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2015/03/23

「弥生再葬の社会的背景」

 設楽博己の『弥生再葬墓と社会』に再度、接近してみる(cf.「『弥生再葬墓と社会』」)。

 弥生再葬制の特徴。

 1.一次葬から二次葬の段階で、被再葬者の指骨や歯などに穿孔して親族が装着する。
 2.土器再葬や焼人骨葬のように、遺骨の保存と破壊という矛盾した行為を取り込んでいる。
 3.複数土器再葬墓や数十体の焼人骨を納めた土抗などから伺えるように、合葬の意識が強く働いている。

 弥生再葬墓の成立のシナリオは、縄文文化の再葬のうち、中部高地地方で発達し、拡散した結果、生じた。縄文晩期末に、焼人骨葬を基軸として多人数の遺骨を処理する再葬が、中部高地地方から東西に拡散。壺型土器が存在した南奥地方と東海地方西部で、導入され、壺を大型化して蔵骨器となった。

 再葬を発達させた要因は何か。世界的な気候の寒冷期に、狩猟採集民が行った分散居住のなかで、墓地を共有し、祖先を媒介にして集団の同族的結合を再確認した。「墓地が歴史を経ること、すなわち系譜確認行為が繰り返されることで、深みを増した祖先に対する意識が再葬などを通じて祖先祭祀を発達させた」。弥生再葬墓は、分散化した小集団がかつての同族的結合関係を再確認するために築いた集団統合の文化装置。

西アジア先史時代に発達した頭蓋骨崇拝は日本列島には認められないように、再葬の内容は異なっているが、再葬発動の原理は遠く離れた直接的な系譜や影響関係のない地域間でも類似する場合があったと考えたいのである。つまり、再葬が有する普遍的な社会的機能が、共通の葬制を生じさせ、発達させた理由の一つである。
 したがって、社会状況と対応した集団関係調整のメカニズムが葬制に埋め込まれていることに注意を向けなくてはならない。大林がいうように、狩猟採集民と農耕民という生業形態に応じた二元的な分類、あるいは発展段階に応じて葬制が決まっているわけではない。再葬が文化類型と相関関係をもっているよりは、個々の集団がおかれた社会的な状況や社会変動に応じて、その集団関係を維持していくうえでの方策の共通性から、再葬の問題に接近したほうがよい。

 琉球弧を日本列島に含めるのであれば、「頭蓋骨崇拝は日本列島には認められない」わけではない。現在では痕跡しか確認できないが、頭蓋骨崇拝は存在している。そして、狩猟採集と農耕とでは、樹上葬・台上葬と埋葬とがそれぞれ強い結びつきをみせることも確かである。設楽は、寒冷化と異文化との接触という「社会的な状況や社会変動」に寄せすぎているように見える。そこに「文化類型と相関関係」は底流しているのだから。

 一方で、視点を換えれば、琉球弧のなかで行われていた再葬も、ずっと連綿としたのではなく、廃れた後の復活もありうることを、設楽の追跡は教えている。(cf.「16.「洗骨文化の成立」」

 そもそも弥生中期中葉に関東地方に導入された方形周溝墓は、生者と死者を区分する原理にもとづく墓制であり、死霊を恐れつつも基本的には居住域で死者と暮らす縄文文化の墓制と大きく異なる。本格的弥生農耕社会は死者を遠ざけるかわりに、穀霊と関係の深い祖先霊を居住域にまねいて祭祀するという、弥生再生墓分布地域の初期農耕文化とは異なる祖先観や葬法をもっている。それによって、死者儀礼としての祖先祭祀を墓でおこなう必要がなくなったのであろう。

 この本は、弥生再葬を縄文後期からの連続性として捉え、また弥生中期に消滅する必然性を追跡したものだ。ぼくたちの問題意識に照らせば、農耕社会到来の遅延と部分化や生者と死者の分離が徹底しなかったことで、琉球弧では祖先崇拝が連綿とすることになったと考えておこう。


『弥生再葬墓と社会』


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