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2015/01/14

脱魂と憑霊

 脱魂と憑霊について、もう少し考えてみる。「霊魂」とは、モノに宿り、時にモノを離れ移動することができる。「霊力」とは、モノに充満するエネルギー量で、そのモノから離れない。霊魂が身体を離れると病気や死につながると考えるのは霊魂思考だし、食人は霊力思考の直接的なあり方だ。「憑霊」というのは、移動する「霊魂」と移入する「霊力」という思考が混ざり合ったところで生まれる。だから、「憑霊」は「脱魂」より段階的には後なのだ。

 「脱魂」の技術の修行が過酷なのは、対象への移入という思考が過小な場所で、それをやってのけなければならないところから来ており、それゆえ「脱魂」は一時的な意識の喪失を伴う。かつ、「脱魂」においては乗り移るという観念はないから、神や精霊との交渉という観念になり、それゆえ共同幻想を統御するという力を意味している。

 「憑霊」は、霊魂を移動させ、対象に移入するという技術だ。それはトランスの状態について、神や精霊やトーテムへ意識を移入させ、幻覚を生み出すことで成就される。乗り移りが可能と考えられているから、「脱魂」ほどには修行を必要としていない。また、交渉という概念は弱まるから、共同幻想を統御する力は「脱魂」より劣るはずだ。むしろ、共同幻想が持つ地上の共同利害を語ることが本領になる。

 おそらく、「脱魂」とは他界が生み出されていない段階でのシャーマニズムであり、「憑霊」とは他界が少なくとも時間性としては疎外された段階でのシャーマニズムだ。他界は、地上の共同幻想の彼岸に、もうひとつの共同幻想として疎外される。そこで、地上の共同幻想は、自らを他界に反映させる。他界が現世と似ているとされるのはそのためだ。

◇◆◇

 霊魂 宿る動体
 霊力 満ちる静体

 両者が合わさると、霊は移入できる動体になる

 脱魂 自己喪失を代償に共同幻想を再構成する技術
 憑霊 共同幻想に乗り移る技術

 脱魂 自己幻想、共同幻想、対幻想は分化
 憑霊 自己幻想、共同幻想、対幻想は分離

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