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2014/10/06

来訪神の段階

 現在の新城島でのアカマタ・クロマタは、粟の豊年祭においては子神のみが出現し、稲の豊年祭において親神と子神が出現するという形態を持つことにも、この祭儀の編成が示されている。自然に考えれば、粟の豊年祭が先行してあったところに、稲の豊年祭が加わり、それが本格化していったということだ。

 これらはいずれにしても農耕祭儀の域を出ないということは言える。もうひとつ考えられることがあるのは、子神のアカマタ・クロマタがフサマロという別称を持つことである。別称とは古称のことかもしれない。そういう連想を促すのは、波照間島でフサマロと呼ばれる来訪神がかつて存在したことだ。波照間島のアミニゲエ(雨乞い)の儀礼は、女性の祭祀集団が行うが、旱魃が酷い時には、それだけではなく、スーニゲエ(総願い)というもうひとつの雨乞い儀礼が行われた。これは、「総願い」という名称が示唆するように女性の祭祀集団だけではなく、男性の祭祀集団も加わって行われる。ところが島人によれば、かつてはスーニゲエは男性の祭祀集団によるフサマラの儀礼が行われていたのだと言う。こうした経緯のなかにも、祭儀の変遷が顔を覗かせるのだが、フサマラは雨乞いの来訪神儀礼だったのだ。通常の雨乞いだけではなく、総出の雨乞いも加えられたところに、水に対する島の渇望感が色濃く現れるが、それだけではなく、ここで注目したいのは、波照間島のフサマラも男女二神で現れるので、すでに農耕祭儀としての顔つきをしているが、雨乞いは農耕儀礼にとって重要だが、農耕社会ではなくてもそれ以前にも重要な儀礼であるということだ。新城島のアカマタ・クロマタがフサマラという別称を持ち、かつて波照間島にはフサマラという雨乞いに出現する来訪神のあったことは、祭儀の持っている時間の深度が伸びる可能性を示すのかもしれない。

 来訪神は、地の底あるいは海の彼方から、はかりしれない遠いところからやってくると考えられている。そして、分たれてしまったこの世とあの世のつながりをつなぎ合わせるためにやってくる。あの世となってしまった世界とは、スピリットが男女にも動物にも植物にも自在に変幻する高次の対称性の世界、世(ゆ)であり、そことの自在な行き来ができなくなって、来訪神は出現の根拠を持ったと、ぼくたちは仮定してきた。そこから、みれば祭儀の段階の他に、高次の対称性の世界、世(ゆ)の表象性の視点からも来訪神をみつめることができる。

 折口信夫は、「訪客なる他界の生類との間に、非常な相違があり、その違ひ方が、既に人間的になっているか、其以前の姿であるかを比べて考えると、どちらが古く、又どちらが前日本的、或は更に前古代的かと言ふ判断がつくことと思ふ」(「民族史観における他界観念」)と書いたが、この尺度は有効だと思える。

 秘祭であるがゆえに、記述と数少ない写真からしか追うことはできないが、たとえば西表島のアカマタ・クロマタ祭儀を見聞した民俗学者はこう記している。

黒マタは全身オオタニワタリの葉でおおい、頭に赤いサンダンカの花をかざしにし、黒い木彫りの面にパク(矛)を杖にする。赤面の赤マタと白面の白マタは、シツカザ(西表三味線カズラ)に身をつつみ、体をふるわすと、細い草の先端が微妙に揺れ動いて、宙に浮かんでいるように錯覚されるから妙だ。(湧上元雄「西表島古見むらのプール」)

 この民俗学者は、出現の時にも、「その瞬間、全身シツカザにおおわれた白面のフサマラー(草をまとったまれびと?)が身をふるわすと、微妙に全身揺れ動いて、彷彿としてきたりうける霊のいますかと錯覚されるから妙だ」とも書くのだが、研究のためで祭儀の世界観のなかにいる島人でない者にとっても、植物の化身のようなアカマタ・クロマタは、世(ゆ)の表象性を豊かに持っている。祭儀の終わりで、アカマタ・クロマタとの別離の際に、人が演じていることは分かっていても、村落の古老が涙を流すのには、死者や祖霊を伴った来訪神が、始原的な世(ゆ)とのつながりをもたらしたことへの喜悦が含まれているのだ思える。

 また、赤土の赤と墨の黒のコントラストが鮮明で、突きでた目、鼻、そして羽を持つ上体と、ビロー葉で覆った下半身のいでたちであるトカラ列島のボジェは、巨大な昆虫のようにも樹木と植物の怪物のようにも見え、これも世(ゆ)の表象性が豊かだ。

 こうした精霊(スピリット)の世界を生き生きと表象できなくなった段階では、来訪神は、人間的なものとして表象され、祖霊に近づいてゆく。デイゴの木ででき、能面を彷彿とさせる翁、姥といった老人の仮面で現れる石垣島のアンガマや、蓑を後ろ前につけるという石垣島川平のマユンガナシは、折口信夫がまれびとの典型のように挙げた蓑笠姿そのものに近いように見える。ただ、マユンガナシの名は、美称の接頭辞の「ま」と世(ゆ)、尊称の「かなし」を合わせたものであり、来訪神の別名といっていいほど正統な名を持つものだ。

 「他界の生類」と人間的なものの中間に位置するのは、宮古島のパーントゥだ。パーントゥの仮面は人面を思わせるが、つる草で全身が覆われた、植物と人間の化身の姿だ。そして何といっても、産水としても使われたンマリンガーと呼ばれる井戸の水底の泥を全身に塗っているところに、世(ゆ)の大地を充分に汲み取っていることが示されている。

 他界の生類であれ人間的なものであれ、仮面仮装して出現するのが来訪神だが、琉球弧では仮面仮装がほどけた来訪神も存在している。そして、仮面仮装が解けることで質的な転換も起こっていると思われる。吉成直樹が『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』において詳細に検討している例からいえば、沖縄島北部や周辺の島で行われているウンジャミは、海上はるか遠くのニライカナイから海神を迎え、遊ビビラムトがその神に憑依することで来訪神を演じる。与路島のウムケー、オーホリにおいてはテルコ神がやはり迎えた神に憑依して祭儀を行う。

 また、宮古島のウヤガンにおいては、さらに重層し、木の葉の冠をかぶり、木の枝を持った白衣裳のシバノウヤガンが海の彼方から神を迎えて憑依する一方、別の神女であるウプツカサは御嶽の神と一体化し山から出現する。この二重性は、吉成が考察しているように、海の彼方からの神に憑依する来訪神儀礼に対して、御嶽の神と一体化する儀礼が重なってものだと考えがえられる。御嶽は、高神が常在する場所だというだけでなく、来訪神迎える場にもなり賑やかになった。この過程は、琉球弧の母系社会の進展と琉球王朝による神女組織の体制化により、男子結社による仮面仮装の来訪神祭儀が、細り、あるいは包囲されていく過程でもあっただろう。

 吉成は、男子結社による仮面仮装の来訪神と、ニライカナイの神に憑依する来訪神、御嶽の神と一体化する来訪神を歴史的な順序から考察しているが、仮面仮装という変身による来訪神化と、憑依、一体化は段階としてもこの順であると言える。それは、高次対称性の世界、世(ゆ)からの距離感に対応している。

 琉球弧の来訪神について、もうひとつ加えるべきことがあるとすれば、他界の生類の表象性という以外に、具体的な人や集団があるということだ。それは折口信夫が、他郷からの来訪者であるストレンジャーを「まれびと」としたいちばん初めの着想に対応するものだ。ただ、琉球弧の場合、それは「ほごひびと」として現れるというより、技術や信仰をもたらした者たちに仮託されているように見える。

 比嘉政夫は、マユンガナシのカンフツ(呪言)は、作物の植え付けの時期などの農耕技術が含まるとして、「八重山石垣島の北の端から順に近い川平に至る地名の列挙にはじまり、中間に農耕の技術の指示があり、牛馬の繁殖、人間の幸福、貢納の完了を予祝して完結しているようである」と書いている(『沖縄民俗学の方法―民間の祭りと村落構造』。ここからは、マユンガナシが、稲作技術の伝来者を原型としていることが示唆されるように見える。

 また、福寛美は、「おもそろうし」の次の歌謡も、実在の男性を指したものだという重要な指摘を行っている(『沖縄と本土の信仰にみられる他界観の重層性』)。

 一 みるや仁屋/世馴れ神やれば/けわいつ
 又 みるや仁屋/世付き神
 又 みるや仁屋/意地気神
 又 みるや仁屋/大国神
 又 意地 切り遣り/金若子 差しよわちへ
 又 意地 切り遣り/金みさき さしよわちへ
 又 金若子 紐鈴は 下げて
 又 金みさき 鳴り鈴は 下げて

 この他にも、男性の仮面仮装の系譜に属するミロクも、新しく流入した信仰を来訪神化したものだと言える。


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