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2014/10/24

『日本霊性論』

 気づいてみれば、霊力思考と霊魂思考について考えることは、「霊性」について考えることなのだった。

「聞こえないメッセージを聞きとろうとする構え」が祈りの基本的な姿勢だと僕は思います。合掌してセンサーの感度を高めている。

計測機器の精度では感知できない変化は機械ではなく人間が感知するしかない。

ちょっと機嫌が悪い、微熱があるとか、寝が足りないとか、その程度の愁訴でも、人間が周りに放射している波動には変化が生じる。(中略)環境の微細な変化に対応するセンサーの感度を上げて、感知できないはずのことが感知できるような心身を作り上げる。生き延びるために最も有効な能力だからです。

知らないことを知っている、心身のすべてを総動員して、自分たちの生き延びるチャンスを最大化しようとしている。それが生きる力だと僕は思います。

 「心」という概念が発明されたのは、紀元前五世紀くらい。『論語』の時代には心という語はまだなかった。安田登、曰く。「不惑」ではなく、「不或」のはず。人間四十歳の課題は、「自分がそこに囚われている固定観念を捨てよ」ということ。

 これなら、よく分かる。これを知っていたら、四十代の意味をもっと納得できていたかもしれない。

アモルファス(不定形的)な内部の感覚が分節されて、輪郭の鮮明な一個の感情として立ち上がってきて、それを名指したり、再現したり、他者の感情として想像したりできるようになたのはかなり最近の話、紀元前五世紀ぐらいのことだったのです。

(感情は-引用者)もっと曖昧で、どろどろと不定形で、身体感覚と混ざり合った生々しいものだったんじゃないでしょうか。

つまり、「感情」という概念はそれ自体が「心」とともに人間たちの語彙に登録されたものなわけです。感情というのは自存しているものではなく、それを表記する記号の出現と同時に分節化された。

非分節的な、未だ思念にも感情にも結晶化していない、記号的に表象できないけれど、確かに自分の中に息づいているものがある。記号の体系が掬い上げきれない不定形な、星雲状のかたまりがある。

「心」というのは、この非分節的な星雲状態の思念や感情を記号に繰り上げるときの「架橋」装置だったのではないかと僕は思います。

 ぼくの関心に引き寄せれば、「心」は、個体化された霊力という言い方になるだろうか。自然との関係のなかで個体化された霊力がトーテム原理。自己自身の関係のなかで個体化された霊力が心。

 読み進むうち、琉球弧ソバージュの霊性とは何だろうか、という問いが浮かんできた。旺盛な、円環する生命観。


『日本霊性論』

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