ(カキイ)がそれに該当するだろうか。

「栽培化」の過程が、水産資源に支えられて出現した定住集落において、ほぼ自動的に進行することからえ言えば、食料生産の歴史は、魚資源という、動物性たんぱく質の宝箱についてきた付録として始まったことになる。
 人里植物の集落への集中と、その利用(「栽培化」)は、水産資源の豊かな集落で始まるが、しかし、生業活動のなかで、有用人里植物利用の比重が大きくなるのは(「農耕化」)、自然の産物として得られる資源の少ない地域であった。(中略)「農耕化」の過程は、環境の豊かさ、特に水産資源の豊さと負の相関を示して進行している(p.182)。

 これは、11世紀に強制されるまで、農耕を開始することのなかった琉球弧の説明にもなるのではないだろうか。

 また、西田の論考は、「農耕」ではなく「定着」が霊魂思考を駆動させたのではないかというぼくたちの仮説にも符号する。定着は霊魂思考を駆動させる。栽培化の進展とともに、他界は地下化あるいは地上の果てへと遠隔化される。

 この本を読みながら、霊魂という概念は抑圧された遊動への衝動が形成させたのかもしれない。また、樹上葬や台上葬は、霊長類が樹上の生活を止めて地上へ降りた、その記憶を宿しているのではないか。そんなことを思った。


『人類史のなかの定住革命』

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