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2014/11/01

『植民地帝国日本の文化統合』

 この本(『植民地帝国日本の文化統合』駒込武、1996年)が書かれた理由、ふたつ。

「日本人」という種的同一性(アイデンティティ)の論理のゆらぎというべきものを、異民族という「他者」との関係性において捉えること。そのことを通じて、ナショナリズムを相対化する原理を、近代日本の歴史過程それ自体のうちに見いだすこと。

 ナショナリズムには、帝国主義的膨張に適合する観念(言語ナショナリズム)と非適合な観念(血族ナショナリズム)がある。血族ナショナリズムは、血族を通じて「台湾人」「朝鮮人」「日本人」を再生産し続けた。「台湾人」や「朝鮮人」は兵役義務はなかったが、ほとんど無権利の状態でも、納税の義務は課された。

 国家統合の次元において、統合の対象と見なすか否かという問題は参政権として現われる。この点では、台湾、朝鮮は統合埒外の「植民地」とされた。植民地主義を正当化したのは血族ナショナリズム。植民地はもっぱら経済上の利益獲得の対象とみなすべきという露骨な主張もあった。そこには、「血族ナショナリズムが弱肉強食の方針を正当化し、弱肉強食論のもとでの利益の共有が血族ナショナリズムを意味ある言説とする」と、駒込は書いている。

 しかし、学校という教育制度では、内地延長主義的な修正がなされていく。植民地主義に基づく排除の体制は、「民族独立運動」という対抗物を生み、限定的な自治権を求める朝鮮地方議会開設と帝国議会への議員選出が、総督府の決定案となるが、本国政府との折衝の過程で先送りにされる。「内地延長主義は形骸化し、自治と独立を阻害するためのネガティブな原理としてのみ機能した」。

 国家統合の次元では、植民地主義であるのに対して、文化統合の次元では、「台湾や朝鮮の教育内容を「内地」と質的に異質なものとしては編成せず、程度の差はあれ連続的なものとして設定」した。そこでは、台湾や朝鮮の自主的、主体的活動は徹底的に抑圧されるが、「このような抑圧が、「日本人」との思想・感情の同一化としての「同化」を達成する手段として有効に機能するはずだという発想」がここにはある。しかし、同化は排除としては機能するだけのもので、そういう意味ではそもそも形骸化する運命づけられた理念だった。

 そもそも教育内容が「日本的」であっても学校がない限り、効果も限定的になる。また、教育勅語の利用について、植民地の教育行政官や教師たちは、「皇祖皇宗ノ遺訓」「爾祖先ノ遺風」という血族ナショナリズムに連なる文言や、「国憲ヲ重シ」「義勇公ニ奉シ」など国民統合にかかわる倫理は非適合だとして、意欲的ではなかった。台湾では改編が意図されるが「不敬」事件で挫折し、朝鮮では、教義を抽象化、簡略化した誓詞を作成し、朗唱により儀礼化したが、限界があった。

 さらに、日本語を教えさえすれば「日本的なもの」への「同情同感」も可能になると考えられたが、現実問題として感化的な機能は発揮されなかった。

 ただし、現象的には、自らを「日本人」と思い込もうとした朝鮮人や台湾人もいた。仮説的なモデルの域を出ないと断りながら、駒込は、それは「利害、思想、感情という順序をふんで国民共同体への帰属意識が浸透したと考えられる」としている。

 メモ。この点、奄美、沖縄の場合は、「感情」だけではないだろうか。

 「同化」という理念が形骸化しつつも建前としての地位を確保し続けられたのは、近代化という事態が不可逆の過程として進行し、そのなかで一定の協力者を確保しえたことにある。しかし、近代化において「文明化の恩恵」は標榜したが、目指された人間像は、「前近代的な被治者意識を温存したうえで、近代的な規律・訓練を身につけた、「順良ナル臣民」であった」。

 メモ。「順良ナル臣民」は、三井炭鉱の「炭坑夫募集要領」にあった「土百姓ニシテ世ニ慣レザルモノ」と似ている(cf.「土百姓にして世に慣れざるもの」)。

また、台湾では、文明と野蛮という二分法に基づいて原住民に対する偏見と差別を拡大再生産することで、漢民族の一部を支配体制の内につなぎとめる方策がとられた。

 このような状況下で、「差別の克服と連帯の獲得」を目指した人物がいた。辛亥革命期に抗日武装蜂起を計画した台湾の羅福生と伊藤博文を暗殺した朝鮮の安重根だ。

羅福生は、「天命」という概念に基づいて「国法」を犯すことを正当化するとともに、死後に鬼神と化して復讐するという民間信仰のエートスから抗日のエネルギーを汲みあげていた。安重根は、忠孝の倫理に基づいて、「不忠の臣」としての伊東博文を告発していた。

 メモ。安重根について、ぼくは黒川創の『暗殺者たち』で知った。最近のこと。

 駒込は、イギリスは自治の付与という譲歩策に転じて、帝国-連邦体制を形成したのに対して、日本帝国主義が、ついにそのような転換をなしえなかったのはなぜか、と自問自答している。駒込は、「天皇制が欧米諸国におけるキリスト教の代用品として国民統合の「基軸」とされた近代日本において、教育はまさに一種の宗教であった」ところに原因の一端を見ている。統治体制そのものを別の論理にしたがって構想する余地が少なかったと考えられる。

 メモ。後進国ナショナリズム。段階としてのアジア的と西洋的。

 敗戦後、帝国の解体は、占領軍主導により他律的に行なわれたことで、植民地支配に対する責任意識の希薄さをうみだすことになった。そして、血族ナショナリズムも言語ナショナリズムも温存されたということを、課題として詳述している。

 メモ。奄美と沖縄は、戦後は「日本復帰」という目標のなかで、血族ナショナリズムと言語ナショナリズムによる同化を継続した。


『植民地帝国日本の文化統合』(駒込武、1996年)


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