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2015/01/08

「女の作った御馳走」

 ぼくはこれまで、琉球弧におけるハイヌウェレ型神話について、喜界島阿伝の煙草の期限の民譚しか知らなかったが、山下欣一の『奄美説話の研究』(1979年)には穀物のそれが紹介されている。

女の作った御馳走

 「旅をしている若い侍がいた。旅をしているうちにいつのまにか夜になった。侍は泊る所を探すと、すぐ側に宿があり、年とった女の人がいた。侍が夕食をたのむと、その女の人は、暫く待って下さいといって、戸を全部しめてしまった。そしれこの戸をあけないで下さいとたのんで外へ出て行ってしまった。女が帰るのが遅いので不思議に思って侍がのぞいてみると、女は盛んに歯のくそ、目のくそ、目やり、鼻くそ、耳のくそなどを入れて御馳走を作っていた。侍はまったく驚いた。暫くして女が持ってきたのは、そんなものを入れたものと思われないほど立派なものだった。侍はしゃくにさわって女を殺してしまった。また不思議、女の口から米、鼻から麦、目から野菜、耳からは芋がすくすく生えたという」(田畑英勝『奄美大島昔話集』名瀬市浦上)

 これが後代に民譚として流入したものではないと仮定すると、民譚の要素は現在的なものに置き換えられることがありうることを示している。「侍」という登場人物がそうであり、また化成する穀物も稲作以降のものになっており、「野菜」という大括りなものになっている点でも、そう感じさせる。喜界島阿伝で化成するのも思い草(煙草)だった。琉球弧に煙草が伝来したのは17世紀前後と考えられているから、これも置換がなされていると思う。

 また、「歯のくそ、目のくそ、目やり、鼻くそ、耳のくそ」を入れて料理をしているのであって、「くそ」がそのまま価値のあるものになっていない点もこの民譚がハイヌウェレ型から逸脱した経緯を思わせる。ただ、身体からの分泌物や排泄物が価値あるものになるという視線には、霊力思考の投影を見ることができる。

 高橋一郎は「奄美・神の行方」(『奄美学―その地平と彼方』)のなかで、この民譚の採取された浦上が「噛みミキ」という「古来の製法を守る」所だと指摘して、浦上にハイヌウェレ型の民譚が存在する理由に迫っている。

 浦上に穀物女神を語る死体化成化伝承が存在しえたのは、宇賀弁天が祀られ、天女が酒を醸すように古法の噛みミキを造るシマだったからこそである。つまりこうした伝承が伝播され人びとが受容していくことを可能にする土壌があったと言っていい。

 ミキはもともと神酒で、口噛みした米を発酵させて造り、祝女による噛みミキは万病に効くとされた。ここにいう「古法」とはそのことを指している。高橋は、浦上のハイヌウェレ型民譚を「伝承され伝播された」新しいものと捉えているように思えるが、その当否はともかく、受容される土壌があったのは確かだ。あるいは、この民譚が存続する土壌があったと言ってもいい。たしかに噛みミキには、霊力思考とともに、ハイヌウェレ型民譚の祖形の要素、つまり、身体の分泌物、排泄物が価値あるものになるという同型の思考が潜んでいる。

 ところで、イェンゼンは『殺された女神』のなかで、ハイヌウェレ型の神話を持つ地域について、高神の不在を指摘している。

 天界やオリュンポス山上やまたは、他の他界領域に現に存在し、賞罰を加えることによって人間の生活に干渉し、その運命を支配し、そして人間が祈祷と供犠を通じて結びつくことのできる神」は多くの社会に存在していない。ここでは実際にこのような神観念は存在しない。それにもかかわらず、神的性格を帰せねばならないような神話上の人物が充分存在しているのだ。それは、神話的原古における偉大な人物であり、奇跡的存在であり、ある時は動物として、ある時は人間として理解されており、かつこの文化の人々にとって、重要なものを全てもたらし、現存する世界の秩序を基礎づけたものである。その創造行為は、確かにわれわれが熟知している高神(ホッホゴッド)のそれとは全く異なった種類のものである。つまり彼ら自身が生活に重要なもの、なかんずく植物に変身するのだ。(cf.「イェンゼンの「殺された女神」」

 女性が穀物として再生されると考えられた時には高神は存在していなかった。女性の殺害を祭儀として行っていたマリンド・アニム族は、死後、頭蓋を赤く塗るが、再び埋めて頭蓋崇拝は行わない。ここでは、霊魂思考より霊力思考が強いのだ。けれど、来訪神の原型となる死者、神話的存在としての仮面はすでに成人儀礼のなかで誕生していた(cf.「ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀」)。

 東南オーストラリア、シベリアなどでは、単純埋葬のもとで、高神の観念を生んでいた。南太平洋において、初期の農耕で、霊力思考が混入したところでは、来訪神の観念を生む。

 ところで琉球弧では、高神、来訪神ともに、初期の段階で生まれていると考えられる。霊魂思考も霊力思考も、その混融思考もともにあったということが、女性の殺害の段階をすみやかに通り抜けさせ、ハイヌウェレ型神話の残存を希薄にしたのだろうか。

 少なくとも、自己幻想をシマの共同幻想と同一視する根神、祝女の出現は、ハイヌウェレ型神話の時期を終わらせた契機になったのに違いない。


『奄美説話の研究』

奄美学―その地平と彼方


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