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2015/02/28

シャーマニズムにおける霊力思考と霊魂思考

 『シャーマンの世界』では、シャーマン的モチーフとしてオーストラリアのアルンダ(アランタ族)が取り上げられている。

 オーストラリアのアボリジニーのなかには、シベリアと同様、霊によってシャーマンがイニシエーションの時に肉体を解体される部族がある。霊がシャーマンを殺し、身体を開いて体内に水晶などの力のある物体を入れるのである。

 オーストラリアでは、病気や死は、モノが体内に入ることによるとされる。だから、本文中にはシャーマンとあるが、呪術師のイニシエーションは、死と再生の象徴になる。

 『シャーマニズム』では、生まれながらのシャーマンが見る夢が書かれている。

 幼少期には、非凡な才能を示す。見えないものを見て、未来をあてる。青春期には、激しく苦しい試練を経験する。錯乱状態になり、森に逃走する。典型的な夢を見る。それは、チュルク系民族の場合、鍋のなかでゆでられ、見知らぬ人びとに刻まれ、体のなかに「余分な骨」がないかを探られる夢である。骨がみつけかると、それは夢を見ている人にシャーマンの能力があることを意味する。

 生まれながらのシャーマンが見る夢に現われる「余分な骨」は、アルンダ族のイニシエーションにおける「水晶」と同じだ。ここには、霊力思考における病気や死の技術化が呪術師の力であることが示されるとともに、霊魂思考が優位のシャーマンにおいて、潜在化された、あるいは痕跡として残された霊力思考を見ることができる。

 佐藤正衛は『北アジアの文化の力』のなかで、北アジアの人々の動物に対する信仰について書いている。

 人々は仕留めた猟銃から、心臓や肺臓などの内臓を頭のついた全身の皮と一緒に一続きのまま取り出し、それを杭や木に懸けて祀り、動物の霊をなぐさめた。また、骨を損なわないように慎重に扱い、台の上や樹の上に安置した。内臓はそこに魂あるいは魂の力が潜んでいるとひろく信じられ、動物のもっとも主要な部分と考えられた。骨は、それが残っている限り何か不思議な仕方で生命が続いていると観念され、再生能力が託されたのである。

 連想を誘われるのは、人間が再生すると考える種族もあった南太平洋における樹上葬や台上葬において、骨は全身が保存されるか、一部の骨が砕かれることがあるが、霊力思考における「骨」は再生の根拠であり、霊魂思考における「骨」は、霊魂が守護神化する根拠であるということだ。

 狩猟時の野獣屠殺儀礼に見られるこの「再生」の思想は、(中略)供犠祭における家畜屠殺の儀礼にも反映されれば、シャマニズムのほかのさまざまな表象や観念のなかにも現われる。たとえば、動物母が鳥のばあい、鳥は鳥でもしばしば鉄の翼や鉄製の嘴をもつといい伝えられるのは、おそらく骨と同様長いあいだ朽ちることのない金属に再生の思いが込められたのであろう。また、シャマンの儀礼装束で、上衣や長靴に骨や金属で骨を象った飾りをつけたのも、補助霊がすみやかに象られた動物となって現われる(つまり再生する)ことを期待したのだろう。これらの例は動物に関する再生の表象であるが、北アジアの諸民族の間ではシャマンのもまた再生すると信じられた。

 ぼくが関心を惹かれるのは、動物やシャーマンはなぜ樹上葬をし、人々はすでに埋葬や他の葬法を取るのか、ということだ。これは、人々の生業が農耕や牧畜を行なうようになって埋葬その他の葬法になり、樹上葬を離れた後に、動物やシャーマンに古形態が残されたのではないか、ということだ。

 北アジアでは、天空尊崇の思考が発達し、天神(高神)の観念を生みだしている。

 天神はかつて天そのものを意味したのであった。だが、ハルヴァによれば、それ以後に生じたそれ自体の変化と外来文化の影響によって、天はより細かく定められた相貌を身につけるにしたがい、人間の姿に近づき、やがてその住居とか助手などという観念が付け加わることになった。こうして天神は天の特定の層に住み、名前をもつ存在として思い描かれるおうになったのである。

 この、高神の擬人化は、天の他界化とも同期しているのではないだろうか。天界はきわめて現世的だ。ここでは、死は生からの移行であり、そこに地下他界のような断絶の契機は当初、なかったに違いない。そこで、シャーマンの樹上葬は、天界とも結びつけられ、もともと持っていた再生の信仰も、痕跡となりながら(シャマンは再生しうる)、天と結びつけられるようになった。そう考えると、南太平洋の習俗とのつながりを見いだせる。

 こうして見てくると、シャーマニズムのなかにも、霊力思考は伏在している。「脱魂」と「憑霊」の技術者は、ともに霊力思考と霊魂思考をもとにしており、両者の違いは霊魂思考の強度であると見なすことができる。


『シャーマンの世界』

『シャーマニズム』

『北アジアの文化の力―天と地をむすぶ偉大な世界観のもとで』

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2015/02/27

谷口康浩の「祖先祭祀」

 縄文時代では「死者は必ずしも忌避すべきもの、穢れたものとはとらえられていない」。

ムラの中央広場に集団墓を造営する環状集落の空間構成は最も端的にそれを表しているし、廃屋葬の発達なども死者を身近におこうとする意識の発露であろう。中期以降各地で発達した再葬制も、祖霊に対する特別な意識をうかがわせるものである。

 環状列石を祖先祭祀のモニュメントと考える見解がある。環状列石が中期後葉の環状集落のなかから中央墓地を決壊する形で発生することを踏まえ、祖先祭祀の体系化、高次化の動きとする考え方がそのひとつ。また、廃屋葬は、死者は無差別に葬るのではなく、特定の地位の死者のための墓所と儀礼の場だった可能性を指摘する考えもある。

 祖先祭祀の性格を最も強く示唆するのは、「大型石棒」と「環状列石」。「石棒をファロス(怒張する男根)とみなし男性的な活力の象徴物と見る点は一般的な認識となっている」。

 「大型石棒」は、「中期前葉~中葉に確立したものとみてよい」。これは土偶の発生に5000年近く遅れる。これは、「大型石棒」と「土偶」とは「まったく違う神観念の発生を意味すると考えるほかあるまい」。

 「大型石棒」の出土例の増加と環状集落の隆盛は時期が一致するので、「石棒祭儀の発達と環状集落の造営」との間にはなんらかの脈絡があったことが予測される。

 「石棒」と「石皿」を対にした「性交隠喩」は、中期から晩期の数多くの遺跡に類似した状況が確認できる。「大型石棒の造形に象徴化されたものとは、おそらく神霊がもつ聖的な生殖力であり、そうした力への信仰が根底にあるらしい」。

 大型石棒は竪穴住居内の奥壁側や炉辺、埋甕付近などに樹立されて屋内祭祀の様相を示す。廃絶された竪穴内で石棒を火にかけたり破砕する行為の痕跡が頻繁に見出される。

大型石棒が屋内やその炉に祀られるのは、やはり家系の守護、絶えざる繁栄を祈ってのことであろう。またそれが人の死に関わる儀礼にとくに結びついていたのも、聖なる生殖力によって死者を祖先たちの世界に再生させる通過儀礼としての意味があったからではなかろうか。
 家系を守り死者を再生させる力の主と信じられた神霊とは何か。筆者はそれを祖霊観念と結論したわけである。

 環状列石の構造は一様ではないが、「地下に土壙墓群がありその上に築造された事例が含まれる」。環状集落内の中央墓群の上部に築造でれており、「環状列石が中期環状集落のなかから系統的に発生したことを占めている」。

環状集落がもともともっていた集団祭儀の場としての機能が拡張され、巨石モニュメントに転化したものと考えられる。
環状列石は明らかに環状墓群を囲繞し一部が土壙上に重複していることから、墓群形成がおおむね完了する段階ないしその直後に築造されたと推定しうる。
 要するにこれらの環状列石は、過去の墓地の上に後から築造されたものであり、造営者たちにとって葬儀の場そのものというよりも、祖先たちの霊を祀る宗教的故地もしくは神聖な祭儀場としての性格を帯びていたのではなかろうか。

 谷口の論文から考えてみる。環状列石が墓の上に作られ、集団祭儀の意味を持ったという考えは、人骨が出土する御嶽の構成と同じで興味深い。しかし、それがすぐに祖先祭祀と結びつくとは限らない。男根を象徴化した石棒を祀る霊力思考が旺盛な段階で、霊魂思考優位のもとで展開される「祖先祭祀」が行なわれたとは考えにくい。

 竪穴住居内の奥壁側や炉辺、埋甕付近などに樹立された大型石棒は、「性と食」への信仰を感じさせる。また、「廃絶された竪穴内で石棒を火にかけたり破砕する行為の痕跡が頻繁に見出される」のは、家を捨てる習俗と同様で、死者と家屋や大型石棒が不可分のものとして捉えられていたことを思わせる。ここに霊魂思考の混融を認めることはできるが、「祖先祭祀」に至っていたとは判断できない。

 「祖先祭祀」が成立するには、人間を動植物と類別し、トーテム信仰は廃れ、生と死はひとつながりではなくなり、時間が過去を持ち、霊魂の系譜が思考されなくてはならない。環状集落は少なくとも死は生の移行にある段階にあり、そこに死穢もないとしたら、霊力思考はまだ生き生きとしていたはずなのだ。論者たちは、縄文に現在を投影しすぎているのではないだろうか。大型石棒は、やがて原始農耕の開始のどこかで死者の「頭蓋」に取ってかわられる。そうなると、「祖先祭祀」の登場する舞台が整ってくる。

『心と信仰―宗教的観念と社会秩序 (縄文時代の考古学)』

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2015/02/26

丹羽佑一の「縄文人の他界観念」

 丹羽佑一の論文から、縄文人の他界観に接近してみる。とても面白いのだが、意味を辿りきれない個所があり、理解が不完全なので、分かる範囲で取り扱うことにする。

 1.岩手県西田遺跡(縄文時代中期中葉)

 環状集落。中心から、墓抗群、長方形柱穴群、貯蔵穴群、竪穴住居群が、同心円状に配置されている。墓抗群、長方形柱穴群は環状に展開するが、住居と貯蔵穴は、北側に偏在する。

 集落は、婚姻する二集団で構成される。墓抗群の構成は、住居群の構成と同じ。

墓抗群の死者達の生前の住居に環状集落群を仮定すると、西田遺跡の死者は生前と全く同じ諸関係を保持しているということになる。(「縄文人の他界観(中期編)」「人類史研究」)

 ただし、隣接する墓抗には二つのタイプがある。

 1)男女(夫婦と想定される)
 2)同性同士(同一集団と想定される)

 西田遺跡の生者たちは死に際して諸関係を再編された。「死を契機に夫婦は分解され、性と出自関係があらためて付与されたのである」(「他界観念」『心と信仰―宗教的観念と社会秩序』)。

 と丹羽は書くのだが、それなら、夫婦と見なされる男女の対はどうなるのだろう。ここが分からないことのひとつ。同一出自集団内の婚姻を意味するのだろうか。

 他に興味深いのは、「長方形柱穴」のこと。

 長方形柱穴列は、分布上、構築変遷上隣接する2基の墓抗単位と密接な関係をもつこと、多くに棟持柱が認められることから葬送儀礼に関する建物である。しかも空間の時間構成から初期段階の葬送儀礼が執行された施設と考えられる。死者は埋葬される前に長方形柱穴列に安置された。またその建物の規模を考慮すると、生前生活を共にした住居構成員が一定期間同居したことが想定される。長方形柱穴列は民俗でいう喪屋の一種である(「縄文人の他界観(中期編)」(「人類史研究」)。

 丹羽の仮説を踏まえてみる。環状集落で墓地は住居の内側に配置されているので、死穢の観念は発生していない。長方形柱穴列が喪屋だとすれば、霊力思考もまだ強く残っている。この段階での他界は生からの移行であり、死者は生者とともにいると観念されていた。あるいは、トロブリアンド諸島も墓を囲む環状集落だったことを踏まえると、生と死のひとつながりは失われておらず、死者は再生するという観念も残っていたかもしれない。

 集落は、父系あるいは母系で構成されていた。

 2.千葉県草刈遺跡(縄文時代中期後半)

 環状集落。70m×50mほどの楕円形の広場を囲んで住居が分布。墓群は住居に隣接した「廃屋墓」と「広場外縁墓抗」で、「廃屋墓」に集中する。「廃屋墓」は、同一出自の男性、女性で基本的には振り分けられている。それに該当しない人が「広場外縁墓抗」に割り当てられたと考えられる。

これにより死者は出自集団でもある男集団と、出自集団でもある女集団に編成されていたことが知られるのである。また死者のこの集団間の関係には、1住居構成員間に想定される生前の夫婦の関係が付随するが、その所在は1住居構成員間から住居小群間に置換されていることが知られる。1住居構成員の関係が住居小群(構成員)間で展開する。死者には新たな住居群(社会)が用意されたと考えられる(「他界観念」『心と信仰―宗教的観念と社会秩序 (縄文時代の考古学)』)。

 環状集落に広場が出現しているが、墓はその広場の中心にあるのではなく、住居群に混じり、あるいは広場外縁に位置している。これは、死者が生者と区分される移行期に当たると思えるが、依然として死穢の観念はなく、生者は死者とともにある。また、婚姻対象者の拡大も想定できる。

 読み取りきれない個所については、丹羽さん本人に聞いてみたいものだ。


cf.「縄文人の他界観(中期編)」(「人類史研究」)、「国府遺跡における縄文前期人の他界観 」(「文化財学論集」)

『心と信仰―宗教的観念と社会秩序 (縄文時代の考古学)』

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2015/02/25

帰来する死霊の位相

 死者が、ふたたび生者の居住地にやってくるという例を、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』で追ってみる。


◇メラネシア

事例1.種族:モノ島
・他界:モノ島の北、ブーゲンビル島にある大きな岡であり火山(バレカ)。
・帰来:身体が回復すると、モノ島に帰来する。農園で働き、踊り、結婚し、子供を生む

事例2.アル島
・他界:火山(バレカ)。地下と言われることもある
・帰来:帰来する

事例3.ブイーム地方
・他界:火山(バレカ)。幸福な生活を送る
・帰来:帰来しない。

事例4.フロリダ島(ソロモン諸島)
・他界:ガダルカナル島東南部のBetindalo。
・帰来:墓地をさまよい、供物の所へ来るし、夜は笛を吹いたり、踊ったり、叫んだりする。

事例5.サンタクルーズ島
・他界:Tamamiの大火山
・帰来:森に出没する。

事例6.ベレプ諸島
・他界:Pott島北東の海底
・帰来:日中はこの世に帰来する

◇ニューギニア

事例1.トロブリアンド諸島
・他界:トゥマ島の地下
・帰来:死後10カ月位に行なわれる祭りに帰来する
・転生再生:再生する

事例2.マフル族
・他界:山頂
・帰来:山から下って、村や畑をさまよい、食物を探す
・転生再生:年齢によって地上の微光や大茸になる。

事例3.タミ族
・他界:ランボアム(地下)。
・帰来:働き、結婚し、死ぬ 蛇の形をとって帰来する
・転生再生:蟻、蛆になる。森の精霊になる。

事例4.ノアパプア(セピック河西方海岸地帯)
他界:トーテム・センター。
帰来:帰来する。墓に竹筒を刺して出入りを自由にする。

事例5.ツムレオ族
・他界:北方にある地下深くにある幸福の島
・帰来:帰来する。家のそばに若木を切って葉を落として立てて、果物や死者の私物をかけておく

◇ポリネシア

事例1.エリス諸島のヌクラエラエ
・他界:天に行く。
・帰来:帰来して生者を驚かし、死を与える

事例2.サモア
・他界:Savaii島の西端にある珊瑚礁にある穴から飛び込んで、下界に行く
・帰来:帰来するので、人々は恐れる

事例3.ソサエティ諸島
・他界:Po。天界信仰もある。
・帰来:地上を訪れて、人々に霊観を与える

事例4.マオリ族
・他界:天と地下のPo。
・帰来:ときどき帰来して生者の行為や運命に影響を与える

◇東インド諸島

事例1.カンカナイ族
・他界:山に行く。
・帰来:ときどき帰来して病気を起こす

事例2.ミンダナオ島のビラーン族
・他界:地下界
・帰来:時として帰来して、生者を助けたり傷つけたりする

事例3.ミンダナオ島のタガカオロ族
・他界:天
・帰来:時として帰来して、生者を助けたり傷つけたりする

◇オーストラリア

事例1.ナリンジェリ族
・他界:天
・帰来:天から帰来して地上を歩き、好まない者を傷つける

事例2.クルナイ族
・他界:雲の彼方の天
・帰来:生前の住居をさまよう


 これらの例を追ったのは、死霊が時折、生者の場所にやってくるのは、他界がそう遠いところに観念されていないことを意味し、他界がいたるところにあるところから、遠くへ遠隔化される中間の段階に位置すると考えるからだ。だから、島や山の他界が多く出現し、海の果てという海上は出現しないのではないか。もうひとつは、死霊の帰来は、霊力思考の側面からみると、弱められ変形された再生ではないかということだ。

 そして、帰来が時々で、他界も遠くないのであれば、再生や転生信仰とは同居することがありうるのではないか、ということだ。もっといえば、再生や転生とは同居しやすくても、来訪神とは同居しにくいのではないか。

 20の例のうち、8つが島か山である。フロリダ島のBetindaloが何を指すかは分からないが、「ガダルカナル島東南部」とあるので、遠くを指しているわけではないだろう。ノアパプアのトーテムセンターは他界ではないから除外していい。

 タミ族は地下他界を持つが、転生信仰があるので、そう遠くないとは考えられる。しかし、ここには来訪神信仰があった。ただ、タミ族の来訪神タダがやってくるのは、10~12年に一度の頻度だ。だから、他界がそう遠くないことと、来訪神の頻度が高くないことが対応していると考えることができる。他の4つの地下他界もまだ遠隔化されていないと捉えてみる。

 予想外だったのは、「天」が6つ登場することだ。「天」は、遠隔化された地下他界とは毛色が違うということは気になってきた。「天」は生きていると捉える北方の種族が言うように、「天」は現世的な要素が強い。遠隔化された地下の場合は、死穢の観念があり、生と死の断絶がある。言い換えれば、霊魂思考が強くなり、死者は聖なるものとは見なされなくなる。「天」の他界では、東南オーストラリアの種族のように、死穢観念はまだないのだ。これらの例にある「天」は遠隔化されてはいても断絶された他界ではないと考えることができるのではないだろうか。

 ここで確認しておきたのは、毎年のように出現する来訪神も、弱められ変形された再生として考えることができるが、それが海の果ての海上や、はるかな地下からやってくるのは、再生の断念の結果ではないかということだ。

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2015/02/24

『ヒトのからだ―生物史的考察』

 動物性器官が、しだいに発達して、これが植物性器官に介入したとき、ヒトに至ってまず、心情がめざめ、この世界が開かれる。次いで、動物性器官のやむところのない発達は、さらに精神の働きをうみ出し、この働きが、逆に植物性器官を大きく支配するとともに、やがては心情とはげしく対立するようになる。つまりヒトのからだでは、このように植物性器官に対する動物性器官の介入が、二つの段階で分かれて行なわれたことがわかる。

 いまこれを人類の歴史のなかでながめると、そこにはまず、豊かな心情にみちあふれた先史時代が幕を開き、次いで精神が全体を支配する歴史時代がこれにつづく。この大きな流れがヒトの赤ん坊の生いたちに、いわば象徴的に再現されることはいうまでもない。子どもの中に同居する"けがれのない心"と"手をつけられぬがわまま"は、この間の事情を端的に物語っているのではないだろうか。

 ここで、三木成夫のいう「心情」と「精神」は、ぼくたちが「霊力」と「霊魂」として考えてきたことと、ほぼ重なる。ぼくたちは、文字以前の「心情」と「精神」の働き方を、霊力思考と霊魂思考と呼んでいると言うことができる。

『ヒトのからだ―生物史的考察』

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2015/02/23

『民俗の思想―常民の世界観と死生観』

 谷川健一の『民俗の思想―常民の世界観と死生観』にメモを付けていく。


1.霊魂と霊力

 木霊、言霊というからには、タマには霊魂と霊力の二重性が含まれているように感じられる。松村武雄によると、古代日本人の宗教表象として重要なものは、チ、タマ、カミ。

血、乳、風など人間の身体生命の維持、ならびに自然の運行を促進させる基本的な要素は古くはチという音であらわされている。

 チは、霊力思考の言葉というわけだ。

 チとカミは同一物の呼称のなかに含まれることがあり、タマとカミは同一物の呼称呼称のなかに含まれることが多い。しかし、チとタマが同一物の呼称のなかに含まれることはほとんどない。

 このことは、チとカミ、タマとカミは概念に親近性があるが、チとタマとはそうではないことを示しているようにみえる。すると、この点からは、タマは霊魂思考によるものだ。

 溝口睦子は、チやタマは「霊力の観念」であるのに対して、「ミ、ネ、ヒコ、ヒメ、ヌシ」などは首長の称号でもあったが、首長を示すカ神、大神は「国家の統一を背景に登場したもの」である。溝口は後世の所産の「神」と、固有名詞を持たない「カミ」とを区別している。

 「悪意をもつ自然の精霊をモノと呼んだ」。

 ひと通り読んだだけでは頭が混乱するだけだ。少なくとも言えそうなことは、「チ」は霊力的な側面は、「タマ」は霊魂的な側面を強調し、「カミ」はその両者を含意するということだろうか。「モノ」は精霊的、「セジ」は、セジづけという言葉のように霊力的な意味が強い。ニルヤセジはニルヤからの霊力。「マブイ」は霊魂。


2.兄妹

 大王の妹とか妃であれば誰でも巫の役がつとまると思うのは、沖縄の村落共同体における草分けの家の男子である根人にたいするその姉妹の根神の役とか、琉球国王にたいする聞得大君の役からの連想によることが多い。しかし沖縄の「をなり神」に見られる妹の兄にたいする守護神的な役まわりは後代のことであって、原始古代においては、まず神託を告知する者としての絶対者の女性がおり、その託宣の実行者に弟が多かったというにほかならないのである。したがって実行者はかならずしも男弟に限らなかった。

 兄妹、姉弟ということには、実際的な性行為がなくても対幻想が空間的な拡大に耐えうるからこそ、兄妹は始祖神話に登場し、現実的な場面では姉と弟という対が意味を持ったのである。単に、「弟が多かった」というだけでも、その後に書いているように、「同腹」だから「安心して托せる」という意味に留まらない。そして、姉と弟、後代の兄と妹というのも逆だと思える。


3.死への移行

 谷川が池間島のユタから聞いた話。そのユタは谷川の「あなたは後生(あの世)に行ったことがあるか」という問いかけに答えて「行ったことがある。母の袖につかまって空を飛んだ」と言う。後生にはこの世にある一切のものがあり、各人はこの世で暮らしたのとまったく同じように生活するのだという。このユタは後生から空を飛んで帰ってきた。後生の渚に大勢の人たちが並んで見送った。みな白い衣装を着ていた。後生の神が、あとを振り返ってはならぬと言ったが、途中でいましめを忘れてふと振り返ってみると、大勢の見送り人はすべて骸骨だった。

 琉球弧の臨死体験の話を知りたいのだが、なかなか出会えずにいる。この池間島のユタの話は、谷川が言うようにトランス状態での体験だろうが、ふつうの人の臨死体験を技術化したものだと見なすこともできる。しかし、あまりに劇画化されていて、妄想や夢と言っても差し支えない内容にも見える。はっきりしているのは、他界がこの世の複写であるということだ。

 八重山の仮面行事「あんがま」は、「現世の延長としての他界の存在」をよく示している。

宮古島では元日の朝はやく、女や子どもたちが長寿の老人を礼拝にいく習慣があった。これを「年頭(にんつう)拝み」と言った。老人は盆にのせた塩をひとつまみずつとって、礼拝にきた者の口に入れてやり祝福する。この塩を黄金塩(くがにまーす)と言った。

 喜界島でも、老人は神と呼ばれた。


4.他界の変遷

 宮古島でニィリャ、ニッジャは「地底にある暗い他界」。ニイラ島の対句はアロウ島。加計呂麻島もアロウ島と呼ばれた。「新城島ももとはアロウスク(ニーラスクに対して)であったと私は思っている」。

また八重山では人間は死んだらサフの島にいくと信じられている。サフの島といえば石の島のことで、黒島の対語でもある。死人はその島の海岸の岩についた海藻などを取って食べるという。
以上のことから分かることは死者のいくアロウ島もサフ島も生者の世界から近いところにあり、奄美の場合はカケロマ島、八重山では新城島や黒島が想定されたと思われることである。次に、共通して言えることは死者の島が荒涼としていて、けっして明るくないということである。
 他界観念が進展すると、生者の世界の近くにあった死者の国はさらに遠く、海の彼方へと美化されて投影される。青の島や宮古島のニィリャ、ニッジャが第一次的な他界とすれば、沖縄本島のニライカナイや八重山のニーラスクは二次的な他界である。

 仮にこれらの島がそのような性格を持つとすれば、それは地上の他界のバリエーションである。したがって、段階は三つある。

 第一次 宮古島のニィリャ、ニッジャ(地下)
 第二次 「青の島」や加計呂麻島、新城島、黒島(地先の島)
 第三次 沖縄本島のニライカナイや八重山のニーラスク(海上他界)

 第一次から第二次への転化は、霊魂思考に霊力思考が混融したことを示し、第二次から第三次の転化は、再生信仰の消滅に対応する。しかし、このことと、地先の島が葬地とされたこととは、別の次元で考えなければならない面を持っている。埋められない埋葬として地先の島が選択された可能性があるからだ。また、「青の島」は色彩を意味しないことについては以前、触れた(cf.「青の島は、間を置いた島」)。


4.再生

 私が金久正から聞いた話であるが、奄美大島では生後一年たった子どもを「ユノリがあった」という。「ユノリ」は世直りのことである。世直りというのはこの場合、あの世からこの世に直ることを意味する。九州から南では「直る」といえば移ることである。逆にいえば生まれて一年たたないあいだは、まだ確実にはこの世に生まれがえりがないと考えられていた。生まれるということが再生にほかならぬことをこのようにはっきりと示すことばはない。

 琉球弧の再生信仰をはっきりと語るものはなかなか見つからない。金久正のいう「ユノリ」はその痕跡かもしれない。


5.トーテム

奄美大島では生まれたばかりの赤ん坊の額に蟹を這わせて祝福したり、また小蟹のスープを作って飲ませる習慣があった。南島では人間の出生も蟹の脱皮もともにスデルと呼ばれている。そういうことで蟹にあやかろうとしたのである。

 蛇、蟹、アマム。脱皮の系譜。神女(ノロ)がハブをよく制すること、神女(ノロ)たちがハブを手に乗せて輪をつくったなかでまわす儀礼については前にも触れた(cf.「脱皮論 メモ」)。この戯れはトーテムの残滓を意味するだろうか。

 宮古島。「ヤドカリは神の下等な使いとされていた(p.165)」。「サメ(南島ではサバ)やイルカ(南島ではヒート)、海亀やジュゴン(南島ではザン)はニライカナイの使者とみなされている(p.220)」。

 南島ではサバ(サメ)の背に乗せられて溺死をまぬかれたおいう伝承をもつ家があちこちにのこっている。八重山群島の黒島に伝えられる多良間真牛の話や、宮古の統一者の中曽根豊見親玄雅の話はとりわけ有名で、両家の子孫は今もってサバの肉を食べたい。知らずに食べたとしても蕁麻疹ができたりする、という話を私は聞いた。興味深いのは中曽根豊見親玄雅が首里の中山王府に伺候しての帰途に船が難破したが、そのとき、大きなサバが自分の背に乗せて、彼の生まれた宮古島まではこんでくれた。そこで沖縄の支書の『球陽』は彼のことを「鯖粗氏玄雅」と記している。それはサバを先祖とする玄雅という意味である(p.224)。
 サバや亀の肉を食べないというのは、サバや亀が海神の使者もしくは乗物というためであろうか。むしろそれらの動物を自分たちの先祖とみなしているためではなかろうか。

 これは谷川の言うとおり、サバや亀もトーテムとされたことを意味すると思える。

 サメ、イルカ、ジュゴン、海蛇などの動物はすべて海神の使者と考えられたが、それは後代のことで、もともと、海の主または海霊であったと考えられる。そしてこれらの動物たちを自分の先祖とすることによって、それらと合体し、または並々ならぬ親縁関係を保ってきたのが古代人であった。それら動物と人間の結合は、現世の人間と常世の動物との結合を意味するものでもあった。

 トーテムは身をやつすと神の使者になる。ヤドカリが「神の下等な使い」と見なされるのもそう。だが、その言われようは寂しい。


『民俗の思想―常民の世界観と死生観』

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2015/02/22

『未開人の性生活』

 性交と妊娠との関係についての認識の積極的な欠如が母系社会の基礎になっていることは、『未開家族の論理と心理』から知ることができたから、『未開人の性生活』では、別の側面に目を向けたい。

 まず、子供は生理的には父親とは関係のないものとされ、別の氏族に属している。そして、子の成長に伴って父親の役割を果たすのは、母の兄妹たちだ。兄妹の関係を軸に展開されるのが母系社会だと言ってもいい。

 しかし、この兄妹は親密な関係にあるのではなく、厳格なタブーのもとに置かれている。

 母系社会では兄は妹の保護者である。妹は兄が近づく時は腰をかがめねばならず、家族の長とみなして彼の命令に服従する。しかし兄は妹の情事や将来の結婚のことには全然関与しない(p.348)。
兄妹は特殊な関係で成長する。一緒に暮しながら、しかも個人的な親しみ深い交際もせずに、親族の規則や共通の利害の規則の下にありながら、しかも個人的なことは常に隠し合って、彼らは顔を眺め合うことさえ許されず、意見を交したり感情や考えを分ちあってはならない。この兄妹間のタブーは、それぞれ年をとって異性と関係をもつ年頃になるといよいよ厳しいものになる。妹は兄にとって性的接触を禁じられたあらゆるものの中心であり象徴そのものである。また兄妹相姦は同世代間の不正な性関係の原型でもある。それは禁じられた族内婚の基礎をなす。もちろん親族関係の程度に応じてタブーは緩和される(p.348)。

 これは言い換えれば、兄妹間の強い願望の存在を物語るとともに、このタブーにあってさえ、存続する対幻想の強度が母系社会の礎になっているということだろうか。

 一方、父親にとっては自分の子供に対する愛情と母系原理は矛盾することになる。そこで、「男親の息子と女親の娘との間の「いとこ結婚」(p.84)、いわゆる交叉いとこ婚が流行ることになる。

◇◆◇

 トロブリアンドの墓は村の中央広場にあったが、マリノフスキーの観察した時点では、村はずれに作られていた。ぼくはこの理由を知りたかったが、この本によれば、「白人の命令」によるものだ。つまり、彼らの他界観念の変化によるものではないことが、これで分かった。

 死体は墓場に置き、「浅い空間を残して丸太で覆われる。この丸太の層の上に未亡人が横になって不眠の番をする」。「翌日の宵に死体が掘り出され、魔術の形跡の有無を調べる」。つまり、何の魔術によって、誰の魔術によって死んだのかを探ろうとする。故人の息子たちが肉を削ぎ、いくつかの骨が取りだされる。自分たちの遺品として幾つかの骨を保存し、別の幾つかを一定の親族に分配する。

慣習によって、死者の息子達はその嫌な気持ちを押え隠し、また洗骨のとき若干の腐敗物を口にしなければならない。しかし彼らは高潔な誇りをもって「私は父の橈骨をしゃぶった。私はその場を離れて吐かねばならなかった。もどって来てまた続けた。」というのだ。洗骨は常に海岸で行なわれるが、終って村へ戻ると故人の妻の親族が、帰らに食物を与えて儀式的に「彼らの口を洗い」椰子の油で彼らの手を清める。骨は実用、装飾用など各種の目的に用いる。頭蓋骨は未亡人が用いるライム壺にされ、顎骨は彼女の胸にかける首飾りとなる。橈骨、尺骨、脛骨その他の骨は彫って、檳榔の実をとるへらにする(p.123)。
「私達の心は、自分たちを養育し、食物を与えてくれた男のことで悲しんでいる。だから私達は彼の骨を檳榔のへらにしてしゃぶっているのだ。」(中略)「子供が父の尺骨をしゃぶるのは正しいことだ。なぜなら子の排泄物をその手で処理し、膝に小便をかけられたりしたのは父親だから」。
 二、三年たって、骨を親族に手渡すときでも、乾いた葉で注意深くくるんで、おっかなびっくり手渡す。そしえ最後に海が見渡せる岩棚に置く(後略)。もっと遠縁の義理の親戚や友人などは故人の爪や歯や毛髪をもらい、喪の飾りにしたり遺品として身につけたりする(p.124)。

 まず、トロブリアンドでは他のメラネシアに頻繁に見られるような頭蓋崇拝はない。頭蓋骨は守護神ではなく、「ライム壺」という実用品にされている。これは、トロブリアンドは地下他界の観念もあるが、それ以上にトゥマ島トいう地上の他界観念が強く、さらに再生信仰まで持っていることに対応している。

 息子達が、死体の肉を食べたり、骨をしゃぶったりするのは、食人の名残りを示すもののように見える。また、「橈骨、尺骨、脛骨」は、樹上葬を行なう種族が、葬法のなかで重視する骨の部位と同じである。

 次に面白いのは、死体を彫り出すタイミングで、骨化を待つまでもなく、最初に埋めない埋葬を行なった翌日には行なっていることだ。肉を削いだり、骨や爪、毛髪が親族に分配されるのは、身体が聖なるものという霊力思考が強いことを示している。

 死者の霊魂は、トゥマ島に辿りつく前に、トゥマの守衛に財宝を贈るが、これは死者とともに滅却されたものではないし、かといって、死者とともに葬られたものでもない。「死の寸前に体におしつけたりこすったりしたもので、ちょっとの間死体に置いただけのものなのである(p.315)」。ここにも霊力思考の関与が生き生きとしているのが分かる。(cf.『バロマ ― トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』

「トウマではわれわれはみんな酋長のようになり、みんな美しくなる、われわれには豊かな栽園があり仕事がない--女がみんな働く。われわれは山のように飾りをもち、美しい妻を沢山もつ。」この言葉は原住民が霊魂の世界に対して抱く理想と希望を集約している。
 原住民たちの話によると、トウマの島には美女が群がっている。女は昼は一生懸命働き夜は舞踏をする。霊魂は広い村の空地とか海岸のやわらかな砂の上で歌のおどりでつきざる酒盛りを楽しむ。彼らは沢山の檳榔の実、青いココ椰子の実の飲物、香り高い葉、呪文のかかった装飾、富と名誉の勲章にとりかこまれて楽しい生活をする。トウマ島では誰もが美や威厳や独特のわざに恵まれて尊敬されている。誰もが尽きることのない祭りの我まま勝手な主役になる。ある並はずれた社会学的からくりで、一般人がみんな酋長になる(p.315)。

 この他界観も特徴的で、昼夜が逆転してもいないし、メラネシアを観察した人類学者がこぞっていうように、「あまりぱっとしない」世界でもない。現世の延長であるのは同じだが、トロブリアンドの来世の色彩は明るい。

 高神が存在しないことも他のメラネシアと同じだ。だが、トロブリアンドには秘密結社が存在せず、そこで培われた儀礼的な同性愛もない。むしろ、タブーや黙契の外での奔放な異性愛が旺盛で、同じメラネシアといっても大きな違いがある。また、再生信仰が強いので、来訪神も登場しない。

◇◆◇

 トロブリアンドの母系社会において、妻の実家は新しい家庭の維持に対して「永続的な経済的義務(p.65)」が課される。その「贈物の高はそれぞれの身分によって異るが、普通の家庭が一年に消費する量の約半分にあたる(p.98)」というのだから、大きい。これは酋長も例外ではない。

自分の権力を生み出し、自分の地位に伴う義務を施すためには富をもたねばならず、これはトロブリアンドの社会的条件では複数の妻を持つことによってのみ可能なのだ(p.104)。

 一夫多妻婚は、「身分の高い人かあるいは有名な魔術師といたような重要人物にのみ許されている」。彼らは、複数の妻の実家からの永続的な経済的贈答により、富を持つ。しかし、戦争や遠征や祭りでは高価な支払いをしなければならないし、多額の出資をして、盛大な宴をはりご馳走しなければならない。マリノフスキーは「予想外」と書いているが、「酋長は多額の収入を必要とするにもかかわらず、直接酋長食から得る収入はなにもない(p.106)」。

 吉本隆明は、『母型論』のなかで、妻の実家からの永続的贈与が、一夫多妻によって、アジア的な貢納制に転化するさまを描いて見せたが、トロブリアンドの社会のなかでは、酋長の権力は、突出しないように、社会のなかにすっぽりと収められている。

◇◆◇

 「愛する者の心を動かせて彼に首ったけにさせてしまう」スルモヤ呪術の一部。

 私が先に行き、お前がそれに従うと、私は興奮し気絶させられる。
 私が待ち、お前が待てば、私は興奮し、気絶させられる。
 そして最後に、
  お前はわが家に入り、私にほほえむ。
 お前が私の床を歩く時、家はよろこびでゆれる。
 私の髪をすきなさい。
 私の血をのみなさい。
 私はうれしいのだから。

 この呪文はココ椰子油でにたハッカにかける。「まだなびいていない」彼女にこの呪術をかけるには、「夜彼女の小屋に入っていって、彼女の鼻の下にその油をこぼして、彼女が呪術者の夢を見るようにさせる」。「これが実行できれば、もうこの呪文にさからえない(p.275)」。

 呪術には、やはりモノが伴う。ぼくたちは、もっと霊魂思考が強化されたところで、この先に、相聞歌などの系列を見出すことになるだろう。


 マリノフスキーの穏やかで公平で等身大な記述は、読んでいて愉しい。マリノフスキーはトロブリアンド諸島と相性がよかったのだと思う。

『未開人の性生活』


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2015/02/21

アリストテレスの『心とは何か』

 『アリストテレス 心とは何か』の翻訳者、桑子敏雄は、「心」と訳したギリシャ語プシュケーについて、これまで「魂」、「霊魂」と訳されてきた言葉を「心」としたことを強調している。何より、アリストテレスは「心と身体をひとつのものとして捉えている」からだ。

 こうした問題意識は、ぼくたちが心を霊力思考の発現に求め、霊魂とは区別しようとしているモチーフとぴったり重なるもので、勢い桑子とは違う道筋からだが、同じ問題意識を追うことになる。

 ただ、ぼくたちのモチーフからは、それは目次にすでに明瞭に示されている。

 第四章 栄養摂取能力、生殖能力
 第七章 視覚とその対象
 第八章 聴覚とその対象
 第九章 嗅覚とその対象
 第十章 味覚とその対象
 第十一章 触角とその対象

 ぼくたちの考えでは、「栄養摂取能力、生殖能力」が霊力思考に属し、その他は霊魂思考に属している。すると、アリストテレスは心と「霊魂」の全般に視野を届かせていることになる。ただ、身体を離れるものとして「心」を捉えているのではないにしても、「しかけ・しくみ」という視点から「心」を捉えるという霊魂思考は貫徹されている。そういう意味では、この論文は、心と「霊魂」についての霊魂思考的な記述だ。

 むしろアリストテレスが退けた説のなかに、霊力思考的な視点は残存している。たとえば、デモクリトスが心を「一種の火で熱いものである」として、「生きている」ことを規定するものを「呼吸」と考えたことや、ヒッポンらが「心は水」であると主張し、「心が精液からできている」と考え、クリティアスが「血」と考えたことなどだ。これらを退ける区別のなかに、すでに霊魂思考的な観点が発揮されている。

 ところで、アリストテレスは、霊魂(心)が身体を抜け出るとは考えなかったが、「不死で永遠」であると捉えたものがある。それは「理性」だ。思惟されるものが思惟される契機を与えるもの、その作用をアリストテレスは理性と呼んでいる。


『アリストテレス 心とは何か』

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2015/02/20

霊力思考と霊魂思考の基礎づけ

 ぼくたちの考えている霊力思考と霊魂思考は、三木成夫の仕事によって、人間身体からの基礎づけができるように思える。こういう単純化はよくないけれど、対応させてみる。


■霊力思考

1.内臓系

2.植物性器官(腸管系、血管系、腎管系)

3.栄養と生殖

4.こころ・「感応」「共鳴」「心情」・心臓

5.「すがた・かたち」、原形とその変身

6.象徴思考


■霊魂思考

1.体壁系

2.動物性器官(感覚系、神経系、筋肉系)

3.感覚と運動

4.あたま・「判断」「行為」・頭脳

5.「しかけ・しくみ」、機械としての見立て

6.概念思考

 森羅万象の「すがた・かたち」に生命を感じることで霊力思考は生まれ、そこに「しかけ・しくみ」を見ることで霊魂思考は生まれた。

『内臓とこころ』

『生命とリズム』

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2015/02/19

祖先崇拝の初源

 モーリス・レーナルトが『ド・カモ』で強調しているのは、メラネシア人には奥行きの概念がないことだ。たとえば、ニューカレドニアのカナク人の彫刻をみると、額の上にぐるぐる巻いたものがあり、これが鉢巻きを示す。その上には大きな円板が乗っているがこれは頭のうしろの部分だ。事物を遠近に位置づけることができないので、ひとつの平面上に展開することになる。奥行きの欠如とは、「空間の微弱さと時間の不在(p.306)」を意味する。これは、アボリジニにおいて時間を指す言葉がなく、空間とは意識のことだとされているのと同じだと思える(cf.「夢見」)。

時間の外にある世界には、奥行きがないのだから、過去もなければ未来もない。したがって奥行きを知らない以上、メラネシア人は空間に関する明快な観念をもつころができず、世界と自己のあいだに隔たりをおくことも、遠景、中景、近景などを順次にとらえ、配置することもできない。世界と自己との隔たりをはっきりと示すことができないので、彼らは神話的な見方をとおしてしか世界を認識しないのである(p.306)。

 しかし、レーナルトが観察した時、カナク人はすでに農耕の民なのだから、時間と空間の観念は知っていたと云うべきなのだが、根源的な見方はなお支配的だったと捉えることにする。

 そこで、同一の名を持つことも「生まれ変わり」なのではない。

生まれ変わりという観念は、神話的世界が展開する領域とは両立しない時間の領野から生じるのである。祖父の名を名のる孫、ひとつの同じ名をもつ数人の人々である同名者、そういった人々は、祖先の生まれ変わりではない。(中略)そうではなくて、彼らはみな、そうした祖先たちのそれぞれの個性を授与されているのである(p.306)。

神話的交感の時は同一性と反復を意味しており、継承関係を意味するものではない。

 これは、ついうっかり、琉球弧の童名を祖父の名の継承や再生信仰の痕跡と見なしがちなことを戒めてくれる。「ウシ(牛)」という童名は、ウシであった祖父の生まれ変わりでもなく、祖父の継承でもなく、「ウシ(牛)」というトーテムの痕跡を持つ個性の授与であり、その同一性の反復であるということだ。

 また、「祖先祭祀」の盛んなニューカレドニアにおいてそうであるなら、祖先崇拝も当初は、父や母や祖父母等と続くその継承に対する信仰ではなく、家族や親族の同一性や反復に対する信仰だということになる。ということは、祖先崇拝とは霊魂思考における再生信仰の変形なのではないだろうか。
 
 しかし、ここで時間が駆動してしまえば、童名も祖先も継承の意味を帯びることになるだろう。それが、現在の祖先崇拝の意味だ。

 もうひとつ、レーナルトが強調しているのは、自己の身体を対象化することができないので、他者や世界との関係のなかでしか、自己を認識できないことだ。そこでは、自己とは潜勢力を持った空白域だ。

彼らが気を配るのは、たんに既知の人物の完全性を保全すること、あるいは何らかの個性(ペルソナリテ)を追加獲得することでその人物を向上させることである。彼らは様々な方策によってその潜勢力の実効的なかたちである人物を確保し、あるいは恒久化しようとする。たとえば彼らは神化した祖先や神話的存在に助けを求めたり、他の象徴を用いてある別の人物を身にまとおうとする。これが仮面の起源である。あるいはさらに彼らは、神出鬼没の行動の自由が可能となる世界に自らを転送することで、そこに入りこもうとする。これが復讐の自殺の理由である(p.274)。

 この観点からみると、仮面と自殺がつながる。この自己認識の在り方について、吉本隆明は書いている。

原初の人間は身体像の対象化表出のばあいに、〈自体識知〉の優勢さを、〈対象化識地〉と二重化できないままに混融させていたという知覚作用のある段階に帰せられるようにおもわれる。もちろん、身体像でなく、動物や武器や道具やその他の自然存在も、原初の刻像にあらわれるが、このばあいでも〈自体識知〉の優勢さから、原初の人間は、じぶんを動物に、武器に、道具に、その他の自然存在に〈化身〉させながら、表出する要素は現在からは考えられないほど優勢であったと想定することができる。(『心的現象論本論』

 これはトーテム原理の内実に理解を与えてくれると同時に、鏡のないときの鏡像段階に類するものが、トーテムにも込められたのではないかと考えさせる。


『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

『心的現象論本論』


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2015/02/18

さまざまな「霊魂」

 身体の霊力は、霊魂思考が関与すると、霊魂と対で表象されるようになる。これが霊魂が複数存在するという場合のひとつの根拠だ。

 ニュージーランドのマオリ族は、その典型的なひとつで、霊魂にはワイルア(wairua)とハウ(hau)の二種類がある。ワイルア(wairua)は、「影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像」を意味しており、hauは人間の「本質ないし生命原理」で、「元来は風を意味したようである」。棚瀬襄爾は、「風」から「気息」を意味するようになったのだろう、とフレイザーを引いている(p.401『他界観念の原始形態』)。また、棚瀬は死後、永続する霊魂がワイルアかハウかをフレイザーは明らかにしていないとしているが、「影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像」を指すワイルアであると考えることができる。マルセル・モースが『贈与論』の基礎に据えたハウは、霊力を指している。ただ、『贈与論』を読むと、ハウの態様も霊魂化の作用を受けて、分割、交換されるものへ変形されている(cf.「マルセル・モースの『贈与論』」)。

 『アボリジニの世界』によれば、人間の霊は死ぬと三分割される。ひとつめは「トーテム霊」とも呼ぶべきもので、「身体を支える生命の源にまつわる霊」で、これは「まだ生まれていない領野」に立ち返る。ふたつめは「先祖霊」で、天空にある「死者の国」に行く。三つめは「自我霊」で、場所、親類縁者、道具や衣服との結びつきが強い。ここでいうアボリジニとは、天界を持ち再生信仰を持たず、埋葬を行なうことから、東南オーストラリアの種族だと考えられる。ぼくたちの考えでは、「トーテム霊」と著者に呼ばれているものが霊力思考によるもので、「先祖霊」と「自我霊」が霊魂思考によるものだ。「自我霊」と「先祖霊」とを、故郷にある、「振動する天空」へと送り返す(p.472)」とも書かれているので、「自我霊」と「先祖霊」は、ひとつのものとみなせるかもしれない。

 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』から、ぼくたちは天界を思考した東南オーストラリア種族は、霊魂思考を優位にしていると考えてきたが、ここでは「トーテム霊」として霊力思考の存在を認めることができる。棚瀬襄爾が参照した文献の範囲では、「生命霊の観念が存在していない(p.846)」と書いているが、これは資料の不足に依ると見なしてみる。すると、「トーテム霊」が返る「まだ生まれていない領野」の観念の有無が、死穢の観念の発生を左右するかもしれないという考えが浮かぶ。

 マリノフスキーによれば、トロブリアンド諸島では、霊魂はバロマと呼ばれる(『バロマ―トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)。バロマは、死後、地下に行く、あるいは実在の島、トゥマ島に行くとされる。そして、他界での一生を終えた時か、飽きた時に、再び人間として再生する。トロブリアンド諸島では、霊魂は、ひとつとして表象されている。身体を遊離する霊魂に霊力が被さるように二重化している。

 セリグマンの資料をもとに、棚瀬はこう書いている。

埋葬後、しばらくして、死体を発掘し、頭蓋を石灰入れとして死者の子供が使用する。これは子供のほか、寡婦の父も使用してよいらしい。村の首長の死体の場合には、父または姉妹の夫が手足や肋骨をとり、全トテム氏族員に分配する。分配された者は、これを近親の墓に埋める。死者の名は忌避されないらしい(p.316)。

 同じ点について、マリノフスキーは指摘している。

 ここで私は、ニューギニアの若干の他の部族の間に存在するような、死者のバロマと、頭蓋骨や顎骨、腕骨、膝骨、それに毛髪などの身体の遺物との結びつきが存在しないことを付記しておきたい。それらの部族の所では、遺体の各部は親族たちに持ち去られ、ライムポット、ネックレス、及びライム箆(へら)にそれぞれ使用されるのである(p.43)。

 棚瀬の記述にある父の頭蓋を子供が石灰入れとして使うというところは、実用品扱いで驚くが、マリノフスキーの記録で、それが親族の実用品にもなることにさらに驚く。ニューギニアの他の部族に見られる死者のバロマと身体との結びつきというのは、典型的には複葬語の頭蓋崇拝を指しているが、たしかにトロブリアンドでは、子供が頭蓋を使う点に結び付きはあっても、崇拝にはなっていない。ここにも、トロブリアンドのバロマにおける霊力思考の優位を見ることができる。

 吉本隆明は、フォレスト・カーターの『リトル・トリー』に出てくる「霊の心(スピリチュアル・マインド)」と「からだの心(ボディ・マインド)」について書いている。

このお祖母さんの伝習するインディアンの心観によれば、「からだの心」は肉体の死と一緒に死んでしまうが、「霊の心」はいつまでも生きつづけ、また赤ん坊を見つけて生まれ変わる。これは肉体が死ぬと「霊の心」が肉体を抜けだして転生をつづけるといったバリエーションはあっても、インディアンに特有なものというより、アジアやオセアニアにもあるから未開、原始心性に特有なものと位置づけた方がいいくらい普遍的だ。「霊のこころ」は使えば使うほど大きく強くなるというのも、「からだの心」を卑俗に使いすぎると「霊のこころ」が縮まってしまうというかんがえも、未開、原始の心性として普遍的な倫理だといっていいのかもしれない。(『心的現象論本論』

 この場合には、「霊の心(スピリチュアル・マインド)」と「からだの心(ボディ・マインド)」は、そのまま霊力と霊魂に対応していない。「からだの心」が、肉体の死と一緒に死ぬのは霊力思考だが、「からだの心」を卑俗に使うと、「霊のこころ」が縮まってしまうという場合の「からだの心」は霊魂思考、「霊のこころ」は霊力思考に当たる。同様に、「霊の心」はいつまでも生きつづける場合の「霊の心」は霊魂思考だが、赤ん坊を見つけて生まれ変わるのは霊力思考だ。「霊の心(スピリチュアル・マインド)」と「からだの心(ボディ・マインド)」は、それぞれ霊魂思考と霊力思考をいくぶんかずつ分け合っている。

 ここまでで言えるのは、「霊魂」という単位を見ても、そこでの霊魂思考と霊力思考のそれぞれの強度、編み方は異なっているということだ。霊魂思考と霊力思考が混融した場合の未開社会の霊魂の様態は、種族ごとにさまざまでありえた。琉球弧においてもまた。

『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』


『心的現象論本論』


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2015/02/17

他界・死穢・複葬・霊魂

 『ド・カモ』の著者モーリス・レーナルトが言うように、死体と神とが観念の上で分離されていない段階では、死は生からの単なる移行にすぎない。したがって、バイニング族が言うように、死者はいたるところにいることになる。また、この時は死者は恐れられないから、トロブリアンド諸島のように、農耕による定着後であっても環状集落の中央に埋葬地が置かれる。これが、死が時間性としてしか疎外されていないことの内実だ。

 これ以降、他界や死穢が発生するのはなぜだろうか。ひとつの大きな契機として考えられるのは、トーテム原理が崩壊し、人間が再生するという信仰も崩壊することである。すると、聖なるものだった人間の身体は、死体になった途端に穢れたものへと反転する。したがって、死体がそのまま神であるという観念も生き延びられなくなる。この反転は、地上の他界で生者の世界と死者の世界とは反対であるという観念と同期しているのかもしれない。

 死穢の発生と同時に、死者は遠ざけなければならないものになる。死者の空間は集落から疎外される。また、人間が再生しないのであれば、死者が留まる場所がなければならない。そこで、他界が存在する根拠を持つ。それは、もう生者の空間とは隔たった異質な場所でなければならない。農耕社会の場合、それは土地とのつながりから地下へと考えられるようになった。こうして他界は空間性としても疎外されることになった。

 死者は、他界へ赴かなければならない。それはいつなのか。この問いに応えるために作られたのが第二次的な葬儀、いわゆる複葬ではないだろうか。死者が、他界へ行く機会はなければならない。そうでなければ、聖性をはく奪された死者は墓や集落の周辺を彷徨い続けることになる。ロベール・エルツが言うように、第一次の葬儀は、肉体の霊を生み出すものであり、第二次の葬儀は、骨を根拠にした霊を生み出す。肉体の霊は腐りゆくものであり、不安定である。骨の霊魂は腐ることはなく安定している。この骨の安定を根拠に、霊は他界で安定しなくてはならない。農耕社会ではこの骨は、頭蓋骨に象徴化された。

 この死の二重化が生の二重化に対応するなら、複葬の発生は成人儀礼の発生を意味しているのかもしれない。複葬が思考されたとき、シャーマンの入巫儀礼をもとに、成人儀礼が構成されたのだ。また、死者が他界へ行くためには、死者が身体の抜け殻という表象のままでは行くことができない。それは、身体とは別の自由な運動を獲得していなければならないだろう。だから、第二次の葬儀が思考される段階までには、霊魂という観念も獲得されていなければならない。

 霊魂は、死体と身体の抜け殻としての死者とが分離されている必要がある。死者の霊は死体から抜け出るのである。すると、それ自体として考えられた霊は、やがてそれこそが身体の本質であると考えられ、身体と霊は二重化される。ぼくたちはそれを霊魂と呼んでいる。

 この考え方でいくと、他界と死穢、複葬は同時に発生し、それまでに霊魂観念も生まれていたということになる。

 もちろん、死穢の観念なしに他界を発生させる場合もある。オーストラリアの東南部の先住民の天界がそうだ。この場合、二次的な埋葬はなく、単純埋葬だ。ここでは、死者は、再生信仰の崩壊が、価値の反転を生まずに、生の移行先として天界が考えられている。ここでは再生信仰の崩壊が価値の反転を生んでいない。おそらくそれは、彼らが狩猟・採集の種族であることと関係していると考えられる。


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2015/02/16

オオゲツ姫とハイヌウェレ

 吉本隆明は、『共同幻想論』のなかで、イザナミの死後譚と豊玉姫の子の生譚とがおパターンが同じで、人間の死と生が、共同幻想の表象として同一視されていると書いている。

 これは、死が生からの移行であると捉える霊魂思考に対応している。

 この同一視の共同幻想に対応する地上的な利害を象徴するものとして、吉本が挙げているのがスサノオによるオオゲツ姫殺害の説話だ。ぼくたちの問題意識だけに引き寄せれば、身体から「味物」をとりだしたポオゲツ姫を、スサノオは「穢いこと」をしていると見なして殺害する説話では、身体からの分泌物を聖なるものとするオオゲツ姫と穢いものとみなすスサノオとが対立している。いわばこれは、霊力思考が優位だった段階と霊魂思考が優位になる段階との交代劇を示している。もっと言えば、オオゲツ姫は霊力思考を優位にするが、スサノオは既に、死穢の観念を持っていると思える。スサノオにとって、身体はもう聖なるものではないのだ。

 ハイヌウェレ神話では、排泄物として宝物を出すことを、島人は「穢いもの」とは見なしていなかった。それができるハイヌウェレを「妬んで」殺害する(cf.「ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀」)。ここではまだ身体は聖なるものであるという霊力思考が生きている。であればこそ、マリンド・アニム族は、殺害した女性を喰らいまでするのだ。スサノオはそうはしない。彼はこのときすでに、霊魂思考が優位になった観念の持ち主だったと考えられる。そこがオオゲツ姫とスサノオの説話とハイヌウェレ神話の相違点だ。


『共同幻想論』

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2015/02/15

聖なるものから穢れたものへの反転

 ニューカレドニアは「祖先祭祀」の盛んな島だ。だが、と『ド・カモ』の著者、モーリス・レーナルトは言う。ここには三つの文化層が存在する。

 第一には、地下他界の神であるビジュヴァが登場するような神話に関わるものだが、これは地域によって退化している。第二には、「祖先祭祀」。著者によればこのふたつは、「多少とも発達した緒観念」、「ある程度の拡がりを持った空間」、「死体の特異化」を必要としている。この下には、死体を特別扱いせず、山を含めた居住地のなかに死者も住んでいた層が存在している。

 この文化層について考えたことがあるが(cf.『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』)、もう一度、見てみたい。まず、ニューカレドニアにはトーテミズムがわずかに残っているから、これが基層にあり、その後に農を基盤にした霊魂思考が混融してきたと仮定する。

 レーナルトは、埋葬式で、カナク人が「バオ(神を意味する-引用者)を連れてこい」とうのを聞いて、葬儀にいきなり「神」が登場したのに驚いていると、故人がござにくるまれて出てきただけだった。そこで、「死んだ人間の体と死んだ人間とが」、ともにバオと呼ばれているのを知る。それどころか、生前でも不思議な力を持った人々や見慣れない人々、そして老人もバオと呼ばれる。

 故人であるバオは、生者の住居の近くに住む。この段階では、死体の観念と神の観念の区別もあいまいであり、神は屍臭すら放っている。

 レーナルトに倣って、これは三つの文化層のなかでは最古に属するものと捉えてみる。だが、その基層にはトーテミズムがあるから、霊力思考に霊魂思考が混融した初期に当たるものだ。メラネシア南部には、転生信仰も見られないから、再生信仰も存在しなかったか、はやい段階に崩壊したと捉えることができる。霊魂思考は、そこでは、死を生からの移行とみなすだろう。しかし、霊力思考のもとでは、身体はそれ自体聖性を帯びていたが、その思考の動きは、老人や不思議な力を持った人々もバオと呼ぶことに現われている。身体が聖なるものであるとする霊力思考に、霊魂思考が関与すると、死は生からの移行となり、聖性を帯びた故人は神となる。神とは、再生することのなくなった死者が残した聖性から生まれたと捉えることができる。

 ここでいう神は、高神や来訪神でいう神とは違う、カミと表記した方が妥当かもしれない、等身大の精霊的な存在だ。この、等身大の死者という観念は、トロブリアンド諸島の死者の扱いにも通じている。

死体と神との区別がはっきりしているほど、故人が冥界でおくっている生活の様子の観念も明確になり、身体と存在の二元論が現われてくる。

 死体と神化された存在が区別されると、例の「あまりぱっとしない冥界」の世界になる。ニューカレドニアでいえば、地下他界のことだ。レーナルトによれば、それは「もはや知的な空想にすぎなくなっている」。「死体-神」の一体性に変わって「霊魂」というものにしてしまう。

 祖先の祭祀は故人と生者の世界とがもっとはっきり区別されていることを必要とする。そのためには死体を特異なものとなし、それによって一気に人間と死者のあいだの距離を確立する必要があるのである(p.96)。

 死体が特異なものであるということはどういうことか。今のぼくたちの理解では、聖なるものから穢れたものへの反転である。身体には聖なる力(霊力)が宿っていて、それは再生することもできた。だから、死体を食らうこと、死汁を浴びることは聖なる力を授かろうとする行為だった。それが聖なる力を持たなくなってしまうと、価値は反転し穢れたものになる。これが、死体や死者の空間を遠ざけ、死穢の観念を発生させ、他界を生んだ。レーナルに添えば、そういうことになる。

 トロブリアンド諸島では、環状に集落が構成され、その中央に埋葬地が配置されていた。おそらくこの段階では、死穢の観念は強くないはずである。現に、トロブリアンドでは人間は再生する。しかし、ここでも観念は錯綜して現われるのは、トロブリアンド諸島は地下の他界観念を持ってることだ。トロブリアンド諸島では、農耕が始まり地下の他界観念を持つに至っても再生信仰を残存させていた。農は地下の他界に対応し、埋葬地を中心にした環状集落は再生信仰に対応し、両者の混融がトゥマ島という実在の島の他界観念に対応している。

 こうしてみると、身体と存在が未分化な状態とは、棚瀬らの議論のなかでは「身体魂」に該当すると思える。そして、死者がどこにでもいるというバイニング族などの観念にも対応させることができる。また、この文脈に添えば、来訪神とは、人間としての再生信仰が崩壊した後の再生の姿なのだ。

 モーリス・レーナルトの観察は、霊力思考を基盤においたときの、霊魂思考の進展に当たるのではないだろうか。


『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』


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2015/02/14

離魂病(かげのわづらひ)の治療は当人の霊魂を探す

 インドネシアや東南アジアにおける、体から遊離して病気を引き起こす霊魂は、一般に非人格的な生命霊ともいうべきもので、内臓・血液・唾液・汗などに宿っており、これに生気と活動とを与える存在であり、また時には影と同一視されていて、人格性や個性はないものとされている。したがって離魂病(かげのわづらひ)の治療に際して、患者の体に招き入れる霊魂は、必ずしも失踪した当の霊魂でなくてもよい。もし本人の霊魂がみつからぬ場合は、別の人物の霊魂をさらって来てもよいし、またこれと同じ生命霊を含んでいると考えられる、米・卵・毛髪・唾液などからな取ってきてもよいのである。これらを病人の体にこすりつけ、体内の霊魂の不足を補おうとするのである。またこうした霊魂観念は、シベリアでもアメリカ・インディアンでも、ある程度同じである(松前健『古代伝承と宮廷祭祀―日本神話の周辺』)。

 この具体的を知りたくて、本書に当たったが、松前は例示はしていない。これはありえないのではないだろうか。あったとしても、少なくとも後代のものだ。

 「患者の体に招き入れる霊魂は、必ずしも失踪した当の霊魂でなくてもよい」という考えをシャーマンが聞こうものなら、がっかりするだろう。彼らは失った当の霊魂をこそ見つけ出すために、トランス状態に入り、心身の消耗をかけて探索に出かけるのだから。

 松前が言っている、「内臓・血液・唾液・汗などに宿っており、これに生気と活動とを与える存在であり、また時には影と同一視されていて、人格性や個性はない」というのは、霊魂というよりは霊力に該当している。このなかでは、「影」だけが霊魂思考に属するものだ。「内臓・血液・唾液・汗」などに宿っている生命霊は、霊力思考の系譜のうちにある。

 「米・卵・毛髪・唾液」を「病人の体にこすりつけ、体内の霊魂の不足を補おうとする」のは、まさに霊力を補おうとしているのであって、霊魂ではない。取り戻せなかった霊魂に対して、せめて霊力を補填しているにすぎない。松前はどこからこの判断を導いたのだろう。知りたいものだ。

 ところで、「離魂病」を「かげのわづらひ」と呼ぶのは味わいがある。

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2015/02/13

再生信仰崩壊としての海上はるかなニライカナイ

 棚瀬襄爾は、西方の他界を日没と関連づけて考察していた。ぼくたちは、霊魂思考と霊力思考が混融した時、地下から西方(水平)への転化が可能なのは、どちらも人間の身体の高さからの世界視線と普遍視線の行使の範囲で可能だからだと考えてきた。地下という異界を、水平に転化すれば、水平線の向こう側が異界になる。

 ここで別のアプローチをすれば、結局、霊力思考において西方の他界であれ、琉球弧のニライカナイであれ、それを海のはるか向こうと思考するのは、再生信仰の崩壊を意味しているのではないだろうか。

 そこで、オーストラリアを除き、南太平洋の例から、再生信仰の記述を抜き出している(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。


 1.マルケサス諸島(ポリネシア)

 マルケサス島人には「霊魂輪廻の観念がある」。ヌカヒヴァ人は「生れ代るまでそんなに時間はかからない」という。特に祖父の霊魂が孫に生れ代るというが、ときには動物に生れて来ることもあ」る(p.399)。

 他界は、天界と地下界(ハワイキ)。下界に行くには舟型の棺で海を行かなければならない。

 2.ニューカレドニア(ポリネシア)

 死者は白人に化現という信仰もある。白人渡来初期には、「白人殺害も行なった」(p.233)。死者の霊魂は森へ行く。

 3.ウィンデシ地方(ニューギニア)。

 人はふたつの霊魂を持つ。女は死ぬと二つの霊魂ともあの世に行くが、男の霊魂は、ひとつはあの世に行き、もうひとつは生きた男(まれには女)に再生する(p.300)。他界は、地下。首狩りも行なわれた。

 4.トロブリアンド諸島(ニューギニア)

 人間は他界での生を終える(または飽きる)と再生する。他界は、地下またはトゥマ島。

 5.サカイ族(マレー半島)

 悪事をなしたものは墓の精霊として墓の付近にとどまり、「絶えず肉体を持とうとする」(p..534、棚瀬はこれを外来の信仰だと見なしている)。


 まず、その例は豊富ではない。こうしてみると、マリノフスキーのトロブリアンド諸島での観察は、その記述の具体性だけではなく、他では見られない例を提示してくれたものとして貴重だ。トロブリアンド島では、他界は地下という者もいれば実在するトゥマ島という者もいて一定しない。トゥマ島の地下と合理化する者もいるが、トゥマ島で死者を見かけたという目撃譚もある。マリノフスキーは先達のセリグマンに倣って、「地下のトゥマ」が「最も正統的な解釈」だと見なしている(cf.『バロマ ― トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)。

 ぼくたちは、地下は霊魂思考によるものであり、トゥマ島は、霊魂思考と霊力思考の混融に依るものだと見なしている。地下とトゥマ島がどちらも現われるのは、他界がどちらかに依って片方が消えてしまうのではなく、両者ともに残存したものだと考えることができる。この点は、地下と海上が併存している琉球弧のニライカナイの語感と同じだ。

 で、確かに、明瞭な再生信仰のあるトロブリアンド諸島では、霊魂思考と霊力思考の混融に依る他界は実在のトゥマ島であって、水平線の向こうではない。

 マルケサス諸島では、記述はあいまいだが、地下への道程を海から辿るという記述のなかに、トロブリアンドとの類似を感じさせる。

 トロブリアンド諸島以外の例からは、ぼくたちの仮説を積極的に支持するものは見つけられない。しかし、全く否定する例もない。ぼくたちは理論の問題として、海上の彼方として思考されたニライカナイは再生信仰の崩壊として捉えたいと思う。

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2015/02/12

狩猟儀礼における霊力思考と霊魂思考

 狩猟儀礼における霊力思考と霊魂思考を対照させてみる。まず、霊力思考は南の大地から採る。

 動植物に関する知識は、長期にわたる注意深い観察と儀礼によるトランス状態で現れる深い共感能力から得られる。最強の狩人はさらに、動物や鳥の動きと鳴き声をまねることのできる「歌謡と踊りの名手」なのだ。アボリジニは、何時間もかけて動物の動きをじっくりと観察し、その鳴き声に耳を傾ける。昼夜にわたる儀礼と「動物の舞」を通じて、動物の特性を自分の神経系と筋肉に刷り込むのである。
 動物の動きをまねた舞の儀礼については、ジレンとスペンサーが写真を交えて、次のような報告をしている。三十人を超える全裸の男たちが、大きな円の中に集まる。そして一人ずつ、狩られた動物の舞を披露する。他の男たちは、その舞に合わせて、歌い、尻を叩いては、パーカッション風のビートを生み出す。尻を叩く音は、とてつもなく大きいので、数マイル先の砂漠でも聞きとれる。熱狂的な舞は、数時間にもおよび、やがて疲れきった男たちは、地面に倒れこんでしまう。舞を見ていた男たちの眼にはたちまち、「忘我の境地」特有のよどみが浮かんでくる。そして恍惚状態に入った男たちのペニスは、勃起するのだ。最後の踊り手が動物の舞を披露し終わり、疲れはてて地面に崩れるように倒れ込む。すると、それを見ていた男たちは全員、踊り手めがけて飛びかかり、忘我の極みのような叫び声を上げる。そして翌日、狩りが始まるのだ(p.407、『アボリジニの世界』)。

 この狩猟を前にした「動物の舞」で、動物を真似るのは人類学の本では、よく「模倣」と表現されている。ここでは動物との一体化と捉えてみる。動物である踊る男たちと倒れたのを見て踊り手に飛びかかる男たちは、狩りの獲物と狩人を表わしている。狩りを演じることは狩りを成功させることを意味している。

 また以前、ぼくはこの舞を「動植物への憑依」として捉えたが、トランス状態にあり、動物の動きを正確に真似ているとはいえ、なりきっているわけではないいから、憑依には当らない。

 もうひとつ付け加えてみたいことがある。

 アボリジニが毎日のように披露する儀礼の舞や歌謡は、「世界創造の要」だった主観から客観にいたる運動を祝うためのものだ。こうした発想は、日常生活の隅々にまで浸透している。アボリジニは今でも、狩りの前夜には一睡もしない。眠っている飼犬の様子を注意深く観察するためである。夢を見ている飼犬が吠えたり、唸ったりすれば、獲物を捕まえた夢を見ているという証拠である。だからその犬は、翌日の狩りのお伴に選ばれるのだ(p.64)。

 ここには、霊力思考における「夢」の、霊魂思考との違いがよく現れている。霊魂思考における「夢」は、霊魂の行動や見聞を語るものだが、霊力思考においては、目覚めて後の現実を語るものだ。しかも、それは人間だけに限るのではなく、犬の夢についても同じだ。

 霊魂思考における狩猟儀礼の例は、北の大地からのものだ。

 シベリアの諸民族の観念においては、動物もまた人間と同様に影の《魂》をもっており、緒霊は、動物が生きているときでも、その肉体からこの《魂》を奪うことができる。ツングースは、狩に出かける際、猟がうまくいくようにと、森林動物の彫像を作って猟場へもって行くそうである。同じように、イェニセイの岸で多数の魚の像が見かけられたことがあるが、これはその地の住民が春季の漁業の開始にあたって大漁を願い、木に彫ったものである。カルヤライネンはオスチャークとヴォグールの同じような風習を記述したとき、これらは供物用であること、言い換えれば、こうした像は緒霊を「なだめる」ために作られたものだと想定した。しかし北シベリアの諸民族はこのような象徴的供物を用いてはいないので、動物像を作ったわけは、それが容易に狩人の手に仕留められるよう、せめて像の《魂》だけでも、ひとまず前もってものにしておくことを意図したというのが、より真相に近いであろう。狩人はおおしかとか、トナカイを殺してしまう前に、故人となった自分の身内の者が、その動物の《影》をものにしておかなけえばならない。さもなければ、狩人は獲物を手に入れることができないというユカギールの見解は、この種の信仰観念と同類である。同じような信仰はユラーク・サモエドももっていた。レヒティサロはある聖地の霊について述べ、猟が始まる前に、シャマンが《動物の生命の支配者》である霊魂を訪問して、そこから動物の《魂》を持ちかえる。狩人はその数だけの獲物を手に入れるのだと述べている(p.267、『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』
 今日シャマンがシャマンするのは主として極北の諸民族のバアだけであって、ユカギールの観念によれば、あとで狩人の手に入る動物の《影》を前もって捕えてくれるよう、緒霊に援助を頼むのである(p.216、『シャマニズム2: アルタイ系諸民族の世界像』

 霊魂思考における狩猟儀礼は、動物の霊魂をあらかじめ確保しておくことに求められる。人間も長期の霊魂の不在は死をもたらすと考えられているから、動物についても霊魂を抜けた状態にしておくことが求められるわけだ。

 霊力思考における狩猟儀礼が、動物との「一体化」を核に持っているとすれば、霊魂思考においては動物からの霊魂の「分離」が核になっている。

 両者に共通しているのは、狩猟自体より、これらの儀礼がより本質的行為だと考えられていることだ。

(前略)前論理の心性では、この実質的捕獲と云うものは狩漁の一番重大な要素ではない。真に重要な部分は獲物を出現させ、その捕獲を保証してくれる神秘的作業或は儀式である(p.11、レヴィ・ブリュル『未開社会の思惟 下』

 大きな違いがあると思えるのは、あらかじめ動物の霊魂を捕獲しておくというのは、因果関係と考えられるが、霊力思考のそれは、因果というより共鳴、同期というのが妥当ではないだろうか。ロバート・ローラーによれば、「アボリジニには「時間」という概念がないのである(p.64、『アボリジニの世界』)」という。「アボリジニの言う「創造」では、時間の経過や歴史は、過去から未来への運動ではなく、主観的状態から客観的状態への移りゆきを意味する」(p.64)。時間の単線的な流れは霊魂思考が駆動させたのだろうか。

 実際、霊力思考における再生信仰では、人間は次々に生起するもので、そこでは「祖先崇拝」は起こらない。祖先崇拝は、霊魂思考のなかで、死者の時間列を意識して初めて生まれる観念だ。これは、始原からの距離感も表わすことになる。


『アボリジニの世界―ドリームタイムと始まりの日の声』

『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』

『シャマニズム2: アルタイ系諸民族の世界像』

『未開社会の思惟 下』

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2015/02/11

類感呪術と感染呪術の南太平洋例

 類感呪術。類似は類似を生む、あるいは結果はその原因に依る。
 感染呪術。かつてたがいに接していたものは、物理的な接触のやんだ後までも、なお空間を隔てて相互的作用を継続する。(『金枝篇〈第1〉』

 類感呪術は、呪術の隠喩的な行使。感染呪術は、呪術の換喩的な行使。

 目下の関心にしたがって、南太平洋の例を中心に挙げていく。

 類感呪術の例。

 例1.ダイヤク族(ボルネオ)。難産の時は妖術師が招かれる。彼は身体をうまくあやつる方法で分娩を促す。それ外では他の妖術師が一種の擬娩の動作をする。

 メモ。レヴィ・ストロースが紹介していたアメリカ先住民クナ族では、呪術はもっぱら歌によって行なわれていた(cf.「象徴的効果」)。

 例2.ダイヤク族。医術師が患者に招かれると、横臥して死を装う。そして死骸の扱いを受ける。一時間ほどして、他の術医がその死骸に生命を与える。こうして病人も快方に向かうと信じられた。

 例3.エミュー・トーテムの人々(オーストラリア)。エミューを増殖するため、地面にトーテムの形、とくに脂肪と卵の形を描く。そしてこの絵を取り囲んで歌う。また、エミューの長い頬と細長い頭をかたどる頭飾をつけて、真似る。

 例4.西部諸部族(ブリティッシュ・ニューギニア)。ジュゴンまたは海亀に投げる槍の穂先を差し込む柄の孔に小さなカブトムシを詰め込む。カブトムシは人に噛みついたら容易に離れないからである。

 例5.カンボジアの漁師。一向に獲物がかからないと木は、裸体になってその場を立ち去り、網のあることに気のつかぬふりをして戻り、わざとひっかかり、言う。「おやこれは何だろうか。いやしまったわい。網にかかってしまった」。

 例6.トラジャ人(セレベス)。妊婦のいる家の梯子の上で立ち止まったり、ぐずぐずしない。赤ん坊の出生を送らせてしまうから。消極的呪術としてのタブー。

 例7.ダイヤク族(ボルネオ)。首狩りに出かける場合は、彼が片時も武器のことを忘れないようにするため、妻や姉妹は、夜も昼も武器を身につけていなければならない。

 例8.マレー人。稲を狩るときに上体を裸にするのは、もみ殻を薄くするためである。人間と植物。

 例9.西部諸部族(ブリティッシュ・ニューギニア)。密林に入って行く前に蛇を殺して焼き、その灰を両脚にこすりつけると、それから数日は蛇に咬まれることはない。人間と動物。

 例10.バンクス諸島。海辺に打ち上げられた珊瑚は驚くほどパンノキの実に似ていることがある。こんな珊瑚をみつけた時は、パンノキがよく実をつけるように、自分の木の根元に置いておく。神聖な石。

このような例で、メラネシア人はこの驚くべき威力を、石そのものにではなくて、石の中に宿る霊に帰した。そしてしばしば、今われわれが見たように、石の上に供物を供えることによって、その霊を宥めようとする。ところが、宥められる霊の観念は、呪術の範囲の外に、そして宗教の範囲のうちに属するものである。この例のようん、このような観念が純粋な呪術的観念や行為としてあらわれる場合には、おおむね後者はいつか後代に至って宗教的観念が接木さえれた台木であると見てさしつかえない。なぜならば、思想の進化の過程において、呪術が宗教に先行したと考えられる確固たる証拠があるからである。

 石のなかに宿る霊への供物は、霊力思考に霊魂思考が混融していることを示す。「思想の進化」ということではない。

 感染呪術の例。

 例1.ララトンガ(ポリネシア)。子供が歯が抜けた時に唱える言葉。「大ネズミ、子ネズミ。私の古い歯をあげよう。どうか新しいのをおくれ」。そして歯草葺き屋根の上に投げられた。朽ちた屋根にはネズミが巣をつくっている。ネズミの歯ほど頑丈なものはないと考えられていた。

 これは、与論島にもある。「ワーヌパートユミヌパートゥ、パームパーヤムイベーク(私の歯と鼠の歯と、私の歯の方がははやく生える」。ララトンガよりも与論島の方が呪言がアクティブだ。屋根に投げる所作も同じ。

 ぼくは呪術のなかでも呪言に相当するものを知りたくて、フレイザーの『金枝篇』を当ったのだが、ここで出会った。舞台がポリネシアのララトンガ(ラロトンガ)であれば、霊魂思考も大きく関与しているはずだから、呪言はやはり、霊力思考と霊魂思考の混融形態と考えていいように思える。

 例2.メラネシア。友を負傷させた矢を手に入れた者は、それを湿った場所か冷たい木の葉の間などに置くと、炎症は次第に和らぎ、ついには消えてしまうという。

 例3.パプア族(ニューギニア沖のトゥムレオ島)。傷の包帯に使った血のついた布は注意深く海へ捨てる。敵がこれを拾えば、呪術的に彼を害する恐れがあるからである。

 例4.タンナ島(ニューヘブリデス)。他人に怨恨を抱き、死を願う者は、敵の体の汗のしみた衣類を手に入れようとする。呪術をかけられるからである。

 例5.オーストラリア東南部。人の足跡に尖った石英、硝子、骨または木炭などを突き刺すことによって、その者を跛にすることができる。リウマチの痛みはこうして起こる。

 例6.オーストラリア東南部。石英やガラスの鋭い破片を、横臥した跡に埋めれば、その人に危害を加えることができる。「このような鋭利なものの呪力が身体に侵入し、無知なヨーロッパ人ならリウマチだと思うような激痛を起すのである」。

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2015/02/10

メラネシアの「儀礼的同性愛」の系譜

 メラネシアを訪れた人類学者たちを驚かせたのは、そこに「儀礼的同性愛」と呼ばれるとんでもない文化の体系が発達していたことだ。そこでは、男性と女性とはっきりと分離するタイプの文化がおこなわれていた。そのために、小さい頃は母親とぴったりいっしょにくっついて育った少年たちを、その母親たちとの一体状態から引き離して、大人の男性の社会に組み入れるための、大がかりなイニシエーションの儀礼が、つくりあげられていたのである。少年たちが大人の男になるのにふさわしい時期が来ると、少年たちは女性の近づくことのできない所に隔離され、先輩の大人の男たちから、さまざまな試練や教育を受けた。これは、その儀礼でなにがおこなわれるのか、噂でしか知らされていない少年たちには、たいへん怖い体験だった(中沢新一『森のバロック』

 吉田敦彦の紹介記事によって、「儀礼的同性愛」のことは知っていたが(cf.「精液原理」)、それは一部の部族に留まるものではなかったらしい。

南方熊楠が生きていた頃には、人類学がこのテーマを、おおっぴらにおりあげることはなかった。しかし、南太平洋の島々やニューギニアなどにでかけていった人類学者たちは、そのことをよく知っていた。そこでは男子だけがつくる戦士的な秘密結社のイニシエーション儀礼において、入念につくりあげられた同性愛のシステムが発達しており、そこでは少年たちがすすんで「床入れ」を受け入れる文化が、存在していたからである。人類学者たちは、その事実をよく知っていたが、スキャンダルになるのを恐れて、あまりおおっぴらにこれをとりあげようとはしなかった。それが、大きな意味を持つ人類学的テーマとして、脚光を浴びはじめたのは、むしろ最近のことなのである。

 ことはマリンド・アニム族やサムビア族に限らず、メラネシアの「儀礼的同性愛」と一般化して言えることだったのだ。そして確かに、「Ritualized Homosexuality in Melanesia」(Herdt, Gilbert H.)をみると、広汎に認められることが分かる。

 八重山にも男子結社の存在は、来訪神儀礼の隣に存在している。その加入礼の厳しさは、実質的には形骸化していて、厳しいといっても象徴的な死を経るところまでには至っていない。そこでは、「好きな女性の告白」を伴うが、ここへきてその理由が分かる気がする。あれはいわば、ギャング・エイジのころに、少年同士で好きな女の子を告白し合うのと同じだ。

 メラネシアに連なる「儀礼的同性愛」の構造がよく見えてくるのは、内地に入った薩摩の「兵児二才」においてである。中沢は書いている。

 兵児組織の中心は、年頃の青少年でつくられた兵児二才である。彼らは、共同の宿舎で寝泊まりした。そこでは、きびしい規律にしたがって、日常生活の中での自己鍛錬が、おこなわれた。いったんこの集団の内部に入ってしまえば、年齢による序列がもっとも重要な組織原理となるので、家の財産とか階級などのような、外の世界で大きな意味をもつ社会的価値による人間の位置づけは、徹底して否定された。兵児組織の中では、年齢原理だけ残して、あとは平等主義がとられていたが、これは、メラネシアや台湾や八重山群島の男子結社のケースと、まったく同じなのである。それぞれが、まったく対等の立場の個人として、集団の中で、自分の責任で自己鍛錬をおこなった。その鍛錬は文武にわたった。おたがいの間に、友愛の感情が芽生えた。それが、同性愛的なかたまりに達してしまう場合も、めずらしくはなかった。兵児は、いわば南日本の同性愛的文化の温床だったのだ。

 兵児二才は「「女ぎらい」でなければならなかったのである」。ここで、かの地のいわゆる「男尊女卑」が歴史的な深さを持つものであるのに気づかされるとともに、男子結社の組織原理の厳しさが無くなったところでの頽落形態であることに思い至る。

 中沢はミッシェル・フーコーを引きながら、同性愛が、「純粋な友愛や憧憬にささえられた、この地上にはまだ実現されていない、人間同士の、あるいは人間と自然との、未知の関係をもとにした世界をもとめること」だと、南方熊楠の思想を代弁している。

 森山公夫は、男子結社の意味について、こう書いている。

 この男女別の秘密結社が存在する社会的な意味は、これが男女それぞれの資質の練磨(例えば男性では狩猟や競争・闘いの修練)の場であると共に、それを通してフロイトの云うようn「同性愛性の熟成」を通しての「社会感情の醸成」にあったと考えることができる。古来、人類はこうして近親相姦禁止(兄弟姉妹間の)の掟を基盤に、同性愛的感情の熟成を通して社会的感情を醸成し続けてきたのである、それを通して社会共同体を成長・拡大させ、維持し続けてきたのである。(「精神医療 76号 特集:ボーダーラインはどこへ」

 人類は、男女の二元論で文化や社会を築いた長い時期があったということだ。シニグとウンジャミが思いだされる。


『森のバロック』

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2015/02/09

出産と排泄

 中沢新一の『森のバロック』のなかで、子供と排泄を結びつける思考に出会うことができた。

 便所の神も出産に関係が深く、箒神と便所の神とを結び合わせた信仰がある。島根県隠地郡五ケ村久見では、出産の時に箒の神とセンチ(便所)の神が集まって産をさせてくれるという。埼玉県入間川では、便所の箒を産神として十一月十九日に祀るそうである。(大藤ゆき『児やらい』)

 これは、琉球弧で、便所に埋めた男から煙草が生えたというハイヌウェレ型の民譚に視点を提供してくれる。他のバリエーションいついても、もう少し先まで理解を促している(cf.18.「屋内葬と屋敷神」)。

 高倉の下に埋める。「高倉」は穀物という共同幻想の象徴としての意味を持つから、ハイヌウェレ型の神話からのアナロジーからできている。

 便所の下に埋める。子を分娩と排泄との類似からのアナロジー。いまさらだが、ハイヌウェレが排泄物から宝物を出すという発想も同型だ。

 竈の下に埋める。火の神を通じたニライカナイへ通す。他界への入口。対幻想強化のための供犠。


 出産のときに火を灯すことにも示唆が得られた。

 徳之島の辺は、婦人皆産すれば其産屋の辺にて十七日が間、昼夜火を焼くなり、家富める者は何百束焼けるとて、薪を多く焼きたるを手柄とす。貧しき者まで皆夫々に焼くなり。夜も白昼のごとし。其故に其家は格別暖気にて汗も出る程の事なり。(飯島吉晴『竈神と厠神』)

 中沢はこう解説している。

 子供を産む女性の体は、ここでは、まるで「料理のように」火にかけられる。この火による媒介があってはじめて、安全に出産がはたされるわけだ。神話的思考はここで、出産という危険な状態の全体に、ひとつの象徴的なバランスを挿入しようとしている。

 「産婦のそばで、さかんに焚かれるこの火をとおして、人々は危険な状況の全体に、せめて思考の中だけでも、ひとつの秩序をつくりだしておこうとしていたのではないか」というわけだ。


『森のバロック』

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2015/02/08

「トーテミズムは未開社会における実存哲学」

 中沢新一は、『森のバロック』のなかで、「トーテミズムは未開社会における実存哲学であった」とうまい表現をしている。

自然力の活動と、そこに産出される種の多様性との間に、人間はトーテミズムの組織をとおして、密接な絆をつくった。それは知的であると同時に、感情的、神秘的な絆であり、人間はそれによって、自然の中に生きる人間の位置や、生命の流れや、人生の意味などに、明確な哲学を与えようとしていた。彼らは、おもに狩猟生活に頼っていたから、自然は征服したり、一方的に制覇したり、勝手に利用するものではない、と考えていた。人間と自然の間には、デリケートな配慮と、相互の倫理が必要とされたのだ。こうして、自然が産出する動物や鉱物や気象などの、多様な「種」を分類するための、未開社会の博物学が発達した。自然の「種」と、人間の社会との間を関係づけて、どの動植物を食べてはいけないとか、どの氏族の娘と結婚しなければいけないかを決める、調整機構がつくられた。

 ぼくたちは、トーテミズムを、人間が他の存在と類別する意識まで来た段階での、他の存在との同一化の思考だと考えてきた。この実存哲学の中身をみると、この同一化には「和解」の意味が含まれているのに気づく。

 一方でこれは、霊力思考が結実したものだとも考えているので、この霊力思考の在り方にも厚みを加えたい。

 中沢は、トーテミズムには自然と人間とのあいだに共通して潜在する生命哲学を「宇宙的な生起論」と名づけている。それによれば、生命ある存在とものごとには、創造的連続性のなかにらわれた凝固物にほかならない。神は「流れる」実体であり、「創造的」な産出をおこなう実体でもある。創造は流れの休止点でおこる。月も星も風も、木々も動物と、すべてが休止という仮の形態をとった別種の流れに他ならない。粒子でもあり波動でもあるという捉え方だ。

 古代に個人の概念はない。身体も個体として分離されていない。そのなかでは、対象は関係そのものして意識される。いまの生のぼくたちよりもはるかに察知を効かせた知覚で同じ自然を受容するが、自然の立ち現われ方を、自己と区別することなく、自己がそれと等しいものとして了解され、流動的なものと凝固されたものは、相対的なものとして立ち現われる。雲が生成したり消えたりするように。

 近代以降、霊力思考(自己表出)は、自己問答としてしかできなくなっているが、古代においては自然もろともを含んだ交流のなかにあった。だから、それは宇宙論としての規模を持つことができたのだ。

 以下、備忘のためのメモ。

アニミズムという観念単細胞を考えた学者もいるし、マナとかタブーとかトーテミズムのような現地人のような現地人の用語をもとにしてつくられた観念を、単細胞に選んだ学者もいる。いずれにしてもヴィクトリア朝進化論的人類学にとっては、未開の心性というものは、普遍的な共通性をもっているもの、と考えられた。

 ぼくたちは、進化論的人類学とは別の経路から、霊魂思考と霊力思考を抽出した。それは人類初期の分節化された思考の両極を指している。それを後追いで、霊魂思考はアニミズムとして、霊力思考はマナとかタブーとかトーテミズムとして呼ばれているのを知ることになった。

この著書(レヴィ・ストロース『今日のトーテミズム』-引用者)の出現によって、トーテミズムの概念は根本的に現代化された。これによって、トーテミズム概念の十九世紀的な完全性は解体されたが、かえってそれによってトーテミズムという殻の中に隠されていた生起論的な哲学の本質はむき出しにされるようになった。

 これはデュルケムとレヴィ・ストロースのトーテミズム論を同時期に経た後で感じるもやもやをすっきりさせてくれる。琉球弧のアマムはトーテミズムそのものの発想だが、童名もまたトーテミズム的発想に支えられた思考の産物だ、と言うことができる。

 

『森のバロック』

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2015/02/07

『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像』

 北方アジアの神観念と葬法、シャーマニズムの相互関連を確かめたくて、ウノ・ハルヴァの『シャマニズム』を読んだ。

 十三世紀の旅行家によって、「ただ一つの神」と記されたものが、高神を指すらしいことは次の記述にも明らかだ。

 こうした、くつがえすことのできない、世界の秩序の維持者としての天神は、自然民族の観念によれば至るところに住んでいることになっているところの、たとえばコリャークは天にも住まわせている、あの気まぐれな緒霊とはまったく別種の力であることは明瞭である。こうした緒霊は、気ままに、たえず移り変わる虫の居どころによて、ある場合には人間の役にたち、あるときは害をなすのだと信じられている。だがたまたま緒霊の憎しみを受ける身となっても、必ずしもあきらめる必要はない。というのは、何らかの方法で緒霊をなだめたり説得したりできる余地があるからだ。ところが天の定めはそうは行かない。ひとたびそれによって定められた運命は取り消すことができないし、各人は生まれたときからそれに縛られているのだ(『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』)。

 精霊と区別され、秩序の維持者である天神は、高神の性格を色濃く持っている。

 天神が、人間の姿に似た存在として思い描かれるようになると、それに代わる呼び名が採用される。ヤクート人は「白い造物主」や「高き主」、アルタイ・タタールは「大いなる者」、祈祷文では「白い光」、「輝くハーン」などと呼ばれた。人間化されても、高神の抽象性、光のような非物質性は保たれている。

 天界には階層のあることを、棚瀬の『他界観念の原始形態』は書いていたが、この階層には、しばしば天神の息子たちが階層ごとに割り当てられているという。

 ゴルド(ナナイ)では、天に一本の大樹オミヤ・ムオニが立ち、その上には、まだ生まれて来ないこどもたちの魂オミヤが小鳥の姿をして止まっている。かれらはいったんそこで増えてから大地へ降りてきて、未来の母の胎内に入る。ゴルドで女が子宝に恵まれない時は、シャマンに頼んでオミヤをもってきてもらうのが通例。

 シャマンは踊りながら、自分の守護霊の助けを借りて、美しく強いオミヤを天上の樹のもとに捜し求めて、手に入れたさまを表わす。シャマンはそれを地上に持ち帰ると、ただちにいならぶ一同に対して、「見よ、みどり児は揺籃の中にあり」と叫ぶ。

 霊魂思考において、霊魂の捕捉は病気の治療の時に行われていると考えてきたが、病気の時だけではない。出産にもこの様式が取られているのが分かる。トゥルハンスク地方のツングースでは、母親たちは死者が再び生れ変るのだと信じて、陣痛の間、守護霊に助けを求める。エメゲンデルと呼ばれるその霊は、祖母や曾祖母の霊魂であると考えられている。

 人であれ動物であれ、およそ息をするすべてのものに見られる生命現象を、テュルク系諸民族は「いき」と呼ぶ。「いき」は臨終のとき、口や鼻孔を抜けて肉体を離れ、湯気のように跡形もなく飛び去ってしまう。モンゴル人では、「いき」は全身に包まれており、生物体とともに滅び去るものと信じられている。アルタイ・タタールは、「いき」が死者のもとを立ち去る瞬間、何かが裂けるような音を発する。「《いき》が立ち去れば必ず続いて死が起こるので、《いき》はまた当然いのち、体温、生命力という意味をもちうる。生長しつつある樹木とか、生き生きしている草は言わずもがな、武器ですら、それが非常に鋭いものであれば、「いきている」と呼べるのである」。

 ここでいう「いき」はぼくたちが「霊力」と呼んできたものに該当するが、モンゴル人では霊力思考の強度が保たれているが、テュルク族やアルタイ・タタールでは霊魂思考の影響を受けている。

 著者は、「いき」を「魂」と呼ぶことはできない。「《いき》という語が個々の民族において、このような意味をそなえるようになったのは、外来文化との接触による」と考えている。

 「いきの消失」という観念は、臨終のときの経験から生まれたものであるのに対し、本来の霊魂崇拝はまた別の観察にもとづくものと思われる。ふつうの観念によれば、人間の《魂》は、人間が《いき》を吐き尽してしまうより以前に、その住みかを立ち去ってしまっている。人間が健康であってさえ、《魂》は、その肉体を傷つけることなく立ち去って、不思議な放浪の旅へ出かけることができる。《魂》がなすこの気ままな旅は睡眠中に行なわれ、そのとき《魂》は、その人間が自分の肉体の目や耳で見たことも聞いたこともないようなものを、見たり聞いたりできる。《魂》は自分の放浪の間に経験したことを覚えており、まさにそのために当の人間は、たとえばブリヤート人が言うように、目覚めて後、他の者に自分の見た夢を告げることができるのである。

 これはお馴染みの霊魂思考の典型的な例だ。

 人間のさまよう「魂」を語る場合、もとはただふつうの「見かけ、かたち、映像、影、姿」を意味していた語彙を用いている。トゥルハンスクのツングースでは、水に映った自分の影を見ることは、あとで精神錯乱が起きるかもしれないのでよくないことだと考えた。チェレミス人の少女は、鏡に映った自分の姿を見て、ヴォルガ・タタール人がやるように、鏡に接吻して、「私の《かたち》を取らないでちょうだい」と言う。この「かたち」は、アバカン・タタールのげ語でも、「魂、霊、霊像」という意味である。カレリア人もヴォート人も、静かな水面を見るのを恐れるのは、水鏡はそれを見る者の「姿」すなわち「魂」を奪うかもしれず、そうなる顔色が青ざめ、病気になるからである。

 影との関係も同様だ。ヤクートは、影を失うと不幸が起きるという。あるところでは、人間は三つの影を持つと信じられている。一つ、二つを失えば病気になり、三番目まで失えば死は避けられない。

 「それ自体が影である死者は、一般的観念によれば影を持たない」。

 ヤクートでは、子供たちが自分の影と戯れるのを禁じている。ツングースでは、人の影は決して踏んではならないと考えられている。「影」を表わす語は、「像」という意味も持つ。像に加えられた扱いは、本体にも作用を及ぼす。これは、魔術目的でも用いられる。

 動物もまた人間と同様に影の「魂」を持っていて、精霊は動物が生きているときでも、その肉体から魂を奪うことができる。猟の際は、森林動物の彫像を作って猟場に持っていく。そのわけは、像としての魂をものにしておき、動物が容易に狩人の手に入るようにするためである。猟の前にシャマンが「動物の生命の支配者」である霊魂を訪問して、そこから動物の影の「魂」をもちかえる。狩人はその数だけの獲物を手に入れる。

 19世紀後半の80年代に、死者に持たせる副葬品は壊した上で与えなければならなかった。

 ヤクート人は、霊魂のすみかは、「顔、大きく言って頭であり、頭皮と頭蓋の保存もまた、頭の重要性を示すものであるが、ある地方では背中もまた「魂」のやどりの場と考えられている」。

 注)ヤクートでも、頭蓋保存が行なわれている。

 ブリクロンスキーの述べるところによれば、ヤクート人にあっては、病気は何かよその憑きものが病人の体内に入ったために起こるものだと考えられているので、シャマンは病人を住居の隅に連れてきて、きっと目をにらみすえるとともに、突然叫び声を発して治すのが、広く見られるやり方である。そのとき、病人に震いがつけば、憑きものが病人のからだから退散して治ったしるしであると信じられている。一方、ブリヤートのシャマンは、病人から脱けた《魂》を捜しているときに震えが起これば、それは《魂》がもとの場所にもどってきた証拠であると説明している。 

 ブリヤートの例は典型的な霊魂思考のものだが、ヤクートの例は、霊魂思考と霊力思考の混融を示している。 

◇◆◇

 南太平洋の緒事例とそこから得られる知見から照らすと、北方アジアの例において、そこから逸脱するものはなく、シャーマニズムが付加されるものとして捉えればいいように見えてくる。

 アルタイ系諸民族の過去をあらうと、北方の森林文化、南方の草原文化という二重の文化につき当たる。草原文化は遊牧を特徴づけるものであって、各地の発掘物に最も古い緒特徴をとどめている。白樺樹皮でおおった円錐型天幕をその本来の住居とする、森林文化もしくは狩猟文化の担い手たちは、起源的にはもっぱら狩猟によって暮して来たと思われ、後になって新しい副業としてトナカイ牧養も加わった。いくつかのテュルク系民族がトナカイを乗用に利用したとき、明らかに草原地帯の馬が発見されている。さらに狩猟文化の特徴は、すでにかなりはやくから死者を地下に埋葬した草原地帯の諸民族とは異なり、死者は樹上あるいは木の切り株の上に固定した台の上に葬ったことである。ところで問題は大アルタイの祖先たちが、もともといずれの文化圏に属していたかということである。もし、もとは森林地帯に住んでいたとするならば、かれらの葬法は---たとえ外来の手本がなくとも---樹木のない草原をさまよっているうちに変わってしまったことは明らかである。逆に草原地帯に移り住んだとすれば、なぜ死体を樹上や台架の上に置くようになたのか、理解しにくいのである(上、p.20)。

 アルタイ系諸民族の新旧について、ぼくは詳しく知らないが、北方の森林地帯とオーストラリア(東南部を除く)は樹上葬、台上葬において対応し、南方の草原地帯と東南オーストラリアは、埋葬と高神において対応しているように見える。ただし、後者においては、南方の草原地帯が「遊牧」であるのに対し、東南オーストラリアは「採集」だから、葬法や死者の観念に違いがあるかもしれない。

 ここでは、シャーマニズムについて触れておく。

 シャマン装束は鳥に似せたものが多い。

より北のものには、はるかに多くの金属製品、それも骸骨のさまざまな部分を表わす金属製品がついているという点でも区別される。たとえばヤクートのシャマンの袖には、上腕骨と、つながった尺骨と橈骨を表わす細長い鉄の板のついているのが見える(下、p.190)。

 この記述が関心を惹くのは、シャマン装束の骸骨の、「上腕骨と、つながった尺骨と橈骨」が、再生信仰を持つオーストラリア種族における樹上葬のなかで、重視されたいた骨の個所と一致するからだ。これはさまざまな連想を許す。アルタイ系のシャマニズムは、すぐれて霊魂思考が優位だが、入巫のなかで行なわれる肉体の入れ替えには霊力思考が見られる。これは、再生信仰の象徴化を示しており、装束における「上腕骨と、つながった尺骨と橈骨」にもその痕跡が残った。そうだとすれば、これはこの本が主張するような緒霊からの防御を示すのではなく、シャマンとしての再生を示すものだ。また、これはシャマンが樹上葬時代に起源をもち、草原で高神を観念して脱魂技術を得たのか、草原において高神を抱いた種族が、霊力思考の系譜を取り入れたものか判断できないが、シャマニズムが相当に古い起源をもつことを示唆しているように思える。この点からいえば、シャマニズムも再生信仰の置換形態のひとつなのだ。

 著者のウノ・ハルヴァは、シャマンの病気治療において、なぜ天界への飛翔が行なわれるのかを問うている。

 ヤクートでは、魂を奪い、病因を引き起こす緒霊は天に住むものとはみなされていない。シャマンの行事では、まず下界の行事を行い、その後に天界への行事を行なう。シャマンは悪霊を追い出すとき下界へ行く。これらのことから、シベリアのシャマニズムは下界へ行くことが、天界への飛翔よりも古いと考えている。

 しかし、南太平洋の緒事例から考えられることは、下界へ行くのは埋葬により地下他界を思考するようになってからのものだ。したがって、狩猟や遊牧を行なっていた種族が農業を行なうようになってからのもので、その意味で、下界行はもっとも新しい層に属している。天界へ行く理由が見当たらないのに天界への飛翔が伴うのは、高神を抱いて以降は、天界への飛翔こそが重要なシャマンの行為だったからだ。これはこの本ではシャマンの職能を病気を主たるものとして挙げていることに関わる。もともと、シャマンは病気だけを対象にしていたのではない。病気という以上に、この本でも「氏族の安寧」がその務めとしているように、共同幻想の統御こそがその重責だった。病気が主たる務めに見えるのは、共同幻想がすでに国家的なものに代替されてしまっていて、統御不能と見なされているからに他ならない。

 この本の収穫は、北方のシャマニズムにおいて、霊力思考の関与をはっきりと確認できたことだ。

 

『シャマニズム1: アルタイ系諸民族の世界像』

『シャマニズム2: アルタイ系諸民族の世界像』

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2015/02/06

死の円環、移行、分離、終結

 初期の霊力思考では、生と死は、ひとつながりに「円環」している。死んでも、ふたたび再生する。死穢の欠如。

 初期の霊魂思考では、生と死はつながっている。死は、肉体の消滅だが、生は別の形に「移行」する。生者と死者は混在している。生者の空間は死者の空間に隣接している。時間性としての他界。

 霊魂思考が進展すると、生と死は「分離」する。死者の空間の遠隔化。死穢の観念の発生。他界の空間化。死穢は、再生、転生が信じられなくなることに対応するのではないか。

 現在、死は「終結」。

 「移行」の段階に入ると、「円環」の思考は途絶えるわけではい。霊力思考と霊魂思考はそれぞれに独立しているからだ。しかし、相互に影響は与えるし、霊魂思考の進展は、必然的に霊力思考を追い詰めるようにはたらく。「移行」の認識は、直線的であり、その認識が進めば、「円環」という認識に対して、ひとつながりになることはないと迫るだろう。

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2015/02/05

「心の中のトーテミスム」

 レヴィ・ストロースは、『今日のトーテミスム』のなかで、トーテミズム理解の先駆者のひとりとしてルソーを挙げている。

人間は、まず、自分がすべての同類(その中には、ルソーがはっきり言っているように、動物もいれねばならない)と同一であると感ずるから、そののちに、自分を区別し、これら同類を相互に区別する能力、つまり種の多様性を社会的文化の概念的支柱とする能力を獲得することになるのだ。

 これはぼくたちが、トーテミズムについて、人間が、天然自然(動植物や無機物)との区別を認めた上での同一化の思考と考えているのと矛盾しない。

 人をして話さしめた最初の動機は情念であったため、人間の最初の表現は比喩であった。比喩的言語がまず誕生し、本義は最後に見つけられた。事物をその真の姿で見たときに、はじめて、人はこれをその真の名で呼んだのだ。初めは、人は詩でのみ語った。推論することを思いついたのはずっとあとのことだ(ルソー)。
 つまり、知覚の対象とそれが呼び起こす感動とを一種の超現実の中で混同する包括的なことばが、本来の意味での分析的還元に先行したというのだ。隠喩がトーテミスムの中で演ずる役割は幾度か強調したが、隠喩は言語をあとから飾りたてるものではなく、その根源的な叙法の一つである。ルソーによって対立と同じ次元におかれた隠喩は、同じ理由から、論弁的思惟の最初の形の一つを構成する。

 これは分かる。しかし、「われわれはアマムだ」と隠喩で言うことと、「われわれはアマムの子孫だ」と本当に信じて言うことには大きな隔たりがあるだろう。祖先を「アマム-人、人-アマム」と表象できたところでは、「われわれはアマムの子孫だ」という言明が成り立つ。それが表象できない場合にも、「われわれはアマムだ」と言うことはできる。

 そしてどちらの場合でも、トーテミズムを「人間が、天然自然(動植物や無機物)との区別を認めた上での同一化の思考」と捉えるなら、他の存在から人間を類別しているのだから、人間としての再生信仰があることに矛盾しないことになる。

 この思考は原始農耕の開始によって深刻な変容をこうむる。まず、天然自然との同一化は、植物との同一化に注意が注がれる。ついで、人間の植物への化身という思考を契機に、人間としての再生信仰は、異類への転生信仰へ変換される。人間の植物への化身によって、植物を食べるという行為は、祖先を食べる行為になる。というkとは、これは食人の象徴化のヴァリアントのひとつとして捉えることができる。


『今日のトーテミスム』

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2015/02/04

『何度でも言う がんとは決して闘うな』

 一年ほど前から、母が癌を患っている。そうなる前から、母は近藤誠の読者だったのだけれど、見舞いや説明を受けに何度か病院へ行くなかで感じるところがあって、ぼくも読み始めることになった。

 母は基本的には近藤誠の考えに共感していて、症状に対処するためにやむを得なかった手術を二度、特定の箇所に限った放射線治療を一度、受けているが、抗がん剤は拒んで身体に入れていない。ぼくも、抗がん剤の拒否には賛成している。自分であっても、そうする気がする。

 では、他人にも勧めるかと言われれば、言い澱む。これが正しい道だと確信しているわけではないし、確信を与えてくれるものが存在しているわけでもない。人によって考え方も状況もさまざまだ。ただ、ぼくにとっては近藤誠がもう片方の考え方を提示しているおかげで、こちらにいくぶんかの判断材料が得られたことは大きかった。だから、勧めるところまで踏み出せないけれど、この一年余りの経験から、同様な立場に立った人の話を親身に聞くことはできるし、近藤誠を読むことは勧めると思う。大方の医者は言うことはない見解に触れることができるのは、今でもそうそうないのではないか。

 現状の判断にしても、これでよかったと思えるのか、悔いを残すのかは分からない。そこに答えがあるかどうかも分からない。ただ、母が珍しく示した意思に対して、尊重したいという思いがいまは強い。根が与論島生まれの自然児なのだ。母がなるべくふつうの日常を生きたいと願うのは自然なことだ。

 そんな折、ふたたび近藤誠の本が出版されたので、『何度でも言う がんとは決して闘うな』を手に取った。これは、彼が医学界に口火を切ってからの対談集で、その意味では読みやすく、主張もすんなり頭に入ってくる。とても嘘を言っていると思えない印象も変わらないが、過去の対談集なので新しい知見や主張が収められているわけではない。しかし、慶応大学を辞めた現在も、彼の、「闘うな」という戦闘は継続中であることが、読むと分かる。

 

『何度でも言う がんとは決して闘うな』

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2015/02/03

『脳の発見―脳の中の小宇宙』

 角田忠信は、聴覚と脳の働きを調べるうちに面白い発見をした(『脳の発見―脳の中の小宇宙』)。母音について日本人は左半球優位で受容しているのに対し、西欧人では右半球優位で受容していることだ。タやチなど、子音+母音は左半球で聞いていることには変わりはない。

 どうしてこういう差異が生まれるのか。

 日本語の母音が他の言葉と比べて変わった点を調べてみると、「/ア//イ//ウ//エ//オ/それぞれに意味がある。すなわち、/あ/啞、/い/胃、意、医・・・、/う/卯、鵜、/え/絵、餌、/お/尾、男、などがあげられる」。

 母音だけでも意味を形成する。その日本語の話し言葉の特徴が、母音そのものも言語脳である左半球で受容する原因なのではないか。

 母音の使い方が日本語と似ている言語にはポリネシア語があり、「アア」「アイ」「アウ」「アエ」「アオ」などの母音の組み合わせには例外なく意味がある。

 調べてみると果たしてその通りで、日本語と「トンガと東サモア、マオリ族の一部」のように、ポリネシア語圏は、母音も左半球で受容していた。そしてそれだけでなく、日本語とポリネシア語圏のみが該当し、西欧に限らず、東アジアも母音は右半球で受容していることが分かったという。

 発見はまだあった。夏の終わり、こおろぎの鳴き声が美しく聞こえていた。そのまま研究に入ると、どうしたわけか構想がまとまらない。こおろぎの音が耳について気になってしまうのだ。まさかと思いつつ、こおろぎの音を録音して実験してみると、こおろぎの音も言葉や母音と同じように左半球優位で受容していたのだ。

そういう音を数十種類作って厳密に比較してみると、日本語型と西欧語型ではっきりした差が出てきたのである。つまり日本語型では、母音や子音-母音だけではなく右耳優位の音の中に、感情音、素人のハミング、虫の音、鳥の声、牛や猫の啼き声、自然界の小川のせせらぎ、風、波、雨の音、もっと驚いたことには、伝統的な邦楽器の音まで言葉と同じように左半球優位であることがわかったのである。

 いとをかしなことだと思う。古代日本において自然現象も神とされたとき、彼らは風や木の葉の揺らぎも言葉として聞いていた可能性があるということだ。

 角田によれば、これは遺伝の問題ではなく九歳以下の言語環境の違いによるとされている。

 さて、琉球語の場合、どうだろう。琉球人の場合、結果は日本人と同じにはならないかもしれない。というのも、琉球語で、母音だけで意味をなす語がなかなか思いつかないのだ。角田が挙げている日本語の例では、意、医、卯などは漢字という表意文字があって意味が用意になる例だ。長く話し言葉しか持たなかった琉球語では、こうではないかもしれない。こう疑問を持つのは、日本語とポリネシア語圏のあいだのオーストロネシア語族の展開した南太平洋にも例が見出せていないことにも関わる。言い換えれば、日本においても漢字を導入して以降、この特徴が顕著になったのではないだろうか。

 吉本隆明は、もっと深い場所に根拠を求めている。

 なぜ母音の波の響きを旧日本語族やポリネシア語族は左脳(言語脳)優位の側で聴き(このことは母音を言語に近い素因として聴いていることを意味している)、それ以外の語族では右脳(非言語脳)優位の側で聴いているのか? 角田忠信は、旧日本語族やポリネシア語族では、母音がそのまま意味のある言語になっているために、この母音の言語化の現象が起きたと推定している。わたしたちはこの推定をもうすこしおしすすめることができる。旧日本語族やポリネシア語族では、自然現象、たとえば山や河や風の音や水の流れの音などを、すべて擬人(神)化して固有名をつけて呼ぶことができる素因があり、また自然現象の音を言葉として聴く習俗のなかにあったことが、母音の波の拡がりを言語野に近いイメージにしている根拠のようなおもえてくる。(『母型論』

 つまり、母音の受容の仕方より、自然現象の音の受容の仕方のほうが深い。こう捉えれば、琉球と日本との差異は、時間的なものに置き換えることができる。角田の発見でいえば、母音の受容より、コオロギの音に気づいたことが、最大の発見だったのかもしれない。


『母型論』


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2015/02/02

トーテミズムの「変換の体系」

 フレイザーはメラネシアで観察されたトーテム信仰の単純な形態に関心をもち、それらがオーストラリアの懐妊トーテミズムの起源になる原初形態であり、またそれ以外のトーテミズムはすべてその懐妊トーテミズムから派生したものだと考えた。こうした認識について、レヴィ・ストロースは書いている。

ニューヘブリデス諸島(アウロラ島)およびバンクス諸島(モタ島)には、自分の存在はある植物、ある動物、またはある物体の存在に結びつけられると考える人たちがいる。それらのものは、バクス諸島ではアタイもしくはタマニウと呼ばれ、アウロラ島ではヌヌと呼ばれる。ヌヌという語の意味は、ほぼ魂にあたる。アタイという語の意味もおそらくそうであろう。
 コドリントンによれば、モタ島のある現地人は自分のタマニウを、幻視かもしくは占卜術で知ると言っている。ところがアウロラ島では、母となるべき女性が、椰子の実とかパンの木の実をなんらかの物体が子供と神秘的な関係をもつと想像し、子供はいわばそのようなもののこだまであると考えるのである。リヴァーズはモタ島でも同じ考え方を見つけ出した。そこでは、多数の住民が食物禁忌を守っているが、それはそれぞれ自分は母が妊娠中に見つけた動物や果実であると考えるからである。このような場合に女性は、その植物や果実や動物を村に持ち帰り、ことの意味を尋ねる。人びとは女に、そのものに似た子供が生れるのだとか、または子供がそのもの自体なのだとか説明してくれる。そこで彼女は、ものをもとの場所にもどし、もしそれが動物であれば石ですみかを作ってやる。そして毎日訪れて餅を与えてやるのである。動物が姿を消せば、それは動物が彼女の体内に入ったのであり、のちに子供の形をとって出てくるということになる。(『野生の思考』

 これはメラネシアにおけるトーテミズムの形態を示している。棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』では、アウロラ島について記述があり、そこでの霊魂は、霊魂思考によるものとしかみえない。記述中、唯一それらしく思えるのは、「生前耳朶に穴を穿っていない死霊は、水が飲めぬし、入れ墨をしていない死霊は、美食できないという」ところに、トーテミズムの思考を認めることができる。つまり、霊力思考だ。ここからは、記録の不足は無いとして、霊魂の形態のなかにはその痕跡が見えなくても、トーテミズムは残存していることがありうることを示している。

 子供は自分と同一視される動植物を食べてはならない。この禁を犯せば、病気になったり死んだりする。食用にならぬ果実の場合には、その木に触ってもいけない。嚥下や接触は一種の自食行為と見なされる。人間と物とのこの関係は非常に緊密で、人間は物の諸特性を保有すると考えられる。子供は、同一視される動植物にしたがって、たとえば、ウナギや海蛇のように軟弱でのらりくらりになるとか、ヤドカリのように怒りっぽくなるとか、トカゲのようにおとなしく人がよくなるとか、鼠のように粗忽であわてん坊で無思慮になるとか、フトモモの実の形ににた太鼓腹になるなどと言われる。このような対応関係はモトラブ(サドル島の一部の名)にも見出される。個人と動植物ないし物体を結ぶこの連繋は全員に及ぶものではなく、一部の人間だけにかかわるものである。それはまた世襲的でもない。偶然に同じ動植物種に結びつけられた男女の間に外婚禁制が生ずることもない。

 動植物に対する擬人化のさまが読んでいて楽しい。ヤドカリは怒りっぽいとされているが、琉球弧ではそういう見なしではなかっただろう。この動植物との関連は、全員に該当するわけではないので、トーテミズムの残存形態であると考えることができる。

 フレイザーはこれが、ロイヤルティ諸島中のリフ島やソロモン諸島中のウラワ島、マライタ島で見出されている信仰の起源だと考えた。

リフ島では、人間が死ぬ前に、つぎにどの動物-鳥とか蝶とか-生れかわるかを言っておくことがときどきある。その動物を食べたり殺したりすることは、子孫の全員に禁止される。人びとは「うちのご先祖さまだ」と言って、供えものをする。ソロモン諸島(ウラワ島)でも同様デアッテ、コドリントンは、住民たちがバナナを植えたり食べたりせず、その理由はむかし偉い人が死ぬ前に、あとで自分がバナナに生れかわれるよう、それを食べてはいけないと言ったからだと記している。

 これは、ぼくたちの考えでは、トーテミズムに伴う再生信仰が動植物への転生信仰に転化したものだ。『他界観念の原始形態』では、リフ島の葬法について、「死が近いと、瀕死者に獣鳥、昆虫の名を附し、これを死後の代表者と見て、家族はこれを神聖視する」とあるところに示されている。

 ここでレヴィ・ストロースは、フレイザーがモタ島で、母が妊娠中にみつけた動植物につながりを見つけることについて、妊娠中の異常嗜好との関連を見るのは根拠薄弱だとし、死に瀕した老人より妊婦の察知を優先させた理由も分からないとして、もしウラワ島、マライタ島、リフ島の体系が、モトラヴ、モタ島、アウロラ島の体系から派生したとしたら、後者の痕跡が前者に残るはずだが、そうはなっていないと指摘している。

ところが反対に、目につくのは、この両体系が正確に対をなすことである。一方が他方より時間的に先行することを示す物は何もない。それらの関係は、原形と派生形のそれではなく、むしろ、互いに逆対称をなす形の間に見出される関係であって、あたかも、それらの体系をそれぞれ同一群の一つの変換をあらわすもののようである。

 レヴィ・ストロースは、この関係を表で示している。

 有意の対立     モトラヴ、モタ、アウロラ リフ、ウラワ、マライタ
 誕生/死・・・    +              -
 個人/集団(診断) -              +
 個人/集団(禁忌) +              -

 いま私が提出した諸事実から、この群のレベルでの共通性が明らかになる。その共通性によってこの一群は、同じ集合、すなわち自然的差異の間に相同性を立てる緒分類体系(トーテム制というよりこの言い方の方が好ましい)の集合に属する他の群のすべてから区別されるのである。いま私が論じた両体系の共通点は、それらの統計論的、非普遍的性質である。どちらの体系も社会の全構成員に無差別に適用されるものではない。子供たちのうちのいくらかだけが動物や植物の働きで懐妊されるのであり、また死んでゆく人の一部だけが動植物に生れかわるのである。それゆえ、これらの体系のおのおのによって支配される領域はサンプルであり、その選択は、少なくとも理論的には、偶然に委ねられている。この二重の資格で、これら両体系は、オーストラリアのアランダ型の諸体系のすぐ横に並べられるべきものである。フレイザーはそれに気づいていたが、それらの関係については誤解をしていた。それは発生論的な関係〔共通の起源をもつ関係〕ではなく論理的な関係であって、両者それぞれの特殊性を尊重しながらそれらを結びつけているのである。たしかにアランダ型の緒体系もまた統計論的な性格をもっているが、その適用規則は普遍的である。それらの体系が支配する領域は、当該社会全体と外延を等しくするから。

 ぼくたちはレヴィ・ストロースの構造人類学の考え方を学びながらも、三者を発生論的な視点で見ようとする者だ。この記述によれば、フレイザーは、モトラヴ=モタ=アウロラの体系→ウラワ=マライタ=リフ島の体系、懐妊トーテミズムと見なしているが、ぼくたちは、懐妊トーテミズム→モトラヴ=モタ=アウロラの体系、ウラワ=マライタ=リフの体系と見なす。懐妊トーテミズムには明瞭な他界観念はなく、メラネシアには他界が地下としてあるから、そこに段階の前後を見る。また、メラネシアの両系には、モトラヴ=モタ=アウロラの体系にはトーテミズムの残存、ウラワ=マライタ=リフの体系には転生信仰への転化と見なす。ぼくははじめはフレイザーの根拠とは別に、転生信仰は再生信仰に先立つと見なしてきたが、『他界観念の原始形態』でその分布を参照したり、異類への転生が、植物との結びつき、なかでもハイヌウェレ神話のように、直接的な転生まで考えられたりしているのをみると、トーテミズムに霊魂思考が混融したところで発生したと考えるようになった。メラネシアの両体系間の前後については、レヴィ・ストロースの考察にならい、必然的なものではなく、転化であると捉える。

 レヴィ・ストロースの筆法にならえば、こうなる。

                    他界観念 人間としての再生 異類への転生
アルンダ族              -      +          -
モトラヴ=モタ=アウロラの体系 +      -          -
ウラワ=マライタ=リフ島の体系 +      -          +


『野生の思考』


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2015/02/01

マルセル・モースの『贈与論』

 引用だけは頻繁に見てきたマルセル・モースの『増与論』を読んだ。多くの引用が物語るとおり、マオリのインフォーマントが伝えたハウの説明が、この論の核心に控えていると思えた。

 ハウ(hau)についてお話ししましょう・・・。ハウというのは吹く風のことではありません。まったく違います。あなたが、ある特定の品物(タオンガ taonga)をもっているとしましょう。そして、その品物をわたしにくれるとしましょう。あなたはわたしに、あらかじめ値段を取り決めることなどなしに、それをくれるのです。わたしたちはこれに対して取引などしないのです。さて、わたしがこの品物を第三の人物にあげます。この三人目は、ある一定の時間が過ぎたあとで、支払い(ウトゥ utu)として何かを返すことに決め、わたしに何か(タオンガ)を贈り物として寄越すのです。このとき、この人がわたしにくれるこのタオンガは、わたしがあなたから受け取り、次いで彼へとあげたタオンガの霊(ハウ)なのです。後者のタオンガ(あなたがくれたほうのタオンガ)のかわりにわたしが受け取ったタオンガですが、こちらのタオンガを、わたしはあなたに返さなくてはなりません。このようなタオンガを自分のものとしてとっておくのは、それがわたしの欲しいもの(ラウェ rawe)であっても、嫌いなもの(キノ kino)であっても、わたしのふるまいとして正しい(ティカ tika)ことではないのです。わたしはこれをあなたにあげなくてはなりません。なぜならこれは、あなたがわたしにくれたタオンガのハウであるからなのです。もしもわたしが、この二つ目のタオンガを自分のためにとっておいたとするなら、そこからわたしに災厄がふりかかることになるかもしれません。本当です。死ぬことさえあるかもしれないのです。以上がハウです。人の所有財のハウ、タオンガのハウ、森のハウです。カティ・エナ(kati ena)(この話はこれでおしまい)。(『贈与論 他二篇』

 この話は単純ではない。まず、第三者が登場することが引っかかる。それはモースも言及していて、それで自身の解釈を加えた要約をしているのだが、にもかかわらず、ぼくにはよく分からなかった。

 贈り物受け取った人が、その返礼をするという流れではなく、わざわざもう一人が出てきて、その人の返礼を発端にもともと贈った人への返礼まで続く流れになっている。それはモースの反復でも、ぼくには理解及ばずだった。

 なぜ、インフォーマントはこう語ったのだろう。

 ここには意味があるのだとして、考えられるのは、二者の関係ではなく三者の関係として語ることで、贈与と返礼が一対一の関係ではなく、社会的な関係であることを示唆していると解することだ。

 けれどこう考えてもすっきりしないものは残る。このエピソードでは、もともと贈った人にとっては未知の人が返礼を開始するが、その前に、最初にもらった人は、なぜ返礼をせずにいただきものを他の人に間髪いれないかのように渡してしまうのだろう。もちろんそれは、その贈り物が自分には不要だと思ったのだろう。でも、その過程の挿入はハウの説明に不可欠だろうか。そういう疑問がよぎる。

 けれど、このことについてはひとつの見解が出されていたのを思い出した。内田樹は、「これは私宛ての贈り物だ」と思った人から、返礼が始まると『呪いの時代』のなかで書いていた。これは卓抜な着眼ではないだろうか。この契機がある限り、贈られたものが返礼を生まず渡され続けたとしても、どこかで、これは自分への贈り物だと感じた人が生まれれば返礼はもともと最初に贈った人という起源へ向かって遡ることになる。内田はそれを、ありがとうを誰が先に言うかというゲームなのだと見なしている。

 ここまでで、第三者が出てくることについて一定の納得は得られる。

 ここからは、贈られるものであるタオンガとそれに付着するとされる霊であるハウについて整理したいことが残る。

 マオリの霊魂観念には、wairua と hau の二種類がある。wairua は、「影、非実質的な像、鏡などに映る顔のごとき映像」で、hauは人間の「本質ないし生命原理」で、「元来は風を意味した」。死後、存続する霊魂がどれなのか、記録されていないが、ぼくたちは前者が霊魂思考によるもので、後者が霊力思考によるものだと見なすことができる。語彙の同一性からみれば、タオンガについているハウも霊力だと見なせる。(cf.棚瀬襄爾『他界観念の原始形態』

 問題は三人目の人から贈り物をもらったとき、贈った人が、これは、最初に贈られたもののハウだと感じることだ。ハウはそのタオンガに付着していると考えれば、このとき、贈られたタオンガについているのは、三人目の人が贈ったタオンガのハウであって最初に贈られたタオンガのハウではない。これが最初に贈られたタオンガのハウであるためには、三人目の人が贈るタオンガにもともとついているハウと三人目の人に贈られたタオンガのハウが、そこで交換されなければならない。

 下手な厳密性を追求したいわけではなく、ここには霊力が霊魂のようにものを離れ、しかも交替すると考えられなければならない。だから、ハウは霊力だとしても、霊魂思考が関与しているのだ。

 もちろん、マオリでは二種の霊魂を認めているから、そこにも霊力思考と霊魂思考の混融形態の段階にあることが示されている。ということは、贈与と返礼の儀礼は南太平洋に普遍的であったとしても、このマオリのインフォーマントの説明はどこででも得られるものではない。ここでのタオンガとハウに対する理解の仕方は普遍的なものではないのだと思える。吉本隆明はこう指摘している。

しかしこういう理解はすっきりした物と霊の二重化にすぎるような気がする。贈与という概念も、贈与と返礼という行為も、物と霊との分離やずれがないところでは成り立ちそうにもみえない。もうすこしいえは、物と霊のあいだ、人間と霊のあいだに境界のない交換が成り立たなくてはならないようにおもえる(『母型論』)。

 このことに立ち寄るのは、マオリのインフォーマントはあくまでタオンガとハウ、物とその霊力を介して贈与と返礼を説明するのだが、それを受けるモースは必ずしもそれだけで説明するのではない。

 モースは書いている。

物はそれ自体が魂を有しているからであり、それ自体としてすぐれて魂であるからである。そのため、何かを誰かに贈るということは、自分自身の何ものかを贈ることになるわけである。

 けれどこの文章の最初の文とあとの文はつながらない。前の文は物と物の霊についてのことだか、あとは人とその人の何かについてのことだからだ。そして、インフォーマントが語るのも、物とその霊についてであって、人とその人の何かについてではない。

 でも、あとの文についてぼくたちに異存があるわけではなく、その通りだと思うことだ。贈り物には贈った人の人格的な何か、ここでの文脈でいえば、霊力が付着しているの感じるからだ。

 それならそうと、インフォーマントが語らないのはなぜなのだろう。考えられるのは、南太平洋の贈与と返礼の社会にあって、まだ共同体から個人は分離されていない。人は自分の身体を関係のなかでしか想起しない。彼らは贈る人と受け取る人を一対の関係として表象するだろう。だから、物とその霊について語ることは、そのまま贈る人と受け取る人のことを幾分かは含んでいるということではないだろうか。

 このインフォーマントは知的な人物に違いないが、説明がすっきりし過ぎていて、よくあるような、あいまいで不明なところがないだけ、現地の人が聞かれても首をかしげるだけで済ますようなときの何かを削ぎ落としているのではないだろうか。

 インフォーマントの説明は明快だったからこそモースたちの眼に止まったが、明快だけに霊にまつわる含みは削がれることになったのかもしれない。

人が物を与え、物を返すのは、そこにおいて人が互いに「敬意」を与え合い、「敬意」を返し合うからである。今でも言うとおり、「挨拶」を掛け合い、返し合うからである。けれどもそれはまた、何かを与えることにおいて、人が自分自身を与えるのは、人が自分自身を(自分という人を、そしてまた自分の財を)人々に「負っている」からなのである。

 マオリの人たちのようにいえば、自分自身を人々に負っているだけではなく、森に、自然に負っているからだ、ということだ。

 ただ明快なモースの解釈において含みが抜けたところから、すくい上げたいものも出てくる。モースが「敬意」の返し合い、「挨拶」の掛け合いと言うところは、言葉のとおりにぼくたちも感じるが、肝心の贈与と返礼について、「義務」や「強制」とまで言われてしまうと極端に感じる。あるいは、贈与と返礼が含意する意味の幅の一方の極だけを言われている気がしてくる。もう一方の極には、善意や好意も控えているのだ。

 贈り物は義務や強制である場面を持ちうる。けれど、本質的に言うなら、贈らずにはいられないとでも言うような心理がそこにはある。モースは前述のインフォーマントの話を要約するなかで、「この物をあなたにあげるように(ハウにー引用者)仕向けられるのです」という言葉を選んでいるが、そういうより、贈らずにはいられない、と言うほうがしっくりくるのだ。

 モースの『増与論』は、西洋人が未開の未知の世界を開示してくれたと思って読んだだけでは、受け取り損ねるものがあると思える。半分は自分たちが観察されていると思って読む必要があるのではないだろうか。吉本隆明は同じところでこう書いていた。

 抽象度を高めて表現しないかぎり、交換や交易よりも贈与と返礼によって成り立ってきた習慣ののこるこれらの地域で、ポトラッチを「義務」「権利」「強制」といった言葉で解釈しつくすこと、そして「母」系を中心の分節点として網の目のように融着し粘性をもってつながりあった家族や氏族、家族の性質としての個人を分離することは難しいとおもえる。

 モースは、マリノフスキーがクラを「支払いをともなう儀式的な交換」と書いたことについて、読者への配慮であり、ヨーロッパの人々に理解させるための便法である。「支払いということばも交換ということばも、ともにヨーロッパのことばなのだから」と書くくらいだから、用語についてとても自覚的であったことが分かるが、それでもヨーロッパ人ではないぼくたちには違和感を残した。

 西洋人のなかで違和感を表明した人もいる。モーリス・レーナルは、ニューカレドニアの観察のなかで、こう書いている。

 こういう初物や献上物を融通の効かないわれわれの言語で言い表わそうとすると、強制、義務、貢納、貢物などといった窮屈な用語に押しこめることになってしまうが、ニューカレドニア島民はそれを自分たちの言葉でただひとことエヴィウという。これは「好意からの贈り物」と訳せるだろう。この名詞は本質的に重要なものである。人頭税が制定されたときにカナク人はただちにこの名詞をそれに当てた。しかし人頭税にまつわる人口統計上のいざこざは、この言い方にそぐわないものだった。そこで植民地行政府のありとあらゆる強要に面食らってしまったカナク人はこの言葉を使うのをやめて、どうでもいい「アポ」という語に置き換えてしまった。これはフランス語の税金(impot)のなまったものである。それだけ人を行為へと促すことのできたかつてのイメージに代わって、中身のない概念と強制が取って替わったのである(『ド・カモ』)。

 印象的なエピソードであるとともに、島人の極度の人見知りに加えて、お人好しという特徴も思い当る。

『贈与論 他二篇』

『呪いの時代』

『母型論』

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』


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