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2014/10/03

来訪神ボジェの段階

 殺害された女性から穀物が生れたという神話が、神話にとどまらず祭儀のなかでも行われたことを知ると、気になることが出てくる。それは、殺害されるのは選ばれた女性であるとして、それなら殺害するのは誰かということだ。マヨ祭儀ではそれは結社員である男性たちだった。この男性の論理とはどのようなものか。

 そういう視点でみると、男性には選ばれたマヨの母(娘)を殺害するというだけではない特異な強調がなされているのに気づく。たとえば、新入の結社員たちが通過儀礼の際にその起源の神話とともに与えられるバナナやココ椰子には必ず精液が塗りこまれていた。それでなければ、たちまち病気になり、以後その食べ物を食べられなくなるからというのだ。精液に対する特別な信仰はそれに留まらない。マヨの母(娘)は殺害される前に結社員たちによって強姦されていた。彼らにとっては大量の精液を流し込むことが重視されていたのだ。

 しかもこれはマヨ祭儀のなかの特別な行為ではない。結婚に当っても、新婦である女性は健康と多産のために夫と同家系の男性たちの性交の相手をしなければならず、それは子供を産んだ後も、新しい子供の誕生のために繰り返されたのだという。ここには、性交から子供が生まれるという概念からははみ出した過剰な意味が込められていると思える。

 ニューギニア島南部のサムビア族では、通過儀礼の過程で少年たちは口唇性交により大人の精液を飲むことを強いられる。また、母乳も精液の変化したものに他ならず、胎児の身体も精液によって形成され成長するので、夫は妻の妊娠後も、妻の胎内に精液を共有し続けなければならなかった。これを報告したHerdt は、人間は精液がそのなかを通って次の世代に伝達される一時的な容れ物に過ぎず、精液こそが主体であると、この「精液原理」を説明している。これは、昨今の科学が、人間は遺伝子の乗り物に過ぎないと見なすのと似ている。思考の型としてはほとんど両者は変わらないのではないだろうか。

 選ばれた女性が穀物として再生を果たすものであるとすれば、殺害する男性とは、再生による穀物の増殖を担う者だったということになる。また、ハイヌウェレ神話というのは、殺害された女性が穀物として再生することが強調されるが、ここには精液原理とも言うべき信仰による殺害する男性の論理も加えなければ半面しか見てないことになると思える。この意味では、この段階の男子結社とは精液原理を共同幻想化したものだった。

 この精液原理のもとでは、男根が崇拝の対象になっている。ここまで来ると思いだされるのは、琉球弧の北の境あたりに位置するトカラ列島の来訪神、ボジェの持つ棒の意味に接続する。来訪神ボジェの持つ棒は、1メートル余りの長さで、端を丸めて亀頭状にしてあり、ボジェマラ棒と言われるように男性器そのものを指している。そして祭儀においては、このボジェマラに突かれると運がいいとか、女は良縁に恵まれると言われているのだ。

 言い換えれば、来訪神ボジェは、ハイヌウェレ神話の段階まで遡れる可能性があるということだ。

 

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