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2015/02/12

狩猟儀礼における霊力思考と霊魂思考

 狩猟儀礼における霊力思考と霊魂思考を対照させてみる。まず、霊力思考は南の大地から採る。

 動植物に関する知識は、長期にわたる注意深い観察と儀礼によるトランス状態で現れる深い共感能力から得られる。最強の狩人はさらに、動物や鳥の動きと鳴き声をまねることのできる「歌謡と踊りの名手」なのだ。アボリジニは、何時間もかけて動物の動きをじっくりと観察し、その鳴き声に耳を傾ける。昼夜にわたる儀礼と「動物の舞」を通じて、動物の特性を自分の神経系と筋肉に刷り込むのである。
 動物の動きをまねた舞の儀礼については、ジレンとスペンサーが写真を交えて、次のような報告をしている。三十人を超える全裸の男たちが、大きな円の中に集まる。そして一人ずつ、狩られた動物の舞を披露する。他の男たちは、その舞に合わせて、歌い、尻を叩いては、パーカッション風のビートを生み出す。尻を叩く音は、とてつもなく大きいので、数マイル先の砂漠でも聞きとれる。熱狂的な舞は、数時間にもおよび、やがて疲れきった男たちは、地面に倒れこんでしまう。舞を見ていた男たちの眼にはたちまち、「忘我の境地」特有のよどみが浮かんでくる。そして恍惚状態に入った男たちのペニスは、勃起するのだ。最後の踊り手が動物の舞を披露し終わり、疲れはてて地面に崩れるように倒れ込む。すると、それを見ていた男たちは全員、踊り手めがけて飛びかかり、忘我の極みのような叫び声を上げる。そして翌日、狩りが始まるのだ(p.407、『アボリジニの世界』)。

 この狩猟を前にした「動物の舞」で、動物を真似るのは人類学の本では、よく「模倣」と表現されている。ここでは動物との一体化と捉えてみる。動物である踊る男たちと倒れたのを見て踊り手に飛びかかる男たちは、狩りの獲物と狩人を表わしている。狩りを演じることは狩りを成功させることを意味している。

 また以前、ぼくはこの舞を「動植物への憑依」として捉えたが、トランス状態にあり、動物の動きを正確に真似ているとはいえ、なりきっているわけではないいから、憑依には当らない。

 もうひとつ付け加えてみたいことがある。

 アボリジニが毎日のように披露する儀礼の舞や歌謡は、「世界創造の要」だった主観から客観にいたる運動を祝うためのものだ。こうした発想は、日常生活の隅々にまで浸透している。アボリジニは今でも、狩りの前夜には一睡もしない。眠っている飼犬の様子を注意深く観察するためである。夢を見ている飼犬が吠えたり、唸ったりすれば、獲物を捕まえた夢を見ているという証拠である。だからその犬は、翌日の狩りのお伴に選ばれるのだ(p.64)。

 ここには、霊力思考における「夢」の、霊魂思考との違いがよく現れている。霊魂思考における「夢」は、霊魂の行動や見聞を語るものだが、霊力思考においては、目覚めて後の現実を語るものだ。しかも、それは人間だけに限るのではなく、犬の夢についても同じだ。

 霊魂思考における狩猟儀礼の例は、北の大地からのものだ。

 シベリアの諸民族の観念においては、動物もまた人間と同様に影の《魂》をもっており、緒霊は、動物が生きているときでも、その肉体からこの《魂》を奪うことができる。ツングースは、狩に出かける際、猟がうまくいくようにと、森林動物の彫像を作って猟場へもって行くそうである。同じように、イェニセイの岸で多数の魚の像が見かけられたことがあるが、これはその地の住民が春季の漁業の開始にあたって大漁を願い、木に彫ったものである。カルヤライネンはオスチャークとヴォグールの同じような風習を記述したとき、これらは供物用であること、言い換えれば、こうした像は緒霊を「なだめる」ために作られたものだと想定した。しかし北シベリアの諸民族はこのような象徴的供物を用いてはいないので、動物像を作ったわけは、それが容易に狩人の手に仕留められるよう、せめて像の《魂》だけでも、ひとまず前もってものにしておくことを意図したというのが、より真相に近いであろう。狩人はおおしかとか、トナカイを殺してしまう前に、故人となった自分の身内の者が、その動物の《影》をものにしておかなけえばならない。さもなければ、狩人は獲物を手に入れることができないというユカギールの見解は、この種の信仰観念と同類である。同じような信仰はユラーク・サモエドももっていた。レヒティサロはある聖地の霊について述べ、猟が始まる前に、シャマンが《動物の生命の支配者》である霊魂を訪問して、そこから動物の《魂》を持ちかえる。狩人はその数だけの獲物を手に入れるのだと述べている(p.267、『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』
 今日シャマンがシャマンするのは主として極北の諸民族のバアだけであって、ユカギールの観念によれば、あとで狩人の手に入る動物の《影》を前もって捕えてくれるよう、緒霊に援助を頼むのである(p.216、『シャマニズム2: アルタイ系諸民族の世界像』

 霊魂思考における狩猟儀礼は、動物の霊魂をあらかじめ確保しておくことに求められる。人間も長期の霊魂の不在は死をもたらすと考えられているから、動物についても霊魂を抜けた状態にしておくことが求められるわけだ。

 霊力思考における狩猟儀礼が、動物との「一体化」を核に持っているとすれば、霊魂思考においては動物からの霊魂の「分離」が核になっている。

 両者に共通しているのは、狩猟自体より、これらの儀礼がより本質的行為だと考えられていることだ。

(前略)前論理の心性では、この実質的捕獲と云うものは狩漁の一番重大な要素ではない。真に重要な部分は獲物を出現させ、その捕獲を保証してくれる神秘的作業或は儀式である(p.11、レヴィ・ブリュル『未開社会の思惟 下』

 大きな違いがあると思えるのは、あらかじめ動物の霊魂を捕獲しておくというのは、因果関係と考えられるが、霊力思考のそれは、因果というより共鳴、同期というのが妥当ではないだろうか。ロバート・ローラーによれば、「アボリジニには「時間」という概念がないのである(p.64、『アボリジニの世界』)」という。「アボリジニの言う「創造」では、時間の経過や歴史は、過去から未来への運動ではなく、主観的状態から客観的状態への移りゆきを意味する」(p.64)。時間の単線的な流れは霊魂思考が駆動させたのだろうか。

 実際、霊力思考における再生信仰では、人間は次々に生起するもので、そこでは「祖先崇拝」は起こらない。祖先崇拝は、霊魂思考のなかで、死者の時間列を意識して初めて生まれる観念だ。これは、始原からの距離感も表わすことになる。


『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』

『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』

『シャマニズム2: アルタイ系諸民族の世界像』

『未開社会の思惟 下』

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