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2015/02/10

メラネシアの「儀礼的同性愛」の系譜

 メラネシアを訪れた人類学者たちを驚かせたのは、そこに「儀礼的同性愛」と呼ばれるとんでもない文化の体系が発達していたことだ。そこでは、男性と女性とはっきりと分離するタイプの文化がおこなわれていた。そのために、小さい頃は母親とぴったりいっしょにくっついて育った少年たちを、その母親たちとの一体状態から引き離して、大人の男性の社会に組み入れるための、大がかりなイニシエーションの儀礼が、つくりあげられていたのである。少年たちが大人の男になるのにふさわしい時期が来ると、少年たちは女性の近づくことのできない所に隔離され、先輩の大人の男たちから、さまざまな試練や教育を受けた。これは、その儀礼でなにがおこなわれるのか、噂でしか知らされていない少年たちには、たいへん怖い体験だった(中沢新一『森のバロック』

 吉田敦彦の紹介記事によって、「儀礼的同性愛」のことは知っていたが(cf.「精液原理」)、それは一部の部族に留まるものではなかったらしい。

南方熊楠が生きていた頃には、人類学がこのテーマを、おおっぴらにおりあげることはなかった。しかし、南太平洋の島々やニューギニアなどにでかけていった人類学者たちは、そのことをよく知っていた。そこでは男子だけがつくる戦士的な秘密結社のイニシエーション儀礼において、入念につくりあげられた同性愛のシステムが発達しており、そこでは少年たちがすすんで「床入れ」を受け入れる文化が、存在していたからである。人類学者たちは、その事実をよく知っていたが、スキャンダルになるのを恐れて、あまりおおっぴらにこれをとりあげようとはしなかった。それが、大きな意味を持つ人類学的テーマとして、脚光を浴びはじめたのは、むしろ最近のことなのである。

 ことはマリンド・アニム族やサムビア族に限らず、メラネシアの「儀礼的同性愛」と一般化して言えることだったのだ。そして確かに、「Ritualized Homosexuality in Melanesia」(Herdt, Gilbert H.)をみると、広汎に認められることが分かる。

 八重山にも男子結社の存在は、来訪神儀礼の隣に存在している。その加入礼の厳しさは、実質的には形骸化していて、厳しいといっても象徴的な死を経るところまでには至っていない。そこでは、「好きな女性の告白」を伴うが、ここへきてその理由が分かる気がする。あれはいわば、ギャング・エイジのころに、少年同士で好きな女の子を告白し合うのと同じだ。

 メラネシアに連なる「儀礼的同性愛」の構造がよく見えてくるのは、内地に入った薩摩の「兵児二才」においてである。中沢は書いている。

 兵児組織の中心は、年頃の青少年でつくられた兵児二才である。彼らは、共同の宿舎で寝泊まりした。そこでは、きびしい規律にしたがって、日常生活の中での自己鍛錬が、おこなわれた。いったんこの集団の内部に入ってしまえば、年齢による序列がもっとも重要な組織原理となるので、家の財産とか階級などのような、外の世界で大きな意味をもつ社会的価値による人間の位置づけは、徹底して否定された。兵児組織の中では、年齢原理だけ残して、あとは平等主義がとられていたが、これは、メラネシアや台湾や八重山群島の男子結社のケースと、まったく同じなのである。それぞれが、まったく対等の立場の個人として、集団の中で、自分の責任で自己鍛錬をおこなった。その鍛錬は文武にわたった。おたがいの間に、友愛の感情が芽生えた。それが、同性愛的なかたまりに達してしまう場合も、めずらしくはなかった。兵児は、いわば南日本の同性愛的文化の温床だったのだ。

 兵児二才は「「女ぎらい」でなければならなかったのである」。ここで、かの地のいわゆる「男尊女卑」が歴史的な深さを持つものであるのに気づかされるとともに、男子結社の組織原理の厳しさが無くなったところでの頽落形態であることに思い至る。

 中沢はミッシェル・フーコーを引きながら、同性愛が、「純粋な友愛や憧憬にささえられた、この地上にはまだ実現されていない、人間同士の、あるいは人間と自然との、未知の関係をもとにした世界をもとめること」だと、南方熊楠の思想を代弁している。

 森山公夫は、男子結社の意味について、こう書いている。

 この男女別の秘密結社が存在する社会的な意味は、これが男女それぞれの資質の練磨(例えば男性では狩猟や競争・闘いの修練)の場であると共に、それを通してフロイトの云うようn「同性愛性の熟成」を通しての「社会感情の醸成」にあったと考えることができる。古来、人類はこうして近親相姦禁止(兄弟姉妹間の)の掟を基盤に、同性愛的感情の熟成を通して社会的感情を醸成し続けてきたのである、それを通して社会共同体を成長・拡大させ、維持し続けてきたのである。(「精神医療 76号 特集:ボーダーラインはどこへ」

 人類は、男女の二元論で文化や社会を築いた長い時期があったということだ。シニグとウンジャミが思いだされる。


『森のバロック』

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