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2014/12/18

宮古島における天上と地下の対置

 吉成直樹は『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』において、宮古島狩俣のコスモロジーを紹介している。

 村人たちは自分たちを取り巻く宇宙を、ティンヤ・ウイヤ(天上界)、ナカズマ(中島)、ニズヤ・カニヤ(地下界)という縦軸にそった三界に分類しており、ティンヤ・ウイヤは神々の世界-狩俣の創始神アサティダ(父神)、ンマティダ(母神)もこの世界から降臨した-、ナカズマは人間の暮らす宇宙の中心、ニズヤ・カニヤは悪霊や死霊の支配する汚れた暗黒の世界である。こうした、縦軸にそった空間の三分類とは別に、横軸、すなわち平面的な三分類もみられ、村落の周辺地域を、ニスマ(根島)、ミャーク(宮古)、パイヌスマ(南の島)に分類している。ニスマは集落の北側の聖森イズスヤマ、ミャークは村人の居住区域、パイヌスマは村落南側の墓地地帯と、それぞれ象徴的に同一視されている。そして、この縦の三分類と横の三分類は、相互に置換可能なものと意識されており、図式的に言えば、ティンヤ・ウイヤとニスマ、ナカズマとミャーク、ニズヤ・カニヤとパイヌスマは互換的である。

Miyakojima

 琉球弧のなかで天上界と地下界が対置されるのはとても特異なことではないだろうか。この対置ですぐに思いだすのは、南太平洋のなかではポリネシアにおいて顕著になることだ。

 事例1.エリス諸島のナヌメア。死者の霊魂は、「もしよければ」天にある明るく美しい水の国へ行くか、「もし悪ければ」泥と暗黒へ送られる。

 事例2.トンガ島東方海面のニウエ島。死者の行く国地下界のマウイと、さらにより好ましきところとして天にあるシナの国を挙げる。そこには夜はなく、永久に光と昼がある。

 事例3.マニヒキ島では、首長らは死後天に行き、電光、雷、雨を送る。一般人は東方にあるポファファに行く。ポファファは歌と音楽の国だが、食べ物はない。ある土地は死者の霊魂の出没するところで、そこは嫌な臭いがする。

 事例4.ハーヴェイ諸島のマンガイア。戦士の霊魂は、天国に行く。他は地下に行く。天国は幸福の国。戦死者の霊魂は不死で、地下の哀れな霊魂を見下す。

 事例5.マルケサス諸島。天と地下のハワイキ。上流階級の死霊は天に行き、一般人の死霊は地下のハワイキに行く。天は上位の神々、産褥死をとげた女、戦死した戦士、自殺者および特に貴族の死霊の住所。天は幸福な国。地下は、第二次的な神々と一般人が住む。この世よりはよい。

 事例6.ポーモツ諸島。世界は三層よりなり、おのおのそれぞれの空を持っている。上層は祝福された者の行くところであり、中層は生ける者の住所であり、下層は生存中に悪をなした者のさ迷うところだが、悪者の霊の多くは鳥の身体に隠れてその運命を逃れることができる。(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』

 宮古島狩俣とポリネシアは天上界と地下界の対置において似ている。ポリネシアにおける天地の対置について、棚瀬は書いている。

 われわれはポリネシアの他界観念において、しばしば、天上地下の対置を見た。そしてその際いずれの他界に行くかは主として死者の属する社会階級によって決定せられ、倫理的行為による決定が案外少ないのに驚いた。もう一つの著しい特色は地下必ずしも悪しからざる世界であり、現在よりもむしろよい世界であることが判った。一方、平民階級と首長階級には葬法にも区別のあることが判明した。
 このことはまさにポリネシアの封鎖的社会階級が、異文化を持つ異民族の接触混合によって成立せることを示すとともに、天上地下の対置もまた異文化の混合によって発生したことを物語るのである。地下界をより悪しき所となし、天上界をよりよき所とする観念、僅かに現れる倫理観の結合は、民族混合による対置の結果、後期において若干の発達を見せたとするのが最も合理的である。(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』

 宮古島においても天上を他界とする思考が混融したということだろう。酒井卯作は『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかで、宮古島にも見られる岩上葬について、「いうなれば岩上墓の成り立ちは身分制によるもので、英雄や神女などの聖職者は、なるべく高所にその葬地を設定しようとした名残りであろうか。彼らは俗的環境を離れたところで自からのすぐれた立場とその矜持を保つために、岩上葬という風習を踏襲してきたのかもしれない」と書いている(cf.4.「岩上葬」)。

 岩上葬は天上の他界と無関係であるとは思われない。ともあれ、宮古島は、琉球弧においても天上の他界が存在した例を示しているわけだ。

 しかし、この場合でも天上の他界は、天上界といったほうがよいオボツとの類似性を思わないわけにいかない。オボツにおいては、天地の対置の思考は見られない。むしろ、天と地の対置によって天も他界と見なされるということではないだろうか。

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