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2014/12/15

骨の信仰

 松山光秀は「祖霊信仰」(『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ』)のなかで次のように書いている。

 人が死んでもその屍を埋めたり、焼いたりせず、それを地上に安置して、そのまま風化させ、肉体の枯れるのを待って、残った骨を洗い清めて祀るという、いわゆる風葬の習俗が古くは南島一円(沖縄、奄美など)に分布していたことはよく知られている。これは人間の霊が骨、特に頭蓋骨に留まるという信仰に拠ったもので、骨を直接対象にして祀る、いわば一種の骨の信仰であるといえよう。

 葬法に「骨の信仰」を見出すのは、松山の民俗を見る目の確かさを教えるが、これは風葬という葬法由来のものではなく、埋葬思考の産物だ。それは、風葬のなかでも、頭蓋骨の信仰が行われたとすれば、霊力思考との混融により、風葬の形態を取りつつ、頭蓋崇拝を残した。つまり、埋められない埋葬として風葬を選択し、のちに頭蓋を取り出したことを意味している。風葬には本来のものの他に、別の思考に由来した風葬もあったのだ。

 ぼくたちはやっと、このことが認識できるところまでは来た。やっと。(cf.「琉球弧葬法の6類型」


『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ』


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