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2014/12/31

ポリネシアの他界と葬法

 つづいて、ポリネシア(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

 ポリネシアにおいては天上と地下の対置が顕著。資料にある限りでは、西方の地下の対置はマルケサス諸島のみ。天上と西方の対置はニウエ島のみ。これは天上界が明瞭に現れるところでは、対置されるのは地下であることを示唆するかもしれない。これを仮定すれば、琉球弧において海上他界が優位であることは、天上界が部分的で島人に普遍的ではなかったことを意味する。したがって、琉球弧の他界は、といえば海上と地下、より厳密にいえば、地下から延びた海上と一部山中と言えばいいのだと思う。

 天上と地下が対置される場合、社会階級によって天上か地下かの行き先が決められている。トンガでは、死霊の存在は貴族のみに認められ、平民の霊魂は滅び去って存続しないとされている(p.415)。琉球弧がそういう社会じゃなくてよかったよ。

 もともと地下の他界は闇として思考されているのではなく、この世よりよい所の考えられている。これが、天上と対置されても、同様の地下認識を持つ場合もあるが、天は光、地下は闇という非対称性が現れる。これは、この世での社会的利害の分離を反映するのではないだろうか。

 棚瀬は、ポリネシアにトーテミズムが痕跡としてしか現れていないと書いていて、「もしAがBを殺すと、Bの集団はAに復讐せねばならぬ」という思考をその例として挙げている。これは理由が分からない。

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2014/12/30

ニューギニアの他界と葬法

 次はニューギニア(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

 マリンド・アニム族は、埋葬だが頭蓋崇拝はないと言われ、複葬によって骨を赤く塗る。他界は地上の他界だ。ということは、相当に霊力思考が優位になっていると思える。

 祭儀の際の殺害は霊魂思考、食人や強姦は霊力思考によるものと見なすことができる。強姦し殺害した少女が、食物へと化身するのは霊魂思考と霊力思考の混融だ(cf.「ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀」)。マリンド・アリム族にはトーテミズムの報告もあり(p.368)、植物への転生信仰が少なくとも潜在的にはあっておかしくない。また、少女の殺害と神化は、ある意味で、首狩りの代替を意味するのではないだろうか。

 ニューギニアにおいては、埋葬するところでは、死者の財物、家屋、供物の破却が行われ、台上葬をするところでは、財物が禁忌とされ副葬される。棚瀬は、埋葬について、「死者のために供物を破却して、その霊魂を解放することに、根本的な意義があったのではあるまいか」としている。ぼくの考えでは、霊魂思考の優位なところでは、死者の所有物は他界の供をしなければならないから、霊魂化して他界へ参入させるために破却する。霊魂思考に霊力思考が混入したところでは、死者の所有物にも霊力を感じるから、関係の再編のために死者に持たせるのである。棚瀬は、供物にまで霊魂を認めることをニューギニアの特徴として挙げているが、霊力思考を大きく残していることを示している。

 ビナ族の霊魂は、ニロ・イオプ(内なる果実)とオボロがある。ニロ・イオプはふだんは胃にあるが、睡眠中や病気の時、外に出ると考えられ、長期の不在は病気の原因になる。肉体が死ねばニロ・イオプは太陽の沈む西方にある他界へ行く。オボロは人間のなかに住む悪霊で、2~3ヶ月間、付近をさまよう。オボロは他界へ行かず、長く叢林に住む。オボロを現す仮面舞踏が老人によって行われる。

 棚瀬は、ニロ・イオプが「内なる果実」を意味することから、これを生命霊とみなす一方、霊魂観は首尾一貫しないとしているが、ニロ・イオプはいわゆる霊魂であり、オボロは霊力であると捉えれば首尾は一貫している。ニロ・イオプの名称には霊力思考の関与があり、オボロがしばらく付近を彷徨うところには、霊魂思考の関与があると理解することができる。ビナ族のこの例は、仮面がやはり霊力思考の関与のもとに生まれることを示しているのではないでだろうか。

 トレス海峡西部諸島で、新しい死霊は怖れるが、古い死霊には、親しみの感を持つというのは、肉の霊魂と骨の霊魂の差異とみなせる。再生信仰は霊力思考の現れだから、霊魂思考が混融しても、再生信仰を持つところでは、霊魂観にも霊力的側面がみえる。トロブリアンド諸島で霊魂バロマが「気息」の意味を持つのもそれだ。転生信仰にも霊力思考が混融している。霊力思考優位のところでは、霊魂は「出入転移の自在な原理的な力(p.362)」として捉えられるが、カイ族でそれは、「温度のように、それに触れるものに伝わるとし、また分泌物にまで霊魂あり」と表出されている。食人も霊力思考の産物だが、モレリ、キコリ地方では、「自己の身体の弱点を補わんがために、犠牲の身体の特別の部分を選ぶ」とされていて、志向性が明確化されている。


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2014/12/29

メラネシアの他界と葬法

 続いて、メラネシアを見る(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

 他界に入るための条件の例。

 事例1.イサベル島人は、他界、ラウラウの島の頂には池があり、冥府の王がいて、入墨の有無を確認する。

 事例2.ソロモン諸島のフロリダでは、鼻隔壁の有無を確認される。

 事例3.サンクリストヴァル島では、耳朶の穿孔を核にインされる。

 事例4.ニューヘブリデス諸島オーロラ島では、耳朶穿孔と入墨を確認される。

 これらの例は、琉球弧におけるアマムの入墨と同じ理由だ。ここには、トーテミズムの何らかの障害が見られる。印によらなければ見分けがつかないということは、トーテムが充分には信じられなくなっていることの表れではないだろうか。

 フィジーのヴァヌアレヴ島では、祖父が孫に生まれ出る。これも、祖父母から童名をもらう琉球弧の習俗と同じだ。

 ソロモン諸島では、聖なる所に出現する蛇は、それ自体、聖なるものであり、死霊の化現である。聖なる所は墓であることが多い。中には祠、木像、石、貝が置いてある。ニューヘブリデス諸島でも、石の置いてある聖所に現れる動物は神聖視される。ただし、それは死霊ではなく、精霊である。

 さて、これは琉球弧の場合、死霊と見なされる場合も、精霊とみなされる場合もどちらもありうると思う。地下他界が濃厚な場合は精霊であり、海上他界が濃厚な場合は死霊である。

 ニューブリテン島のスルカ族では、一般には埋葬が行われるが、頓死者の場合は、台上葬が行われる。これは、埋葬習俗のところへ台上葬が入ってきたが、変死者の葬法にのみ採用されたと、棚瀬は考えている。これは、琉球弧葬法を考える上でも示唆的だ。

 葬法の元型を見る限り、埋葬にしても台上葬にしても骨の処理(改葬)を伴う。だから、琉球弧においても頭蓋のみか、全身の骨の処理を行うかの違いはあれ、改葬は広く行われていた。これが単純な埋葬へと変化する契機を考えてみる。ここでは、単純な埋葬文化がやってきてそうなったという前に、内在的な変化の理由として。

 考えられる変化の契機は、御嶽の発生である。頭蓋崇拝が行われているところに台上葬文化が入り、頭蓋崇拝が行えなくなったところでは首狩りが発生していた。頭蓋崇拝を部族外に求めることで共同儀礼化と代替を行ったのである。同様に、御嶽が発生するということは、頭蓋崇拝の共同儀礼化を意味する。そこでは崇拝するものが、家族のそれではなく、いわば神であることを強いられるから、御嶽の発生は、埋葬における頭蓋崇拝を消滅させるのである。

 琉球弧の葬法の遷移について表にしてみる。

Photo_2

 まず、初期型として、死体放置、単純埋葬、埋葬と改葬、台上葬と改葬が考えられる。ぼくは埋められない埋葬も想定するから、その場合と改葬も入れる。

 次に、埋葬文化と台上葬文化の混融形態を考えれば、埋めない埋葬として改葬が行われる。

 そして御嶽の発生を考えれば、ここでもともと埋葬文化のところでは、改葬は消滅する。これによって、改葬はもともと台上葬だったところのみになる。

 これが、琉球弧において、いわゆる洗骨と非洗骨が分かれて分布する理由になっているのではないだろうか。

 宮古島において、異常死のみ洗骨をするのは、ここでの霊魂思考の強度を表わし、沖縄島では逆に異常死のみ洗骨しないのは、霊力思考の強度を表わしている。 宮古島では神女は洗骨した例がある。この場合、第一次葬が埋葬だったか、台上葬だったかの記述がないので限定できないが、埋葬だった場合は、神女だからこそ頭蓋崇拝の思考を働かせ、台上葬だった場合は、天の他界の受容後を意味する。徳之島の農耕に適した東側が非洗骨地帯であるのは、頭蓋崇拝の御嶽への転化による改葬の消滅を示すものだと思える。

 家の中に埋葬する例について、棚瀬は子供への愛着からなせることかもしれないが、「死体保存葬(すなわち台上葬)との交錯から発生したという推定も可能なのではあるまいか(P.245)」としているが、これも示唆的だ。琉球弧において、かまどの下等の屋内に埋葬する習俗は散見され、子供などの場合は、再生への祈願が感じられる。この点、棚瀬の指摘通りだと思える。

 オーストラリアの埋葬に於いては、副葬が伴った。ところがメラネシアの埋葬では財物の滅却が伴う。これは、死者の他界での生活のために供するものであるとしたら、この二者の態度の違いは、天上界がこの世の延長線で考えられているのに対して、地下他界があの世として考えられていることの違いではないか。そう考えると、天上他界の存在は、疑わしいのではないかと思えてくる。


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2014/12/28

オーストラリアの他界と葬法

 オーストラリアの先住民たちの主に他界をめぐる習俗から琉球弧との接点を探っていく(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

・土で覆わない埋葬(埋めない埋葬)は、埋葬と台上葬の交錯の結果。この場合、埋葬には単純埋葬と複葬の伴う埋葬がある。

 事例1.女の死体が空溝に放置され、後に親族がその頭蓋を取る(オーストラリア、フィッツロイ河)。

 事例2.台上葬の後、頭蓋を取る(オーストラリア、ンカウンター湾部族)。

 事例3.台上葬の後、骨と頭蓋を取り、頭蓋を並べた洞窟がある(キンバーレイ諸族)。

 これらの例は、埋めない埋葬とは逆に、台上葬習俗が埋葬習俗を受容して生まれた葬法だと言える。与論島の風葬で、骨化した後、頭蓋を特に重視するのは、この態度に対応するのかもしれない。

 すると、琉球弧の葬法の図解は、また更新して下図のようになる(cf.「琉球弧葬法の三角形」)。

5_3

 1.単純埋葬
 2.死体放置
 3.埋葬(頭蓋)
 4.風葬(全身の骨の処理・頭蓋)
 5.埋めない埋葬
 6.埋められない埋葬

 風葬には、台上葬文化の全身の骨の処理を行う場合と、埋葬文化を受容した頭蓋の保存という二重性を持つ。また、ぼくがこれまで「埋められない埋葬」と呼んできたものは「埋めない埋葬」のなかに集約できるかもしれないが、珊瑚礁環境ゆえ、区別しておく。

・死汁を浴びる習俗のなかには、「強くなるために」死体の油を身体に塗る習俗がある(ワラロイ族、p.133)。

 これは霊力思考のなかでは初期のものだと言える。これが直接的になると、食人へ移行するだろう。死者の肉を、親族に分配し、心臓、肝臓等は、最近親が喰らう(ディントリー、モスマン河部族、p.134)のは、「近い親類のことを真肉親類(マツシシオヱカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(ブトブトーオヱカ)といふ」と書いた伊波普猷の言葉を思い出させる。

 東南オーストラリアの埋葬に特徴的なのは、死者のすべての道具や持ち物を埋める、副葬することだ。棚瀬はこれについて、死穢観念は未発達だが、穢れの観念を生んでいたと書いている。これは、そういうより、家を捨てる(野営地)を離れるのと同じ理由、死者との関係幻想の再編集の現れと見なすことができると思える。

 この関係幻想の遮断と再編に当たって、象徴的なのは「死者の名を呼ばぬ」という習俗だ。これは、樹上葬、台上葬の種族では、女性に課せられる「沈黙の掟」になる。これは、食人に対しても時に女性は御法度になるのと相似形をなしている。この、「死者の名を呼ばない」ことと「沈黙の掟」の間には、霊魂像の明瞭さの違いがあるのかもしれない。

 他界における天地の対置の場合、階級ではなく、右利きの者は天に、左利きの者は地下にとしている部族もある(ワケルブラ族、p.145)。


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2014/12/27

タイラー・スペンサー・ヴント

 もう1世紀以上前に発表されたものもあるけれど、『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』(棚瀬襄爾)に引用されている限りにおいて、他界観念に対する西洋人の探究を参照しておく。


タイラーの他界観念(『原始文化』(1871年)

・霊魂輪廻には、再生と転生がある。
・輪廻と来世の中間に身体的復新、復活がある。
・他界は、1.地上、2.西方、3.地下、4.日月、5.天

・地下、地上、天、に要約される。
・継続 来世は現世の反映
・応報 来世は現世の償い(継続の論理から応報の論理への発展。応報は文明の時代において発生)

・生命と幻の観念が結合して、霊魂(soul)の観念が発生。この霊魂が自然物や物に適用されて自然崇拝や霊物崇拝が発生。人間以外の霊魂が精霊(spirit)。精霊の段階から多神教の高い神々の段階。多神教の統一による一神教。

 霊魂が「生命と幻の観念」だというのは、論理的ではあるが、南太平洋の種族の複数霊魂観を見る限りでは、「生命」とは別に「霊魂」観念は生まれているように見える。


スペンサーの他界観念(『社会学原理第1巻』(1906年)

・来世は現世の延長
・生活全体が継承されるから、死者は家財や武器を必要とする。家畜も必要とするから動物供犠が行われる。伴侶や下僕が必要だから、人身供犠が行われる。来世と現世の交通も緊密。
・進化
 1.物質的から陰影的
 2.来世は現世と異なってくる。時に、生業が消える。
 3.社会秩序も変わる。
 4.来世の倫理が発達。敵対や報復の義務の消失。
 5.現世と来世の離反。野蛮人は毎日死者を慰め、死者は毎日生者を助け、また妨げるが、この関係が切断される。

・死者の住居は、死者の住んでいた住居と一致し、死霊は住居の周囲や墓をさまよう。死者の出た家を捨てる習俗も、死霊がその家にいると考えられたため。

 今のぼくの考えでは、死者が出た家を捨てるのにもいくつかの観念があったのだと思える。
 1.「死霊がその家にいる」からというより、死者の関係幻想が家に集約されているからである。死者が死者の住居と一致するのだ。死者の出現は、残された人たちとの関係幻想の再編を強いる。それは、家を捨てることによってしか、できなかった。
 2.死霊観念が生れた段階では、死霊への恐怖も加わる。
 3.死者の死後の生活のための家として

・定住洞穴居住民は、洞穴を死者の住居とみるが、ここから地下の他界の観念が生れる。
・遠方の他界観念は民族移動によるもの。
・二つ、二つ以上の他界観念は民族移動とともに征服が加わったもの。他界も、価値高きものと低きものになる。
・死者の住居が山頂だった場合に、天の他界が生れる。
・復活は、ただちに復活、のちに不確定、ついには万事の終末

 琉球弧に照らすと洞窟から地下の他界を思念するようになるのは、とても自然だと思う。


ヴントの他界観念(『民族心理学原理』(1913年)

・1.来世表象の最初の形態は、死者の霊魂がなお地上に残存して付近にいる。厳密な意味での他界ではないが、どこか決まった場所に霊魂が滞在する。精霊の村。
・2.つぎの形態は地下界
 1)埋葬
 2)死および死を待つものへの恐怖
 3)日没の知覚
 4)形像霊の性質(睡眠や夢の現象)から発生
・3.天。神の面前に住む。やがて、地下界と対置する。
・輪廻はトーテミズムと関係がある(アンカーマンは、再生とトーテミズムの結合が霊魂輪廻信仰を生んだと述べる)。

 「死者の霊魂がなお地上に残存して付近にいる」のを、初期の他界表象として抽出したのは正しいのだと思う。


 棚瀬襄爾が、『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』を出版したのは1966年だから、半世紀ほど前だ。その時点で参照すべきものは、上記だったとみなして先へ進む。

 

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2014/12/26

「象徴的効果」

 こんどもまた、ぼくたちの目下の関心事にかかわる。アメリカ先住民クナ族で、難産に直面した女性を快癒するシャーマンの話。

 難産は、胎児をつくるムウという霊が、任務を越えて女性の魂を掴まえることで引き起こされる。霊的原理はプルバとニガ。プルバは、身体を離れることができ、「分身」あるいは「霊魂」と訳されている。ニガは所有者から奪うことはできず、「生命力」、「抵抗力」と訳されている。植物や石はプルバをもっているが、ニガを持っていない。人間と動物のみがニガを持っている。ニガは年齢につれて成長する。

 ここまでのところで、ぼくたちが「霊魂」と呼ぶものがプルバに対応し、「霊力」と呼ぶものがニガに対応しているのが分かる。クナ族では、霊魂は、無機物から人間まで持っているが、霊力は人間と動物だけが持つとされる。つまり、自分の意思で動くものに霊力を認めているわけだ。このことは、霊魂と霊力という二分は、人類に(少なくとも南太平洋においては)普遍的だが、その付与のされ方はさまざまでありうることを示唆している。クマ族は、無機物、植物と動物、人間との区別を基礎においた文化体系を持つのではないだろうか。

 琉球弧の場合、「霊魂」はマブイだが、「霊力」はセジでいいのかどうか、今のところ確信が持てない。両者をくるめてマブイと総称してしまっている気もする。クマ族において、ニガは成長しうるとしているのはマブイと同じだ。つまり、マブイには「霊力」的側面の意味も持っている。

 マブイは、「守り」を連想させるように、人間以外のものには適用しにくい言葉だ。だから、人間の霊魂のみを重視するところまで進んできてしまったと思える。あるいは、シィは人間以外のそれを表わすかもしれないが、人間と他の存在との霊魂を区別すること自体、マブイの新しさを示すようにも思える。たとえば、シィが元にあり、人間の霊魂を優位とみなした段階で、マブイという言葉が生れた、というように。

 レヴィ・ストロースは、シャーマンの治療について、たがいに排除する関係にない三つのタイプに分けている。

1.患者の器官または四肢が、手をふれるとか口で吸うとかして物理的取り扱いの対象とされる。その目的は病気の原因、一般には刺、水晶、羽などを抜き取ることであり、それを適時出して見せる。

2.治療がまず小屋のなかで、ついで戸外で交えられる悪霊との模擬戦を中心とする。

3.司祭者が呪文を唱え、作業を命ずる。これはなおさねばならぬ障害と直接、どう関わるかわからない。

 ぼくたちの関心事に則せば、これは、1が霊力思考によるもの、2は霊魂思考に霊力思考が関与したもの。3は、はっきりしないが、霊魂思考と霊力思考が混融したものだと思える。琉球弧では、2が中心であり、クチは3に該当するのかもしれない。

 難産の治療は、シャーマンが長い呪いを唱えることによってなされる。呪文の中身は、プルバの捜索をし、障害物を破壊し猛獣を征服し、ムウと大勝負をし、プルバを発見する過程だが、これは膣内に入り子宮に到達するまでの暗喩になっている。

歌謡は病める器官に対して施される心理的触診であり、治癒はこの触診によって達せられる。

 空想的怪物や猛獣たちが登場するのも、それである。

それらは「産気づいた女の痛みを増す動物たち」、すなわち擬人化された苦痛そのものである。

 レヴィ・ストロースは、シャーマンと精神分析医の相似性を繰り返し指摘している。

神経症に冒された患者は、現実の精神分析と相対して、個人的神話を清算する。原住民の産婦は、神話的に転移されたシャーマンと同一化することによって、まぎれもない器官障害を克服する。
精神分裂症の治療においては、医師が作業をおこない、患者がその神話をつくり出す。シャーマニズムの治療においては、医師が神話を提供し、患者は作業をなしとげるのである。
精神分析というこの、シャーマン述の現代的形式は、したがって、機械文明の中では、神話的時間の場所が人間自身の内にしかないという事実から、その特殊な諸性格を得ている。

 これらは、第零次の原理と第三次の原理が相似しているというぼくたちの考えにも示唆を与えてくれる。もう少しいえば、古代人は、自然への作用に対する、人間への反作用も、神話のなかに位置づけてきたが、現代人は、自然への作用には夢中でも、人間への反作用を神話のなかに位置づけてこなかった。だからそれは公害として表出されざるをえなかった、と言うことができる。


『構造人類学』


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2014/12/25

「呪術師とその呪術」

 レヴィ・ストロースによれば、呪術の効果は呪術の信仰を前提とする。この信仰は、呪術師自身の自分の能力に対する信仰、患者が呪術師の能力に関して抱く信仰、そして集団的世論の信頼と要求。同じことは、吉本隆明も『共同幻想論』で指摘している。自己幻想と共同幻想は未分離の状態でなければならないということだ。

 レヴィ・ストロースの挙げている例が、本の文脈とは別に関心をそそった。ニュー・メキシコのズニ族において、別の村落に属する二人の呪術師が対決をする場面が出てくる。

 一方の呪術師は、患者から病気の原因を取り出すが、それは「病気の魂」なので目に見えるものではなく、つかまえたと称するに留まる。もう一方の呪術師もやはり病因を取り出すが、それは血にまみれた小さな塊という物質になっている。

 対決の行方はともかく、ただいま追っている関心事からいえば、病因を物質として取り出すという治療は、オーストラリアの先住民に見られた霊力思考におけるものである。一方の、取り出すが物質ではなく「病気の霊」であるとするのは、霊魂思考が関与している。

 ここから見ると、ズニ族は、霊力思考と霊魂思考が混融した段階にあると見なすことができる。


『構造人類学』


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2014/12/24

再生・転生・トーテミズム・来訪神

 迷路にはまってしまいそうだが、ふんばってみる。

 再生信仰は、霊力思考の優位のもとで生まれる。人間は、死んでもほどなくして人間に生まれかわる。

 転生はどうか。

 棚瀬襄爾によれば、「動物への転生の信仰は、地上の他界の観念を有する島々において行われるのであって、地下界信仰を持つ民族には存在しない(p.199、(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』」と書いている。

 しかし、タミ族は、埋葬-地下他界の種族だが、転生信仰をもつ。これは棚瀬が言うように、「組織だったもの」ではないとして、霊力思考の影響は小さいとしても、存在はしている。タミ族では人間は「長い霊魂」と「短い霊魂」を持つ。長い霊魂は影と同一視されて、睡眠中、身体を離れて覚醒時に戻ってくる。短い霊魂は、死後のみ身体を離れ、しばらく死体の付近をさまよってから地下界に行く。病気は魔術によるという観念もある。この、短い霊魂と魔術は、霊力思考によるものと考えられるのだ。

 すると、霊魂思考に対して、トーテミズムがより関与したとき、転生信仰が生まれ、再生信仰がより関与したとき、来訪神が生れる、となるだろうか。

 タミ族においては、来訪神儀礼を持つが、転生信仰も弱いながらあるのは、両方の関与があったと見なすことになる。

 こういうことは言えるかもしれない。(霊力思考)>(霊魂思考)のところでは、再生信仰として現れ、(霊力思考)<(霊魂思考)のところでは、転生あるいは来訪神として現れる。琉球弧においても、母系の強まりとともに、(霊力思考)>(霊魂思考)となり、再生信仰が前面化した段階があった。

 琉球弧においては、再生信仰、トーテミズム、転生、来訪神のいずれも見ることができる。転生信仰が痕跡としてしか見出せないのは、トーテミズムの弱さを示すように見えるが、しかしアマム・トーテムは強かったのだから、断定できない。

 手元の資料による限りは、

 来訪神-トーテム(イアトムル族、バンクス諸島)
 来訪神-転生(タミ族、マリンド・アニム族は転生信仰はないが、植物への化身信仰はある)
 再生-トーテム(トロブリアンド諸島)
 転生-トーテム(ファテ島)
 再生-転生(ダヤク族)

Photo

 この表が得られる。

 再生信仰は、トーテミズムや転生信仰と共存しうる。トーテミズムは、再生・転生信仰と来訪神と共存しうる。ところが、再生信仰と来訪神は共存する例が見出せない。再生信仰のあるところに来訪神はなく、来訪神のあるところに再生信仰はない。すると、霊魂思考のなかでの再生信仰の変態が来訪神、と言えるだろうか。

 あるいは、再生信仰と来訪神を共存させたのが琉球弧の特異さと言えるのだろうか。再生に対する信仰の強度が霊魂思考のなかでも来訪神を出現させる推進力になった、と。


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2014/12/23

仮面儀礼と他界観念

 もうほとんど顧みられることのない学説だと思うが、棚瀬襄爾の『文化人類学』を頼りにシュミットの原文化以降の三文化圏を参照する。霊魂思考と霊力思考の系譜を確かめたいからだ。

1.農耕文化

・女性が主導力となって農耕社会をつくる。母権制。男性は秘密結社をつくる。
・地母神。死者祭祀、霊魂信仰。月の崇拝。アニミズムは初期農耕文化。頭蓋崇拝。地下他界。

2.牧畜文化

・父権社会。大家族。
・軍事的にもすぐれ、国家形成力を内含する。
・天神崇拝。英雄崇拝。天の階層。

3.トーテミズム文化

・父権制。狩猟。トーテミズム(一定の地域的限定)。
・男性に対する厳重な成人儀礼。
・太陽神。呪術。台上葬、樹上葬。

 現実主義的なこの文化では一般にあの世という観念は未発達で再生観念が強く、やがてトテミズム表象と結合して転生の観念を生じていると私は見ている。

 (農耕文化)×(牧畜文化)

・母系制の維持。弓の発達。
・地母神の崇拝、月の崇拝、アニミズムの発達。
・首狩り

 (農耕文化)×(トーテミズム文化)

・月と太陽の崇拝。トーテミズム的増殖儀礼をまじえた農耕儀礼。動物仮面の登場。

筆者はかつて呪術と区別された魔術は、霊魂に対して呪術的方法を用うるものであるから、農耕文化とトテミズム文化の混合において生まれるものであるとする臆説や、西方の他界はこの文化圏のものであるとする見解を発表したことがある。

 (牧畜文化)×(トーテミズム文化)

・父系制。首長権と社会の階級化。
・マナ、社会的タブー

 いささか図式的に過ぎるところはあるけれど、おおざっぱな見通しとしては有効性を失っていないのではないだろうか。これでいえば、古代琉球弧は、(農耕文化)×(トーテミズム文化)になるが、ここで「動物仮面の登場」としているのはなぜだろうか。

 そこで、手元の資料で分かる範囲で仮面習俗と他界の関係を抽出してみる。

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 驚くことに、純然たる地下他界と仮面を結びつけることができない。

 バイニング族に象徴されるように、仮面自体は他界が発生する以前から出現している。ぼくの考えでは、霊魂の衣裳が身体であるという観念まで来たとき、仮面は出現の根拠を持つはずだ。その際は精霊への変身そのものを意味すると思える。

 ニューブリテン島のドゥクドゥクを行うトーライ族は、埋葬そして地下なのだが、死因に魔術があり、死後、動物のなかに入りうるとして、霊力思考の関与が入っている。バンクス諸島も、地下に行くまでの経路で地上を辿る。タミ族も埋葬にして地下だが、転生信仰があり、霊力思考の影響が見られる。

 セピック河流域のイアトムル族などは、資料がないが、別のクオマ族は、地上の他界か、他界観念が希薄(「各氏族は、その周囲のどこかに祖先霊の住所を認めている(p.297)」を参照すると、同様に地上である可能性を持つ。

 すると確かに、棚瀬の見立て通りなのかもしれない。ぼくはこれまで、地下他界と仮面を第一義的なものとし、海上他界になっても、出現の根拠を失わなかったと考えてきた。しかし、それは修正しなくてはならず、地下他界を持っていたが、霊力思考の影響を既に受けていたとみなさなくてはならない。

 ただ、来訪神の根拠としてはこの方が考えやすい。霊魂思考において「骨の霊魂」、特に頭蓋を根拠にして高神は生まれる。これに対して、「肉の霊魂」はしばらく死者の周辺をさまよう不安定な時期を経て、他界へ行くとしてきたが、一時的にせよそれが帰来するという運動性と肉体を持つ根拠が分からなかったが、ここに霊力思考を関与させると、再生、転生信仰の別の形態としての一時的な帰来と、霊力による肉体の獲得という根拠を持てることになる。こうした条件が、仮面の習俗を普遍的にしない理由なのかもしれない。

 もうひとつ言えそうなのは、仮面の来訪神は再生信仰とは共存しないが、転生思考とは共存することだ。タミ族がそれを現わしている。ただ、琉球弧ではその両方が出現している。これは地域的な、時代的な濃淡として仮定的に考える。

 


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2014/12/22

霊力思考とトーテミズム

 霊魂思考においては、人間の持つ霊魂の他に、精霊の存在を認めている。そして、霊魂の運動、死後の道行きや居来が語られる。一方、霊力思考においては、流動的な霊魂の変態が重視される。人間は動植物への変態をなす存在だ。だから、それはまだ霊魂と呼ぶのも相応しくないだろう。そこで、トーテミズムが生まれ、人間への再生信仰も生まれる。

 霊魂思考と霊力思考が合わさったところでは、人の他の動植物への転生信仰も生まれる。霊力思考のなかで、再生信仰はあっても転生信仰の例が見出せないのは不思議だが、霊力思考のすべての種族が再生信仰を生むわけではなく、すでに人間と他の存在との区別がなされたところで再生信仰は生まれたのだと思う。

 南部メラネシアでトーテミズムが明瞭に見られるのはファテ島で、植物をトーテムとしている。ファテ島は、埋葬を行うが、地下ないし海下、西方という報告に分かれていて、霊力思考も関与していると考えられる。

 バンクス諸島のタマテ結社はトーテム集団から発生している。彼らは埋葬を行い、地下の他界を持つが、「死霊は常に西方の日没の方向に行くとされ、西へ西へと村送りされ、ついに落日に面する海岸で海中に入り、あの世へ行くとされている(p.174)」から、霊力思考の関与が認められる。

 フィジィ諸島にもトーテミズムはある。フィジィも埋葬を行うが、他界は他の島の山中にあるとされるから、ここにも霊力思考の関与が考えられる。

 バンクス諸島やニューヘブリデス諸島では、鮫、蛇、かわせみ、梟、蟹、とかげ、鰻などは精霊の住む動物と見なされる。これらは霊魂思考からみれば精霊と見なされ、霊力思考からはトーテムともみなされる二重性を持つと思える。

 トロブリアンド諸島の他界は地下だが、ツマ島の地下という地上も観念されている。他界にいる神は初めて地上に人間を送った神でありトーテムを送った神であるように、トーテムを持つ。

 セピック河流域のノアパプアは浅い埋葬を行い、人間の霊魂がトーテムの霊魂に取られると死ぬとしている。死者の霊魂は、出自の地、トーテム・センターで生活すると考えられ、帰来するとも考えられている。死後、七週間して墓から下顎などを取り、「家の仮面置場にしまう(p.332)」とあるから、ここにも仮面習俗が存在している。

 霊力思考の産物であるトーテミズムは、霊魂思考との混融後も、生き生きとしているということはできそうだ。

 棚瀬は、「トテミズム文化で宗教的に太陽に対する関心が強まり、日神崇拝が行われる(p.370)」と書いている。琉球弧の若太陽信仰に通じるものだろうか、気になる(棚瀬襄爾(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。


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2014/12/21

天上と地下の対置

 天上と地下が対置されるのは何を意味するのか。棚瀬襄爾は考察している(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

 南太平洋において、天上と地下の対置が明瞭なのはポリネシアである。エリス諸島のナヌメアでは、天上界と泥と暗黒の世界が対置されている。ニウエ島では天上界は永劫の光の国、地下は暗の国。ソサエティ諸島では、天界と暗黒の地下界。ポーモツ諸島では、祝福された者の行く上層と、生ける者の中層、生存中に悪をなした者のさ迷う下層との三層。

 天上と地下のどちらに行くかを決定するのは、社会における地位ないしは階級による。天に行くのは、首長、戦士、貴族、司祭などである。

 ふつう地下界は、この世の延長でこの世よりよいところと思考されるが、ポリネシアの宇宙創造論と結合されたとき、あるいは天上と対置された時、暗黒の国や天上界よりは劣った世界という思考が生まれたと考えられる。

 天上は、台上葬などの乾燥葬、地下は坐位埋葬と結びついている。

 東南オーストラリアにも天上と地下の対置は認められ、オーストラリアの場合は、倫理的色彩を持つが、これは社会が階級化されていないこと、文化複合の年代が古いことによると考えられる。対置はインドネシアにおいても若干みられる。

 また、アジアの諸族においても、アイヌ、チュクチ、ヤクート、アルタイ族にも天上地下の対置が見られる。

 この対置について、ハーバード・スペンサーが、「複数他界観念は民族征服の過程に生まれるとした洞察は今も生命を持っていると思われる(p.827)」。

 オーストラリアの天上地下には階層がないが、ポリネシアの天上地下には階層が見られる。これは天の階層が地下に反映されたものである。

 さて、この天上と地下の対置は、宮古島狩俣の空間認識とも符合する(cf.「宮古島における天上と地下の対置」)。

 天上の「ティンヤ・ウイヤ」と北の「ニスマ」は置換可能というように、北と天上がつながってる。宮古島の北の池間島の北端には小高い山があって、ここを「北の部落の(イーズマヌ)天へ昇る道(ティンカイニユーイシツ)」と呼んだ。死者はこの北端の山を越えて天に去っていく。宮古島の北端のセド崎には多くの人骨があった。池間島の御嶽に宮古島中の弱まった魂が集まり、さらに北の池間島の北端には天に昇る道があって、死者はそこから去る。「宮古島の他界観念の方向が、つねに北へ北へ志向している傾向がこれでよくわかる(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)」。多良間島では、三十三年忌には「今日からは天の星となって子孫をお守りください」といって祈る。

 一方で、地下の「ニズヤ・カニヤ」と南の「パイヌスマ」との置換関係も見られる。

「宮古嶋記事士次」(1748)によれば、「野崎満さりや南風の嶋より逃げ帰りし事」と題する一文がある。沖縄からの帰途「お不ら」という島に漂着し、呪詛によって牛にされるところを、辛うじて逃げ帰る物語であるが、この記録が完成する二十年前に世に出た『雍正日記』には、継子を投げこんだという洞窟が「尻間山のあ不」とある。あ不(アブ)というのは洞窟のことなので、すなわち死の国は地下の暗い場所であり、同時に南を志向するという二つの要素の混合がここにみられる(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 また、洞窟を来世に通じるとみた例は宮古島に多い。大神島には「岩ヌパナ」という岩窟があって、それが底知れぬ深さなので、これが来世(ぐそ)に通じる所だといって島の人たちは怖れている(源武雄)。

 ぼくたちはここで本永清の描いた空間認識を追認すると同時に、宮古島における天上と地下の対置も確認することになる。ところで、宮古島でも風葬が多かったのであれば、やはりここにも埋められない埋葬としての風葬が見られるのではないだろうか。また、天上にしても地下にしても階層を示唆するものはないので、ポリネシアの天上と地下との直接的な関連はないと思える。

 ここでぼくたちは再び、祝女の樹上葬の由来に立ち返る(cf.「琉球弧の樹上葬」)。天上と地下が対置される場合、天上は階級をもとにした上位のものの他界だった。これにはポリネシアの場合、司祭も含まれる。そしてその葬法は、台上葬などの乾燥葬だった。すると、祝女の樹上葬も、再生思考によるものではなく、天上他界を志向した葬法だと言えそうだ。そして、それは北方経由の思考産物だった可能性を持つ。

 しかし、樹上葬や台上葬が観察された奄美や国頭でも、宮古島ほどに天上と地下が対置されているわけではないから、これは統治階級にとって生きた思考形態だったと思える。


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2014/12/20

「琉球弧の思考」の灯台

 まだ年の瀬まで間があるけれど、「琉球弧の精神史」の探究は、途中の段落をつけてもいい気がしてるので書いておきたい。

 昨年の11月に与論島で与論のことをしゃべる機会に恵まれた(cf.「「ゆんぬ」の冒険」)。これは望外のことだったけれど、その勢いを買って、与論の歴史について自分なりのイメージを掴む作業に取り掛かっていった。「与論おもろ」「与論珊瑚礁史」「家名・童名」などはその道すがらのもので、生まれ島のことに夢中になり、「アマム世」の前に「珊瑚(うる)世」を設けたり、「大和世」を「那覇大和世」と読み替えてみたりして、ぼくなりの島の歴史イメージを、「与論史」として整理することができた。

 これはこれで充実感があったのだけれど、分かったという手応えが充分でないことも確かだった。シニグ祭に典型的なように、与論の場合は、掘り下げようとしても掘り下げられないもどかしさにつきまとわれる。これは、資料不足に依るというだけではなく、島自体の歴史が浅いことに起因すると思う。こうなると迂回して、琉球弧を底のほうから洗わなければ、これ以上の島の姿は見えてこないかもしれない。

 そう思うようになり、二十代の頃からやりたかった琉球弧の精神の考古学に着手することにした。まず、折に触れて読んでいた吉本隆明の「詩魂の起源」という講演と、『アフリカ的段階について』を皮切りに、何が問題なのか、その主張が明確な吉成直樹の『マレビトの文化史』と『琉球民俗の底流』を具体的な足がかりにして進めてみた。重要な出会いはすぐにやってきた。酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』と棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』だ。この二冊の存在は大きい。分厚い本だというだけではなく、前者は琉球弧の、後者は南太平洋の事例を豊富に提供してくれるものだ。棚瀬の研究からは、南太平洋の習俗が琉球弧と地続きであるのにも驚かされ、この二冊は航海の地図を得たように嬉しかった。

 これらを概観したところで、さて、とばかりに「琉球弧幻想論」と題して書き始めてみたのだけれど、思うに任せず、途中でまとめられなくなってしまった。当たり前のことだけれど、分からないことが多すぎる。そこで、書く準備はまだ整っていないのだと納得して、まとめることは後回しにして、調べたいだけそうすることにした。謎がありそれに向かって調べると解ける地点がやってくる。けれどその理解自体がまた新たな謎を呼ぶので、こんどはそれを調べにかかる。手当たり次第にそれを繰り返すわけだけれど、それは自然と、民俗学の領域を出て人類学の領域を渉猟することにも重なっていた。おかげでブログ記事は備忘と小さな仮説のメモと化し、読みにくいものになっていったと思う。お付き合いいただいた方には感謝に堪えない。

 ただ、本人にとってこの過程は、生まれて初めて学ぶ喜びを味わっているみたいに、すこぶる楽しかった。さだめし研究者と呼ばれる人々はこんな喜びに身を投じた人種かしらんと想像する。けれど一方で、謎がなくなるということはないのだから、この作業には切りがない、果てがない。しかも、時に羅針盤もなく漂流しているような気分に襲われる。いい年をして腹の足しにもならないことに夢中になって国会図書館に通い詰めているのが不安になってくる。けれどそれでも、その都度、楽しさの方が優って、漂流しても、潮の流れや風の方位に手がかりを見つけてはまた調べるということが続いていきた。今後もしばらくはそうだろう。

 ところで、この当てもない作業のなかにも確かな手応えと呼べることがあった。棚瀬襄爾が探究した南太平洋の葬法と他界観念を見ていくと、オーストラリアの樹上葬・台上葬と、その北の東西に広がる島々の埋葬とでは、葬法だけでなく、他界の観念、病因とその治療法などがくっきりと異なる。それは、最初、違いとしてしか見えなかったが、病因とその治療法などは反対の概念になったりする。どうやらここには二つの異なる思考が潜んでいるらしい。そしてそれだけでなく、異なる二つの思考は、人類初期の思考の分節化に当たっているのではないかと考え始め、そこに「霊力の思考」と「霊魂の思考」という名づけをしてみた。

 さらに調べると、この「霊力の思考」と「霊魂の思考」の内実は、解剖学者の三木成夫がいう、心と精神の違い、植物性神経と動物性神経の違いにぴたりと重なることに気づいて驚いた。この二つの思考には身体構造的な根拠が得られるのだ。また、吉本隆明は、彼の言語論でいう自己表出と指示表出が、同じように心と精神の違い、植物性神経と動物性神経に該当すると気づき、晩年には、自己表出と指示表出という概念を文字以前に拡張する必要があるとして探究を進めていた。すると、この二つの思考は、文字以降は、自己表出と指示表出として展開されると予期することができる。もしかしたら、自己表出と指示表出に接ぎ木できるかもしれない。

 ここまできて、「琉球弧の精神史」という初期のテーマは、本当は「琉球弧の心と精神史」とするのが妥当だったと合点したが、探究のモチーフは「文字以前の琉球弧の思考」であることもはっきりしてきた。この、霊力思考と霊魂思考が、一年近くかけて見えた灯台だ。

 この航海のような漂流のような作業はまだしばらく続く。やればやるだけの応答があるので、おかげで三ヶ月前に書いたものを読むと、物足りなく感じたり間違いに気づいたりするあり様だ。けれど、灯台の光はかすかに見えるのだから、来年中にはどこかの港に辿り着きたいと思っている。

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2014/12/19

天界信仰の葬法と思考

 天の他界と再生信仰は、オーストラリアの南部域に見られる。

 事例1.ウォンガ・マズ族。死霊は、妻、兄妹または父の胸に住む。別の先住民は叢林を彷徨し最後には大きな洞穴に行き、再生する。またの先住民によれば天に昇る、という。

 事例2.北部マズタラ族。死霊は喪者の胸に(儀礼的に)置かれるが、ついで叢林に住み、また天に行くとされ、また再生の可能性もあるという。

 事例3.アルンタ諸族。死者の霊魂は岩など一か所に集まり、狙った女の中に入り再生する。また、死者の島の他界もあるが、善人の霊魂は、天のよき至上神のもとに行き、そこにいつもとどまっているが、悪人の霊魂は悪霊の棲み家に行き、食われてしまうという観念もある。

 これらの例は、天の他界は再生信仰を伴うものではなく、天の他界を持つもののうち、一部が再生信仰を伴うことを示すものとして挙げた。棚瀬襄爾も上の例について、

 天上他界の信仰を持つ民族と、再生信仰を持ち他界観念を発達せしめない民族の境界領域にある諸族では、両信仰が出現すると同時に霊魂観念もより複雑化し、形像霊の性質もより明白になるようである(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

 と書いている。

 たとえば、祝女が南太平洋に由来しない樹上葬を行ったとして、それは再生信仰を伴っていたとは限らない。むしろ、高神化への信仰による葬法であるように思える。

 この天界の性質について、資料が乏しいことを挙げながら、天界の性質は至上神との関係においてうかがうことができるのではないかと書いている。

天の他界を信ずる東南オーストラリアの諸族にはいずれにも至上神信仰が指摘せられる。否、単に両信仰の共存のみならず、天界は至上神の御許であることや至上神による審判までが信ぜられていることが多いのである。

 ここでの至上神をぼくたちは高神と読み替えることができるが、「天界は至上神の御許であること」は、もともと高神が「この世」のことだけを考える思考に基づていること、そして、「至上神による審判」は、高神がこの世の秩序を志向するので、審判という思考も生まれやすいと見なすことができる。

 棚瀬はまた、オーストラリアにおける事例から、天界信仰のみの場合は、伸展位埋葬に伴った信仰であると推論している。また、天界信仰は霊魂思考の範囲に入ることを結論づけている。

天界信仰を有する民族が総じて人格視ないし形像霊的系統の霊魂観念を有するのは、葬法が埋葬であるため、死体は生者の目に触れないことに原因があるかと思われる(p.847)。

 ここで、葬法と他界観念について整理してみる。

 a.伸展位埋葬 天界
 b.坐位埋葬 地下
 c.台上葬・樹上葬 他界を持たない
 d.死体放置 他界を持たない

 これをベースにすると、文化複合の形態がある程度、見通せるかもしれない。トロブリアンドは、葬法において bだが、再生信仰において c であり、(b×c)である。上記のオーストラリア先住民の例は、葬法において a だが、再生信仰において、c であり、(a×c)である。

 琉球弧の海上他界は、(b×c)。再生信仰は、(c)になる。

 a、b は霊魂思考であり、c、d は霊力思考。ただし、深化が見られるのは、b の霊魂思考と c の霊力思考だ。というより、思考が明瞭に現れるのは、霊魂思考は b、霊力思考は c ということだ。


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2014/12/18

宮古島における天上と地下の対置

 吉成直樹は『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』において、宮古島狩俣のコスモロジーを紹介している。

 村人たちは自分たちを取り巻く宇宙を、ティンヤ・ウイヤ(天上界)、ナカズマ(中島)、ニズヤ・カニヤ(地下界)という縦軸にそった三界に分類しており、ティンヤ・ウイヤは神々の世界-狩俣の創始神アサティダ(父神)、ンマティダ(母神)もこの世界から降臨した-、ナカズマは人間の暮らす宇宙の中心、ニズヤ・カニヤは悪霊や死霊の支配する汚れた暗黒の世界である。こうした、縦軸にそった空間の三分類とは別に、横軸、すなわち平面的な三分類もみられ、村落の周辺地域を、ニスマ(根島)、ミャーク(宮古)、パイヌスマ(南の島)に分類している。ニスマは集落の北側の聖森イズスヤマ、ミャークは村人の居住区域、パイヌスマは村落南側の墓地地帯と、それぞれ象徴的に同一視されている。そして、この縦の三分類と横の三分類は、相互に置換可能なものと意識されており、図式的に言えば、ティンヤ・ウイヤとニスマ、ナカズマとミャーク、ニズヤ・カニヤとパイヌスマは互換的である。

Miyakojima

 琉球弧のなかで天上界と地下界が対置されるのはとても特異なことではないだろうか。この対置ですぐに思いだすのは、南太平洋のなかではポリネシアにおいて顕著になることだ。

 事例1.エリス諸島のナヌメア。死者の霊魂は、「もしよければ」天にある明るく美しい水の国へ行くか、「もし悪ければ」泥と暗黒へ送られる。

 事例2.トンガ島東方海面のニウエ島。死者の行く国地下界のマウイと、さらにより好ましきところとして天にあるシナの国を挙げる。そこには夜はなく、永久に光と昼がある。

 事例3.マニヒキ島では、首長らは死後天に行き、電光、雷、雨を送る。一般人は東方にあるポファファに行く。ポファファは歌と音楽の国だが、食べ物はない。ある土地は死者の霊魂の出没するところで、そこは嫌な臭いがする。

 事例4.ハーヴェイ諸島のマンガイア。戦士の霊魂は、天国に行く。他は地下に行く。天国は幸福の国。戦死者の霊魂は不死で、地下の哀れな霊魂を見下す。

 事例5.マルケサス諸島。天と地下のハワイキ。上流階級の死霊は天に行き、一般人の死霊は地下のハワイキに行く。天は上位の神々、産褥死をとげた女、戦死した戦士、自殺者および特に貴族の死霊の住所。天は幸福な国。地下は、第二次的な神々と一般人が住む。この世よりはよい。

 事例6.ポーモツ諸島。世界は三層よりなり、おのおのそれぞれの空を持っている。上層は祝福された者の行くところであり、中層は生ける者の住所であり、下層は生存中に悪をなした者のさ迷うところだが、悪者の霊の多くは鳥の身体に隠れてその運命を逃れることができる。(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』

 宮古島狩俣とポリネシアは天上界と地下界の対置において似ている。ポリネシアにおける天地の対置について、棚瀬は書いている。

 われわれはポリネシアの他界観念において、しばしば、天上地下の対置を見た。そしてその際いずれの他界に行くかは主として死者の属する社会階級によって決定せられ、倫理的行為による決定が案外少ないのに驚いた。もう一つの著しい特色は地下必ずしも悪しからざる世界であり、現在よりもむしろよい世界であることが判った。一方、平民階級と首長階級には葬法にも区別のあることが判明した。
 このことはまさにポリネシアの封鎖的社会階級が、異文化を持つ異民族の接触混合によって成立せることを示すとともに、天上地下の対置もまた異文化の混合によって発生したことを物語るのである。地下界をより悪しき所となし、天上界をよりよき所とする観念、僅かに現れる倫理観の結合は、民族混合による対置の結果、後期において若干の発達を見せたとするのが最も合理的である。(棚瀬襄爾『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』

 宮古島においても天上を他界とする思考が混融したということだろう。酒井卯作は『琉球列島における死霊祭祀の構造』のなかで、宮古島にも見られる岩上葬について、「いうなれば岩上墓の成り立ちは身分制によるもので、英雄や神女などの聖職者は、なるべく高所にその葬地を設定しようとした名残りであろうか。彼らは俗的環境を離れたところで自からのすぐれた立場とその矜持を保つために、岩上葬という風習を踏襲してきたのかもしれない」と書いている(cf.4.「岩上葬」)。

 岩上葬は天上の他界と無関係であるとは思われない。ともあれ、宮古島は、琉球弧においても天上の他界が存在した例を示しているわけだ。

 しかし、この場合でも天上の他界は、天上界といったほうがよいオボツとの類似性を思わないわけにいかない。オボツにおいては、天地の対置の思考は見られない。むしろ、天と地の対置によって天も他界と見なされるということではないだろうか。

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2014/12/17

高神と来訪神の混交

 琉球弧での来訪神と高神のあり方を踏まえると、吉成直樹の『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』について、理解しやすい場所まで来たのかもしれない。

 謝名城のウンジャミでは、ノロなどの神女がニライ・カナイから神を迎えるが、ノロとは別の神女、「遊ビビラムト」が憑依し、神として踊る。

 久高島のカンジャナシーにおいても、二ライの神を演じる遊び神は、女性のムトゥガミであり、彼女たちはティンユタの別名を持つ。

 与路島のウムケー・オーホリではこの祭儀にだけ参加するテルコガミは、テルコ神を迎えるとともに、テルコ神として振る舞う。

 男子結社の来訪神が洞穴などを通じた地下からの出現を見せるのに対して、神女は海上他界から神を迎え、神を演じる点がちがう。前者は、神に扮するのに対し、後者は神になる。扮するだけで神になる前者に対し、憑依しなくてはならない後者は、前者に対して、後のものだと言える。また、地下の他界が海上に転移したことからも同じことは云える。

 これらの擬来訪神のなかで御嶽が関与する場合もある。

 大神島のウヤガン祭祀のイイサドウ神事では、そのときだけ参加するシバノウヤガンという女性神役集団がある。イイサドウ神事では、御嶽の神が憑依し、山から出現するウヤガンと、海の彼方の神が憑依し、山を経て出現するシバノウヤガンの二つの型が現れる。

 (前略)海から祖神が訪れ、神女に憑依する形式のマレビト祭祀があり、そののちに御嶽に始祖神が存在すると考えられるようになるに及んで、御嶽から始祖神が訪れる形式のマレビト祭祀が形成されることになった。その結果、イイサドウ神事では、このふたつの(始)祖神をめぐるマレビト祭祀は併存することになったが、海から訪れる祖神は、御嶽を経由して、集落を訪れることにな(中略)った。

 海から訪れた神が、御嶽に降臨し、それから集落を訪れるという形態である。この型を海神が憑依する型と分ける必要があるのは、その通りだが、それは「御嶽に始祖神が存在すると考えられるようになるに及んで」という理由ではないように思える。

 もともと御嶽の高神は動く必要がない。というか動くわけではない。だからウヤガンが御嶽から集落に出現するのは、高神に来訪神思考を接ぎ木したものであり、来訪神が御嶽に降臨するのは、来訪神に高神思考を接ぎ木したものである。この混交は、御嶽を司る祭祀が、政治権力と合体したための作為であると見なされる。


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2014/12/16

「海神(ニライ神)の負荷」

 吉本隆明は、オシラ神に促された東北の婦女の出奔と琉球弧のオナリ神を位相同型として捉えようとした柳田國男について、次のように書いている。

 柳田が景観を枯れさせない源泉として感じたものには「山」の負荷とでもいうべきものがあった。「山」は源泉であるとともに負荷であり、圧迫するものだ。山人の負荷といってもいいし、山神の負荷といってもおなじだ。べつのいい方をすれば、鳥瞰または俯瞰する視線の負荷というべきものだった。(『柳田国男論・丸山真男論』

 琉球弧には、この「山の負荷」はない。山人と平地の農耕民の区別もない。あるとしたら「海の負荷」であり、海から到来する人々の負荷だ。

 (前略)オシラ神にうながされた東北辺の女婦たちの出奔と、流浪の神事と、芸事と(あるばあいには娼婦的な役割と)、の運搬は、山人の村落と農耕人の村落のあいだ、山の神と田の神のあいだ、山人と農耕人のあいだを横断する巡回や循環と、位相的に同型だった。巡回と循環は、山と平地のあいだの俯瞰と仰高の軸をもとに、遊行は南北に延びた列島の軸をもとに転換される。また西南の辺境に、純粋に伝えられてきたオナジ神に憑かれた婦女たちの神事や、芸事(あるばあいには娼婦的な役割と)と、まったくおなじものだった。御嶽の森の樹木や、岩山の石や洞穴に、ま上から降りてくる太陽(光)の神という西南端の神体と、オシラ神の桑の木のような棒状物や、杓子の神体とは、同型で等価だった。そこには地誌と景観と生活風土の差異がこしらえた相違があるだけだった。山神の負荷は、西南端のさまざまな島嶼では、海神(ニライ神)の負荷に転化され、山神と平地神とは未文化なまま融和していた。西南端のオナリ神が、家神(兄弟姉妹神)としての性格をたもちながら、なお制度としての神でありえたのは、そのためだったといってよい。

 ぼくたちはここに少しだけ陰影を加えらるかもしれない。

 山神の負荷は、山人の負荷であり、縄文の負荷であったとすれば、「海神(ニライ神)の負荷」とは、ある段階からは弥生人の負荷であり、弥生の負荷だった。そこで、オナリ神は、山神化することによって「海神(ニライ神)の負荷」あるいは弥生人の来訪を迎えたのである。もちろん、ここでいう山神とは比喩で、高神を意味している。

『柳田国男論・丸山真男論』


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2014/12/15

骨の信仰

 松山光秀は「祖霊信仰」(『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ』)のなかで次のように書いている。

 人が死んでもその屍を埋めたり、焼いたりせず、それを地上に安置して、そのまま風化させ、肉体の枯れるのを待って、残った骨を洗い清めて祀るという、いわゆる風葬の習俗が古くは南島一円(沖縄、奄美など)に分布していたことはよく知られている。これは人間の霊が骨、特に頭蓋骨に留まるという信仰に拠ったもので、骨を直接対象にして祀る、いわば一種の骨の信仰であるといえよう。

 葬法に「骨の信仰」を見出すのは、松山の民俗を見る目の確かさを教えるが、これは風葬という葬法由来のものではなく、埋葬思考の産物だ。それは、風葬のなかでも、頭蓋骨の信仰が行われたとすれば、霊力思考との混融により、風葬の形態を取りつつ、頭蓋崇拝を残した。つまり、埋められない埋葬として風葬を選択し、のちに頭蓋を取り出したことを意味している。風葬には本来のものの他に、別の思考に由来した風葬もあったのだ。

 ぼくたちはやっと、このことが認識できるところまでは来た。やっと。(cf.「琉球弧葬法の6類型」


『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ』


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2014/12/14

呪言の思考

 まず、ぼくたちは棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』にならって、呪術を、霊魂の捕獲という霊魂思考によるものと、物質の挿入とその除去という霊力思考によるもとに分けて考えることから出発しよう。

 柏常秋は、『沖永良部民俗誌』のなかで沖永良部島で行われた呪言(クチ)を分類し、解説している。

 1.呪言を飲食物に言い入れるもの、ふつうこれを単にクチという
 2.アマムすなわちヤドカリに言い入れて相手の屋敷に放つアマムグチ
 3.金尿を相手の石垣の穴に入れるハナヤマ(金山)グチ
 4.癩病者が天に祈るフジキ(乞食)グチ
 5.本妻と外妻との間におこなわれるイキロウ(生霊)

 それぞれの内容は次の通りだ。

 1.飲食物に入れるクチが病気の原因と分かったときは、直ちにユタを招いて、ハネグチ(撥口)の祈祷をさせて災厄を免れたが、撥ね返された災厄はクチを入れた当人にかぶさっていくものと信じられた。

 2.一匹のヤドカリを捕えてこれにクチを入れ、狙う相手の屋敷に放つと、十日、二十日たつうちに、気味悪いほど多くのヤドカリが集って来るので、明らかにクチの入れられたことが判るといわれていた。このヤドカリに触れる者は家人でも家畜でも病みつくわけである。そのときはユタを招いて祈祷して貰い、ヤドカリを一匹残らず拾い取って焼棄てねばならなかった。

 3.家畜がわずらう時、ユタにあかして貰うと、よく「金山が立って見える」といわれるものであったという。金山とは鍛冶屋の祀る金山様のことである。「鍛冶屋関係のクチを入れられている」という意である。そこでユタの指導の下、石垣のある箇所をくずして探すと、たいていは若干のカナクソが発見され、これを取去ると、家畜のわずらいものおのずから平癒するものといわれていた。

 4.フジキグチのフジキは乞食のことであるが、じっさいは癩者を指す。それは彼らが家ごとに物乞いをして歩いたからである。彼らは両手をすりながら天に向って呪言を念じ、その結果は先方の子どもに祟るといわれていたので、子をもつ親たちの恐怖は一方ではなかった。子どもの顔面や他の部分に、白癬状の斑紋の現れるのを、彼らの呪詛による癩の兆候と神事、取るもの取りあえず、酒肴を用意して呪者の家に至り、和解の盃を取り交わした。

 5.イキロウ(生霊)は沖永良部島ではまれに嫡妻が外妻に対しておこなうこともあったが、本来は外妻が着妻におこなう呪詛であったらしい。というのは沖永良部島では嫉妬をウワーナイ(後妻)というからである。しかしこの呪詛の結果は、嫡妻の子の死去するとき、外妻のある場合には、一般の人はその原因を例外なく、外妻の所業と考えていた。しかしその呪法は明らかでなく、またそうした事例の起ることもきわめてまれであった。

 たった四つの例だけでも、豊富な呪術の世界が蘇ってくるのに驚かされる。ここでの呪術は、飲食物に入れる、アマムに入れるという行為が示すように霊力思考の系列に属するものだ。ただし、ぼくたちが南太平洋の事例と比べて真っ先に感じるのは、「金尿を相手の石垣の穴に入れる」以外は、モノではなく、言葉が呪術行為の対象になることである。これは、言葉をあたかもモノのように実在的なものとして考えていたことを示している。クチとは言葉の霊力を意味すると考えることができるが、これは折口信夫が、「言語精霊が能動的に霊力を発揮することを言ふ」として言う言霊のことに他ならないことが分かる。

 また、呪言を発揮できるのが、アマム、外妻、鍛冶屋、癩者という禁忌の対象になっているのも分かる。禁忌とは怖れと憧れの両義性を持つ存在であり、呪言は共同体の外部からやってくる霊力だと捉えられている。

 アマムの繁殖力は、ぼくも海岸近くに住んでいたからよく分かる。アマムの呪言は、結果的にみれば、アマムの異常繁殖による生態系の乱れを防ぎ、癩者の呪言に対する恐怖や「和解の盃」は、これも結果的には相互扶助の行為になっている。それで言えば、鍛冶屋の呪言は鍛冶屋との対応関係が生れてこないから、鍛冶屋の外部性がよく現れている。

 生霊については、嫡妻の幼子な死んだ場合、外妻の仕業と見なされたというのは、言い換えれば、外妻の心情について島人が常日頃から察しをつけていることの表れだ。そして、生霊では、霊魂思考と霊力思考の混融を認めることができる。この例は、「源氏物語」の六条御息所を思い起こさずにはいられない。六条御息所が無意識であったことに、「その呪法は明らかで」ないことは対応しているように見える。

 もう少し考えてみると、言葉に霊力が存在すると考えるのは霊力思考だが、言葉自体が物体のように動くというのは霊魂思考の産物だ。だから、これらの呪言の思考も、霊力思考と霊魂思考の混融としてあると言うことができる。

 そしてここでも呪術師として活躍するのはユタだ。

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2014/12/13

琉球弧の他界と神

 いままでのところで、琉球弧の他界と神について分かっていることを図解する。

Photo_2

 まず、明瞭に認められるのは霊魂思考による地下の他界。そして、それが霊力思考と混融したために海底、海上へと伸びた他界。ここで、方位は、東西を取ることが多いが、南北を排するものではない。東は豊穣、西は死者の方位と見なされることが多い。

 また、海上に伸びる以外にも、山中などの地上の他界の痕跡もみられる。これも霊魂思考と霊力思考の混融の結果だ。この場合、東という方位とは関係ない。

 三十三年忌あけに天に昇るという声もあるが、それが系譜を持つほどの厚みをなすのか、古代の琉球弧に存在しかは確信が持てないので、天上の他界は設定しなかった。棚瀬の収集した資料では、南太平洋では、南オーストラリアとポリネシア、東南アジアに天の他界が認められる。しかし、東南アジアのそれはヒンズー教やイスラム教の影響を受けたもんであれば、琉球弧への流入は想定しにくい。

 青に塗らなかった部分には、他界の方位がないというだけでなく、他界が存在しないという思考も強いことを示したかった。

 神は、高神と来訪神のいずれもが認められる。来訪神がやってくる方位は、地下と海の彼方、どちらも表象されている。

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2014/12/12

喪屋と岩屋

 金久正は『奄美に生きる日本古代文化』のなかで、奄美の葬法について書いている。

 金久は、奄美の葬儀様式を、「喪屋」型と「岩屋(イャンヤ)」型に分けている。それは場所によるもので、「喪屋」型は、「部落内部の平地の草木に覆われた荒地」、「岩屋(イャンヤ)」型は、「部落を離れた山間や海岸の岩窟」である。

 金久は、葬地の違いで分類しているので、「岩屋(イャンヤ)」型から「喪屋」型への移行を想定している。「喪屋」型では、殯の行為が加わっているから、後だと見なすということだ。

 いまこれを後先の問題ではなく、思考の違いとしてみて、象徴的な例を抽出してみる。

 「喪屋」型は、殯の行為が見られるから、台上葬の系譜に属する霊力思考のなかの葬法だと言える。興味深いのは、奄美大島南部の勝浦に見出せるが、ここでは「墓地が部落の中央にある」という。墓地が共同体の外部に疎外されていないのである。墓地を囲むように形成される集落の構造は、トロブリアンド諸島や縄文中期の集落に見出せる。仮に現在は、この場への忌避感が強かったとしても、集落の形成過程を踏まえれば、葬地への忌避感は強くなかったことが想定できる。

 これに対して、「岩屋(イャンヤ)」型については、J・クライナーが加計呂麻島に例を求めたものを元にすると、加計呂麻島の「岩屋(イャンヤ)」は、人骨の出るカミヤマで島人にとても恐れられており、地下の他界への入口とみなされていた。これは、霊魂思考の産物で、山に葬地を求めたのは、霊魂思考と霊力思考の混合による他界が地上化し山中他界の観念を持ったことによるものだと思える。それでも、地下他界への入口と見なしているのは霊魂思考の強さを物語るから、山への忌避感、禁忌感が強く発生することになる。山へ葬った場合は、初期には頭蓋を取り出しただろうし、御嶽(ミャー、イベ)が形成された後には、個別に頭蓋を取り出す習俗も消滅しただろう。だから、「岩屋(イャンヤ)」型は、埋めない埋葬、あるいは埋められない埋葬の形態だと思える。

 明治の三十年代に、当時すでに禁じられていた「喪屋」型の葬法を行ったために罰金を取られた喜界島の古老の話を金久は書きとめている。

 死人があった際は、死体を六尺近くの七分板の長い棺に納め、これを「モヤ」に四つの台石を設け、その上に棺を安置し「タマヤ」(魂屋)と称する畳一枚くらいの大きさの拝殿風の立派な屋を作り、これには貧富の差によって三段または七段の階段を設け、一段ごとに鳥居を建て、この屋を棺の上に飾って葬儀をすますのであった。一年あるいは三年して、死体が全部朽ちて、骨だけ残るようになると、「アョー」と称する石をえぐって作った容器にこの骨を納め、蓋をして「モヤ」の片隅に安置した。また墓石を建てるものもあった。

 金久は、この「モヤ」が洞窟にあるため、「喪屋」型と「岩屋(イャンヤ)」型の折衷型と見なしているが、これは思考の型からいえば、「喪屋」型であり、ぼくたちが風葬と呼んでいるものが台上葬に他ならないことを明瞭に物語っている。

 この島の「はふり」(葬儀)がどうして行われていたか判然しないところが多いが、魏志の記事などから推して、軽い土葬も行われていたものと思われる。私は少年のころ、諸鈍部落の海寄りの金久字のある海寄りの屋敷の庭の作り替えの再、真直ぐに横たわったそのままの人骨がそう深くない所に発見されたのを覚えている。多くの場合は風葬か軽い土葬をなし、一年または三年か七年の後に改葬をなし、合併して、または個別に、塚を作ってその遺骨を埋めたものと思われる。

 この人骨に関与した思考は、「真直ぐに横たわったそのまま」の姿だから典型的な埋葬思考によるものではない。改葬の後もないのであれば、霊力も霊魂も認めない前思考によるものだと思える。

『奄美に生きる日本古代文化』

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2014/12/11

霊力思考と霊魂思考における病因と治療法

 樹上葬や台上葬などの霊力思考の強いところでは、病因や死因は呪術によるものと考えられる。しかも呪術には、部族の掟を破ったため死者の骨が体中に入ったためというように、物質的に捉えられることもある。したがって、治療法は、原因となったものを取り除くことに求められる。

 オーストラリアのアンタキリンジャ族では、死は呪術の結果と考える。人の胆または大網の脂肪の除去、またある種の草、人骨の尖棒などが入ることによるとしている。治療法はマッサージにより原因と取り除くことなのだ。

 これに対して埋葬を行う霊魂思考の強いところでは、病因や死因は、身体から霊魂が離脱することだから、霊魂の捕霊が治療法になる。

 つまり霊力思考では原因(呪術)の身体からの除去が治療法であるのに対して、霊魂思考では原因(霊魂)の身体への挿入が治療法であり、両者は対称的だ。

 さらに棚瀬襄爾は『他界観念の原始形態』において、ぼくたちの言葉でいえば、霊力思考と霊魂思考の混合形態もあるとしている。

 たとえば、マリンド・アニム族では、原因不明の内部疾患は呪術によるとし、伝染病は悪霊の仕業としているが、これは霊力思考と霊魂思考の混在を示している。

 スマトラ島沖のニアス島人は、人間は肉体と「気息」とルモルモからなるとしている。肉体は死後、空中に融け去り、「気息」は神から授与されたもので、これが無くなれば人が死に、「気息」は風に帰すとし、ルモルモは死後は、墓の付近に残るものと、地下界(または天上)に行くものに分かれる。この記述からは、「気息」が身体に宿る霊力であり、ルモルモが霊魂であるとみなせる。

 ニアス島人は、病気の原因はルモルモが身体になくなった時、ルモルモか人体が傷ついた時であり、ルモルモを持ちさるのは、悪霊、死霊であるとする。治療は司祭か「俗人」の呪医が行う。ルモルモを失った時は、司祭がルモルモを布で捕まえて患者の頭や肩にあて、また饗宴を催して代々の先祖に祈り、その力でルモルモを取り返す式を行う。死霊は人を脅かしたり噛みついたりしてルモルモを抜き出す。流行病は悪霊がその地方を歩き回るためであるから、村を閉じて悪霊を払わなければならない。村内に病気が多いと、司祭は悪霊を払うために村中を槍で打ちたたき、小刀で切りまくりながら歩く。

 呪詛によってかかった病気、たとえば体内に石を投げ込まれたためにリューマチにかかり排尿ができないと、呪医が膀胱から赤や白の小石を吸い出す。

 このニアス島人の場合も、霊魂思考と霊力思考が混在しており、治療者も違っている。この呪医の場合の例は、リューマチではなく、現地人の認識を書いてほしかった。こうは云わなかったと思える。

 ニューギニアのツムレオ族では、病気は死霊が憑くことが原因であると考えられていて、治療法は供物をして死霊に出ていってもらうことだという。棚瀬はこれを混合と云うのだが、その意味は、死霊の仕業とする点は霊魂思考だが、その除去という治療法が霊力思考だと見なしていることになる。

 さらに棚瀬は、混合の進んだ形態の場合が魔術だとしている。

 ニューギニアのカイ族には、自然死の概念がなく、死因は魔術か死霊の働きによるものとしている。人が重病になると宗教的職能者を呼んで、死霊によるものか魔術によるものかを決めてもらう。

 魔術によると見なされる場合は、魔術師が病人の霊魂を取り出し瓶詰めにしているために病気が起こると考え、魔術師を発見してやめてもらうか、鞭に呪薬を塗り、これを持って夜、森に出かけ、口笛を吹く。すると呪薬につられて家に持ち帰り、病人の霊魂を戻して治療する。

 カイ族の場合、呪術による霊魂の除去が霊力思考的であり、捕霊の取り戻しが霊魂思考的であることになるが、この、霊魂に対する呪術を棚瀬は魔術とみなしている。棚瀬によれば、メラネシアの一部とニューギニアはまさにそのような地域だとしている。

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2014/12/10

J・クライナーの「滞在神」

 順番が逆になるが、J・クライナーの「南西諸島における神観念、他界観の一考察」の「滞在神」に焦点を当ててみる。

 加計呂麻島や与路島のイベは、村の真ん中のミャーにある小高い所で、木が植えてあるか石がおいてあり、そこに神は一年中滞在している。その神をシマ守りの神、シマナオスの神といって、たいていノロかグジが祈っている。

 武名部落のスドゥガミは、もしも神がこの世から一分でも去れば、この村の生活はとまる、何もできなくなって、例えばこうしてあなたと話すこともできなくなる、と説明してくれた。
つまりここではあの世とこの世の区別というものはない。世は一つ、この村だけであり、これと異なる他界のことは全然考える必要がない。神は常にここにいて下さるのであって、神のいないこの世というものは存在しないのであるから、もはや来訪という考え方はないわけである。

 これは高神と来訪神との区別を語る明快な言葉だと思う。

 イベは、ノロ、グジ、あるいは村の草分けの祖先の墓。トネヤはその草分けの屋敷で、たいていはグジが住んでいる。グジは毎朝、トネヤでイベの神を拝む。トネヤはオボツヤマの木を使用して建てられる。トネヤを建てた日は夜になると、オボツヤマで鐘の音が聞こえ、神が自分の家ができたことを喜ぶという。

 この、イベの神を拝むトネヤの木をオボツヤマから取り、トネヤの建築をオボツヤマの神が喜ぶというところに、イベの神とオボツ神が同一であることが端的に示されていると思える。この両者の連結が御嶽だと考えればいい。

 加計呂麻島では、ネリヤの神を拝む神人とシマ守りの神を拝む神人ははっきり分かれている。

 クライナーはイベの神の観念形態を観察するなかで、祖先神、土地とのつながり、農作物とのつながりを指摘している。

 祖先神とのつながりで引いているのが、奄美大島南部のモーヤだ。

 モーヤは村の中心につくられた祖先の墓で、村の人々は愛情をこめてこれを拝んでいる。村の人々は愛情をこめてこれを拝んでいる。つまり死んだ人、死霊を恐れない。

 ぼくはクライナーが引くように、このモーヤも高神が発生する基盤になるものだと思う。それと同時に、村の中心に墓があるという構成に驚く。これは、トロブリアンド諸島と同じく、縄文中期の集落の構造と同じだからだ。

 またクライナーは、与路島にハイヌウェレ型の神話がありことを指摘しているが、埋葬思考の系列には、頭蓋崇拝の他に、植物としての転生とも含まれるから当然、ハイヌウェレ型神話と接点を持つのである。

 クライナーは、これらの諸要素があるとしながら、シマ守りの神には、高神に近い観念があったのではないかとしている。(cf.「常在神とオボツ神の同一性と山中他界」

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2014/12/09

シヌグ踊り

 シヌグについて、たまたま符合する記述を見かけた。

琉球の大祭はシヌグと云ふがこれは全く農業祭である。此の祭儀には東の方から男が、西の方から女が出て田遊の神事を行ふが、此の折には正視し得られぬほどのきはどい事をする(伊波普猷氏談)。是等の土俗は改めて説明するまでもなく、農業と生殖との信仰を表現したものである(中山太郎「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」『生贄と人柱の民俗学』)。
 琉球王国の首府が所在した南部沖縄〔本島〕にも、シヌグ祭は普及していたようである。しかし、十八世紀初期における王国の干渉によって変容を蒙り、あるいは全く消滅した。政府当局は政治的な理由のた儒教を人民の間に拡げようとし、また、シヌグ祭の若干の面は儒教倫理の立場からわいせつだと見られたのであった。(馬淵東一「琉球世界観の再構成を目指して」『馬淵東一著作集〈第3巻〉』

 「正視し得られぬほどのきはどい事」を伊波普猷がどこかに記述してくれているか、知らないが、もしないとしたら、避けずに書いておいてほしかったと思う。ただ、「わいせつ」と見なされたことが何であるか察しをつけることはできる。

このシヌグとい う行事は起源が古いだけに、原始的な神部が多 く、中には女の裸踊 りとか,性行為につながるような神前舞踊等もあったとの事である.そのためか尚敬王の時代 (約200年前) にこの行事は禁止された事もあるという。(渡久地政一「沖組本部町字渡久地 に伝わる臼太鼓歌の記錬」)

 鍵は踊りだと見なすと、思いだされるのは谷川健一の文章だ。

 シニグという言葉は「しのくる」(踊る)というおもろ語と関係があるとされる。その踊りも「うちはれ」の祭のように奔放な踊りであって、十八世紀前半の女流歌人恩納なべにシヌグ遊びの禁止されたことを恨む琉歌があることから分かるように、それは男女の性的昂奮を爆発させるものであった。シヌグ祭の放埓な踊りの背景には旧の六月二十八日頃から寄ってくるスクの大群があった。それを待望して歓喜するのがシヌグであり、ウンジャミであったと私は考える。(『南島文学発生論』)。

 谷川はシヌグをシュク(スク)の寄りと結びつけるが、松山秀光は、シヌグのない徳之島において、シュク(スク)の寄りと稲の収穫祭の時期と場所の同一性から、「踊り」に言及している。

人々の喜びが爆発するのは旧六月中旬のカノエの日柄に執り行われる稔りの稲穂の刈取り始めの儀礼、シキュマの日だ。ワクサイからの解放感も手伝って、人々の喜びは最高潮に達したという。この日の前夜、人々は集落内の祭りの広場で夜を徹して踊り狂った。(『徳之島の民俗〈2〉』

 両者がともに、「踊り」について、「爆発」と表現しているのが印象的だ。こうなると、シヌグの語源についても、「踊る」に由来しているとする谷川の考えに惹かれるが、それではこの祭儀が来訪神ではなく踊りに焦点があてられることになり、名称としてふさわしくない気がする。

 ただ、「踊り」の深層については、もう少し考えてみることができる。トロブリアンド諸島のヤムイモの収穫祭、ミラマラは踊りの期間と言われる。この年次の祭りと踊りの期間は「性生活の際立った高揚を伴う」(マリノフスキー『バロマ―トロブリアンド諸島の呪術と死霊信仰』)。

 このとき、祖霊(バロマ)も他界から村落に来ているのだが、

ミラマラの期間中激しく行なわれる踊りや祭儀や性的放縦のような、何もかも夢中にしてしまい、心を奪うような事象と比較すれば、バロマが村に来ていることは原住民の心にさほど重要性をもつ事柄とはならない。

 とされている。トロブリアンド諸島では、人間は再生するので、祖霊崇拝はさほど儀礼化されていない。島人はむしろ、

 バロマを喜ばせるためには全員が悦楽や踊りや性的放縦で一つにならなければならない。

 と、祖霊への応対として「踊り」や「性的放縦」を捉える節もある。ミラマラは来訪神の祭儀ではないが、踊りや性的行為に焦点を当てれば、シヌグと似ていると思える。トロブリアンド諸島における「踊り」と「性的放縦」に、ヤムイモの豊作と性的行為を結びつける観念はない。彼らには、人間の性行為が子を生むという認識はないからだ。

 シヌグも稲作儀礼、五穀豊穣儀礼に留まらず、狩猟段階へ遡行する射程を持っており、その意味では、中山太郎が「農業と生殖との信仰を表現したものである」と見なすのは、起源像としては当たっていない。

 「踊り」は神や祖霊との一体化を意味するだろうし、若者にとっては毛遊びや歌垣のような共同婚の意味も持っただろう。

 するとここで、再び、シヌグは「踊り」を意味するという考えに惹かれることになる。特に、恩納なべによるシニグ禁止を嘆く琉歌に、「シヌグしち遊でぃ」とあるのを見るとなおさら。

よ姉べたや良かちシヌグしち遊でぃ わした世になりば御止さりてぃ




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2014/12/08

常在神とオボツ神の同一性と山中他界

 J・クライナーの「南西諸島における神観念・世界観の再考察」をもう少し、掘り下げてみる。

 クライナーは、加計呂麻島のカミヤマについて三つの形態に分類している。

 1.ウボツ(オボツ)カミヤマ

 部落の一番、近い裏山。あるいは、その付近で一番高い山。そこに一本ないし数本の古木があって、その根元には線香と水が供えられている小さな拝所がある。

 村から遠く離れた山の場合は、そこまでなかなか登れないので、遠方から拝むだけで、それだからオボツのことを、ウガン、ウガンヤマと呼ぶこともある。ウボツにはウボツノカミが拝まれているが、この神は普通天に坐す男性の一柱、ないし七柱の神で、祭祀の時に天からこのウボツカミヤマの木におりて、ここから神道を通って村のミャー拝所に迎えられる。

 2.イヤンヤ(岩屋)

 岩や洞窟の中に「昔の人の骨」が散らばっていて、死者の霊の行くグショの地下他界への入口に通ずるといわれているから、非常に恐れられている。こういう山はグスクとも呼ばれている。

 3.イビ、イベ、イベガナシ

 イベは山よりも村に近い。あるいは村のミャー(広場)に接する平坦地の小さな林か藪と、その中の空き地にある拝所を指す村がある。ウボツカミヤマの斜面、あるいは直接、ミャーにある村も見られる。形態は、珊瑚岩でつんだ小高い塚、石で囲まれた一段高くなった土台と木、または自然石。

 この拝所も墓である。しかし、ここはイヤンヤ神山と異なって、神聖化されても怖れられてはいない。神祭りには必ず、供物が供えられ、拝まれている。このイベには村を常時守る神の観念が結びつけられている。たとえば武名部落のイベはシマガオス(シマコス=島高祖)として、この村の初めに当るシマタテヨタテ(=島建世建)の神の拝所とされている。この神は、シママモリガミと呼ばれるごとく、常にこの世に坐し(常在)、村と村民の存続を守る神である。

オボツカミか、後に触れるネリヤカミ、ナルコ・テルコカミと本質的に異なっている以外には、何の伝説も言い伝えもない点で非常に特色のある神と考えられる。この神の数、性または名前については一切分からないという村は多い。

 カミヤマの三つのタイプは部落によって一か所ないし二か所の山に集中している例もある。

 ぼくは、イベに祀られる常在神だけでなく、オボツ神も高神と見なした。その視点でみれば、オボツのカミヤマとイベは連結されてしかるべきだった。それが残っているのは、イベが「ウボツカミヤマの斜面」にある阿多地の例だと思う。

 阿多地では、イビである石の隣りに祠があり、そこは「村を開拓した人」を祀る場所である。ところで、このイビと「村を開拓した人」の祠は、実はボッ山(オボツ山)のなかにあるのである。イビとは、つねに村を守護する神が居る場所であることを考えれば、ボッ山につねに神(山の神)がいると考えられるようになったとしても不思議ではない。(吉成直樹『琉球民俗の底流―古歌謡は何を語るか』 2003年)

 これはぼくの言い方にすれば、村を守護する神がボッ山の神であり、それが山の神と呼ばれることもあったということになる。

 この連結が果たせなかった場合、イベとオボツのカミヤマは分裂あるいは二重化することになる。分裂、二重化契機になったのは、低地へ集落が移った時に、オボツのカミヤマとは離れた場所に移動したか、そもそも低地に集落が開拓されて以降に住み始めたかのどちからだ。

 そこで、高神に対する信仰の純粋形態は、イベに残り、オボツのカミヤマには別の集団による高神の信仰がかぶさったのだと思える。それは、イベの高神に対して、オボツの高神は、「天に坐す男性の一柱、ないし七柱の神」と、聖域が単性的であることの反映が神に対してなされていること、そしてオボツに迎えられた神が、来訪神の思考を接ぎ木していることに現れていると思える。

 興味深いのは、二月の神迎え(カムムケ)にボッ山から神を迎えるが、そのとき、ボッの神はいったんデイゴの木に降り立ち、さらに神が四月の神送り(オーホリ)に送られるときまで滞在することになるトネヤと呼ばれる建物にやってくると考えられていることである。(吉成直樹『琉球民俗の底流―古歌謡は何を語るか』 2003年)

 木に降り立った神が、トネヤにやってくるのは不可視の場合もあれば、祝女が可視化する場合もある。特に、後者の場合に、来訪神の思考の接ぎ木は露わになると言える。

 そして、イヤンヤ(岩屋)は聖域化されることなく、他界と見なされたカミヤマだ。これは埋葬思考と風葬思考が混合した際の、地上の他界のひとつであり、それゆえ非常に恐れられている。ただ、この場合でも、「グショの地下他界への入口」と、地下が意識されているのが興味深い。



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2014/12/07

「イメージの力」展、見聞記2

 幸運なことに、国立民族博物館の「イメージの力」展を再訪することができた。前回は興奮のあまり、浮ついていてじっくり眺めていなかったのが後で悔やまれた。というわけで、関心はやはり南太平洋に集中してしまうのだけれど、気になるものを凝視してきた。主催者側の配慮があったと思う。仮面たちの位置が低くなっていて、前回より仰角が減って助かった。再訪の甲斐があったというものだ。(cf.「「イメージの力」展、見聞記」

 タプアヌ(モートロック諸島)。男女一対の仮面。八重山のアンガマと同位相に当たると思う。

Angama

 アバン。今回は側面から見た。二つの顔を持っている仮面だ。

Avan

Avan3

 「祖先像」(バヌアツ、アンブリム島)。

Banuatsusosen

 精霊像ダジャオ(カプリマン族、パプアニューギニア)。見ればみるほどにメトロン星人。さかさまの人間がぶらさがっている。

Dazyao2


Dazyaohukubu

 魔除け用屋根の頂部飾りゴモア(カナク族、ニューカレドニア)。

Gomoa

 シャチの背びれがついた仮面(オウェキーノ族推定、カナダ)。

Gyorui1


Gyorui2

 カナダ、クワクワカワクゥ族の早変わり仮面。また違った角度から。ほれぼれするデザイン。

Hayakawari

 仮面ホホク(人食い鳥)。クワクワカワクゥ族(カンンダ)

Hitokuidori

 精霊像イプオン(アランブラック族、パプアニューギニア)。

Ipuon

 仮面サアヴィ(イアトムル族、パプアニューギニア)

Photo

 仮面カプダマ(イアトムル族、パプアニューギニア)

Kapudama

 仮面カラワラ(イアトムル族、パプアニューギニア)。これは精霊を表し、さまざまな仮面儀礼に登場するという解説あり。

Karawara

 彫像ハンプトン(モンダン族、インドネシア)。

 インドネシア・東カリマンタン州に住むダヤク系諸民族の人びとの手になるこの種の彫像は、ハンプトンと称される。大型の像は、祖先の霊を宿すものとして村はずれやロング・ハウスの入り口に建てられ、悪霊や病気が村や家へ侵入するのを防ぐとされる。死者が出ると、その故人の特徴を示す像が刻まれる。その像は、死者が祖先の世界へ旅立つ前の仮の住処とされ、葬儀ののちは、故人を記念するものとして保管される。

 人類学者たちが言及することの多いダヤク族。今回は、物憂げな印象は受けなかった。

Photo

 神像クラブ(ニューアイルランド島、パプアニューギニア)。

クラブは死者の魂の一時的な容器とされ、ニューアイルランド島南岸に特徴的なものであった。裕福な家族に死者が出ると、その家族の者がある山岳地帯の集落に出かけていき、そこに住む彫像製作者に、死者の性別に合わせて制作を依頼するか既製品を購入してくる。帰村後に、囲いを巡らした敷地内に小屋を建て、さらにその中に祠を作り、彫像を着色して一定期間、安置した。その期間が終わると遠く離れた場所に持っていって粉砕したという(林勲男)。

 クラブの原型は、霊石、琉球弧で言えばビッチュルではないだろうか。また、粉砕するのは、もとは死者の骨に対して行っていたことだと思える。

Kurabu

 マランガン(ニューアイルランド島)は葬送儀礼を指している。彫像はさまざまなタイプがあり、「亡くなった人物そのものではなく、その者に命を吹き込む力を表現しているといわれている」。デザインは受け継がれるもので、自由に好きなデザインにはできない。

 マランガンも男根が強調されている。そして、アスマット族の「祖先像」と同様、さかさまの鳥を持っている。

Marangan

Marangan3

Marangan2

Marangan4

 祖先像(アスマット族、インドネシア)

Sosenfm

 精霊ミミの彫像(アボリジニ、オーストラリア)。かわいいね。

Mimi

 サンニ・ヤクマの仮面(シンハラ族、スリランカ)。これは「嘔吐用」で、その下は、「リューマチ用」。

Outo

Ryumachi

 バヌアツ、マレクラ島の加入儀礼用精霊像。今回は、側面から。突き出た鼻?がいかつい。

Seijin

 木生シダ製精霊像「マゲ・ニ・ヒウィル」(バヌアツ、アンブリム島)。こんな顔の友達いたなあとしみじみ眺めた。

Seirei

Sosen1

 祖先像ングワルンドゥ(アベラム族、パプアニュービニア)。

Sosentoubu

 割れ目太鼓。今回は端と側面のデザイン。

Taikohashi

Taikosokumen

 トコベイ人形(トビ族、パラオ)。

 蹲踞(そんきょ)の姿勢をした男女一対の木彫である。名前が表すように、パラオのトビ島(日本時代はトコベイイと呼ばれた)で作られた。真珠母貝を埋め込んで目が強調されたものが多いが、本品の用途やいつごろから作られたかはっきりしないが、20世紀初頭の日本統治時代には土産物として人気があり、トビ島以外でも作られた。この丸っこい顔や体つきは、ほのかに愛嬌があり、ゆるキャラの元祖ともいえそうだ(印東道子)。

Tokobei

 カヌー用船首飾りヌズヌズ(ソロモン諸島)。

 ソロコン諸島では、かつて首狩りがおこなわれていた。他の島に遠征する際には、戦闘用のカヌーが用いられ、その船首部分にはヌズヌズと呼ばれる神像が取り付けられていた。ヌズヌズは戦闘の神であり、円筒形の帽子をかぶり、耳たぶには大きな孔をあけ、顎が極端に突き出ている。顔面には貝の螺細がほどこされている。そして人間の首を両手でしっかりと持っている。つまり、この像は敵を威嚇するためのものであった(林勲男)。

Toppoi

 カプリマン族の精霊像付き机後部。

Usiro

 今回は、「ワニの彫像」は細部を眺めた。

 このワニの木彫は、セピック川の支流であるカラワリ川流域のある村の男子集会所に置かれていたものである。男子集会所はハウス・タランバンとよばれ、成人式を終えた村の男たちだけがはいって、話し合いや食事をすることができる。ワニの木彫は新しい集会所の落成を記念する儀礼のために作られる。この流域に住む人びとのあいだでは、祖先とワニの関係を物語る伝説があり、この木彫には、子供たちを守護してくれる祖先の精霊が宿っていると信じられている(林勲男)。

 木彫の後部、つまりワニの尾は人間で作られている。

Wanikoubu

 鳥がいくつも彫られているのも気づいた。人間はワニと一体化しているが、鳥は掃除している姿を描いたもので、人間のように一体化したものではないように見える。

Waniningen


Wanitori


Wanitori2


Wanitori3

 柱状棺(遺骨の容器)。(アボリジニ、オーストラリア)。

 柱状棺はオーストラリア北部、アーネムランドの先住民の?集団の葬送儀礼の最終段階で用いられるが、集団によってドゥプンやジャンルンプなど、それぞれ独自の名で呼ばれている。死者が出ると、遺体はまずトーテムの印を付けられた上で埋葬される。日を置いて、遺体を取り出し、それを??の木の幹で作った柱上の棺に納める儀礼が行われる。遺骨を収めた柱状棺はキャンプの定められた場所に立てられ、その後は朽ちたままに任される。その儀礼は、死者の霊が死者の国に無事にたどり着けるように送り出すものだという。

 この葬法は、霊魂思考と霊力思考のアマルガムのひとつだと思う。

Photo_2

 墓標プカマニ・ポール(アボリジニ、オーストラリア)。

 オーストラリア北部準州の州都ダーウィンの北方、バサースト、メルヴィル両島の先住民ティウィの人びとが、数ヶ月も続くプカマニとよばれる葬送儀礼の最終段階に、遺体を埋めた周囲に鎮魂のため数本立てる、高いもので4メートルにおよぶ墓標。尖った先端部をもつ幾何学的な形状に彫ったユーカリなどの木に、赤、黄、黒、白の伝統的な4色の顔料で描かれた格子文様、同心円などの幾何学模様は、死者の偉業を称える。悪霊を恐れて人びとが再訪しない墓所に新旧の墓標が林立する風景は、今では観光ツアーの目玉である(久保正敏)。

Bohyou܇

 木綿製衣服(アイヌ)。美しい。

Ainu

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2014/12/06

葬地は聖地

 御嶽がかつての葬地だった例。

 宮古島、狩俣のニスマにある大森(フンムイ)から北西にかけての地域を「青山」と呼ぶ。そこには古い墓が点々とあり、また青山の背後の崖下の岩陰にも人骨が納められているという。そしてそこに神女たちの籠る御嶽であるアガイウタキ(東御嶽)、イスツウタキ(西御嶽)がある。狩俣の村落はかつてニスマにあり、その付近の斜面上から低地へと移動してきた。

 集落が低地に移った時、旧集落の森から山にかけて信仰の対象となり、そこのかつての葬地に御嶽が置かれている(比嘉康雄『神々の古層』)。また、アフノヤマ、アフノ森、アフ御嶽、アフサキ森、アフヤマの嶽などと呼ばれる御嶽は各地に散在し、それが風葬所と併存している(湧上元雄「沖縄の古代祭祀と他界観」)。

 こうした形態がさらに象徴的になったものに、二体が埋葬あるいは祀られている例がある。

 トカラ列島平島では夫婦二人の骨を「島立て神」として祀っている(笹森儀助『拾島状況録』)。古宇利島のマーハグチ御嶽には二個の髑髏があって、年に四回の吉日を選んで、全裸の祝女がその髑髏を神酒で洗う式がある(『国頭郡志』)。伊計島の最も大きな拝所であるセーナナの拝所の由来では、天から男女の裸神が降りて島造りに携わった。この二神を、裸世之神、または東世之神としてその遺骨を祀っている。津堅島にも二人の始祖を祀った記録があり、「喜舎場子、真志良代の二人、既に天年を終へ、遂に中の御嶽に葬る。之を禱れば必ず応ず」(『遺老説伝』)。

 これらの例は、兄妹始祖神話を背景においた男女二神を、村落の始祖として御嶽に埋葬したものだ。

 一体ということもあり、この場合は、祝女であることが多い。「巫女はその主神と紙一重の生活をした人である。(中略)その中の最高の婦女は生き乍ら神とされてゐて、亡くなると本道の神になる」(折口信夫)というように、神としての祝女が祀られているものだ。友盛御嶽は、聞得大君の骨を安置している。奄美諸島の御嶽であるイベ、ウブに祀られているのは「若干の英雄を除けば大体が祝女である」(酒井卯作)。

 ぼくたちは共同体の旧集落の葬地、男女二神の二体の葬地、祝女の一体の葬地を、御嶽の構成の段階として想定することができる。二体の段階では、母系化による兄妹始祖神話を元にしており、一体の場合は、母系社会の進展に伴い、女性(姉)が宗教を、男性(弟)が政治を司った段階を想定すればよいと思える。

 これらはいずれも高神として祀られている。そしてこの高神の根拠となっているのが骨なのだ。「骨神(ふにしん)」とはそういう意味だ。地下の他界の思考では、埋葬のあと頭骨のみが取りだされ崇拝される。この思考のなかでは祖先崇拝が生れる場合がある。

 事例1.ベレプ諸島。浅い墓穴に頭を上にして坐位で埋葬する。頭だけ地上に出しておくこともある。後で頭蓋を取るためである。墓掘り人は穢であるとして、厳重に隔離される。死後一年すると、死体の肉が完全に腐り、頭蓋を取り去って住居近くの各家族墓地の地上に並べる。彼らは祖先の功徳を信じ、墓地である聖域は、犯すべからざる財産で、他人の聖域を犯すことはない。病人を治そうとすれば、まず家族の一人が甘藷の葉を携えて聖域に行き、これを頭蓋に供えて成功を祈る。豊作を願う時もヤム芋の取り入れ前に不作の心配のある時にも、頭蓋に祈る。

 事例2.ニューカレドニア島南々東部の島人。死体は埋葬するが首だけを出しておく。10日経つと、首を取り、頭蓋を保存する。病気や災害の時には頭蓋に食物を手向ける。彼らの神々は彼らの祖先であって、その遺品を保存し、偶像崇拝する。死者は白人に化現するという信仰もある(p.233)。

 この南太平洋の例では、頭蓋は家族の中でのみ信仰の対象となっている。しかし、御嶽が生み出された時、家族内の信仰は共同化されたが、その時、葬地が根拠となって高神の観念は発生したと言える。そして高神の根拠となる骨は、男女二神や女性祭司へと移行していったと考えることができる。したがって、高神は、祖霊的なものから島建ての始祖までの幅を含むことになる。

 また、御嶽とは高神が定住あるいは降臨する聖域と言うことができる。


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2014/12/05

オボツは他界なのか?

 J・クライナーは、「南西諸島における神観念・世界観の再考察」のなかで、シママモリ・シマタテの神を、「あの世」と「この世」の区別を持たない、「この世」の秩序を保つために村落に常在する神と位置づけている。一方、オボツ・カグラは、「あの世」を指し、従ってオボツ神は「あの世」から来訪するものとして捉えている。

 しかし、オボツとは「あの世」を指すだろうか。言い換えれば、オボツとは天上の他界を意味するだろうか。

 福寛美は、「『おもろそうし』の中の女の霊力と他界」のなかで、「おもろそうし」に歌われるニルヤ・カナヤとオボツを詳細に検討している。

 まず、ニライ・カナイの主である「ニライの大主」は、アマニコに化身して地上に豊かな霊力(ニルヤセヂ)をもたらすと謡われることがある。

 巻1-40 (前略)又赤口が 撥ねて/ぜるまゝが 撥ねて/又にるやぎやめ 通ちへ/かなやぎやめ 通ちへ/又あまにこの うらやて/けさにこの 聞ゑて/又にるや吉日 取りよわちへ/かなや吉日 取りよわちへ/又首里杜 うち歩で/真玉杜 うち歩で/又金の御内 真庭に/雲子御内 真庭に/又綾子浜 やびちへ/しつこ浜 やびちへ/又三庫裡 させわちへ/三庭あしやげ させわちへ/又肝が内の 生まれて/御肝内の 勝れて(後略)

(火の神が撥ねて、ニルヤ・カナヤにまでそのことをお伝えすると、祖先神であるアマニコ・ケサニコ様が心を動かして、ニルヤ・カナヤの吉日をお選びになり、首里杜、真玉杜に歩をお進めになり、王城内の蚊が屋敷神庭に、綾子浜に出現し給いて、三庫裡、三庭あしやげで祈願をさせ給う)

 これはアマニコを来訪神になぞらえた記述で、「二ライの大主」は他界の主であることが示されている。

 巻3-97 一地天鳴響む大主/にるやせぢ 知らたる/せぢや 遣り/大和島 治め(ニルヤの大主は、ニルヤセヂを豊かにお持ちである。セジを遣って日本本土をも攻めほろぼし、支配せよ。)

 ニルヤセヂは日本をほろぼすといった強い霊力を持つと考えられている。

 巻3-97 又大和前坊主の/あよなめの厳子/又山城前坊主の/ことなめのおが衆生/又精軍てゝ 発てば/干瀬と 合わちへ つい退け/又ゑそこてゝ 発てば/にるや底 つい退け/又肝が内に 思わば/肝垂りよ しめれ/又肝が内に 思わば/大地に 落ちへ 捨てれ/又天が下 国数/大主す よ治らめ(大和兵が来ても、王府軍が発って、岩礁にぶつけて退けてしまえ。海の底の悪いものをとじこめるニルヤ底に、退けてしまえ。呪詛して気力を失わせ、大地の底へ落とし、捨ててしまえ。天下のすべての国を治めるのは、首里の国王様である)。

 ここで言う「にるや底 つい退け」とは、地下に退けろというよりは、他界へ追いやってしまえという意味だ。

 ニルヤへの祈願には「水乞い」の例があり、またニルヤは訪れる神、神のごとき人の出自として謡われる。また、「ニルヤ、カナヤの名の冠せられた天体は、いずれも、その朝な、夕なに生成する水平線の印象に縛られており、中天高く輝く太陽や月ではない」。

 これらの整理からは、おもろ時代において、ニライ・カナイが他界として見なされていたことを示している。ただ、「二ライの大主」という存在は、他界のなかで高神的な存在を設定した作為が感じられる。

 これに対してオボツはどう記述されているか。

 巻12-732 一聞得大君ぎや/おぼつせぢ 降ろちへ/按司添いよ 見守て/君々や おぼつより 帰ら/又鳴響む精高子が/神座せぢ 降ろちへ(後略)(聞得大君が、オボツセヂ・カグラセヂを降ろし、国王様を見守るため、神女達はオボツより地上へ帰る。)

 オボツ・カグラは霊力に満ちた空間であるのは、ニライ・カナイと変わらないが、この霊力は「王府の高級神女が天上から地上へもたらした」とされている。

 福によれば、オボツ・カグラは「地上の人間がある程度、その有様を想像している」。

 巻12-691 一聞ゑ宣ん君が/首里杜 清らや/神楽の京の内る かに ある/又鳴響む宣ん君が/真玉杜 清らや(せん君が、首里内の杜で祭祀を行うさまのすばらしさよ。カグラの聖域内もかくある、と思われる)。

 「地上の、盛んで美しい祭祀の情景」から、類推が行われている。また、オボツ・カグラは美称辞として用いられている。

 オボツ・カグラはアマミやニルヤに比べ、きわめて具体的な姿をしている。前述したように、オボツの姿はある程度、地上の人間によって想像されており、そこは豊かな霊力の源、日神のいます場、神女が通う場、なのである(p.262)。

 福は加えて、オボツ・カグラとテダ、テルカハという日神との関係を検討している。

 テダ=神話的日神
 1.男性支配者の呼称・呼称の一部となる。
 2.地方、王府、共に信仰される。
 3.神女祭祀との結びつきは比較的うすい。
 4.物質的な太陽、という意味が強い。

 テルカハ
 1.男性支配者の呼称となることはない。
 2.王府のみで信仰される。
 3.神女祭祀と深く結びつく。
 4.霊力豊かな日神、という意味が強い。

 この整理を踏まえた上で、福は、

 『おもろそうし』の事例を分析したところ、地方オモロ時代には素朴なテダ信仰があった、ということがわかる。(テルカハ信仰の用例はない。)やがて王府オモロ時代になると、複雑なテダ信仰、テルカハ信仰がみられるようになる。すなわち、国王は、神話的には“テダの末裔”、宗教的には“テルカハの霊力を占有する者”となっていったわけである。そして、神話的概念である“天”と宗教的概念である“オボツ”を同一視し、その中に二神を位置づけたわけである。

 「おもろそうし」のオボツ・カグラの記述は、ニライ・カナイに比べて、イメージが貧弱というか乏しい印象を受ける。それは神女である人間が想像を試みることが可能な程度でしかない。日神という光も、そのイメージ性の乏しさを示すもので、具象性に欠けている。これらは、日神が高神を示すもので、オボツ・カグラは天上の高いというより、日神という高神のいる天上界を示すものと見なしたほうが妥当だと思える。

 安良城は、「大主」の特徴が、性別がなく、「子どももいなければ、兄弟もいないし、親もいない、勿論夫も妻もいない」存在であることから、この神観念は「未開に近い、マナ・アニミズムの世界に近似的なものを考えなければならない」としている。これを受けて、J・クライナーは賛成できない、として、「むしろこれは唯一神、至上神または創造神、絶対の神に近い要素であると見るべきではないだろうか」(「南西諸島における神観念・世界観の再考察」)と書いている。クライナーは、「大主」は高神ではないかと言いたいわけだ。これはクライナーの言う通りだが、他界のなかに設定された高神という作為なのだと考えることができる。他界に高神は存在しないから、王権に要請された作為だと見なすのだ。

 したがって、冒頭の疑問に戻れば、オボツ神が来訪するという「神迎え、神送り」の祭儀は、高神の儀礼に来訪神儀礼を接合したものだと考えることができる。


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2014/12/04

琉球弧の樹上葬

 はたして琉球弧で行われた樹上葬は、古代からのものだったのだろうか。それとも新しく導入されたものだったのだろうか。

 琉球弧における樹上葬の存在を明記したのは名越左源太だ。

 女巫死し去れば、即其戸(しかばね)を櫃(ひつ)に入て樹の上に懸け晒風雨。三年之後石櫃に収て、神〔人登〕天の古き戒也と云。中古、監官禁之到ては、竊(ひそか)に行之纔(わずか)に三、四村也。(中略)嶋中諸所山中又は村山に人を禁止、不入処あり、是多くは能呂久米(のろくめ)の頭(かしら)御印可那之(ごいながなし)の葬場ならん。其法、若し天主教に紛らわしなどの疑ひあらんと、監官より禁之。(若し強て此山中に入るものは、反鼻蛇に打れ、又頓死すると云伝て、島人大に畏れ不近。)(名越左源太『南島雑話 2』

 死体を棺に入れて樹の上にかけて風雨に晒す。そして三年後に石櫃に収めた、とある。これは祝女に対して行われたことだということも分かる。この葬法は、薩摩藩からはキリスト教ではないかと疑われ禁じられていた。「養和の飢饉」のページの下方で名越が描いた図もみられる。

 名越の文章と図からはこれが樹上葬であることが分かる。また、一般の葬法ではないから、祝女に対してのみ行われたのか、気になる。

 伊波普猷は、島袋源七から聞いた話として、次のように書き留めている。

図は国頭郡の久志村の山中にあったもので、島袋源七君が現にそれを見たことのある土地の老人に根掘葉掘り聞きながら書き、其人が実物に近いといふまで、修正したものである。この図では小屋の壁の二面だけは棺柩の這入ったのを見せる為に(中略)、あけておいた。それから其周囲の木の枝などには、洗骨した髑髏が袋や芭蕉布で包んで、澤山つるしてあったとのことである。この老人の話によれば、屍が腐敗し始めると、この付近は到底通れなかったということである。この棺柩は久高島や沖永良部島などのそれのように、もと地上に置かれたのであろうが、こうして三、四尺位の一本の柱の上にすえられた小屋の中に収められて、周囲に柵まで立てられたのは、猟犬などが繁殖するにつれて、その害を避ける必要上段々発達して、ついにこういう形を取るに至ったのではあるまいか。(伊波普猷「南島古代の葬制」)

 この図も上で紹介した同ページに載っている。島袋が土地の老人に根掘り葉掘り聞かなければならなかったのだから、島袋が聴取しただろう昭和初期にはもう見られなくなっていたか、なかなか見ることのできないものだったかを示している。ここでは誰に対して行われた葬法かは書かれていないが、周囲の木の枝には、洗骨した頭蓋が袋や芭蕉布に包まれてたくさん吊るしてあったということからすると、祝女という限定された島人だけの葬法ではなかったのかもしれない。

 ただ、この「三、四尺位の一本の柱の上にすえられた小屋の中に収められて」という形態は、樹上葬というより、台上葬あるいは杭上葬とでも言うべきものだ。

 そこで関心を惹かれるのは、南太平洋においても、同様の形態を見出せることだ。

 例.ボルネオ(カリマンタン)のダヤク族(シー・ダイヤ)。ふつうは埋葬するが、特に尊敬される人は埋葬せず、8~10フィートの杭上の家の中に安置し、柵をもって囲う。耕作を決定する星に関する知識を有する男女に行う。

 家の中か山中という違いがあるが、死体の置かれた形態は似ている。ほぼ同じだと言ってもいい。興味深いことに、南太平洋において、特定者だけ台上葬を行う事例を探ると、ふつうは埋葬を行うが、首長や戦士や、ダヤク族のように特に敬意を払われた人のみが台上葬を行っていることだ。その分布は、メラネシア、ニューギニア、ボルネオ、スマトラ、フィリピンである。特にダヤク族においても、「耕作を決定する星に関する知識を有する男女」とあり、呪術師の系譜である点、名越の挙げた祝女との親近性も伺える。

 山原の山中の杭上葬とでも言うべき葬法が、祝女のような宗教者に対して行われたものだとすれば、ふつうの島人とは異なる葬法として選択されたのかもしれない。古代琉球弧は、埋葬思考と樹上・台上葬思考との混合として言うことができるから、古代からこの形態は存在した可能性を持つ。

 ただ、名越の挙げた典型的な樹上葬は、セラム島のアルフル族において、腐敗するまで森の中の木にかけ、のちに納棺して家の中に保存するという以外は見出せないから(棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)、これは後に流入されたものだという可能性もある。ただ、流入したにせよ、琉球弧においては樹上葬を受容する思考は既にあったと言うことはできる。

※『南島雑話』にある「神登天に関わりを持つ処置なり」という注は、高神化という意味にも取れる。


『南島雑話 2』

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2014/12/03

琉球弧葬法の6類型

 琉球弧の葬法について詳細に辿るとすれば、家を去る/去らない、埋める/埋めない、改葬する/改葬しない、という態度の分岐を考えれば、2×2×2の8通りを考えればよいことになる。しかし、「家を去る」場合は、改葬する/改葬しないの選択肢はなく、「改葬しない」の1通りになるから、実際は6通りが想定できる。

1

 読谷村の木綿原遺跡では、貝塚時代の十二体の人骨が出土。伸展葬で貝がおいてある。改葬された痕跡はない。このとき、家を去ったかどうかは判断がつかないとすれば、これは、1か4に属する。

 石垣島新川ビロースクの13世紀の人骨は、住居跡の近くに、胸に両手をおいた屈葬。これも改葬のあとはないので、4に属する。

 読谷村大当原貝塚では、頭骨のみを二次的に改葬した後がある。これは3に属する。

 伊是名島の具志川島遺跡からは、岩陰から人骨が出土。貝輪を前脳部につけ改葬されたもの。これは3あるいは5に属する。

 徳之島喜念貝塚、同島面縄貝塚で見出された人骨は、二次葬、三次葬の集骨と考えるのが最も自然だと、国分直一は書いている。この記述だけからは分かりにくいが、3あるいは5に属する。

 考えてみれば、2、6は出土する対象にはならず、野ざらしに置かれていたり、風化していたりするだろう。

 だから、ここでは1~6はどれも想定できるとしておく。


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2014/12/02

南太平洋の死体放置

 死体放置の原型を見ようとすれば、必然的に「死者を家に葬り、家を捨てる例」と同義になるが、もう少し琉球弧に近づけてみる。


 例1.シタラ・ワニヤ族(セイロン島)。

 死体は死の起こった洞穴や岩屋に残される。死体は洗ったり着物を着せられたり、飾ったりされないで、自然の仰臥の姿勢で寝かされ、木の葉や小枝で覆われる。時として大きな石が死者の胸上に置かれることがある。死後できるだけはやく死の場所を離れ、長期間寄りつかない。

 コビール・ワナマイ族(セイロン島)。墓穴は死体を墓に運んだ死者の二人の兄弟によって掘られ、枕も副葬されず、その中身も生者によってただちに消費された。墓には水も手向けられず、火も燃やされなかった。死体を運んだ二人も水で身体を洗ったり、その他の払浄も行わなかった。

 これらのヴェッダ族では、病気は死者や死霊と関係づけられない。死穢の観念は欠如している。他界の観念も持たない。

 例2.クブ族(スマトラ島)。

 家の中に死者や瀕死の病人を残して逃げ去り、遠く隔たった場所に新しいさしかけを作って住む(by ローブ)。以前には死者を埋葬せず、死者の死んだ小屋または死者の発見せられた場所に木の棒で二尺位の高さの垣をして、その上に木の葉で屋根を作り、それがすむと、その場を逃げ去った(by ハーゲン)。これをメランガンという(p.540)。

 未開のクブ族では、人間は死んでしまえばそれまでで、死後の世界の観念については何も持ち合わせていない(p.535)。


 洞窟を居住地とした段階では、洞窟に死者を葬り、生者はそこを去った。この場合、他界観念は持っていない。琉球弧においてこの段階の可能性は排除できない。


例3.タサウ族(マレー半島セランゴール州クアラランガット)。

誰かが死ぬと遠い森に運び、特に建てた小屋の中に寝かせ、七日間毎日そこに出かけて子供や最近親が見守るが、七日過ぎると、消えうせるものと考えてもう見守りに行かない。

 タサウ族では、死者のために家を捨てず、殯をし改葬(洗骨)を伴わない例だ。

 こうした例を追うのは、国頭の阿波に似たものがあるからだ。

 目撃者のいる最古の葬法は、海に近い村外れのアダンの繁みの中に納棺せずに遺骸を置いたままで、その後は何もしなかった。犬がその骨を加えてくることもあった(常見純一)。

Photo_2

 この表でいえば、常見の挙げた国頭の例は、2の類型に該当する。ぼくたちは、3を台上葬、4を埋葬とし、どちらにも骨の処理が伴う場合を考察してきた。しかし、琉球弧のアルカイックな葬法を理解しようとすれば、改葬の伴わない場合を組みこむ必要があると思える。

 すると、ぼくたちが風葬と呼んでいるものは、死体を放置して家を去る場合(1)、家を去らずに、外に死体を放置した場合(2)、外に死体を置き、骨化した後、骨を処理する(3)場合とを含むことになる。また、先に、琉球弧には埋められない埋葬があったとする仮説からすれば、外に死体を埋葬し、骨化した後、骨を処理する(5)の変形の場合もあることになる。

 風葬の分かりにくさ、重層性はこの4つの態度を含むからだと考えられる。

 そして少なくとも1~3の場合は、他界観念は明瞭に持っていない。もちろん、仮に国頭の阿波の事例でも、当事者は既に他界観念を持っているはずだが、葬法は頑固に残っていたとすれば、他界を持たない種族が琉球弧へ渡ってきた段階を想定する上では重要な事例なのだ。

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2014/12/01

南太平洋の服喪の二類型

 樹上葬、台上葬における服喪は、剃髪、蟄居、塗身などがあるが、オーストラリアにおいて特徴的なのは、特に女性に課せられる「沈黙の掟」だ。一方、埋葬における服喪は、死者の名を呼ばないこと。

 メラネシアにおける服喪は、性のタブー、蟄居、食物の制限ないし断ち物、剃神、墓上に寝ること、火を焚いて暖めること、死霊瞞着。

 ニューギニアに多いのは、身体彩色または塗泥。

 ポリネシアにおいては身体毀損が行われる。ニューギニアにおける身体彩色は、身体毀損の弱められた変形ではないだろうか。

 樹上葬や台上葬の「身体の霊」の思考の段階では、服喪は、未分化の共同幻想、自己幻想、対幻想の全領域に影響が及ぶ。埋葬の「肉と骨の霊」の思考の段階では、それぞれの幻想の分化が起こっているから、注意が払われるのは死霊との関係のみになる。それが、「沈黙の掟」と「死者の名を呼ばないこと」との差ではないだろうか(cf.『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)。

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