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2014/12/14

呪言の思考

 まず、ぼくたちは棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』にならって、呪術を、霊魂の捕獲という霊魂思考によるものと、物質の挿入とその除去という霊力思考によるもとに分けて考えることから出発しよう。

 柏常秋は、『沖永良部民俗誌』のなかで沖永良部島で行われた呪言(クチ)を分類し、解説している。

 1.呪言を飲食物に言い入れるもの、ふつうこれを単にクチという
 2.アマムすなわちヤドカリに言い入れて相手の屋敷に放つアマムグチ
 3.金尿を相手の石垣の穴に入れるハナヤマ(金山)グチ
 4.癩病者が天に祈るフジキ(乞食)グチ
 5.本妻と外妻との間におこなわれるイキロウ(生霊)

 それぞれの内容は次の通りだ。

 1.飲食物に入れるクチが病気の原因と分かったときは、直ちにユタを招いて、ハネグチ(撥口)の祈祷をさせて災厄を免れたが、撥ね返された災厄はクチを入れた当人にかぶさっていくものと信じられた。

 2.一匹のヤドカリを捕えてこれにクチを入れ、狙う相手の屋敷に放つと、十日、二十日たつうちに、気味悪いほど多くのヤドカリが集って来るので、明らかにクチの入れられたことが判るといわれていた。このヤドカリに触れる者は家人でも家畜でも病みつくわけである。そのときはユタを招いて祈祷して貰い、ヤドカリを一匹残らず拾い取って焼棄てねばならなかった。

 3.家畜がわずらう時、ユタにあかして貰うと、よく「金山が立って見える」といわれるものであったという。金山とは鍛冶屋の祀る金山様のことである。「鍛冶屋関係のクチを入れられている」という意である。そこでユタの指導の下、石垣のある箇所をくずして探すと、たいていは若干のカナクソが発見され、これを取去ると、家畜のわずらいものおのずから平癒するものといわれていた。

 4.フジキグチのフジキは乞食のことであるが、じっさいは癩者を指す。それは彼らが家ごとに物乞いをして歩いたからである。彼らは両手をすりながら天に向って呪言を念じ、その結果は先方の子どもに祟るといわれていたので、子をもつ親たちの恐怖は一方ではなかった。子どもの顔面や他の部分に、白癬状の斑紋の現れるのを、彼らの呪詛による癩の兆候と神事、取るもの取りあえず、酒肴を用意して呪者の家に至り、和解の盃を取り交わした。

 5.イキロウ(生霊)は沖永良部島ではまれに嫡妻が外妻に対しておこなうこともあったが、本来は外妻が着妻におこなう呪詛であったらしい。というのは沖永良部島では嫉妬をウワーナイ(後妻)というからである。しかしこの呪詛の結果は、嫡妻の子の死去するとき、外妻のある場合には、一般の人はその原因を例外なく、外妻の所業と考えていた。しかしその呪法は明らかでなく、またそうした事例の起ることもきわめてまれであった。

 たった四つの例だけでも、豊富な呪術の世界が蘇ってくるのに驚かされる。ここでの呪術は、飲食物に入れる、アマムに入れるという行為が示すように霊力思考の系列に属するものだ。ただし、ぼくたちが南太平洋の事例と比べて真っ先に感じるのは、「金尿を相手の石垣の穴に入れる」以外は、モノではなく、言葉が呪術行為の対象になることである。これは、言葉をあたかもモノのように実在的なものとして考えていたことを示している。クチとは言葉の霊力を意味すると考えることができるが、これは折口信夫が、「言語精霊が能動的に霊力を発揮することを言ふ」として言う言霊のことに他ならないことが分かる。

 また、呪言を発揮できるのが、アマム、外妻、鍛冶屋、癩者という禁忌の対象になっているのも分かる。禁忌とは怖れと憧れの両義性を持つ存在であり、呪言は共同体の外部からやってくる霊力だと捉えられている。

 アマムの繁殖力は、ぼくも海岸近くに住んでいたからよく分かる。アマムの呪言は、結果的にみれば、アマムの異常繁殖による生態系の乱れを防ぎ、癩者の呪言に対する恐怖や「和解の盃」は、これも結果的には相互扶助の行為になっている。それで言えば、鍛冶屋の呪言は鍛冶屋との対応関係が生れてこないから、鍛冶屋の外部性がよく現れている。

 生霊については、嫡妻の幼子な死んだ場合、外妻の仕業と見なされたというのは、言い換えれば、外妻の心情について島人が常日頃から察しをつけていることの表れだ。そして、生霊では、霊魂思考と霊力思考の混融を認めることができる。この例は、「源氏物語」の六条御息所を思い起こさずにはいられない。六条御息所が無意識であったことに、「その呪法は明らかで」ないことは対応しているように見える。

 もう少し考えてみると、言葉に霊力が存在すると考えるのは霊力思考だが、言葉自体が物体のように動くというのは霊魂思考の産物だ。だから、これらの呪言の思考も、霊力思考と霊魂思考の混融としてあると言うことができる。

 そしてここでも呪術師として活躍するのはユタだ。

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