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2014/10/29

洞窟三題

 洞窟内で行われていた宗教祭儀。

 クロマニヨン人たちが残した洞窟壁画のことは、よく知られています。(中略)トナカイ、ヘラジカ、バイソン(野牛)、サイ、ライオン、ヒョウなどの動物の、おそろしく写実的な壁画を見ると、これらを描いた現生人類たちの心が、現代の私たちのものと寸分違わない複雑さで、すでに喚声していたという事実を思い知らされます。この洞窟壁画を研究した考古学者たちは、描かれた動物の種類や配置、狩人を思わせる人間像との関係などから推論して、ここではなにか「増殖」や「繁殖」の概念にかかわる儀式のようなことがおこなわれ、絵画はその儀式と関係したものであろうと考えています。
 その壁画の描かれたたくさんの洞窟のひとつ、モンテスパン洞窟で、一九二三年にたいへんに興味深い発見がおこなわれました。とても深い洞窟をたどっていきますと、広くなった部屋のような場所に出ます。この部屋の奥に向かって懐中電灯を向けた考古学者たちは、そこにこんもりと盛り上がった小山のようなものを見つけ出したのです。暗い光の中に浮かび上がったのは、熊の姿でした。
 よく調べてみるとそれは粘土でつくられた大きな熊の像でした。首はなく、像の手前の地面には、小熊の頭蓋骨が置かれていました。粘土の熊のからだには、いくつもの穴があいていました。毛布をかぶせた上から、矢を射かけた痕だと推定されています。つまり、洞窟の奥のこの場所で、いまから一万数千年前、現生人類によって熊の像に矢を射るという、なにかの儀式がおこなわれていたのです(p.60)。

 洞窟の中の、たぶん熊祭祀がおこなわれていただろうと思われるあたりは、奥まったところにある真っ暗な空間でした。この暗黒の中で、動物の脂肪からつくった小さな灯りをともして、この祭祀はおこなわれていたのでしょう。まだ旧石器を使っていた現生人類は、明るい生の世界と暗い死の領域との中間の、夢と同じ構造をもった薄暗がりの中で、熊に語りかけていました(p.62『熊から王へ カイエ・ソバージュ』)。

 増殖、繁殖だけではない。絵画には生と死も描かれている。

後期旧石器時代のホモサピエンス(現生人類)が、洞窟を住居とし、また特別に選ばれた洞窟の中では、なにかの宗教的祭儀が執りおこなわれていたことを示す、たくさんの証拠が発見されているのを、そこで見てきましたね。洞窟壁画にはおびただしい数の動物の死が描かれています。鹿や馬が疾走していくところを描いたそれらの絵画は、迫真のリアリズムで、私たちに深い感動を与えるのです。また同じ洞窟には、熊とおぼしき動物をかたどったテラコッタ像が残され、あたりに散らばった遺物からして、あきらかに儀式がおこなわれた痕跡を示しています。
 ラスコーやショーベをはじめとするそうした洞窟では、動物の「増殖」にかかわる儀式がおこなわれていたのではないか、と考古学者たちは推測しています(p.80)。

旧石器時代のホンサピエンスのこうした増殖の思考には、それと反対の思考、つまり生と消滅をめぐる思考がセットになっていました。生まれ、増えていくものが、同時に死に、消えていくものと同居している様子が、はっきりと絵画で表現されています。

 ラスコー洞窟は「広間」や「回廊」や「小部屋」でできていますが、そのうちのもっとも奥まった部屋の一つに、奇妙な図が描いてあります。大きなバイソンのかたわらに、仰向けに倒れているとおぼしき男の姿を見つけることができます。バイソンのお腹から内臓がはみ出しています。おそらく鋭い石器で腹部を傷つけられたのでしょう。バイソンは、近づく自分の死を予感しながら、角を突き立てて、自分を傷つけた狩人に挑みかかっているようです(P.82『愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ』)。

 洞窟はそれに留まらない。洞窟は精霊動物たちの住まう世界であり、触知可能な他界だった。

後期旧石器時代の洞窟内に入ることは、おそらくは、深いトランスの経験とそれに伴う幻覚へと通じる心的な目まいに陥ることと実質的には区別しがたいものと見なされていたと。地下の通路と部屋は地下世界の「内臓」であった。それらのなかに入ることは、地下世界へと物理的かる心理的に入ることであった。「霊的」経験はこうして地形学的な物質性を与えられたのである。洞窟内に立ち入ることは、後期旧石器時代の人々にとっては、霊的世界の一部に入り込むことであった。装飾的なイメージはこの未知なるものへの道標(おそらくはかなり字義どおりの意味で)に他ならなかったのである(P.370『洞窟のなかの心』デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ、2012年)。

 洞窟内の絵画は、岩の表面の特徴を利用するように絵が現われている。一見目立たないこぶや突起が動物の目に相当するような仕方で描かれている。それは視角よりもむしろ触覚によって確認され選びだされたものかもしれない。薄暗い光の下でそっとなぞる指がこぶを発見し、動物の発見を今かいまかと待ち構える心がそれを目と捉えた。ビジョン探求者たちは、そこに精霊動物のありかを示す印を注意深く手で探っていたのだ。それは地上においてのような水平な姿勢でなくていい。浮遊するビジョンを再構成していたのだから。

 頭が描かれた動物のその他の部分は壁のなかにあるように見える。それらは岩壁から人間や動物の顔がのぞいているように見える。それらは洞窟そのものの一部と化して、地下世界の一部と化している。探求者たちは、□と触覚を通じて、岩肌の襞や割れ目のなかに力あふれる動物のビジョンを探し求めた。岩の向こうには、精霊動物と精霊それ自体の住まう領域があり、洞窟内の通路と部屋はまさしくこの領域の奥深くへと通じていた。

 洞窟内にある手形(ハンド・プリント)は、手を描くことより岩に触れることが重視されていたのではないか。ネガティブなハンドプリントの場合、絵の具は手全体をくまなく覆い隠す。手はこうして絵の具の層の背後に消えうせる。ポジティブなハンドプリントの場合、絵の具は手と岩を結びつける媒介項だった。絵の具は単なる技術上の物質ではない。それは一種の力を宿した溶媒であり、それが岩を溶かし、その背後にある領域との濃密な接触を容易にした。フィンガーフルーティングも同じ意味を持つのではないか。後期旧石器時代の人々が地下の部屋や通路の薄い膜のような壁の背後に精霊世界が存在していることを認めるなら、ハンドプリントもフィンガーフルーティングも理解可能なものとなる。

 当時のランプは、自然にできたくぼみに獣脂を詰めるだけの粗末な石のかけらであり、芯は地衣類やコケやマツ、ネズでできていた。それらはあまり強い光を発さなかった。そのランプの下で精霊動物と出会っていた。動物と幾何学的モチーフは何らかの仕方で光:闇というメタファーに関わっていた。光:闇のメタファーは、後期旧石器時代にまでさかのぼることができる。

 また洞窟内では、身体から聞える内部音や太鼓、弓弦、うなり板などかが奏でる音楽的リズムも重要であったに違いない。

 霊的な地下世界はそこにあり、触知可能で物質的なものであった--ある者は、洞窟内に入り、共同体のシャーマンたちに力を授けてくれる精霊動物の「固定された」ヴィジョンをじかに目撃することによって、そしてさらに、おそらくはこうした地下空間にあっても経験されるヴィジョンを通じて、この地下世界の存在を確認することができたのである(p.371)。

 琉球弧には、鍾乳石でいつも湿った岩が多く、絵画の描ける適度に乾燥した洞窟はなかったかもしれない。それでも、洞窟を居住地としながら、特別な洞窟では宗教的祭儀を行った段階はあったかもしれない。与論ではいえば、ハミゴーは歌垣である以前があったのかもしれない。とにかく、洞窟は心惹かれる場所だ。そして琉球弧には大小無数の洞窟がはりめぐっている。



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