« 丹羽佑一の「縄文人の他界観念」 | トップページ | シャーマニズムにおける霊力思考と霊魂思考 »

2015/02/27

谷口康浩の「祖先祭祀」

 縄文時代では「死者は必ずしも忌避すべきもの、穢れたものとはとらえられていない」。

ムラの中央広場に集団墓を造営する環状集落の空間構成は最も端的にそれを表しているし、廃屋葬の発達なども死者を身近におこうとする意識の発露であろう。中期以降各地で発達した再葬制も、祖霊に対する特別な意識をうかがわせるものである。

 環状列石を祖先祭祀のモニュメントと考える見解がある。環状列石が中期後葉の環状集落のなかから中央墓地を決壊する形で発生することを踏まえ、祖先祭祀の体系化、高次化の動きとする考え方がそのひとつ。また、廃屋葬は、死者は無差別に葬るのではなく、特定の地位の死者のための墓所と儀礼の場だった可能性を指摘する考えもある。

 祖先祭祀の性格を最も強く示唆するのは、「大型石棒」と「環状列石」。「石棒をファロス(怒張する男根)とみなし男性的な活力の象徴物と見る点は一般的な認識となっている」。

 「大型石棒」は、「中期前葉~中葉に確立したものとみてよい」。これは土偶の発生に5000年近く遅れる。これは、「大型石棒」と「土偶」とは「まったく違う神観念の発生を意味すると考えるほかあるまい」。

 「大型石棒」の出土例の増加と環状集落の隆盛は時期が一致するので、「石棒祭儀の発達と環状集落の造営」との間にはなんらかの脈絡があったことが予測される。

 「石棒」と「石皿」を対にした「性交隠喩」は、中期から晩期の数多くの遺跡に類似した状況が確認できる。「大型石棒の造形に象徴化されたものとは、おそらく神霊がもつ聖的な生殖力であり、そうした力への信仰が根底にあるらしい」。

 大型石棒は竪穴住居内の奥壁側や炉辺、埋甕付近などに樹立されて屋内祭祀の様相を示す。廃絶された竪穴内で石棒を火にかけたり破砕する行為の痕跡が頻繁に見出される。

大型石棒が屋内やその炉に祀られるのは、やはり家系の守護、絶えざる繁栄を祈ってのことであろう。またそれが人の死に関わる儀礼にとくに結びついていたのも、聖なる生殖力によって死者を祖先たちの世界に再生させる通過儀礼としての意味があったからではなかろうか。
 家系を守り死者を再生させる力の主と信じられた神霊とは何か。筆者はそれを祖霊観念と結論したわけである。

 環状列石の構造は一様ではないが、「地下に土壙墓群がありその上に築造された事例が含まれる」。環状集落内の中央墓群の上部に築造でれており、「環状列石が中期環状集落のなかから系統的に発生したことを占めている」。

環状集落がもともともっていた集団祭儀の場としての機能が拡張され、巨石モニュメントに転化したものと考えられる。
環状列石は明らかに環状墓群を囲繞し一部が土壙上に重複していることから、墓群形成がおおむね完了する段階ないしその直後に築造されたと推定しうる。
 要するにこれらの環状列石は、過去の墓地の上に後から築造されたものであり、造営者たちにとって葬儀の場そのものというよりも、祖先たちの霊を祀る宗教的故地もしくは神聖な祭儀場としての性格を帯びていたのではなかろうか。

 谷口の論文から考えてみる。環状列石が墓の上に作られ、集団祭儀の意味を持ったという考えは、人骨が出土する御嶽の構成と同じで興味深い。しかし、それがすぐに祖先祭祀と結びつくとは限らない。男根を象徴化した石棒を祀る霊力思考が旺盛な段階で、霊魂思考優位のもとで展開される「祖先祭祀」が行なわれたとは考えにくい。

 竪穴住居内の奥壁側や炉辺、埋甕付近などに樹立された大型石棒は、「性と食」への信仰を感じさせる。また、「廃絶された竪穴内で石棒を火にかけたり破砕する行為の痕跡が頻繁に見出される」のは、家を捨てる習俗と同様で、死者と家屋や大型石棒が不可分のものとして捉えられていたことを思わせる。ここに霊魂思考の混融を認めることはできるが、「祖先祭祀」に至っていたとは判断できない。

 「祖先祭祀」が成立するには、人間を動植物と類別し、トーテム信仰は廃れ、生と死はひとつながりではなくなり、時間が過去を持ち、霊魂の系譜が思考されなくてはならない。環状集落は少なくとも死は生の移行にある段階にあり、そこに死穢もないとしたら、霊力思考はまだ生き生きとしていたはずなのだ。論者たちは、縄文に現在を投影しすぎているのではないだろうか。大型石棒は、やがて原始農耕の開始のどこかで死者の「頭蓋」に取ってかわられる。そうなると、「祖先祭祀」の登場する舞台が整ってくる。

『心と信仰―宗教的観念と社会秩序 (縄文時代の考古学)』

|

« 丹羽佑一の「縄文人の他界観念」 | トップページ | シャーマニズムにおける霊力思考と霊魂思考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/60698497

この記事へのトラックバック一覧です: 谷口康浩の「祖先祭祀」:

« 丹羽佑一の「縄文人の他界観念」 | トップページ | シャーマニズムにおける霊力思考と霊魂思考 »