『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像』
北方アジアの神観念と葬法、シャーマニズムの相互関連を確かめたくて、ウノ・ハルヴァの『シャマニズム』を読んだ。
十三世紀の旅行家によって、「ただ一つの神」と記されたものが、高神を指すらしいことは次の記述にも明らかだ。
こうした、くつがえすことのできない、世界の秩序の維持者としての天神は、自然民族の観念によれば至るところに住んでいることになっているところの、たとえばコリャークは天にも住まわせている、あの気まぐれな緒霊とはまったく別種の力であることは明瞭である。こうした緒霊は、気ままに、たえず移り変わる虫の居どころによて、ある場合には人間の役にたち、あるときは害をなすのだと信じられている。だがたまたま緒霊の憎しみを受ける身となっても、必ずしもあきらめる必要はない。というのは、何らかの方法で緒霊をなだめたり説得したりできる余地があるからだ。ところが天の定めはそうは行かない。ひとたびそれによって定められた運命は取り消すことができないし、各人は生まれたときからそれに縛られているのだ(『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』)。
精霊と区別され、秩序の維持者である天神は、高神の性格を色濃く持っている。
天神が、人間の姿に似た存在として思い描かれるようになると、それに代わる呼び名が採用される。ヤクート人は「白い造物主」や「高き主」、アルタイ・タタールは「大いなる者」、祈祷文では「白い光」、「輝くハーン」などと呼ばれた。人間化されても、高神の抽象性、光のような非物質性は保たれている。
天界には階層のあることを、棚瀬の『他界観念の原始形態』は書いていたが、この階層には、しばしば天神の息子たちが階層ごとに割り当てられているという。
ゴルド(ナナイ)では、天に一本の大樹オミヤ・ムオニが立ち、その上には、まだ生まれて来ないこどもたちの魂オミヤが小鳥の姿をして止まっている。かれらはいったんそこで増えてから大地へ降りてきて、未来の母の胎内に入る。ゴルドで女が子宝に恵まれない時は、シャマンに頼んでオミヤをもってきてもらうのが通例。
シャマンは踊りながら、自分の守護霊の助けを借りて、美しく強いオミヤを天上の樹のもとに捜し求めて、手に入れたさまを表わす。シャマンはそれを地上に持ち帰ると、ただちにいならぶ一同に対して、「見よ、みどり児は揺籃の中にあり」と叫ぶ。
霊魂思考において、霊魂の捕捉は病気の治療の時に行われていると考えてきたが、病気の時だけではない。出産にもこの様式が取られているのが分かる。トゥルハンスク地方のツングースでは、母親たちは死者が再び生れ変るのだと信じて、陣痛の間、守護霊に助けを求める。エメゲンデルと呼ばれるその霊は、祖母や曾祖母の霊魂であると考えられている。
人であれ動物であれ、およそ息をするすべてのものに見られる生命現象を、テュルク系諸民族は「いき」と呼ぶ。「いき」は臨終のとき、口や鼻孔を抜けて肉体を離れ、湯気のように跡形もなく飛び去ってしまう。モンゴル人では、「いき」は全身に包まれており、生物体とともに滅び去るものと信じられている。アルタイ・タタールは、「いき」が死者のもとを立ち去る瞬間、何かが裂けるような音を発する。「《いき》が立ち去れば必ず続いて死が起こるので、《いき》はまた当然いのち、体温、生命力という意味をもちうる。生長しつつある樹木とか、生き生きしている草は言わずもがな、武器ですら、それが非常に鋭いものであれば、「いきている」と呼べるのである」。
ここでいう「いき」はぼくたちが「霊力」と呼んできたものに該当するが、モンゴル人では霊力思考の強度が保たれているが、テュルク族やアルタイ・タタールでは霊魂思考の影響を受けている。
著者は、「いき」を「魂」と呼ぶことはできない。「《いき》という語が個々の民族において、このような意味をそなえるようになったのは、外来文化との接触による」と考えている。
「いきの消失」という観念は、臨終のときの経験から生まれたものであるのに対し、本来の霊魂崇拝はまた別の観察にもとづくものと思われる。ふつうの観念によれば、人間の《魂》は、人間が《いき》を吐き尽してしまうより以前に、その住みかを立ち去ってしまっている。人間が健康であってさえ、《魂》は、その肉体を傷つけることなく立ち去って、不思議な放浪の旅へ出かけることができる。《魂》がなすこの気ままな旅は睡眠中に行なわれ、そのとき《魂》は、その人間が自分の肉体の目や耳で見たことも聞いたこともないようなものを、見たり聞いたりできる。《魂》は自分の放浪の間に経験したことを覚えており、まさにそのために当の人間は、たとえばブリヤート人が言うように、目覚めて後、他の者に自分の見た夢を告げることができるのである。
これはお馴染みの霊魂思考の典型的な例だ。
人間のさまよう「魂」を語る場合、もとはただふつうの「見かけ、かたち、映像、影、姿」を意味していた語彙を用いている。トゥルハンスクのツングースでは、水に映った自分の影を見ることは、あとで精神錯乱が起きるかもしれないのでよくないことだと考えた。チェレミス人の少女は、鏡に映った自分の姿を見て、ヴォルガ・タタール人がやるように、鏡に接吻して、「私の《かたち》を取らないでちょうだい」と言う。この「かたち」は、アバカン・タタールのげ語でも、「魂、霊、霊像」という意味である。カレリア人もヴォート人も、静かな水面を見るのを恐れるのは、水鏡はそれを見る者の「姿」すなわち「魂」を奪うかもしれず、そうなる顔色が青ざめ、病気になるからである。
影との関係も同様だ。ヤクートは、影を失うと不幸が起きるという。あるところでは、人間は三つの影を持つと信じられている。一つ、二つを失えば病気になり、三番目まで失えば死は避けられない。
「それ自体が影である死者は、一般的観念によれば影を持たない」。
ヤクートでは、子供たちが自分の影と戯れるのを禁じている。ツングースでは、人の影は決して踏んではならないと考えられている。「影」を表わす語は、「像」という意味も持つ。像に加えられた扱いは、本体にも作用を及ぼす。これは、魔術目的でも用いられる。
動物もまた人間と同様に影の「魂」を持っていて、精霊は動物が生きているときでも、その肉体から魂を奪うことができる。猟の際は、森林動物の彫像を作って猟場に持っていく。そのわけは、像としての魂をものにしておき、動物が容易に狩人の手に入るようにするためである。猟の前にシャマンが「動物の生命の支配者」である霊魂を訪問して、そこから動物の影の「魂」をもちかえる。狩人はその数だけの獲物を手に入れる。
19世紀後半の80年代に、死者に持たせる副葬品は壊した上で与えなければならなかった。
ヤクート人は、霊魂のすみかは、「顔、大きく言って頭であり、頭皮と頭蓋の保存もまた、頭の重要性を示すものであるが、ある地方では背中もまた「魂」のやどりの場と考えられている」。
注)ヤクートでも、頭蓋保存が行なわれている。
ブリクロンスキーの述べるところによれば、ヤクート人にあっては、病気は何かよその憑きものが病人の体内に入ったために起こるものだと考えられているので、シャマンは病人を住居の隅に連れてきて、きっと目をにらみすえるとともに、突然叫び声を発して治すのが、広く見られるやり方である。そのとき、病人に震いがつけば、憑きものが病人のからだから退散して治ったしるしであると信じられている。一方、ブリヤートのシャマンは、病人から脱けた《魂》を捜しているときに震えが起これば、それは《魂》がもとの場所にもどってきた証拠であると説明している。
ブリヤートの例は典型的な霊魂思考のものだが、ヤクートの例は、霊魂思考と霊力思考の混融を示している。
◇◆◇
南太平洋の緒事例とそこから得られる知見から照らすと、北方アジアの例において、そこから逸脱するものはなく、シャーマニズムが付加されるものとして捉えればいいように見えてくる。
アルタイ系諸民族の過去をあらうと、北方の森林文化、南方の草原文化という二重の文化につき当たる。草原文化は遊牧を特徴づけるものであって、各地の発掘物に最も古い緒特徴をとどめている。白樺樹皮でおおった円錐型天幕をその本来の住居とする、森林文化もしくは狩猟文化の担い手たちは、起源的にはもっぱら狩猟によって暮して来たと思われ、後になって新しい副業としてトナカイ牧養も加わった。いくつかのテュルク系民族がトナカイを乗用に利用したとき、明らかに草原地帯の馬が発見されている。さらに狩猟文化の特徴は、すでにかなりはやくから死者を地下に埋葬した草原地帯の諸民族とは異なり、死者は樹上あるいは木の切り株の上に固定した台の上に葬ったことである。ところで問題は大アルタイの祖先たちが、もともといずれの文化圏に属していたかということである。もし、もとは森林地帯に住んでいたとするならば、かれらの葬法は---たとえ外来の手本がなくとも---樹木のない草原をさまよっているうちに変わってしまったことは明らかである。逆に草原地帯に移り住んだとすれば、なぜ死体を樹上や台架の上に置くようになたのか、理解しにくいのである(上、p.20)。
アルタイ系諸民族の新旧について、ぼくは詳しく知らないが、北方の森林地帯とオーストラリア(東南部を除く)は樹上葬、台上葬において対応し、南方の草原地帯と東南オーストラリアは、埋葬と高神において対応しているように見える。ただし、後者においては、南方の草原地帯が「遊牧」であるのに対し、東南オーストラリアは「採集」だから、葬法や死者の観念に違いがあるかもしれない。
ここでは、シャーマニズムについて触れておく。
シャマン装束は鳥に似せたものが多い。
より北のものには、はるかに多くの金属製品、それも骸骨のさまざまな部分を表わす金属製品がついているという点でも区別される。たとえばヤクートのシャマンの袖には、上腕骨と、つながった尺骨と橈骨を表わす細長い鉄の板のついているのが見える(下、p.190)。
この記述が関心を惹くのは、シャマン装束の骸骨の、「上腕骨と、つながった尺骨と橈骨」が、再生信仰を持つオーストラリア種族における樹上葬のなかで、重視されたいた骨の個所と一致するからだ。これはさまざまな連想を許す。アルタイ系のシャマニズムは、すぐれて霊魂思考が優位だが、入巫のなかで行なわれる肉体の入れ替えには霊力思考が見られる。これは、再生信仰の象徴化を示しており、装束における「上腕骨と、つながった尺骨と橈骨」にもその痕跡が残った。そうだとすれば、これはこの本が主張するような緒霊からの防御を示すのではなく、シャマンとしての再生を示すものだ。また、これはシャマンが樹上葬時代に起源をもち、草原で高神を観念して脱魂技術を得たのか、草原において高神を抱いた種族が、霊力思考の系譜を取り入れたものか判断できないが、シャマニズムが相当に古い起源をもつことを示唆しているように思える。この点からいえば、シャマニズムも再生信仰の置換形態のひとつなのだ。
著者のウノ・ハルヴァは、シャマンの病気治療において、なぜ天界への飛翔が行なわれるのかを問うている。
ヤクートでは、魂を奪い、病因を引き起こす緒霊は天に住むものとはみなされていない。シャマンの行事では、まず下界の行事を行い、その後に天界への行事を行なう。シャマンは悪霊を追い出すとき下界へ行く。これらのことから、シベリアのシャマニズムは下界へ行くことが、天界への飛翔よりも古いと考えている。
しかし、南太平洋の緒事例から考えられることは、下界へ行くのは埋葬により地下他界を思考するようになってからのものだ。したがって、狩猟や遊牧を行なっていた種族が農業を行なうようになってからのもので、その意味で、下界行はもっとも新しい層に属している。天界へ行く理由が見当たらないのに天界への飛翔が伴うのは、高神を抱いて以降は、天界への飛翔こそが重要なシャマンの行為だったからだ。これはこの本ではシャマンの職能を病気を主たるものとして挙げていることに関わる。もともと、シャマンは病気だけを対象にしていたのではない。病気という以上に、この本でも「氏族の安寧」がその務めとしているように、共同幻想の統御こそがその重責だった。病気が主たる務めに見えるのは、共同幻想がすでに国家的なものに代替されてしまっていて、統御不能と見なされているからに他ならない。
この本の収穫は、北方のシャマニズムにおいて、霊力思考の関与をはっきりと確認できたことだ。
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