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2015/03/25

『人骨出土例にみる縄文の墓制と社会』

 本土日本の縄文時代の埋葬姿勢から、文字以前の思考に接近してみる。

 まず、山田康弘は、埋葬姿勢について、下図を参照している。

Photo

 これをみると、屈葬や伸展位葬と呼んでいるものが、単純な二類型ではなく、連続的であることが分かる。特に屈葬において、それは顕著だ。この上に、仰臥、側臥、伏臥などもあるのだから、厳密に分ければ夥しい数になる。山田は、単純計算では243通りになると書いている。

 山田は縄文時代全体で、人骨1365例について、時期別に整理をしている。

 1.早期(総39例)
 ・仰臥で各関節をしっかり屈曲させた、いわゆる強い屈葬例とやや肘を伸ばした屈葬例が多く、伸展葬例はほとんどない。

 2.前期(総80例)
 ・仰臥で四肢を強く屈した屈葬例が多いといえるが、肘関節に関してはバリエーションが存在する。

 3.中期(総232例)
 ・四肢を伸展させたものと四肢を強く屈曲させたものがほぼ拮抗する状況を軸として、多様なバリエーションが存在する。

 4.後期(総538例)
 ・ICc3(仰臥・上半身C・下半身c3)が75例と最も多いが、その一方で、膝関節を強く屈曲させる姿勢も多く存在する。

 5.晩期(総462例)
 ・強く屈曲された事例が多い。

 全時期でみれば、膝関節が強く屈曲された姿勢が約半数を占める。

膝を強く屈曲させる姿勢には、さまざまなバリエーションが存在し、逆に膝を伸展させる姿勢は多くがICc3に集中するということがわかる。これまで膝を曲げる屈葬という姿勢は、呪術的な見地から非常に強い規制を受けた埋葬姿勢であるとの説が紹介されたこともあったが、むしろその実態は非常に多様性をもつものであって、反対にICc3に代表される伸展葬こそが、強い規制を受けた埋葬姿勢であったということができるだろう。

 ここで、南太平洋や琉球弧の視点から、これに対して仮説を立ててみる。縄文早期には、すでに屈葬が多いことから、この時期にはすでに霊魂思考はある強度を持っていたのだと思える。定住と原始農耕はすでに行われていた。前期、中期、後期にかけて伸展葬が増えるのは、霊力思考と霊魂思考の混融が進行した過程として把握することができる。これは、同じ伸展葬でも、樹上葬・台上葬をやめて埋葬するようになったことを示しているのではないだろうか。そして、晩期にはまた屈葬が増えるのは、農耕社会の本格化に対応する。

 琉球弧では、縄文時代並行期を通じて、伸展葬が多く見れらるが、それは霊魂思考の弱さを物語るものだ。

 これが、「縄文人の埋葬姿勢は伸展化する方向性にあったということができる。ただし、晩期に至って各関節が屈曲の度合いを強める」と、考古学者が判断する背景にあるものだ。

 山田は埋葬姿勢の地域性について地図化している。

Photo_2

 上記の仮説からこの地図を占ってみれば、Ⅲの伸展化地域とは、樹上葬・台上葬を止めて埋葬するようになった種族、つまり定住と農耕化が進んだ地域、Ⅰ、Ⅱの屈葬が強い地域は、農耕化が進展する一方、逆の面からはまだ樹上葬・台上葬を行う種族も残っている地域、Ⅳの二分化地域は、農耕種族と農耕化種族が多い地域ということになる。

 また、山田は頭蓋の扱いについても検討し、「頭蓋そのものを保管し、それによって祖先崇拝を行っていたような証拠は、今回の検討によって少なくとも縄文時代には存在しないことがわかった」としている。ここは、ぼくなどは疑問を持つ箇所だ。


『人骨出土例にみる縄文の墓制と社会』

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