再生信仰崩壊としての海上はるかなニライカナイ
棚瀬襄爾は、西方の他界を日没と関連づけて考察していた。ぼくたちは、霊魂思考と霊力思考が混融した時、地下から西方(水平)への転化が可能なのは、どちらも人間の身体の高さからの世界視線と普遍視線の行使の範囲で可能だからだと考えてきた。地下という異界を、水平に転化すれば、水平線の向こう側が異界になる。
ここで別のアプローチをすれば、結局、霊力思考において西方の他界であれ、琉球弧のニライカナイであれ、それを海のはるか向こうと思考するのは、再生信仰の崩壊を意味しているのではないだろうか。
そこで、オーストラリアを除き、南太平洋の例から、再生信仰の記述を抜き出している(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。
1.マルケサス諸島(ポリネシア)
マルケサス島人には「霊魂輪廻の観念がある」。ヌカヒヴァ人は「生れ代るまでそんなに時間はかからない」という。特に祖父の霊魂が孫に生れ代るというが、ときには動物に生れて来ることもあ」る(p.399)。
他界は、天界と地下界(ハワイキ)。下界に行くには舟型の棺で海を行かなければならない。
2.ニューカレドニア(ポリネシア)
死者は白人に化現という信仰もある。白人渡来初期には、「白人殺害も行なった」(p.233)。死者の霊魂は森へ行く。
3.ウィンデシ地方(ニューギニア)。
人はふたつの霊魂を持つ。女は死ぬと二つの霊魂ともあの世に行くが、男の霊魂は、ひとつはあの世に行き、もうひとつは生きた男(まれには女)に再生する(p.300)。他界は、地下。首狩りも行なわれた。
4.トロブリアンド諸島(ニューギニア)
人間は他界での生を終える(または飽きる)と再生する。他界は、地下またはトゥマ島。
5.サカイ族(マレー半島)
悪事をなしたものは墓の精霊として墓の付近にとどまり、「絶えず肉体を持とうとする」(p..534、棚瀬はこれを外来の信仰だと見なしている)。
まず、その例は豊富ではない。こうしてみると、マリノフスキーのトロブリアンド諸島での観察は、その記述の具体性だけではなく、他では見られない例を提示してくれたものとして貴重だ。トロブリアンド島では、他界は地下という者もいれば実在するトゥマ島という者もいて一定しない。トゥマ島の地下と合理化する者もいるが、トゥマ島で死者を見かけたという目撃譚もある。マリノフスキーは先達のセリグマンに倣って、「地下のトゥマ」が「最も正統的な解釈」だと見なしている(cf.『バロマ ― トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)。
ぼくたちは、地下は霊魂思考によるものであり、トゥマ島は、霊魂思考と霊力思考の混融に依るものだと見なしている。地下とトゥマ島がどちらも現われるのは、他界がどちらかに依って片方が消えてしまうのではなく、両者ともに残存したものだと考えることができる。この点は、地下と海上が併存している琉球弧のニライカナイの語感と同じだ。
で、確かに、明瞭な再生信仰のあるトロブリアンド諸島では、霊魂思考と霊力思考の混融に依る他界は実在のトゥマ島であって、水平線の向こうではない。
マルケサス諸島では、記述はあいまいだが、地下への道程を海から辿るという記述のなかに、トロブリアンドとの類似を感じさせる。
トロブリアンド諸島以外の例からは、ぼくたちの仮説を積極的に支持するものは見つけられない。しかし、全く否定する例もない。ぼくたちは理論の問題として、海上の彼方として思考されたニライカナイは再生信仰の崩壊として捉えたいと思う。
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