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2015/01/10

ワーフガミ(豚拝み)

 沖永良部島で、重病人の平癒祈願のために豚の供犠のために唱える呪詞がある。ワーフガミ(豚拝み)だ。

 「今日という吉日にユヌカニというユタがこの家と屋敷に頼まれてきました」と始まるワーフガミ(豚拝み)では、「照るお日様のお許しを受けて、この村の何某が病気して、村の物知りに占いさせたら、厄強くて、魂が迷っているとのことで、何某の身代り、身代りの供物を受け取ってください」として、こう続く。

今日なら今日、今なら今、髪の毛を抜いて、抜け替るように、この島の同年の者と膚を代えて下さい。

 この呪詞中、もっとも恐ろしいのはこのくだりだと思う。病人の治癒がその人物のみを対象とするのではなく、島の同年の者との代替が言われているのだ。ということは、豚の供犠は、病人のための犠牲ではなく、島の同年の者と病を代替するための犠牲なのである。この間接化は、すでに豚の供犠はそのままでは病人の霊魂の戻しを獲得できないという呪力の後退が意識された結果なのかもしれない。

 けれどそれより恐ろしいのはなぜ、島の同年の者が代替とされなければならないのかということだ。喜界島の同様の供犠では牛が対象になり、病人は助かるが家に来ていた同年の者がグショ(後生)の使いの者に引き取られていったということが語られる。そのため、喜界島では、同じ集落の同年齢の者は葬儀に参加しないとうのだ。

 ここで、島の生産力は一人の病からの帰還を補う力がなく、それは誰かと代替されなければならないという地上の経済が考えられているというのでは的を外す気がする。これは、人は誰かの生まれ変わりであるという再生の思考が関与して、死に変わりとも言うべき思考を呼び寄せているのではないだろうか。

 呪詞は続いて、豚の供犠の由来について触れている。「トームルク島のヘーフクジ、バシャフクジは、俵にお金をいれたてためていた人であった」。

 飢餓の世になった時、貧乏人たちがヘーフクジ、バシャフクジに物乞いをするが、相手にしない。そこで、「天に照るお日様」が、「心と性の悪者」にして豚に変えてしまう。それが豚の供犠の由来だとユタは唱える。

 ほんとうに恐ろしいのはこのくだりなのかもしれない。ここには、おそらく架空の島を舞台にした物語で、動物(豚)の供犠がもともとは人間であることが示されているからだ。ここでは、実際に人が供犠の対象になった時代があるかどうかが重要なのではなく、呪詞のなかで、豚が本当は人間であることをはっきり示されていることが重要なのだと思える。
 

『奄美説話の研究』

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