埋葬思考と風葬思考の混融
棚瀬襄爾は、マレーシアにおいては、死霊がイメージ化された霊であるのに対して、「霊質」が「身体またはその部分と共に共存し、流動的で転位が可能」であるものとして考えられていて、「異常な発展」をしていると指摘している。棚瀬が挙げているのはマレー半島のバタク族の例だ。
人間はただひとつの霊魂を持つ。霊魂は恐ろしい時や夢、病気の時に、一時肉体を去り、それが永久に去れば、人は死ぬ。自己の霊魂を強め、養うことはバタク族の人生観の中心をなすもので、食人の習俗も他人の霊魂を自己に取り入れるためだった。トバ・バタク族では、捕虜や姦通罪を犯した者の肉を食う習俗があった。激しい敵意を癒すためでも倒錯的な意味からでもなく、霊質を得るためだった。戦死や姦通者の霊質は特に力強く貴いと考えられた。パクパク・バタク族は年老いた親を殺してその肉を食ったり、ときどき市場に人肉を売りに出ることもあった。
パクパク・バタク族で「年老いた親を殺してその肉を食った」という例は、与那国島などの伝承が虚構ではないことを示唆するものだと思え、胸が高なる。ここでの食人の思考は、霊魂は死者の身体を離れないが、死後もしばらくは身体に残り、食人によってその霊魂の転位が可能だとされていることだ。その側面を棚瀬は霊質と呼んでいる。
ぼくたちは前に霊魂のイメージ化の段階を追ったが、実は、埋葬思考と風葬思考においては、その霊魂観も異なっている。埋葬思考においては、影や水に映る姿、夢に現れる死者を通じて、霊魂が身体を離れ、戻らなくなった時、人は死ぬという霊魂像を持っていた。だから、病気の治療とは離れた霊魂を取り戻すことに他ならなかった。
カリマンタン(ボルネオ)のカヤン族では、その様子はこうなる。
原因不明の重病は悪霊の仕業とみ、祈祷によって治療する。狂気も悪霊の憑依を原因とし、病人の霊魂がぬけだしたことが原因だから、霊魂が復帰できるようにする。捕霊するのは職業的巫者。ふつうは病中夢で巫者を勧められて、先任巫に技術を習得する。女性が多い。巫者は頼まれると、トランス状態になり、自分の霊魂を送って病人の霊魂が戻るようにする。この行事は、歩廊で親族知友に囲まれて病人の側のかがり火の下で行われる。トランスから戻ると、巫者は小石か木片のようなものを持っていて、これに病人の霊魂が入っているとし、病人の頭にこすりつけて霊魂を戻し、霊魂が逃げ出さないように、椰子の葉で腕首をくくる。鶏や豚を屠殺し、椰子の葉に血を塗る。巫者は病人の守るべき禁忌を指示する。
もうほとんど琉球弧に近いと言っていいが、この捕霊による病者治療は、埋葬思考の産物だ。ところが、食人における霊魂の思考は、それが身体を離れるとは考えられておらず、かつ身体全体あるいはある部分に浸潤しているもののようにみなされている。だから、食人をするのだし、樹上葬において親族が死体から出る死汁を浴びたのも同じ考え方によるものだった。ぼくたちは、精霊が次々と姿を変化させる高次元の対称世界を他界の元型と見なしたが、この身体を離れず身体に充ちているエネルギーのような霊質は霊魂の元型と言えるのではないだろうか。
ぼくたちがここで琉球弧の食人の思考の内実を知るのだが、もうひとつ気になることがある。霊魂の転位としてぼくたちが見てきたものに添い寝があるからだ。病者に元気な親族の身体をからませ、あるいは死者と添い寝することによって見ようとしてきたのは、霊魂の転位ということだった。ここでは霊魂の転位は、生者から病者に対する場合も、死者から生者に対する場合も、その人にひとつある霊魂が丸々転位するというより、流動的なエネルギー量のように分配され転位するもののように捉えられている。ところで、台上葬や樹上葬のなかではこの添い寝の習俗の例をぼくは見つけることができない。その代わり、埋葬の行動のなかにそれを見出す。
死の翌日に埋葬する。家の中に墓穴を掘り、死体を坐位にして埋める。死体の上部を地上に出す。親族は男女別々に若干期間、死体の傍で寝る。のち、しばらくして死者の霊魂を追い払う。死体の肉が完全に腐ると、骨を墓から取りだす。その後、葬宴を催す(スルカ族)。
身分のある者は、本人の要求により担架にのせて、dukduk儀礼を行った秘密の場所や舟庫、農園、植えた木、よく戦った境界地、親類縁者の家を見せてまわる。死の第一夜には、二人の者が死者の両側に一人ずつ寝る。これは、彼らの霊魂があの世へ供するためであるという(トーライ族)。
ダントルカストー北部のメラネシア人。夫が死ぬと、寡婦が遺骸とともに寝る。死体は埋葬する(p.317)。
どちらもニューギニア島近くの例だが、死の直後に、死者とともに親族が添い寝している。しかも、トーライ族においては、それは「霊魂があの世へ供するためである」と観察者によって記録されている。身体が霊魂を離れるという観念のあるところで、死者への添い寝をあの世への供と考えることはとても自然なことだ。むしろ、添い寝はもともと死霊への随行の意味でなされていたことなのかもしれない。すると、琉球弧の添い寝が霊魂の転位のような仕草に見えるのはどう理解すればいいだろうか。ここで、食人における食べることで霊魂の転位を図った行為からは飛躍が見られるのだ。
マレーシアにおいて、霊魂が流動的で転位可能なものと見なされた、その延長に、琉球弧においては、それは身体を接近させることで離れていても転位が可能なものとして思考されたということではないだろうか。食人において、霊魂が流動的なものと見なされていたのであれば、それが流動的なエネルギー量として近傍に移動することができるという思考を生みだしたのではないだろうか。これは、遊離する霊魂という観念と身体に浸潤する霊質という観念とが融合している。ぼくたちは琉球弧の添い寝を、埋葬思考と風葬思考の融合の例として見ることができる。そしてもしかしたらこれが琉球弧の霊魂観念の特異性なのかもしれない。
こうして埋葬の思考と台上葬や樹上葬といった乾燥葬の思考の混融の例は、南太平洋にも見出せる。むしろ混融した例の方が多いくらいで、原型そのままのものは見出せないと言ってもいい。たとえば、ぼくたちは母系社会の根拠を伝えたトロブリアンド諸島は、埋葬を行うが、人間への再生信仰が明確にあった。また、ニューギニアのタミ族の「短い霊魂」が地下の他界へ行く例を挙げたが、より詳細には次のように報告されている。
人は長い霊魂と短い霊魂を持つ。長い霊魂は影と同一視。睡眠中、身体を離れ、覚める時、帰ってくる。胃にある。人が死ぬと長い霊魂は、死体を離れて遠方の友人に死去を知らせる。その後、ニューブリテン島西岸を経て、北岸の村に行く。短い霊魂は死後のみ離れて、しばらく死体の付近を彷徨ってから地下界、ランボアムに行く。ランボアムは現世と酷似するが、現世より美しくより完全。ランボアムに行った霊魂は、蛇形でときに現世に帰来する。この時、シューシューという音を立てるだけだが、この音を解釈する者(主に女)がいて何を話しているか判断する。また、死霊に尋ねる能力のある者(主に女)がいて、これは世襲。ランボアムで死んだ霊魂は、蟻や蛆になる
「長い霊魂」は、身体を遊離し明らかに埋葬の思考の産物であることを教えるが、他方の「短い霊魂」は「死後のみ離れ」、かつ、蛇や蟻、蛆に転生するという観念は乾燥葬の思考の痕跡を見出せる。タミ族にはおいては両思考の混融を、「長い霊魂」と「短い霊魂」という霊魂の複数化で共存させたと言うことができるのだ。
| 固定リンク
« 風葬の系譜 | トップページ | 埋められない埋葬 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント