『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』
『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』の著者、小林眞は、ぼくの父と生年が同じだが、友よ、と呼びたくなるくらい、この本はモチーフが近しかった。あとがきで、滅多に引用されるのを見たことのない棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』を熟読したとあるにも親近感を覚えた。
この本は、棚瀬の本では意外に手薄なパプアニューギニアの事例がふんだんに盛り込まれていて、『他界観念の原始形態』を補ってくれるものであり、また、「イメージの力」展の仮面や彫像のつくり手の種族の背景についても補完してくれる。ぼくにとっては願ってもない書物だ。
最大の収穫は、霊魂思考が進展したところで行なわれる頭蓋崇拝について、その頭蓋骨から高神と来訪神への通路が開けそうに感じられることだ。
小林が探求しているのは、北西ニューギニアのコルワル像だ。コルワルとは、北西ニューギニアにおいて、死者・祖先の頭蓋骨そのものの呼称であり、それが肖像彫刻の意味にもなっている。肖像彫刻は本来、死者本人の頭蓋骨が据えられたが、身体と同様に木でつくられていくようになる。
コルワル像の機能のひとつとして、小林は「氏神化」を挙げている。
氏神化した祖先(霊)像。村や氏族の始祖や偉大な英雄・戦士を表した祖先像で、村落共同体単位で長い間祀られ祈願されてきた。村や氏族の行事については、呪術師モンを通して託宣を求められた。社会的規範への違反には厳しい罰をくだす神のような怖い存在でもあった。(p.111)
呪術師を通じて、託宣や罰則を加える祖先像は、高神の一歩手前のものだと見なせる。この祖先像が、カミ化すれば、それが高神だ。
では、来訪神はどうか。仮面に関わる事例を見てみよう。
事例1.セピック河中流域のサウォス族、イアトムル族。死者儀礼や成人儀礼で、人態的支え棒の先端に頭蓋骨を取りつけ、衝立などに身を隠した男が操作していた。
事例2.セピック河中流域のイエンチェン村。樹皮製平面人形の頭部に頭蓋骨を設置。死者儀礼や成人儀礼で、年配者たちが、遮蔽ボードの内側に隠れて、この人形を操作して死霊の踊りを演出する。
事例3.セピック地方。村の有力者の死後、行なわれる死者儀礼ミンジャンゴ・バング。掘り起こされ、洗骨した頭蓋骨に、添加・化粧を施し、生前の容貌を再現する。それを植物戦士房着用の等身大立体像に設置する。生前の勇姿を彷彿とさせる死者の再現。精霊堂ハウスタンバランの周りか死者の家で、囲いをつくり、内部にある棚に死者像を載せる。そして棚を揺らして死者を踊らせる。死者儀礼が済むと、添加・化粧頭蓋骨は保存される。
事例4.セピック河中流域のイアトムル族。篭型全身被り仮面アヴァン。上下二つある顔のうち上部の顔面が、身内故人の添加・化粧頭蓋骨。被り仮面は、氏族や村の創始者が登場する死者儀礼や成人儀礼および豊作祈願の儀礼などの舞台で、秘密結社の長老、幹部たちによって着用され踊られていた。
なんとアヴァンの上仮面はそうだったのか。
事例5.ニューブリテン島、トーライ族、バイニング族。頭蓋骨の後方の半分を切り落とし、その前方だけを用いて、肉付け・彩色し、さらに象徴を施した添加・化粧頭蓋骨の仮面を作っていた。死者儀礼用と成人儀礼用とがある。
事例6.ニューブリテン島、トーライ族。添加・化粧頭蓋骨仮面が木製塗彩の人態像の頭部に据えつけられた死者像があった。霊魂が宿った身内の踊る死者像で有力者の死者そのものを体現した姿。
事例7.ニューアイルランド島。筒型の木彫りの像の上端に木釘の突起があり、死者そのものの肖像首が据えられている。ウリ儀礼(女性の生殖力を祀る)と雨乞いの呪術に用いられていた。
事例8.ニューアイルランド島。太陽と死者のマランガン儀礼と雨乞いのための呪術で用いられた。頭部に添加化粧を頭蓋骨化粧仮面を据えたウリ像。
事例9.ニューアイルランド島。死者の記念祭、マランガン儀礼と雨乞いのための呪術で用いられた。頭部に添加化粧を頭蓋骨化粧仮面を据えたウリ像(身体は木彫り)。
事例10.サンタクルーズ諸島(ニューヘブリディス諸島)。粘土・樹脂で肉付けし、鼻や耳を取りつけた添加・化粧頭蓋骨を据えた粗製の人形。死者の儀礼に出演し、故人そのものの里帰りを顕わしている。
事例11.マレクラ島(ニューヘブリディス諸島)。首長や有力者など高い階級の者が亡くなった時に限り、最も手の込んだつくりの添加・化粧頭蓋骨を人工のマネキン人形の頭部に取りつけた。ランバランブと呼ぶ死者記念像。死後六カ月後に催される喪明けの儀礼に至る死者の儀礼ネヴィンビュールの約十夜にわたって、男がこの像ランバランブを抱えてダンスをさせる。はじめて作られた時のことを語る説話では、「もの言わぬ似姿」と語られている。
事例12.トラジャ族(インドネシア)。二次葬(死者記念祭)において、遺骨を改めて洗骨し、蓆フヤで縛り束ねて、村の儀礼小屋ボロに持ち込む。ロボ内に並べられ、死者の仮面ペミアに取りつける。遺族たちは、遺骨に取りつけたペミアの仮面を亡き人そのものとみなして、夜ごと頬ずり、愛撫して名残りを惜しむ。
事例13.カロ・バタック、シマルンガン(スマトラ島)。埋葬儀礼時に仮面踊りを行なっていた。頭からすっぽり被る木製仮面で、頭・顔面を覆い、下方はワンピースまたはツーピースの簡単な布の着衣で全身を覆った仮面ダンサー。仮面踊りは収穫祭の時にも行なわれる。「この場合被り仮面の古いタイプが頭蓋骨であったとする可能性は高い」。
これを、頭蓋骨の用いられ方と儀礼場面を軸に整理してみる。
A:木彫りの人形などに頭蓋骨等を取りつける
B:頭蓋骨をもとにした仮面を人が被る
C:頭蓋骨を用いない
これを見ると、仮面は、死者儀礼時に、頭蓋骨を棒や人形につけて揺らしたり、動かしたりすることが初源にあったことが分かる。それが、頭蓋骨をもとにした仮面をつける(事例4.イアトムル族)を間に置いて、頭蓋骨を使わない仮面(事例13.スマトラ島)へと変容していく。また、そうなるにつて、豊饒儀礼の要素を持つようになっている。
小林は、「仮面の起源が頭蓋骨に由来しているとする説は妥当」としているが、そのように受け止めることができる。より本質的にいえば、頭蓋骨と霊魂が二重化されたときだ。あとは、死者が、トーテムとして表象できたものから、人の祖先としてしか表象できなくなる幅が存在することになる。
南太平洋では、来訪神は見つかるが、高神が見つからないと言われる。イェンゼンも、高神の不在に驚いていた。しかし、パプアニューギニアを中心としてコルワル像の事例からは、その手前の状態にあることが分かる。来訪神は具体的な死者像であり、高神は抽象的な死者像という面を持っている。
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