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2015/01/06

エリアーデの『シャーマニズム』 2

 アメリカ先住民なら誰でも幻覚を見たり、守護霊を得ることができるが、「精霊との関係によって超自然的な世界に深く入り込めるのはシャーマンだけである」。シャーマンの主要な機能は、病気の治癒が主だが、狩猟や天候を左右することができるという点において、「社会統合的機能」を持つ。

 北米では、「ほかに宗教的儀礼がないから、シャーマニズムによる治療はとくに重要な儀礼なのである」。

 アチョマウィ族では、病因がほかのシャーマンの呪いの場合、治療者は長時間皮膚を吸ってから、呪物を取り出す。やはり、呪言(クチ)は、霊力思考によるものだとわかる。ただ、琉球弧の場合、対抗する呪言(クチ)によって呪いを解くから、ここには霊魂思考が関与しているように思える。

 南米のグァラニ族はシャーマンを尊崇するあまり、彼らの骨を礼拝の対象としているほどである。これは霊魂思考の産物で、祝女の骨を拝む琉球弧と同じだ。

 北米、エスキモー、シベリアにおいては、シャーマニズムが部族の宗教生活を支配しているが、オーストラリア、オセアニア、東南アジアにおいては、呪術宗教的生活を構成する一現象に過ぎない。これは高神の観念による霊魂思考においてシャーマニズムが「脱魂」(エクスタシー)の根拠をもったことの現れではないだろうか。

 マライでは、「精霊がシャーマンの上に降臨し、彼に「憑き」、参会者から発せられる質問に答える」。ポリネシアでは「預言者や司祭者、さらには単なる霊媒さえ、憑霊されている限りでは神の権化とされ、それ相応の扱いを受ける(p.122)」。こうした記述は、琉球弧との親近性を語るものだ。

 メラネシアではシャーマンが屍の傍で眠るという習慣も見られる。彼は眠っている間に死者に付き添って魂を他界へ導き、目を覚ますと旅での種々の事件を語って聞かせる(p.109)。

 ぼくたちはニューブリテン島のスルカ族では近親者が、ダントルカストー北部のメラネシア人では夫が死んだ場合は妻が、死者と添い寝をするのを知っているが、なるほど他界への同伴であれば、シャーマンの役割にふさわしい(cf.「埋葬思考と風葬思考の混融」)。

メラネシアでは古代の呪術的治療の存在と、厳密な意味でのシャーマン的伝統とイニシエーションとの欠落が見られる。シャーマンのイニシエーションの欠落は、イニシエーションに基礎づけられれている秘儀社会によって演じられる大きな役割のせいであろうか。その可能性はあると思う。たとえそれがどのような理由によろうとも、メラネシアの呪医の本質的機能は病気なおしと占いとに限定されている(p.113)。

 メラネシアでは、生と死が分離し、明確な他界が生み出されているため、「脱魂」が困難になっているためだと思う。また、高神の観念も生まれていないので、「脱魂」の根拠も生まれていない。そこで、「憑霊」が主流になる。だから、「秘儀社会によって演じられる大きな役割のせい」ではない。

 エリアーデは日本のシャーマニズムについても触れている。「日本のシャーマニズムは北方アジアやシベリアの厳密な意味でのシャーマニズムとはかなり異なっている。それはまず第一に、憑依技術であり、しかも女性によって行われる(p.258)」。「多くの日本の女巫は生来盲目である。今日では、彼女らのエクスタシーはひどく偽装されたものである」。

 これらはすでに共同幻想を対幻想の対象にした巫女の段階にあるものの観察だ。巫覡としてさかのぼれるとしても「憑霊」であり、「脱魂」までには届かないと思える。


 

『シャーマニズム 下』

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