『ユタ神誕生』
琉球弧では、女が突如出奔して行方しれずになったという話が多い。それが巫病のしるしであることも。東北でオシラサマを抱き出奔した女性は、そのまま流浪の旅に出ることがある。琉球弧でもそれは変わらないが、御嶽を巡ったり洞窟に辿りついたりする。しかし、異なるのは、琉球弧の場合、ユタやカンカカリヤァとして定着したままであることだ。これは、島嶼という地勢的な条件や、兄弟姉妹が共同体の統治にかかわるという居場所を持っていたことに依るとおもえる。
また、ユタの成巫に先立つ出奔と成巫以後の憑依は、解離における遁走と同一性障害を反復している。
風が悪霊を表現することがある。また、口笛が風を起こすという呪術もある。
酒井氏はまた、糸満の漁師の刳舟に便乗した時、風がないので帆船がなかなか進まなかった時、漁師が口笛を吹いて風を呼んだことを述べます。また口笛を吹けば風がくるから、普段はけっして口笛は吹かないこと、吹けば風が起こって海が時化ることを指摘します。糸満の漁師は口笛によって風を呼ぶことができるのが風のコントロールはできず、無暗に風を呼ぶと時化によって漁師の命まで危なくなることを、この事例は物語っています。(福寛美『ユタ神誕生』)。
言葉だけでなく、口笛も呪力を持つ。「気息」に霊力を認めた霊力思考のものだ。また、風が悪霊を指すというのも、霊力思考のものだが、これは同時に、風を仲立ちにして孕むという神話記述とは意味が反転している。ユタのオモイマツガネの呪詞に言う、日光感精も、同類型のものだ。
また、島と自らの身体を重ね合わせる、という観念を持つシャーマンもいます。
植物、動物や風などの自然現象だけでなく、シマ(島)自体も身体化の対象になる。自然のなかに生きるとはそういうことだ。
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