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2015/01/31

『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』

 『ド・カモ』ではニューカレドニアについて詳細な報告がなされているので、本書に当たる前に、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』の整理を踏まえておきたい。

 ニューカレドニア本島北のベレプ諸島。

 他界

 ・霊魂は死によて滅びず、若干期間は存続する。
 ・死霊は富んだ美しい国に行く。ポット島北東海底にあり、Tsiabiloumと呼ばれる。その国に行くには、ポット島の岩上に住むKiemouaという恐ろしい神に追われなければならない。この神は霊魂を網で捕え、怒りを爆発させてから放す。そして霊魂はあの世へ行く。
 ・あの世はよい国で、作物は豊かで、野生のオレンジがなる森があり、死霊は金のオレンジで遊ぶ。
 ・あの世は夜もなく眠りもない。悲しみも病気も老衰も倦怠もない。しかし、死霊があの世で暮らすのは夜だけで、夜明けとともにこの世に帰り、墓に住み、日が暮れると海底のあの世に行く。

 葬法

 ・聖域に掘った浅い墓穴に頭を上にして坐位で埋葬。あとで頭蓋を取るために頭だけ地上に出しておくこともある。
 ・死者の親族は悲嘆し、自分の耳を引き裂き、頭や胸に大火傷をつくる。
 ・死者の家、網などの道具を焼却し、畑を荒らし、ココヤシを切り倒す。
 ・墓掘り人は穢れだるとして隔離される。食べ物も口で食べるか箸を使う。指で食べてはいけない。彼らは尊敬される。
 ・服喪期間には擬戦を行う。最後には両者が一体となり踊る。
 ・死後一年ほどすると、頭蓋を取り、各家族の墓地の地上に並べる。祖先崇拝。
 ・病気の者を治す際は、家族の一人が甘藷の葉を携えて聖域に行き、頭蓋に供える。同じものを父、祖父の木に供えてから、息を吹きかけて治そうとする。
 ・漁の成功、ヤム芋の不作の心配のときも頭蓋に祈る。

 ニューカレドニア本島南部。

 ・死者に帯と貝製の腕輪をさせ、爪を切って、遺品として保存する。
 ・首だけは出して埋葬。十日経つと、首をねじ切って歯を抜き保存する。頭蓋も保存する。
 ・病気や災害の時は、死者の頭蓋に食べ物を供える。
 ・彼らの神々は彼らの祖先であって、その遺品を保存し、偶像崇拝する。
 ・死者は白人に化現するという信仰もある。

 ニューカレドニア本島南のパイン島。

 ・古俗では、洞穴を墓にした。

 上記のように資料としては貧弱なものだ。これで分かるのは、霊魂思考が強く、祖先崇拝の観念を生んでいる。ただ、ポット島の存在には霊力思考の混融もみられる。そんなところだった。

 『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』で、どんな視野が得られるか。

 ニューカレドニアでは、人に意見を聞くときに、「あなたの腹は何ですか?」と言う。「落胆している」は「はらわたが苦しんでいる」、「ためらっている」は「はらわたが脇に寄っている」となる。著者のモーレス・レーナルトによれば、「腹は内部に思惟の座を納めている」。「思惟は、ひとつの対象、与件、着想、啓示として、このような内臓という容器の中にあるのが感じられる発見物、籠のような形に編みあげられた線維の容器の中に認められた発見物なのである」。

 これは、言語としては内臓から生まれる霊力思考として捉えることができる。それはやがて言語の自己表出として結実していくものだ。琉球弧では、これは肝(キム、チム)に当たる。宮城正勝(猫々だより)が挙げている例でいえば、「可哀想だ」は、「肝・苦しい」であり、「心映えが美しい」は「肝・美しい」、「心を和らげる」は「肝・直す」になる。もちろん、これは琉球語を標準語に翻訳した場合の表記だ。

われわれがそういう状態を形容詞や述語を用いて言い表わすのに対して、ニューカレドニアの人々は、内臓自体がそういう状態にあるものとしてとらえ、彼らの言語で状態を表わす動詞にあたる言いまわしで表現する。

 「彼らは自分と植物界とのあいだに構造と実質の同一性を認める」。ある老人が息子が白人の重労働に駆り出されるには若すぎるといって憲兵に抗弁した時、息子の腕を触って「この腕を見てくれ、これは水だ」という。「これは比喩ではない」。子供の腕ははじめみずみずしく、そしてだんだん筋ばって固くなる樹木の若枝と同じものだ。クル病の子供もことを「この子は黄色く生えてくる」というが、これは若枝は樹液が不足すれば黄色くなり、枯れてしまうからだ。ココ椰子の油を体に塗って、輝くように見事にお洒落をした若者に、娘たちは「水が、樹液が肌の下に透けて見える」といってほめる。これも比喩なのではない。

先の老人と同様に、彼女たちは樹木の芽と人間の体の線維が同じ若々しい樹液をいっぱに含んでいると本当に思っているのである。

 これは琉球弧において、ユタが瀕死の重病人を前に行う悪霊払いの呪詞のなかでやはり比喩を使うのと同じだと思える。聞こえていれば、病人は、比喩ではなく、自分の病のこととして聞いたはずだ(c.f「沖永良部島の呪詞「アカトゥキヌタチラ」)。

 樹木自身も、人間にかかわる。

若者が森に分け入って、大木もなかから自分の祖先である樹木と、同じ種ではあるがそうではない樹木とを見分けるという物語はたくさんある。樹の幹に斧を打ちこんでみて、斧が立たないと、「これは私の父でもないし母でもない」という。
 そうしてまた進んでいって、よく似た樹木を見つけると、彼は斧を振って投げつける。今度は斧が刺さる。すると樹の中から人の声が聞こえてくる。
「私の弟かい」
「はい。私はあなたを呼びにきました。私の家になってほしいのです」。

 人間の植物化と植物の人間化だ。

 カナク人が用いる神話的言葉遣いのリアリティを補完する人間形態論というものは存在しない。そしてこの人間形態論の欠如にこそ、哲学者たちが未開心性の諸特性として提示した諸事情mすなわち、人と物との隔たりの欠如、対象と主体の密着、そして二つの次元しか認められない世界のなかで起こる一切の融即といったことの深い理由がひそんでいるのである。実際、メラネシア人の方が樹木を見出すのではなく、樹木の方が彼らに対して姿を現わすのだということを想像してみなければならない。どんな認識の始まりにおいても、対象にそういうことが起こる。人間が自然に包まれて生活し、未だに自然から自分を分化していない場合、彼らは自然のなかに自らを押し広げていくのではなくて、反対に自然によって侵され、それをとおして自らを知るのである。彼らは人間形態論的な見方をもっているのではなく、その反対に彼我を区別しない見方をとるのである。そのために、彼らは世界から自己自身を区別することなど思いつきもせずに、世界のひとつひとつの表象に世界全体を包括して認識するのである。いってみれば、これは「宇宙形態論的」とでもいうべき見方である。

 これは同時に、自己幻想が共同幻想から分離されていないことを意味している。

 ここまでのところでも、棚瀬が依拠した1884年、1900年の西洋人の報告にはない印象を受ける。ニューカレドニアでも、霊力思考は根強くあるのではないかということだ。

 「彼らは世界から自己を分化しておらず、したがって自分の身体に関して完全な表象をもっていない」。

メラネシアでは、ひとは眠っているあいだに遠い村で盗みをはたらいたという非難を甘んじて受け、身の潔白を証明するアリバイを持ちだしたりせずに罰に服する。というのも彼らは、睡眠中に分身という不思議なやり方で自分が何をしでかしたか知らないからなのである。

 しでかした分身というのは霊魂で、身の潔白を主張しないのは忘れてしまった夢だから、ということになるのだろうか。言い換えれば、夢は頭のなかの行動ということではなく、実際の行動として表象されている。

 愉しいエピソードがある。著者が畑仕事をしている生徒たちの様子を見に行った時のこと。

彼らは座り込んでいて、そのかたわらで二匹の牛が鋤の上に鼻面を乗せて寝そべっていた。
「歩きたがらないので、その気になるのを待っているんです」と少年たちは説明した。
 彼らは少しも悪びれずに、自分たちの意欲と、二匹の牛、つまり人物(カモ)としての牛の意欲がうまく揃わなければ、牛に鋤をつなぐことはできないと本気で思いこんでそう言っているのである。

 これが人間の動物化と動物の人間化の相互関係の世界だ。

こういう少年に物語を語らせてみると、話のなかにはカモ(生きている者-引用者注)が登場する。カモは飛び、泳ぎ、地下に姿を消したりする。しかしそのつどどれが鳥であり、魚であり、故人であるとわざわざ断ったりはしない。語り手は、さまざまのお話にしたがって主人公の人物がとる姿を追いかけていくが、その人物は目に見える相は変えてもカモとしての身分は変えない。ちょうどいろいろな衣裳を取り揃えてもっている舞台の登場人物のように、絶えず変装を変え、変身していくのである。

 この心性のうえに仮面の来訪神の儀礼も成り立つと言える。生者と死者も同時に存在している。

ニューカレドニアの水夫は、ずっと以前に姿を消し、とっくに死んでしまったと思っていた親族の者がニューヘブリデスの桟橋の上にいるのを船から見つけた。彼は混乱してしまった。っこれはお化けだろうか。するとその人は彼に気づいて笑いかけた。そこで水夫は舷側から身を乗り出し、ひどく動揺して問いかけた。
「お前はカモ(生きた人)か、それとも神か」
 現地の慣習では、死んだと噂されていた人が帰ってきて村でもとの生活の場に戻るという場合を想定している。そういう場合の対処の仕方があるのである。それは、帰ってきた者が家の近くに姿を現わしたとき、その人に樹皮で作った布を巻きつけるというものである。そうして彼は生命の線維に包まれてクランに再び統合され、自分の家に入るのである。

 これは、「現地人が自分の身近にいる存在の真正性に関して、概して確信をもっていないということを最も如実に示している」。

この不確実さのために、メラネシア人では人に対して非常に控え目な態度をとる習慣があり、それが航海者たちをしばしば驚かせ、また呆れさせもしたのである。

 クック船長に同行した博物学者はこう書いた。「彼らはわれわれが踏査行に出かけるのにめったについてこなかった。たとえわれわれが彼らの小屋のそばを通りかかって話しかけたとしても、彼らは答えなかった。しかしわれわれが彼らに言葉をかけずに道を急いでも、彼らはわれわれに関心を払わないのである」。

 著者は断りを入れている。

 これはニューカレドニアの人々が、横着であったとか無関心であったとかいうことではまったくない。そうではなくて、これは何もない地平線の向こうから来た人間たちの信じられない訪問を受けて、すべからく慎重に出方を待とうとする態度なのである。この連中は果たして本当の人間なのだろうか。ニューカレドニア島民は、彼らが真正の人間ではないことを疑わなかった。見かけは人間でも、彼らはその人々にカモという名を与えるのを拒んだのである。これは一世紀半も前のことである。ところが今日でも、たとえばヌメアの町の雑貨店に入っていくニューカレドニアの人々に何を買いに行くのかと現地語でたずねてみれば、彼はカラ・バオを買いにいく、つまり「神の皮」を買いにいくと答えるだろう。「神の皮」とは、クック船長の時代以来西洋式の衣服の名前として残っているのである。

 クック船長に対する島人の態度は身に覚えがあるというべきだ。島人の極度の人見しりがそれだ。吉本隆明は『心的現象論本論』のなかで書いている。

 わたしたちの日本でも同じ習慣と態度に出会う。日本人の気質であるかのようにみえる「ひと見しり」、そして外来者にたいする内気で卑屈ともみえる怖れの気分、またそうでなければ「まれびと」を外来神のように説話化する習俗などは『ド・カモ』に記されたメラネシア人の態度や思い込みとまったくそっくりだといっていい。

 そこで来訪神は、死者であるとともに、その全く同じ意味の延長で、遠方から神の言葉や新技術を携えてやってきた人々を同時に指すことになる。それにしても島人の、あの極度の人見しりの淵源には、見ず知らずの人が、生者なのか死者なのか分からないというところに至るのは新鮮な発見だ。

 死者あるいは神化された故人はバオと呼ばれる。

 「屍と神のあいだには少しも隔たりがなく、その両者の観念は重なり合ってる。バオはその全部なのである」。バオと呼ばれる生者のいる。「不可思議な力をもった人々とか見慣れない人々、そして老人たちである」。メラネシア人は、孫、息子、父、祖父の四つしか記憶しない。もし曾祖父が生きている場合、ひ孫は曾祖父(に該当する言葉)で呼ばずに兄弟と呼ぶ。これは、対幻想の基盤から時間として疎外されていることを意味するもので、現在の琉球弧ではカジマヤー以降が該当している(cf.52.「長寿葬」)。また、「不可思議な力をもった人々」は、琉球弧では制度化され、神女、祝女と呼ばれた。

 バオは現実の生活を越えている。だからバオのおかげで生は永続するものとして考えられるのである。生は、人間においてはポジティヴであり、バオにおいてはネガティヴである。そしてバオはそれら両方の生に関与している。

 故人は死者ではない。彼らは役目を離れた状態、配属を解かれた状態なのである。死体が解体していく移行期間のあいだ中、彼はこの役目を離れた故人の状態にとどまる。しかしこれは仮のもので、故人は次に新しい役目につく。森のなかの岩山や樹の幹はそのための彼の場所になる。死とはネガティヴな生の状態、「すなわち別の形の在り方(エグジスタンス)として現われるのである」。

 これは霊魂思考における生と死がつながっているということの意味だ。霊力思考においては、生と死は再生という形でひとつなぎになる。

 モーリス・レーナルトは、この意味から自殺の多さについても説明している。マリノフスキーの報告によってトロブリアンド諸島でも確認できることだ(cf.「『バロマ ― トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』」)。

 この死以降が生の別の存在形態であるという表象とは別にメラネシアでは、「神化された祖先」は冥界にいるという別の表象もある。著者はここに二つの文化を見ている。これは単純には、霊魂思考の初期と地下他界を持った以降の形態と考えられるが、どう考えられているのか。ここでのレーナルの議論は入り組んでいるので、整理して書いたおきたい。

 ニューカレドニアでは、頭蓋骨を保存するなどして祖先祭祀が目立って存在している。しかし、祖先祭祀が優勢であるというだけでは充分ではない。死体-神という観念のもとでは、生者と死者の空間は混在している。ピルという祭礼の最後は、ボリアの踊りが男女入り乱れて夜を徹して行われる。「われわは神々をまねてボリアを踊るのだ」と人々はいうが、これは「故人すなわち岩山にいる腐った脂肪の臭いのする存在たちとの別れのときを示している」。つまり、死者たちと踊っているということだ。

 これは山の祭祀に含まれると思うが、山の祭祀といっても、高山や巨峰ではない。「山の祭祀は、泉があり、耕地があり、雨風をしのぐところがあり、死者と生者がいる居住地を構成する一切のものを包括している」。これは祖先祭祀とは区別されなければならない。「祖先の祭祀は故人と生者の世界がもっとはっきりと区別されていることを必要とする。そのためには死体を特異なものとなし、それによって一気に人間と死者のあいだの距離を確立するする必要があるのである」。この距離が、地下の他界の冥界だ。

 レーナルトは、目下の関心事にとって重要なことを言っているとおもえる。頭蓋崇拝と地下他界はそのまま祖先崇拝になるわけではない。頭蓋崇拝を行う地下他界を持つ種族のうち、祖先崇拝まで至った種族がいるということだ。けれども、「山の祭祀」と「祖先祭祀」という対照軸は、その違いをよく浮き立たせている。それは死者との距離だ。「死体を特異なものとなし、それによって一気に人間と死者のあいだの距離を確立するする必要がある」とレーナルトは書くが、ここで「死体を特異なものとみなし」というのは頭蓋骨の保存のことを指すだろう。

 初期の霊魂思考では、生と死はつながっていた。ところが、死体を特異なものとみなして、人間と死者の距離を一気に確立したことで、祖先祭祀は起こっているとレーナルトは考えていると思える。ここで、レーナルトの文脈を離れるが、ぼくたちには「死体を特異」なものとしたというのが、穀母の殺害を契機にするのではないかとみなすとどうだろう。頭蓋崇拝や他に挙げている食人の例よりも、「死体の特異化」は、人間の殺害による食物への転生という契機こそふさわしいのではないだろうか。

 あるいはこうだ。後藤明は『南島の神話』のなかで、ハイヌウェレ神話以外に、マレー・インドネシア世界の一部からオセアニアにかけて、「男性の頭蓋骨や男根から作物が生じる話は際立っている」としている(cf.「原ハイヌウェレ型神話」)。すると、頭蓋崇拝にいうこの頭蓋骨そのものが、ハイヌウェレの殺害された女性身体と同じ意味を持つのではないか。そう考えれば、レーナルの例は、食人を除けば、頭蓋保存がそれを示すということができる。

 こうしてレーナルトはニューカレドニアに三つの文化層をみている。ひとつは地下他界。もうひとつは祖先祭祀。両者はレーナルによれば「死体の特異化」を必要とする。三つ目は、「空間は最小限まで縮小され、死体は特別扱いされず、人は山をも含めた居住地、すなわち死者が住み、樹々があり、泉があり、そして家々と家庭がある居住地に対して祈り、呼びかける。彼らは、自分のものであるこの世界に包まれて、不分明なままに生きている」。そこでは生命こそが同一性のリアリティである。

 たとえば、ヤムイモがそうだ。

子供の抱き上げ方を見て、女の心遣いのこまやかさを判断するのと同じように、ヤムイモを手に取る時のやり方を見て、その人物の品格や如才なさを判断するのである。(中略)  なぜならヤムイモは人間的なものだからである。それは祖先が拡散したような状態で溶け込んでいる土地のなかに生れてくるものだから、祖先の肉なのである。初物の祭りのときは、ヤムイモは人間を飾るように、特別の帽子と貝の装身具と呪術的な植物で飾られる。

 カナク人が植物に同一化する例はこの他にもある。「たとえば胎盤を埋めた穴に命の木を植えるという慣習が大変広く見られることが知られている。その木は男が生きているあいだは花をつけるが、彼が死ぬと木も枯れてしまう」。

 子供を生む女と作物を生む土地のあだいの構造的な同一性はおなじみだが、見直してみる必要がある。レーナルトが言うのはこういうことだ。

 畑の豊饒化の儀式ではクニというある種の葉を束にして畑に埋める。その束を準備するための場所はその地方に一か所しかない。それはとかげが結婚するためにその地方にやってきて住みついた場所である。その住所は聖なる岩場のなかにある。このとかげの住所の石に、木の葉の束をしばらくのあいだ接触させておく。こうして効力をつけてから束を耕地に持ってくる。

 実はとかげはトーテムであり、クニの樹の実もトーテムである。「畑においては、とかげは男を表象し葉は女を表象する。したがって男も、女と同様に植物の増殖においてすべきことがあるのである。

 穀物の生成に男女の役割が想定されているのは、「子供を生む女と作物を生む土地のあだいの構造的な同一性」を見出す思考から、女性が殺害されるハイヌウェレの神話のあとにくる思考だと思える。

 しかし驚いたのは、この段階で、メラネシア人には「生命の継承における男の本質的な役割を知らない」とされていることだ。穀物の成長に男女の役割が重視されるということは、当然、成功による妊娠という認識が基になっていると考えてきたが、そうではない可能性もあることになる。つまり、「生命の継承における男の本質的な役割を知らない」段階にあっても、農耕祭儀において男女神が設定される可能性があるということだ。

夫は生殖を行なう者ではなく、強化する者なのである。夫が行なう強化はとても重要なもので、現地人はそれを強調する。つまり彼らはその強化ということについて、ネオとよばれる聖なる場所が藪のなかにあってそこには子供の芽が生活しており、結婚した女は男に強化されることで、そういう場所を通りかかったときに子供の芽を受け取れる状態になるのだと推論するのである。

 この、「夫による強化」は、ニューギニアにおける精液原理とでもいうものを思い出させる。同じ思考の系列にあるものだとおもえる。夫は「擬娩」すら行なう。これは『未開家族の論理と心理』のなかで、マリノフスキーがトロブリアンドの例として紹介したものと同じだ。「男女は土地の豊饒性と自らとのあいだ、収穫物の実りと女の妊娠とのあいだに、新たな同一性を感じ取る」。

 もうひとつ驚いたのはニューカレドニアにもトーテミズムが存在することだ。これは棚瀬の報告にはなかった知見である。ただ、棚瀬の時点でも収集が不足していたように、著者にとっても、「メラネシアのトーテムはごく控えめな姿をとっている」と指摘されている。メラネシアはトーテムは解体過程にあるのだ。

 トーテムは物語のなかではまだ生きているが、すでに伝説上の怪物と化している。また、トーテムは神々と接触することでも解体する。

ところでこの神々というものに対応する表象は曖昧なので、それがトーテムの姿を借りて表現されるということが起こる。そういう地方では、神の名とトーテムの名と山の名が同じになっている。伝統が生きいきと保たれていて、祖先という新来のものに負けなかったという以外に、これは一体何を意味しているだろうか。

 ぼくたちはここで、トーテムの解体過程として、アマムのアマミキヨへの変身の仮説を思い出すが(cf.「人間ぬ始まいやアマンからどぅなてぃてゅんまぬい」)、メラネシアにおいてトーテミズムが解体過程にあることは、トロブリアンド等の例を除いて再生信仰がないことからも確認できる。

 オーストロ-メラネシア人のトーテミズムは、ピルの祭儀の多くの慣習ほどには重要ではなかったのではないかと疑ってみることもできる。しかし注意しなければならないのは、採集の時代に、女たちは食べられる植物の植わっている場所のそばに簡単な祭壇を祭っていたことである。その時代には棚状の耕地もなく祖先祭祀もなかった。それにトーテムを本質的なテーマとしてもつ伝承はもっとも古い伝承である。

 すると、レーナルトが挙げた文化層のうち、最古とみなしている生者と死者が混在している段階はどう捉えたらいいだろう。ぼくはそれを霊魂思考に当たるものと捉えた。しかしこの本の流れでは、レーナルトはトーテミズムの段階にそれを該当させていると思える。

 ただし、典型的なトーテミズムでは、死者は生者とともに踊るような身体的な形では捉えられず、いずれ人間として再生するものとして捉えられていた。そこでこれは、霊魂思考の強まりとともに再生信仰が崩れた後の形だとみなすことになる。だから、レーナルトの考えに添えば、ニューカレドニアには四つの文化層が認められるということだ。

 棚瀬の挙げていたペレプ諸島では、「死霊があの世で暮らすのは夜だけで、夜明けとともにこの世に帰り、墓に住み、日が暮れると海底のあの世に行く」という世界は、再生信仰が崩れた後に生れた、生と死がつながった世界へ死者の霊魂は昼間、戻っていたということだ。この例から分かるのは、地下他界での過ごし方のなかに、それまでの死者観が反映されることがあるということだ。

 一方、レーナルトのトーテミズムの指摘にはぼくにも内省をもたらす。ぼくはこれまで琉球弧では地下他界が痕跡のようにしか見出せないことから、霊魂思考優位の地下他界の種族がやってきた後に、霊力思考優位の台上葬種族がやってきて、海上他界へと変容したと考えてきた。が、これは逆なのではないだろうか。もちろん、歴史の段階としてはトーテミズムの方が古いのだが、琉球弧へやってきたのは地下他界の先だったと見なしてきた。しかし、地下他界がある、つまり原始農耕がおこなわれた後に、純然たる霊力思考優位の台上葬種族の到来を想定することは難しい。あるいは地下他界をもった種族のあとに、霊力思考と霊魂思考の混融した種族がやってきたことも想定できるが、それでは、地下他界と海上他界は別の名称になるはずだが、琉球弧の場合、ニライ系の言葉で共通している。それなら、台上葬種族のあとに地下他界の種族がやってきて両者の混融から海上他界が生まれたとするほうは妥当ではないか。


 『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』は、マリノフスキーの『未開家族の論理と心理』とともに、古代琉球弧の具体像に大きな示唆を投げかけてくれている。

 ちなみに書名の「ド・カモ」とは、「本当に人間らしいもの」という意味だ。「本当の人間」がニューカレドニアにはいるという意味ではなく、人間という枠を越えて生者との同一性を見る言葉としてあるものだ。 


『ド・カモ―メラネシア世界の人格と神話』


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