「われらみな食人種(カニバル)」と「狂牛病の教訓」
オーストラリア政府の行政管理に移管される1949年以前には、ニューギニア内部の山岳地帯には、カニバリズム(食人)の風習がはびこっていた。「一定範囲の近しい親族の死体を食べるのが、その人に対して愛情と敬意を表すやり方だったのである」。
白人の影響力でカニバリズムの慣行に終止符が打たれる。「現地人のインフォーマントがその詳細を驚くほど細やかに語るそのカニバリズムの慣習は、調査が始められたときにはすでに無くなっていた」。
これが棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』のなかでも、食人の事例があまり見つからない理由だというのが分かる。与那国島の慶田城は15世紀頃の人物だから、琉球弧ではニューギニアより早く、この習俗はなくなっていたかもしれない。
レヴィ・ストロースは、「われらみな食人種(カニバル)」のなかで、カニバリズムを分類している。
1.食べることを目的としたもの(窮乏期に、もしくは人肉への嗜好ゆえに)。
2.政治的なもの(犯罪者の懲罰もしくは敵への報復として)。
3.魔術的なもの(故人の美徳に同化するため、あるいは逆に、その魂を遠ざけるために)。
4.儀礼的なもの(それが宗教上の崇拝や、死者の祭礼もしくは成熟の祭りに属するものであったり、農耕の豊穣を保証するものでもある場合)。
5.治療法。
たとえば、1972年にアンデス山中に墜落した飛行機の搭乗者が死んだ仲間を食べたのは1の「窮乏期」に当り、19世紀のヨーロッパでは美食のなかに位置づけられることがあったと言うが、これも1の「人肉への嗜好」に当る。
この分類に従えば、琉球弧のそれは「魔術的」なものであり、マリンド・アニム族のマヨ祭儀におけるそれが「儀礼的」なものとして両者を区別することができる。
レヴィ・ストロースは、カニバリズムを「野蛮」と見なす人もいるが、全体を見渡すと、「かなりありふれたものでしたかない」と言う。
ジャン=ジャック・ルソーは、わたしたちを他者と同一化する方へと駆り立てる感情をもって、社会生活の起源だと見なした。何よりまず、他者を自分自身に同一化する最も単純な手段はやはり、他者を食べてしまうことである。
◇◆◇
アメリカ大陸の先住民や、長いあいだ文字を用いずに暮らしていた人たちにとって、神話の時代というのは、人間と動物たちとがはっきりと区別されておらず。たがいに意思を通じあえるような時代だった。(中略)
現在でもまだ、すべての生命を持ったもののあいだにあった原初の連帯を、われわれはぼんやりとだが意識しているように思われる(「狂牛病の教訓」)。
としてレヴィ・ストロースが挙げるのは、子供に与えるぬいぐるみや絵本のことだ。
文字を持たない人たちの一部は、動物を食べることを、食人習俗(カニバリズム)の「ほんのわずかに弱められた一形態」だと見なしている。狩人と獲物の関係を親族関係になぞらえる。性交を摂食行為になぞらえていることにも現れる。
もうひとつは、肉食のうちに食人習俗(カニバリズム)の一形態を見る。「他者を食べているように思えても、その実自分自身を食べていることになる」。
この区分で言えば、琉球弧のそれは前者に近いと言えるだろうか。
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