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2015/03/29

「樺太アイヌの埋葬形態についての一考察」

 内山達也の「樺太アイヌの埋葬形態についての一考察」は、ほぼ琉球弧の葬法とも類似したものを抱えていて面白い。

 樺太アイヌと北海道アイヌの葬制の違い。

 ①埋葬において木棺を用いる
 ②西方の埋葬頭位を示す
 ③墓所における祖先崇拝の習俗がみられる
 ④出棺の際の禁忌として住居の壁を破る習俗がみられない
 ⑤変死者の埋葬において埋葬頭位の逆転現象がみられない

 樺太アイヌの葬制における特徴の一つは、木棺を用いた埋葬だが、この木棺は家を模したような形態になっている。この家型の木棺を、仮の「家」と見立てることができないだろうか。あるいは、住居の変わりに「家を模した木棺」に死者を納めて埋葬したと仮定することはできないだろうか、と内山は書いている。

 これは、「死者のための家型の厨子瓶や墓所は、死後の世界が生前同様の生活を営んでいることを意味するばかりでなく、本当は住居そのものが死者の家であったものが、死者が屋外に移されることによって、家もまた模型として死者とともに移動したものと解釈できないだろうか」(cf.「18.「屋内葬と屋敷神」」)とする酒井卯作の視線と重なる。「木棺」と「厨子瓶」がつながる。

 「死霊に対する恐怖」がテーマになるのも、アイヌの例は琉球弧と共通だ。

 J.バチェラーは、かつて北海道アイヌにおいては家族の最年長の女性が死ぬと、その人が住んでいた家を焼く習俗が存在したと報告している。その理由の一つは、老女の肉体から離れた霊魂には悪意が存在し、その霊魂が死後に戻ってきて、残された家族に災いをもたらすために家を焼くのであるという。家を焼くことで、憎悪をもった霊魂はその対象を見つけることができなくなるためである。もう一つの理由は、「肉体を離れた霊が天で小屋を使用するために、小屋を天に送り出すという目的で、小屋を燃す」(Batchelor 1995:127-9)のであり、後者のほうがより真実であろうとも述べている。バチェラーがより真実であろうと述べる「小屋を死者に持たせる」という観念は、アイヌの葬制における副葬品の処置に、如実にあらわれている。アイヌは、箸や椀などの生活用具や生前の愛用品などを死者の副葬品とするが、それらの一部を破壊、あるいは傷つけて副葬とする。それは、副葬品の霊魂を物体そのものから分離させることで、死者とともに他界へ送り出すことができると考えられているからである。

 J.バチェラーは、家を焼くのは「死霊に対する恐怖」からではなく、「死者の副葬品」として、と捉えた。これに対して、久保寺逸彦は「祖霊に対する恐怖」に根拠を求めている。

 久保寺は、「死霊が墓地から、元の家に立帰って、種々の危害や災禍を、生ける人々に与えることを防止するためには、その帰り宿るべき家を焼却することが唯一の手段」(久保寺 2001:233)であり、「祖霊に親愛感を持ち、之を崇拝祭祀する段階は、かなり後の発達で、本来は、祖霊は恐るべきもの、墓地に屍を捨て去ったのを最後として、永遠に絶縁すべきもの」(久保寺 2001:233)であったと論じている。そして、バチェラーのいう「死者に家を持たせてやるという考え方は、祖霊の崇拝乃至祭祀が起こってからの合理化」(久保寺 2001:233)の結果だとも述べている。つまりそれは、副葬品などにみられる霊魂と物体との分離と、それにともなう他界での役割という観念に発展する前段階として、霊魂の分離、あるいは死者の霊魂の浮遊によってもたらされる災禍に対する恐怖が存在したのであり、「家の焼却」という習俗の根底にあるのは、「死」に対する人間の根源的な恐怖心であったとも考えられる。

 久保寺の視点は、『琉球列島における死霊祭祀の構造』における酒井卯作のそれにほぼ重なる。北の端と南の端で同じテーマを追っているわけだ。

 しかもこれだけではなく、「屋内葬」という形態でも共通性を持っている。内山は書いている。

擦文文化にみられる屋内葬は、その生活圏の拠点であった住居を放棄することで「死」が内包する穢れ、あるいは災厄から逃れることを意味しており、それは、死霊に対する恐怖を明確にあらわしているといえる。そして、この擦文文化の屋内葬は、「死」に対する概念とともにアイヌ文化へと受け継がれ、アイヌ文化における他界観の発展とともに、「家」を副葬するという意味においての「死者の家を焼却する」習俗へと展開していったと考えることはできないだろうか。つまり、「死霊への恐怖心」を根源とする「家を忌避する」あるいは「家を放棄する」という観念から、「家を持たせる」あるいは「家を送り出す」という副葬の観念へ転換したと捉えることができるのである。

 「家を放棄する」という観念から、「家を持たせる」観念への転換はその通りだと思う。しかし、すべての根源を「死霊への恐怖」に求めるのは無理がある。まず、死霊に恐怖するためには死霊という概念がなければならないが、「家を放棄する」葬法は、死霊概念以前に遡ることができると思える(cf.「南太平洋の死体放置」)。では、なぜ「家を放棄する」のかといえば、ぼくはそれを共同幻想の再編のためだと考えてきた。弱い霊力思考の段階では、共同幻想は、対幻想や自己幻想と溶け合うように絡み合っている。家と死者が同一視されるのもそのためだ。この段階では、他界概念も持っていないから、死による対幻想の欠損を修復する儀礼も持っていない。死は不可解な現象であり、そこに得体の知れない恐怖を感じたことはあり得る。しかし、本質的に言うなら、彼らは、死者と同一視される家を放棄することによってしか、対幻想と溶け合った共同幻想を再編することができなかったのである。生者が死者になったことに、家を去ることでしか応じることができなかったのだ。霊力思考が優位なオーストラリアの先住民で行われた、女性に課せられる「沈黙の掟」も同様だと思う。

 霊魂思考が強まると、死霊や他界観念も発生するが、ここでは家と死者の同一視は死霊や他界との関係で語られるようになる。ミンダナオ島バゴボ族の「人はすでに往き、家も往ったに違いない」、メラネシアのタミ族における「死霊は、記憶の存する限り、家の霊と考えられるのである」は、それを示すものだ(cf.「なぜ、家を捨てたのか」)。

 さらに霊魂思考が強まり、かつ遊動性を残したところでは、「家を焼く」のは、副葬としての意味を持つ。「肉体を離れた霊が天で小屋を使用するために、小屋を天に送り出すという目的で、小屋を燃す」と言うように、この段階では霊魂と他界の概念も発生している。滅却される副葬品からも、身体と霊魂の二重性の観念を認めることができる。当然、死霊という観念も生まれている。ここにおいては、「死霊に対する恐怖」と「死者の副葬品」とはどちらが根源的かというより、共存しうるのだ。

 また、「家を放棄する」にしても、「家を焼く」にしても、定住を決め込んだぼくたちが考えるほど大きな意味を持たせてはならない。アイヌの例も定住期に入っていたとしても遊動性を残していると思える。ラドクリフ・ブラウンは、アンダマン島人がキャンプを移動させる理由について、「死者が出た時」を挙げるが、それ以外にも「狩や漁に便利な場所への移動」、「季節風を避けての移動」、「ゴミの蓄積による環境悪化」、そして「理由の明らかでない移動」を挙げている。死者による家の放棄は特別な契機ではないのだ。ちなみに、アンダマン島人は、死者の家を去った後、戻ってくることもあると報告されている(cf.「遷居葬の段階例」)。

 ところで内山は、樺太アイヌには、祖先崇拝があることに対して、「アイヌの死霊に対する恐怖心を考えると、この樺太アイヌの墓参という行為は、アイヌの「死」に対する観念とは相容れない矛盾を呈しているとも思えるのである」と書いている。ここまで琉球弧と共通しているのかと驚くが、祖先崇拝が成立するには、人間と自然の関係が分離されて、人間の時系列の累積のなかで他界の内実が思考されていることを意味している。だから、これは後代に付加されたものだと考えることができる。

 本当は、アイヌにおける埋葬姿勢を知りたくて読み始めたのだった。

 宇田川洋は、樺太アイヌの埋葬頭位について、「頭位はおおむね北西を中心として北から西の間にあるといえる。また、木棺をもつ場合ともたない場合があるが、後者の方が古い形式といえそうである。伸展葬墓が多いが、屈葬もみられ、後者は古い形式に属するものと考えられる」と指摘している。「伸展葬」が多いことは、「死体放置」あるいは樹上葬・台上葬からの転化が考えられる。「屈葬」が古い形式に見えるのは、屈葬としての霊魂思考との混融の結果、「死体放置」あるいは樹上葬・台上葬から伸展位埋葬へと転換するからである。

 内山によれば、一般的に北海道アイヌは、仰臥伸展葬であると言われている、という言及がある。これを確認しておきたかった。


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