『ヒトのからだ―生物史的考察』
動物性器官が、しだいに発達して、これが植物性器官に介入したとき、ヒトに至ってまず、心情がめざめ、この世界が開かれる。次いで、動物性器官のやむところのない発達は、さらに精神の働きをうみ出し、この働きが、逆に植物性器官を大きく支配するとともに、やがては心情とはげしく対立するようになる。つまりヒトのからだでは、このように植物性器官に対する動物性器官の介入が、二つの段階で分かれて行なわれたことがわかる。いまこれを人類の歴史のなかでながめると、そこにはまず、豊かな心情にみちあふれた先史時代が幕を開き、次いで精神が全体を支配する歴史時代がこれにつづく。この大きな流れがヒトの赤ん坊の生いたちに、いわば象徴的に再現されることはいうまでもない。子どもの中に同居する"けがれのない心"と"手をつけられぬがわまま"は、この間の事情を端的に物語っているのではないだろうか。
ここで、三木成夫のいう「心情」と「精神」は、ぼくたちが「霊力」と「霊魂」として考えてきたことと、ほぼ重なる。ぼくたちは、文字以前の「心情」と「精神」の働き方を、霊力思考と霊魂思考と呼んでいると言うことができる。
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