« 屋内祭祀と石棒 | トップページ | 「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」 »

2015/03/03

「ヒトはいつどのようにして琉球列島に定着したのか?」(伊藤慎二)

 伊藤慎二の「ヒトはいつどのようにして琉球列島に定着したのか?:琉球縄文文化の断続問題」。琉球弧の精神の考古学をしていく上で、大事な補助線を引いてくれそうだ。

 1.遊動期

・琉球縄文時代前Ⅰ期~前Ⅱ期(縄文時代早期末葉~中期中葉に併行)
・沿岸に近い遺跡がやや目立つが、内陸の洞窟から海辺の低地まで多様な土地環境に小さな遺跡が点在する。
・住居址は未確認で、集石遺構や炉跡の検出例が少し存在する程度で、恒常的な集落景観はまだ不鮮明。
・資源獲得の適地間を随時移動し粗放的に利用する生活が推測できる。

 2.定着期

・琉球縄文時代前Ⅲ期~前Ⅴ期(縄文時代中期後葉~晩期頃に併行)
・遺跡は、主に台地縁辺とその直下、および内陸寄りの砂丘など、土地環境の利用が集約化する傾向がある。
・内陸部での食物物資食料獲得を基盤に、沿岸漁撈など各種の生業を体系化した状況が推察できる。
・原初的な農耕を試行していた可能性も考慮される
・2~3軒の住居址を伴う遺跡だけでなく、この時期の後半には地形に沿って帯状に群集した多数の住居址を伴う拠点的な集落遺跡も出現する。
・墓域(集団埋葬)・食糧貯蔵域・廃棄域(貝塚)など、土地空間利用の区別も次第に明確化する
・安定的な居住活動が確立する

 3.交易期

・琉球縄文時代後期(弥生時代~平安時代頃に併行)
・遺跡の種類は定着期とほぼ同じであるが、沿岸に近い砂丘上に極端に集中し、小規模遺跡が激増する。
・社会経済的要因から居住活動体系が細分化した可能性が推測できる
・列状に配列あるいは垂直方向に重畳した埋葬遺跡が定着期の終わり頃から現れ、何らかの強い社会的系譜関係の出現がうかがわれる。
・出土遺物には九州などとの交易に関わるものがしばしば含まれ、沖縄諸島のいくつかのすよう遺跡ではその交易・再分配拠点的性格も推定されている。


Hitoryukyu


 遊動期は、家を捨てる習俗の段階、定着期は、死者を屋外へ出す段階とひとまずは位置づけることができる。


|

« 屋内祭祀と石棒 | トップページ | 「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ヒトはいつどのようにして琉球列島に定着したのか?」(伊藤慎二):

« 屋内祭祀と石棒 | トップページ | 「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」 »