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2014/11/14

ニライ・カナイ、地の底から海上への転位

 ぼくたちは琉球弧に洞窟や叢林の奥から通じる地下の他界の観念が存在したことを見てきた。しかし、風聞に入る限り、もっとも知られているのは海の彼方とする海上の他界である。海上の他界とは何だろうか。

 棚瀬襄爾は他界の方位を考察するなかで示唆を与えている。他界の方位には種族の移動に関わるものが多い。たとえば、オセアニアでは種族は東から西へ移動しているから方位を持つ場合、西方が多い。しかし、そればかりでないのは「憧憬の地」を他界の方位とする種族もあることだ。たとえば、マリンド・アニム族ではディグル地方、次にフライ河と観念されてきたが、最近ではアンボン、マカッサル、スラバヤになっている。このような変化は特にマリンド・アニム族のなかでも海岸に住む島人によってなされているが、これは外国人との交流の結果、「彼らの知るに至った文化の中心に対する憧憬が他界の住所を決定したと思われるのである」と書いている。

 しかし、他界の方位は種族の移動と憧憬の地というばかりではない。オセアニアでは確かに種族は東から西へ移動しているから西方が他界になる場合もあるかもしれないが、それだけとは考えられない。たとえば、アフリカでは種族は西か南へ移動しているから、東方あるいは北方を他界とすべきだが、アフリカにも西方の他界が存在し、北から南下したアメリカの先住民にも西方の他界は存在している。西方を他界とする場合、種族の移動や憧憬の地とは別の要因がなければならない。

 そうして棚瀬が着目するのは太陽が沈む方位としての西という意味だ。たとえば、トレス海峡の西部諸島では、死者の霊魂の行く先は太陽の沈むはるか西方の島で、そこは生者の舟は行ったことがないという。この島はキブと呼ばれるが、それは「沈む太陽」を意味している。ニューギニアのビナ族の他界も太陽の沈む西方にある。棚瀬は、太陽の沈む方向としての西方という観念は、地下他界を持つ思考と台上葬や樹上葬など、太陽に関心を持つ思考との混合ではないかとしている。

 棚瀬はこの混合の形態において、地下から太陽の沈む西方へと伸びる中間の段階を指摘している。ポリネシアのウポル島では、死者の霊魂は東から西へ渡るが、飛び石と呼ばれる岩のあるところから海へ飛び込み、西北にあるサバイイ島に泳いでいき、サバイイ島の西端にある珊瑚礁の穴から飛び込んで地下の他界に入る。同じポリネシアのロツマ島では、死者の霊魂は島の西端で島を離れ、西の沖の海の下にあると言われる他界へ行く。

 こうした例のなかでも、ひときわ印象的なのは、ポリネシアのマンガイア島のものだ。マンガイア島では、死者の霊魂はすぐにあの世に行くのではなく、まず磯ずたいに珊瑚礁のとげとげしい角に悩み、つる草に足を取られながら旅をして、冬至と夏至に、朝陽に面する島の二つの地点に集まる。夏至に集まる地点は島の南半分の死霊が「最後の悲しい旅を太陽とともにするために」集合する。冬至に集まる地点は島の北半分の死霊が集まる。死と最後の旅のあいだの間は、死霊は踊ったり自分の家を訪れたりして過ごしている。あの世へ出発する時間は一考のリーダーが決める。その時になると、死霊たちは泣きながら集まり、太陽の昇る水平線を見守り、朝陽が昇る瞬間に太陽の通る道に行くために出発し、夕方、沈む太陽に面して集合する。そして、「太陽が地平線に沈む瞬間に、死霊の一行は夕陽の黄金色の光跡を追い、きらめく海を越えて太陽とともにあの世へ下る」のだ。

 ポリネシアの島々の例は、珊瑚礁という環境が身近なこともあってリアルに想起できるものだ。とりわけマンガイア島の例が印象的なのは、ぼくたちもまた沈む夕陽が海を染める時、そこに作られる黄金の道を歩いてみたいと、一度ならず思ってきたからだ。この他界への道行きを思考したマンガイアの島人も、あの黄金の海道に魅入られたに違いないのだ。そしてぼくたちはここに、琉球弧の他界が地下から海上へと伸びてゆく経緯を追認しているのではないだろうか。琉球弧においても、地下の他界が海上へと移行する契機があったのである。

 しかし、これは他界の観念というのは強固なもので、容易に変化するものではないとしたら、これはありそうにみえるできた話ではないのか。棚瀬も同じことを自問している。西方の他界は地上の他界の一種だと棚瀬は見なしている。地上の他界とは、山や叢林や実在の島を指すもので、いずれも「幽玄」な、と棚瀬は形容しているが、怪しく恐ろしいそれらしい雰囲気を持っている場所だというのだろう。そしてこの地上の他界は、埋葬文化と台上葬や樹上葬など、明確な他界の存在しない文化とが混合した時に生まれる他界であるということを突きとめている。

 しかし、それにしても、と棚瀬は自問する。

 けれども落日に関係があるにせよ、なにゆえ地下界が西方に移行せじめられるのであるかは更に一考を要する。地下界という現世と垂直関係にある世界が、西方という現世と水平的関係の世界に移行するためには相当の理由がなければならぬであろう。筆者はこの理由は心理学的には太陽に関心を有するトテミズム文化が父権的な男性文化であって、ややともすれば彼らにとって陰鬱な連想を伴いやすい地下界に耐えられなかった点に求めうるのではないかと推測する(p.799)。

 同じことは琉球弧についても言える。なぜ、地下の他界は海上の他界へと移行したのか。あるいは、両者が共存するのか。それというのも、琉球弧においては、その両方をニライ・カナイ由来の言葉で示しているからだ。海上の他界はニライ・カナイと呼ばれることが一般的になっているが、来訪神の出現の場所とされる洞窟の奥は、これも地下に通じるニライ・カナイ系の言葉で呼ばれるからだ。むしろ、同じ言葉で言われることのなかで、地下から海上への移行が物語られていると言ってもいい。

 棚瀬は、地下信仰を持たなかった側の種族にとって、「陰鬱な連想を伴いやすい地下界に耐えられなかった点に求めうるのではないかと推測する」としているが、いかにもありそうな心理的要因に求める必要はないと思える。地下と海上は、地下は垂直で西方は水平という直交し互いに射影を落さない関係ではない。地下といっても、垂直なのではなく、洞窟や叢林の奥から行くように、最初から水平軸も関与しているからである。地下の他界も西方あるいは海上の他界も、視線としては人間の目の高さから水平に伸びる視線と背の高さから下の地面の向こうに伸びる視線を行使していることに変わりはないのである。

 地下の他界における霊魂の運動、光と闇を媒介にしている。これは地下の他界が暗黒であることを意味しない。その通路として闇を媒介にしているということだ。それは、臨死体験の類型のひとつが、暗いトンネルを抜けて、やがて知人や近親者に会い光に包まれるということと似ている。あくまで闇は光に対する媒介項として存在していると思える。地下他界を思考した種族にとっては、光と闇が交錯する洞窟や叢林という場所から、光と闇が時間の流れに視点を移し、闇に代わる日没の方向へとより垂直の視線を水平という空間の方へ疎外したのだ。また、もともと他界観念を明確に持たない種族にとっては、もともと高次元の対称世界は地上の世界そのものを根拠にしている。それが時間的にも空間的にも遠ざかってしまったという表象として空間へと疎外したのが西方あるいは海上だった。

 こうしてみれば、ニライ・カナイも地下から海上へと移行したことは確からしく思える。石垣島在地の前花哲雄は、家にある井戸の祭祀における願い口(呪言)のなかで、ニーラスク、カネーラスクから噴き出るという意味の件りについて、「ニーラ底、カネーラ底」とはニライ・カナイを意味すると書いている。

(前略)八重山の井戸は普通二十数メートルを掘り抜き地下水を求めているので、地下の深いところをニーラスクといい、更に深い地点をカネーラ底と言っている。畑を耕すとき「ニーラ底から耕せ」と昔の人はよく言った。
 「ニーラ底」には地下水があるだけでなく、其処には豊作の神々が居られるものと信じていた。この豊作の神を「ニーラピィトゥ」「ニーローピィトゥ」等を言っている。(「定説に対する疑問」『八重山文化論集』1976年)

 また、「地下数十尺の地点に於いても生きている虫(けら)」のことを「ニーラコンチェンマ」というのもニーラが地底を意味するからだと添えてる。前花は、ニライ・カナイが海の彼方とされることへの異議として、彼自身の経験値をもとに述べているのだが、前花の記憶にある「ニーラ底から耕せ」という島人の言葉にはリアリティがある。ニライ・カナイは地の底の意味から海上を指す言葉へと転位したのである。


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コメント

「ニーラコンチェンマ」について、柳田国男先生は石垣島の話として、ニーラは根の国を意味しコンチェンマはカンチとアンマを重ねた言葉だと述べている。私はネパールに滞在していた関係で、カンチが末っ子の娘でアンマは母を意味する言葉であることに驚かされました。ヒンズ語からの言葉であれば、ニライ・カナイとは全く関係のない意味で、詳しくは私のブログ「武那里の刀」を参照願いたい。「ニーラコンチェンマ」は波照間島ではニーラケーラとなっていて、ケラの虫のことを云うようだが、ヒンズ教のマハカーラを意味し、日本語に直訳すると大黒様になります。

投稿: 生盛 功 | 2015/06/30 15:42

生盛さま

ブログ、厚い記述ですね。拝読して考えてゆきたいと思います。ご紹介、ありがとうございます。 

投稿: 喜山 | 2015/07/03 06:06

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