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2014/12/16

「海神(ニライ神)の負荷」

 吉本隆明は、オシラ神に促された東北の婦女の出奔と琉球弧のオナリ神を位相同型として捉えようとした柳田國男について、次のように書いている。

 柳田が景観を枯れさせない源泉として感じたものには「山」の負荷とでもいうべきものがあった。「山」は源泉であるとともに負荷であり、圧迫するものだ。山人の負荷といってもいいし、山神の負荷といってもおなじだ。べつのいい方をすれば、鳥瞰または俯瞰する視線の負荷というべきものだった。(『柳田国男論・丸山真男論』

 琉球弧には、この「山の負荷」はない。山人と平地の農耕民の区別もない。あるとしたら「海の負荷」であり、海から到来する人々の負荷だ。

 (前略)オシラ神にうながされた東北辺の女婦たちの出奔と、流浪の神事と、芸事と(あるばあいには娼婦的な役割と)、の運搬は、山人の村落と農耕人の村落のあいだ、山の神と田の神のあいだ、山人と農耕人のあいだを横断する巡回や循環と、位相的に同型だった。巡回と循環は、山と平地のあいだの俯瞰と仰高の軸をもとに、遊行は南北に延びた列島の軸をもとに転換される。また西南の辺境に、純粋に伝えられてきたオナジ神に憑かれた婦女たちの神事や、芸事(あるばあいには娼婦的な役割と)と、まったくおなじものだった。御嶽の森の樹木や、岩山の石や洞穴に、ま上から降りてくる太陽(光)の神という西南端の神体と、オシラ神の桑の木のような棒状物や、杓子の神体とは、同型で等価だった。そこには地誌と景観と生活風土の差異がこしらえた相違があるだけだった。山神の負荷は、西南端のさまざまな島嶼では、海神(ニライ神)の負荷に転化され、山神と平地神とは未文化なまま融和していた。西南端のオナリ神が、家神(兄弟姉妹神)としての性格をたもちながら、なお制度としての神でありえたのは、そのためだったといってよい。

 ぼくたちはここに少しだけ陰影を加えらるかもしれない。

 山神の負荷は、山人の負荷であり、縄文の負荷であったとすれば、「海神(ニライ神)の負荷」とは、ある段階からは弥生人の負荷であり、弥生の負荷だった。そこで、オナリ神は、山神化することによって「海神(ニライ神)の負荷」あるいは弥生人の来訪を迎えたのである。もちろん、ここでいう山神とは比喩で、高神を意味している。

『柳田国男論・丸山真男論』


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