« 常在神とオボツ神の同一性と山中他界 | トップページ | J・クライナーの「滞在神」 »

2014/12/09

シヌグ踊り

 シヌグについて、たまたま符合する記述を見かけた。

琉球の大祭はシヌグと云ふがこれは全く農業祭である。此の祭儀には東の方から男が、西の方から女が出て田遊の神事を行ふが、此の折には正視し得られぬほどのきはどい事をする(伊波普猷氏談)。是等の土俗は改めて説明するまでもなく、農業と生殖との信仰を表現したものである(中山太郎「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」『生贄と人柱の民俗学』)。
 琉球王国の首府が所在した南部沖縄〔本島〕にも、シヌグ祭は普及していたようである。しかし、十八世紀初期における王国の干渉によって変容を蒙り、あるいは全く消滅した。政府当局は政治的な理由のた儒教を人民の間に拡げようとし、また、シヌグ祭の若干の面は儒教倫理の立場からわいせつだと見られたのであった。(馬淵東一「琉球世界観の再構成を目指して」『馬淵東一著作集〈第3巻〉』

 「正視し得られぬほどのきはどい事」を伊波普猷がどこかに記述してくれているか、知らないが、もしないとしたら、避けずに書いておいてほしかったと思う。ただ、「わいせつ」と見なされたことが何であるか察しをつけることはできる。

このシヌグとい う行事は起源が古いだけに、原始的な神部が多 く、中には女の裸踊 りとか,性行為につながるような神前舞踊等もあったとの事である.そのためか尚敬王の時代 (約200年前) にこの行事は禁止された事もあるという。(渡久地政一「沖組本部町字渡久地 に伝わる臼太鼓歌の記錬」)

 鍵は踊りだと見なすと、思いだされるのは谷川健一の文章だ。

 シニグという言葉は「しのくる」(踊る)というおもろ語と関係があるとされる。その踊りも「うちはれ」の祭のように奔放な踊りであって、十八世紀前半の女流歌人恩納なべにシヌグ遊びの禁止されたことを恨む琉歌があることから分かるように、それは男女の性的昂奮を爆発させるものであった。シヌグ祭の放埓な踊りの背景には旧の六月二十八日頃から寄ってくるスクの大群があった。それを待望して歓喜するのがシヌグであり、ウンジャミであったと私は考える。(『南島文学発生論』)。

 谷川はシヌグをシュク(スク)の寄りと結びつけるが、松山秀光は、シヌグのない徳之島において、シュク(スク)の寄りと稲の収穫祭の時期と場所の同一性から、「踊り」に言及している。

人々の喜びが爆発するのは旧六月中旬のカノエの日柄に執り行われる稔りの稲穂の刈取り始めの儀礼、シキュマの日だ。ワクサイからの解放感も手伝って、人々の喜びは最高潮に達したという。この日の前夜、人々は集落内の祭りの広場で夜を徹して踊り狂った。(『徳之島の民俗〈2〉』

 両者がともに、「踊り」について、「爆発」と表現しているのが印象的だ。こうなると、シヌグの語源についても、「踊る」に由来しているとする谷川の考えに惹かれるが、それではこの祭儀が来訪神ではなく踊りに焦点があてられることになり、名称としてふさわしくない気がする。

 ただ、「踊り」の深層については、もう少し考えてみることができる。トロブリアンド諸島のヤムイモの収穫祭、ミラマラは踊りの期間と言われる。この年次の祭りと踊りの期間は「性生活の際立った高揚を伴う」(マリノフスキー『バロマ―トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)。

 このとき、祖霊(バロマ)も他界から村落に来ているのだが、

ミラマラの期間中激しく行なわれる踊りや祭儀や性的放縦のような、何もかも夢中にしてしまい、心を奪うような事象と比較すれば、バロマが村に来ていることは原住民の心にさほど重要性をもつ事柄とはならない。

 とされている。トロブリアンド諸島では、人間は再生するので、祖霊崇拝はさほど儀礼化されていない。島人はむしろ、

 バロマを喜ばせるためには全員が悦楽や踊りや性的放縦で一つにならなければならない。

 と、祖霊への応対として「踊り」や「性的放縦」を捉える節もある。ミラマラは来訪神の祭儀ではないが、踊りや性的行為に焦点を当てれば、シヌグと似ていると思える。トロブリアンド諸島における「踊り」と「性的放縦」に、ヤムイモの豊作と性的行為を結びつける観念はない。彼らには、人間の性行為が子を生むという認識はないからだ。

 シヌグも稲作儀礼、五穀豊穣儀礼に留まらず、狩猟段階へ遡行する射程を持っており、その意味では、中山太郎が「農業と生殖との信仰を表現したものである」と見なすのは、起源像としては当たっていない。

 「踊り」は神や祖霊との一体化を意味するだろうし、若者にとっては毛遊びや歌垣のような共同婚の意味も持っただろう。

 するとここで、再び、シヌグは「踊り」を意味するという考えに惹かれることになる。特に、恩納なべによるシニグ禁止を嘆く琉歌に、「シヌグしち遊でぃ」とあるのを見るとなおさら。

よ姉べたや良かちシヌグしち遊でぃ わした世になりば御止さりてぃ




|

« 常在神とオボツ神の同一性と山中他界 | トップページ | J・クライナーの「滞在神」 »

コメント

喜山 さま

昨日はお目にかかれて光栄でございました。
ありがとうございました。

ところで、「メールをおくる」から開こうと試みているのですが、なぜか開くことができmせん。

恐縮ですが、よろしければアドレスを空メールしていただけますでしょうか。

今後共どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: mina | 2016/02/07 08:29

先のコメントは「メールを送信」から試みるのまちがいです。
すみません、よろしくお願いいたします。

投稿: mina | 2016/02/07 08:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シヌグ踊り:

« 常在神とオボツ神の同一性と山中他界 | トップページ | J・クライナーの「滞在神」 »